投手に関する記事


【池谷公二郎】三振かホームラン!? 被本塁打のシーズン歴代最多記録を持つ広島のエース

【池谷公二郎】三振かホームラン!? 被本塁打のシーズン歴代最多記録を持つ広島のエース

シーソー投法と呼ばれたダイナミックな投球フォーム。広島ファンならずとも、真似しようとしたプロ野球ファンは多かったのではないでしょうか。ストレート真っ向勝負が多かったことから、奪三振も被本塁打も多かった投手で、広島の躍進に大いに貢献したエースです。そんな池谷公二郎投手の記録を振り返ります。


【間柴茂有】戦後初の勝率10割!日本ハム19年ぶりの優勝に貢献した投手!

【間柴茂有】戦後初の勝率10割!日本ハム19年ぶりの優勝に貢献した投手!

投手のシーズン勝率10割といえば、記憶に新しいところでは、2013年の楽天・田中将大投手の24連勝を思い浮かべる人が多いかもしれません。実は、戦後に限ると、過去にもう一人いました。それが、1981年の日本ハム・間柴茂有投手。今回は、間柴投手の勝率10割と日本シリーズの成績を振り返ります。


【プロ野球】最多負け越し記録!チームの暗黒期を支えた名投手たち6選

【プロ野球】最多負け越し記録!チームの暗黒期を支えた名投手たち6選

今回注目するのは、投手の「最多負け越し記録」。この記録を作るには、チームの主力投手として登板数が多く、なおかつチームが低迷して敗北数も多い必要があります。実際に名を連ねるのは、タイトルを獲得するほどの名投手ばかり。今回は、1970年以後、年間11敗以上負け越している6投手を見てみます。


【武田一浩】史上3人目!全12球団から勝利したピッチャー!1998年には最多勝も記録

【武田一浩】史上3人目!全12球団から勝利したピッチャー!1998年には最多勝も記録

セ・パ交流戦が始まる以前、公式戦でセ・パ全12球団から勝利を挙げた投手はわずか3人です。その一人が、今回ご紹介する武田一浩。最多勝、最優秀救援のタイトルも獲得したことのある実力派で、中日ドラゴンズのリーグ優勝にも貢献しました。そんな武田投手の各球団初勝利の軌跡を振り返ります。


【全球団から敗北】交流戦以前に達成した投手はたった1人!その誰もが知る大投手とは!?

【全球団から敗北】交流戦以前に達成した投手はたった1人!その誰もが知る大投手とは!?

セ・パ交流戦が始まる以前、公式戦でセ・パ全12球団から勝利を挙げた投手は3人。しかし、セ・パ全12球団から "敗北を喫した投手" はたった1人しかいません。それは、誰もが知るあの投手。所属した先々で、数々の伝説を残した大投手です。そんな大投手の "全球団初敗北" の軌跡を振り返ります。


巨人の黄金バッテリー・斎藤雅樹と村田真一がレジェンド投手陣を書き尽くす共著『ジャイアンツ伝統のエースたち』が発売!!

巨人の黄金バッテリー・斎藤雅樹と村田真一がレジェンド投手陣を書き尽くす共著『ジャイアンツ伝統のエースたち』が発売!!

日本文芸社より、元読売ジャイアンツの斎藤雅樹・村田真一の共著『ジャイアンツ伝統のエースたち』の発売が決定しました。


ど派手なパフォーマンスで日本のプロ野球ファンの心を掴んだアニマル・レスリー

ど派手なパフォーマンスで日本のプロ野球ファンの心を掴んだアニマル・レスリー

プロ野球の阪急ブレーブス(現オリックス)のクローザーとして人気を博したアニマル・レスリー(ブラッド・レスリー)さん。阪急に入団する前は、メジャーリーグでプレーしていました。派手なアクションで、プロ野球ファンの心をがっちりと掴み、まさに記録より記憶に残る選手でした。引退後はタレントとしても活躍されていましたが、2013年4月28日に54歳の若さで亡くなりました。


1968年には23勝した安仁屋宗八、沖縄初のプロ野球選手だった

1968年には23勝した安仁屋宗八、沖縄初のプロ野球選手だった

沖縄県から初めてのプロ野球選手となった安仁屋宗八。1964年に広島カープへ入団します。1年目から活躍を見せた安仁屋は、1968年には23勝を挙げて広島初のAクラス入りに貢献したのでした。


まさかり投法にサブマリン、個性的な投手が多かった昭和のプロ野球

まさかり投法にサブマリン、個性的な投手が多かった昭和のプロ野球

今や国民的スポーツとして、日本に根付いているプロ野球。現在のような娯楽がすくなっか時代、国民はひいきのチームの活躍に一喜一憂していました。そんな昭和のプロ野球界、個性的な選手がたくさんいました。その選手の中から、投法に特徴のある投手をピックアップしてみました。


闘将星野仙一投手を本気で怒らせた「宇野ヘディング事件」

闘将星野仙一投手を本気で怒らせた「宇野ヘディング事件」

宇野ヘディング事件と呼ばれたアクシデント。時は1981年8月26日、場所は後楽園球場で起こりました。中日ドラゴンズが対戦していたのがホームチームの読売ジャイアンツ。この試合で、中日ドラゴンズ所属の宇野遊撃手がしてしまったエラーなのですが、普通なら試合中のワンプレーで納まるところが、闘将・星野仙一が投げていた上に、激怒を起こさせてしまったことで話題となりました。


