山本昌・プロ入りまで



高校野球時代に甲子園出場など、輝かしい成績を残していた訳ではなく、大学進学し教師を目指そうとするなど山本昌自身もプロ志望ではありませんでした。
監督からのプロでも通用するという言葉、同期の推薦入学を妨げない(直前に断ると同期や後輩の進学にも影響するため)、父親が中日ファンであったことがプロ入りの決め手だったようです。
プロ入り後・初登板まで


転機となるアメリカ留学



「この手足の長い男をどうやって教えていいのか。アメリカしかないと思った」。ドジャースに頼み込み、キャンプ後もアメリカで武者修行させた。「本当は見捨てたんです。残されたマサは大泣きしていましたよ」
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2009/200901/CK2009011902000061.html中日スポーツ:星野「本当は見捨てたんです」 山本昌の秘話披露:ドラニュース(CHUNICHI Web)

中日スポーツ:星野「本当は見捨てたんです」 山本昌の秘話披露:ドラニュース(CHUNICHI Web)

「あのとき本当に行かせていたら、野茂より先にメジャーで活躍していたよ」
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2009/200901/CK2009011902000061.html中日スポーツ:星野「本当は見捨てたんです」 山本昌の秘話披露:ドラニュース(CHUNICHI Web)

日本へ帰ってきた山本昌は別人だった。「『ウソだろ』と思うボールを投げていた」。山本昌は1カ月余りの間に5勝を稼いだ。「88年の優勝は彼によって決定付けられたんです」
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2009/200901/CK2009011902000061.html中日スポーツ:星野「本当は見捨てたんです」 山本昌の秘話披露:ドラニュース(CHUNICHI Web)
2度目のアメリカ留学・左のエースに

球団としては、10勝如何にかかわらずアメリカ行きは決定であり、飛行機のチケットは用意されていました。この留学の際に恩師であるアイク氏の指導でスローカーブに磨きをかけました。
この留学についてはおそらくですが前の留学とは違い、アメリカの指導であれば山本昌の成長が期待できるという確信からだったのではないでしょうか。

左のエースとして中日を支えることになった山本昌・引退へ
2015年、ついに引退を決意した山本昌。
今後はどのように野球に関わっていくのでしょうか?
もしかしたら球界には関わらず趣味の世界で生きていくのかもしれません。山本昌は引退後について下のように語っていました。

山本昌50歳、ついに引退決断の時。「ラジコンはもちろん再開するよ」(4/4) - プロ野球 - Number Web - ナンバー
プロ入りを決意したのも周囲の人への配慮という一面もあった山本昌。引退についても落合GMから自分で決めろと通達されていました。
もしかしたら趣味の世界に没頭する姿が本当の山本昌なのかもしれません。
今後どんな活動をするにせよ、楽しい人生を送っていくのでしょうね。