投手に関する記事


わが選んだ道に悔いはなし!【大野豊】の広島一筋人生は素晴らしかった。

わが選んだ道に悔いはなし!【大野豊】の広島一筋人生は素晴らしかった。

150kmのストレートに、パームボール、まっすら、スラーブ、シュート、ドロップと、様々な変化球を駆使する様は「七色の変化球」の使い手として、球団を代表するスラッガーに恐れられていた。先発、中継ぎ、抑えとすべての役割を全うする投手はまれにみる一人だと言えるであろう。そんな大野豊の現役から引退後までをご紹介しましょう。


伝説の左腕【江夏豊】はとてつもない大物だった。

伝説の左腕【江夏豊】はとてつもない大物だった。

オールスター9者連続三振や、江夏の21球など、数々の伝説を作ってきた男、江夏豊。プロ野球の5球団を渡り歩き、獲った三振の数は2987奪三振と三振の山を築きました。先発でも活躍し、抑えても大活躍の投手はなかなかいないでしょう。人間としても魅力的な江夏豊の今と昔を振り返ります。


【村田兆治】”サンデー兆治”と呼ばれた復活劇

【村田兆治】”サンデー兆治”と呼ばれた復活劇

右ひじの手術後1985年に見事にカムバックした村田兆治。日曜日ごとに登板し開幕11連勝を達成した。大リーグの名投手、元ドジャースのコーファックスが日曜日ごとに登板し”サンデー・コーファックス”と呼ばれたことにちなんでつけられた”サンデー兆治”は社会現象にもなった。


300勝投手【鈴木啓示】の”男の勲章”

300勝投手【鈴木啓示】の”男の勲章”

流行語大賞も受賞した「投げたらアカン」は鈴木啓示の口ぐせ。”草魂”と呼ばれた最後の300勝投手。数々のタイトルを獲得した男が自ら認める勲章とは何か?


昭和最後の完全試合投手【今井雄太郎】を変えたコップ1杯のビール

昭和最後の完全試合投手【今井雄太郎】を変えたコップ1杯のビール

今井雄太郎は1970年代から80年代にかけて活躍した阪急ブレーブスの「主戦(エース)投手」。大酒飲みだったことから授かった称号が”酒仙投手”。酒にまつわる逸話とともに今井雄太郎について振り返る。


やっぱり【山口高志】が史上最速の豪速球投手だ!

やっぱり【山口高志】が史上最速の豪速球投手だ!

日本プロ野球史上最速の投手は誰か? この問いに対して必ずあげられるのは、1970年代後半に阪急ブレーブスで活躍した山口高志だ。では、この答えは本当に正しいのだろうか?


炎のストッパー!【津田恒美】あなたの三振劇は忘れない。

炎のストッパー!【津田恒美】あなたの三振劇は忘れない。

32歳のという若さでこの世を去った、広島東洋カープが誇る「炎のストッパー」津田恒美。常に真っ直ぐにこだわり、ことごとくスラッガーのバットを粉砕してきた名投手。記録よりも広島ファンというより、野球ファンの記憶に残る選手です。


【平松政次】ミスターG・長嶋茂雄をメッタ斬りした男

【平松政次】ミスターG・長嶋茂雄をメッタ斬りした男

凄まじい切れ味の「カミソリシュート」を武器に、大洋ホエールズのエースとして通算201勝を挙げた平松政次。その201勝のうち51勝が巨人からの勝利であり、長嶋茂雄が最も苦手としていた投手だった。


【中日一筋】2015年引退・球界のレジェンド山本昌の80年代はどうだったのか?

【中日一筋】2015年引退・球界のレジェンド山本昌の80年代はどうだったのか?

2015年についに引退を表明したレジェンド、山本昌投手。現役通算219勝、32年間のプロ生活、実働29年という長きに渡って活躍した名投手、今回はプロ入り直後の80年代を振り返ってみたいと思います。


元阪神・オリックスで活躍した野田浩司は実業家として焼肉「まる九」を経営中!

元阪神・オリックスで活躍した野田浩司は実業家として焼肉「まる九」を経営中!

阪神やオリックスで活躍したピッチャーの野田浩司は実業家になっています! そんな野田選手の過去をプレイバック!!


【木田勇】2013年の田中将大投手まで33年間現れなかった1シーズン22勝をルーキーイヤーにやってのけた投手。

【木田勇】2013年の田中将大投手まで33年間現れなかった1シーズン22勝をルーキーイヤーにやってのけた投手。

1980年の日本プロ野球を大いに沸かせた驚異の新人投手、木田勇。日本ハムに入団した彼はルーキーイヤーの1980年に22勝を挙げて史上初のルーキーイヤーに新人王&MVPに輝きました。22勝という勝利数は、その後2013年の田中将大投手まで33年間抜かれることがありませんでした。