プロ野球に関する記事の一覧です。 あなたの記憶をくすぐる懐かしいセリーグ&パリーグの球団・選手・試合・記録・エピソードなどを記事を紹介します。
海の向こうから着た大型扇風機!【ラルフ・ブライアント】の魅力に迫る!
近鉄のみとは言わず、助っ人外人の名を上げれば必ずと言っていいほど、ブライアントの名はあがるでしょう。メジャーからやってきたラルフ・ブライアントのあの三振は、今でも忘れない豪快なものでした。その三振とは裏腹に度肝を抜かれるホームランも魅力の一つでしょう。近鉄の主砲ブライアントの現在と現役時代をご紹介します。
右ひじの手術後1985年に見事にカムバックした村田兆治。日曜日ごとに登板し開幕11連勝を達成した。大リーグの名投手、元ドジャースのコーファックスが日曜日ごとに登板し”サンデー・コーファックス”と呼ばれたことにちなんでつけられた”サンデー兆治”は社会現象にもなった。
流行語大賞も受賞した「投げたらアカン」は鈴木啓示の口ぐせ。”草魂”と呼ばれた最後の300勝投手。数々のタイトルを獲得した男が自ら認める勲章とは何か?
昭和最後の完全試合投手【今井雄太郎】を変えたコップ1杯のビール
今井雄太郎は1970年代から80年代にかけて活躍した阪急ブレーブスの「主戦(エース)投手」。大酒飲みだったことから授かった称号が”酒仙投手”。酒にまつわる逸話とともに今井雄太郎について振り返る。
日本プロ野球史上最速の投手は誰か? この問いに対して必ずあげられるのは、1970年代後半に阪急ブレーブスで活躍した山口高志だ。では、この答えは本当に正しいのだろうか?
1976年から79年日本ハムに在籍した伝説の外国人助っ人。当たればホームラン、そうでなければ三振。在籍した4年間で4度の三振王。身長193センチ、大型扇風機と呼ばれた男の悲劇とは?
爆発力満載の阪急打線に、あのブルーサンダー打線を引っ張ってきた石嶺和彦。関西の大砲は指名打者で大活躍した選手でした。ファミスタでも、石嶺禁止だったほどです。そんな石嶺和彦の現役時代と今を振り返ります。
【掛布雅之】田淵幸一の後を継いだ、笑顔が魅力のミスタータイガース
「王、田淵にチャレンジしよう!」がキャッチコピーの任天堂のウルトラマシーン。その田淵が引退後の新しいキャッチコピーが「王、掛布にチャレンジしよう!」であった。厳しいプロ野球界の癒し系、いつも笑顔のミスタータイガース掛布雅之。
プロ野球ファンで「記録はイチロー君にまかせて、僕は記憶に残る選手」という名言を残した新庄剛選手の事を知らない方はいないでしょう。ところが「記憶に残る選手」にも大先輩がいたんですね。その一人が宇野選手です。1984年の掛布との熾烈なホームラン王争いを繰り広げたり、ベストナインに3回も選出されていながらみんなの「記憶」には全く別な宇野選手が焼き付いています。プロ野球の面白さを120%教えてくれた、名選手。
西部の黄金時代を築いたキープレイヤーの一人。走・攻・守備でずば抜けた才能を発揮し、当時まだメジャーへの挑戦という道が開かれていなかったにも関わらず、外国人選手からは「メジャーでも通用する選手」として一目置かれていた。毎年、シーズン前の抱負を語る時の「10割100本!(打率10割、ホームラン100本)」が忘れられない。
32歳のという若さでこの世を去った、広島東洋カープが誇る「炎のストッパー」津田恒美。常に真っ直ぐにこだわり、ことごとくスラッガーのバットを粉砕してきた名投手。記録よりも広島ファンというより、野球ファンの記憶に残る選手です。
【桑田真澄】正確なコントロールと、計算された組み立てで野球人生を歩み続ける男!
174cm、80kgという野球選手としてはけっして恵まれた体格とは言えない桑田真澄。そんな桑田がどのようにしてPL学園の黄金時代を築き、名門巨人軍のエース背番号「18」を21年間に渡り背負ってきたのか。彼の野球人生を振り返り、その時々のエピソードを見てゆくと「桑田真澄」という男の野球哲学が浮き彫りになってくる!
凄まじい切れ味の「カミソリシュート」を武器に、大洋ホエールズのエースとして通算201勝を挙げた平松政次。その201勝のうち51勝が巨人からの勝利であり、長嶋茂雄が最も苦手としていた投手だった。
「赤鬼」の異名を取ったチャーリー・マニエル。1976年からヤクルト、近鉄での6年間で621試合、打率.303、189本塁打、491打点。セ・パ両リーグの下位球団を優勝に導いた史上最強の助っ人外国人。
1980年10月7日【木田勇】スーパールーキーイヤーの最終戦
木田勇のルーキーイヤーは圧巻だった。最多勝、最優秀防御率、最高勝率、最多奪三振、MVP、新人王などのタイトルを総なめにした。木田は優勝をかけた最終戦にもリリーフでマウンドに上がったが…
「おソレイッタ」「それ行ったー」とスポーツ紙上に見出しを躍らせ、日本ハムで4年間の在籍期間に本塁打155本を記録した”サモアの怪人”。”〇〇の怪人”の名はソレイタから始まったのだ。
現役時代、土井正三コーチに「監督に調子を聞かれたら嘘でもいいから必ず絶好調と答えろ」と言われたのがきっかけで、どんなときでも必ず「絶好調!」と答えるキャラクターが定着。ON引退後の巨人のスターとして、「絶好調男」「ヤッターマン」の愛称で親しまれた。ただ、当時から本当はどちらかといえば根暗な性格だったそうである。
読売ジャイアンツの監督を長きに渡り勤め野球界を牽引してきたと言っても過言ではない原辰徳にスポットを当て紹介していきます。
【天才投手】野球が好きじゃないのに182勝も挙げた元メジャーリーガー『石井一久』
今では天然やおもしろい元野球選手として注目を浴びている石井一久。彼がすごいのは面白さだけではなかった。 野球のセンスだけでやってこれた彼の生き様をご覧ください。
甘いマスクを持った滋賀県出身のピッチャー、西崎幸広さんの生い立ち、現在の姿をご覧ください。