NPBとメジャーを繋いだ野茂英雄の凄さ

NPBとメジャーを繋いだ野茂英雄の凄さ

野茂英雄は、日米通算で123勝を挙げた大投手です。当時、日本からメジャーリーグに行くのは、現在のような取り決めもなく、まさに至難の業でした。そんな中単身アメリカに乗り込んだ日本の侍は、見事に花を咲かせます。イチローや大谷翔平など、多くの日本人選手がメジャーで活躍する昨今、その「パイオニア」となった野茂英雄の存在が再脚光を浴びているんです。。この度、メジャーリーグベースボールの公式サイトで、野茂英雄はメジャーリーグベースボールを大きく変えてたとして、その功績を特集しました。


炎のストッパー、津田恒美の生涯

炎のストッパー、津田恒美の生涯

炎のストッパーで知られた広島カープの守護神、津田恒美投手。あの怪物バースにクレイジーと言わせたストレートで、他球団の打者をバッタバッタと仕留めていきました。常に真向勝負の投球はサムライスピリッツを感じさせ、これぞ男の勝負とプロ野球ファンを魅了します。しかし、摘出ができないほどの悪性脳腫瘍に侵され、闘病空しく32歳の若さで旅立ったのでした。全力を尽くして最後まで燃え尽きた、まさに炎のストッパーの生涯といえるでしょう。


1900年代のプロ野球を支えた、真っ向勝負の男気投手5人衆

1900年代のプロ野球を支えた、真っ向勝負の男気投手5人衆

1949年、プロ野球の2リーグ制が始まります。そして1958年には、セ・パ両リーグが6球団ずつになり、現在の体制に進み始まるのです。それ以降、2000年を迎えるまでに伝説の展覧試合があったり、ドラフト会議がスタートしたりなど、プロ野球がどんどん国民スポーツに発展していきました。そんな時代、数多くの名試合や名勝負が行わる中で躍動する数々の選手の中から、プロ野球を支え続けた男気に溢れる投手を紹介します。


「連中を見返したい!」ハーフを理由にいじめられ野球を始めた仲田幸司の山あり谷あり人生と現在の職業とは?

「連中を見返したい!」ハーフを理由にいじめられ野球を始めた仲田幸司の山あり谷あり人生と現在の職業とは?

80年代から90年代にかけて阪神タイガースと千葉ロッテマリーンズで活躍した左腕、「マイク仲田」こと仲田幸司を覚えていますか? ここでは、複雑な出生によるいじめを乗り越えて野球を始めてからプロを引退するまでの彼の半生を簡単にご紹介していきます。


宮本和知【プロ野球選手】ってどんな選手だった?現役時代~現在は何をしてる?

宮本和知【プロ野球選手】ってどんな選手だった?現役時代~現在は何をしてる?

宮本和知と言えば巨人軍の投手として記憶に残っている方も多いと思います。今回は宮本和知選手の現役時代に関する成績やエピソードなどを振り返りつつ、現在はどのような活躍をしているのかを紹介します。


左手一本の伝説……隻腕の投手・ジム・アボットを振り返る

左手一本の伝説……隻腕の投手・ジム・アボットを振り返る

90年代にエンゼルス、ヤンキースなどでプレーした隻腕の投手・ジム・アボット。生まれつき右手の手首より先がないというハンディキャップをもろともせずに、ノーヒットノーラン達成や、サイヤング賞3位入賞など華々しい実績を残したそのキャリアを振り返る。


西武から中日に移籍して開花した小野和幸という右腕

西武から中日に移籍して開花した小野和幸という右腕

西武ライオンズから交換トレードで中日ドラゴンズに移籍し、そのシーズンに才能を開花させ最多勝を勝ち取った小野和幸。その足跡を調べてみました。


斎藤佑樹投手を見ると思い出す。元プロ野球選手島田直也投手

斎藤佑樹投手を見ると思い出す。元プロ野球選手島田直也投手

私には、斎藤佑樹投手を見ると思い出す、そして比較してしまう投手がいます。それは元プロ野球選手島田直也投手です。


名参謀【男・森繁和】一度はプロへの入団を拒否したが西武ライオンズ黄金期を支えたストッパー

名参謀【男・森繁和】一度はプロへの入団を拒否したが西武ライオンズ黄金期を支えたストッパー

中日ドラゴンズ監督落合博道の右腕としてリーグ制覇や日本一に導いた男・森繁和。大学卒業後にドラフト一位指名されるも入団拒否。自分を貫き社会人で日本一。新生西武ライオンズに入団に抑えのエースとして、西武ライオンズ黄金期を支えたストッパー。引退後はコーチ業を渡り歩き、名参謀として君臨し、満を時して中日ドラゴンズの監督まで上り詰めました。


5月27日、オリックスが阪急ブレーブスのユニフォームを着用して試合!山田久志氏も登場!

5月27日、オリックスが阪急ブレーブスのユニフォームを着用して試合!山田久志氏も登場!

5月27日(日)、オリックスは2年ぶりに、わかさスタジアム京都で開催する公式戦(対千葉ロッテマリーンズ)で、阪急ブレーブス復刻イベントを開催。阪急ブレーブスOB・山田久志氏が招かれ、セレモニアルピッチを行う。