証言その7 フレッド・リン(南カリフォルニア大学ーボストン・レッドソックス)
フレッド・リンは、1975年に史上初めてMVPとルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得したメジャー・リーガー。後に2001年のイチローが2人目となった。山口とは1972年第1回日米大学野球選手権で対戦した。
証言その8 ブリーデン(阪神)
1975年日本シリーズでの”圧巻の投球”
野球の記録で話したい : 山口高志|この野球選手が好きだ 12
”我が投手人生に悔いなし”
1978年はリリーフに転向し、13勝4敗14Sで最優秀救援投手に輝いた。しかし、その年の日本シリーズで打撃練習中に腰を痛めてしまった。翌年も腰痛は癒えず、左アキレス腱の故障もした。
太く短く~その3(山口高志) - 安威川敏樹のネターランド王国
当時小学生の筆者はとにかくびっくりした。テレビ中継は巨人戦のみで、普段はパ・リーグの試合を見る機会はなかったので、ある種のカルチャーショックだった。我らがジャイアンツを破った赤ヘル軍団のバッターを、バッタバッタと三振に仕留めてしまう投球にただただ唖然とした。腕を上から下に地面に叩きつけるような迫力あるフォームとそのボールの球威に圧倒された。山口は75年の広島との日本シリーズのような投球はできなかったが、翌年翌々年と阪急は2年連続で我らが巨人を倒した。
当時は独特のフォームで投げる投手がたくさんいた。阪急の山田、ロッテの村田、阪神の江夏、巨人の堀内、高橋一三など、少年たちはよくモノマネをした。そして、山口高志も少年たちのレパートリーの1つだった。