太く短かった投手人生
1975年にドラフト1位で阪急ブレーブスに入団。身長は公称171センチ、本当は169センチだった。小柄な体から腕を地面に叩きつけるようなフォームで全力投球し続けた。あくまで速球主体の投球にこだわり続け、怪我もあり、活躍期間は4年間と短かった。現役引退は1982年。
最も活躍したのは、入団1年目の日本シリーズだった。赤ヘル旋風を巻き起こした広島相手に、6試合中4試合に登板し、1勝1セーブ、24回3分の1を投げて21もの三振を奪った。阪急に悲願の日本一にもたらした。そして翌年翌々年の日本シリーズでは、巨人を2年連続で破り阪急の3年連続日本一に貢献した。
50勝43敗44セーブ 防御率3.18
新人王(1975年)
日本シリーズMVP (1975年)
パリーグプレーオフ優秀投手賞(1975年)
オールスターゲーム出場4回(1975年-78年)
最優秀救援投手(1978年)

証言その1 江夏豊(阪神ー南海ー広島ー日本ハムー西武)
高志と同世代には「剛」のタイプの選手はいないかもな。巨人の堀内恒夫、大洋の平松政次、近鉄の鈴木啓示らも、確かに速かった。だが、ボールの威力という点では、高志の直球のほうが上だった。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40964?page=2山口高志×江夏豊「史上最速の投手は誰か、今日こそ決めようやないか」 プロ野球スペシャル対談『君は山口高志を見たか』刊行記念 | スポーツ | 現代スポーツ | 現代ビジネス [講談社]
たとえ短い期間だったとしても、高志が物凄いボールを放っていたのは紛れも無い事実。プロ野球史上最速は誰か。この問いに答えるのはやはり難しいが、デビューからの4年間に限れば、間違いなく最速は高志だったよ。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40964?page=5山口高志×江夏豊「史上最速の投手は誰か、今日こそ決めようやないか」 プロ野球スペシャル対談『君は山口高志を見たか』刊行記念 | スポーツ | 現代スポーツ | 現代ビジネス [講談社]
証言その2 山本浩二(広島)
【1月26日】1975年(昭50) 222勝右腕よりスゴイ!剛速球山口高志、3球で「モノが違うで」(野球) — スポニチ Sponichi Annex 野球 日めくりプロ野球09年1月

証言その3 金田正一(ロッテ)
山口の一番いいのは体全体を使って投げていること。そのフォームに若さと迫力がる。ウチはこれから先も山口に全部負けてしまいそうだ」
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20150402「伝説の豪速球投手 君は山口高志を見たか」(鎮勝也) - 一日一冊一感動!小野塚 輝の『感動の仕入れ!』日記

証言その4 長嶋茂雄(巨人)
「伝説の豪速球投手 君は山口高志を見たか」(鎮勝也) - 一日一冊一感動!小野塚 輝の『感動の仕入れ!』日記
証言その5 高田繁(巨人)
証言その6 村田康一(パ・リーグ元審判部長)
証言その7 フレッド・リン(南カリフォルニア大学ーボストン・レッドソックス)
フレッド・リンは、1975年に史上初めてMVPとルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得したメジャー・リーガー。後に2001年のイチローが2人目となった。山口とは1972年第1回日米大学野球選手権で対戦した。
証言その8 ブリーデン(阪神)

1975年日本シリーズでの”圧巻の投球”
野球の記録で話したい : 山口高志|この野球選手が好きだ 12

”我が投手人生に悔いなし”
1978年はリリーフに転向し、13勝4敗14Sで最優秀救援投手に輝いた。しかし、その年の日本シリーズで打撃練習中に腰を痛めてしまった。翌年も腰痛は癒えず、左アキレス腱の故障もした。
太く短く~その3(山口高志) - 安威川敏樹のネターランド王国

当時小学生の筆者はとにかくびっくりした。テレビ中継は巨人戦のみで、普段はパ・リーグの試合を見る機会はなかったので、ある種のカルチャーショックだった。我らがジャイアンツを破った赤ヘル軍団のバッターを、バッタバッタと三振に仕留めてしまう投球にただただ唖然とした。腕を上から下に地面に叩きつけるような迫力あるフォームとそのボールの球威に圧倒された。山口は75年の広島との日本シリーズのような投球はできなかったが、翌年翌々年と阪急は2年連続で我らが巨人を倒した。
当時は独特のフォームで投げる投手がたくさんいた。阪急の山田、ロッテの村田、阪神の江夏、巨人の堀内、高橋一三など、少年たちはよくモノマネをした。そして、山口高志も少年たちのレパートリーの1つだった。