運命のドラフト

岡山東商高時代 1965年春の選抜優勝
高校野球 47都道府県別歴代ベストナイン 中国編 | 週刊ベースボールONLINE
平松、田淵、星野…ドラフトに翻弄され「巨人キラー」になった男たち — スポニチ Sponichi Annex 野球

第1回ドラフトで巨人に1位指名された堀内恒夫
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カミソリを手にするまでは怖くないピッチャーだった
平松政次は県立岡山東商業高校では1965年春の甲子園で優勝。高校卒業後は社会人の日本石油に進み、都市対抗野球での優勝の実績を提げ67年プロ入りした。そして、プロ入り2度目の登板で、サンケイ(現ヤクルト)を相手に先発し、99球、5奪三振、4安打完封でプロ初勝利を挙げた。順調なスタートを切ったように思われたが…
【8月20日】1967年(昭42) 入団10日プロ初勝利 平松政次、200勝投手の第一歩(野球) — スポニチ Sponichi Annex 野球 日めくりプロ野球09年8月

日石時代
カッーとなり思わず武器を手にした
長嶋苦しめた平松の「カミソリシュート」 カーッとして誕生│NEWSポストセブン
シュートボールをマスターした平松は、3年目の1969年には14勝し、翌70年には25勝を挙げ、最多勝利投手のタイトルを獲得し、沢村賞を受賞した。71年も17勝で2年連続最多勝となった。平松の投げるシュートボールは「カミソリシュート」と呼ばれるようになった。
カミソリ平松
平松は「カミソリ平松」という愛称で呼ばれることもあった。むろん「カミソリシュート」を投げる投手だったからだろうが、短期で気が強い気性も、その愛称の理由の1つだったかもしれない。
巨人キラー

最もスピードのあった70年頃
第3回 平松政次[大洋] | 週刊ベースボールONLINE
1970年には25勝を挙げ、最多勝のタイトル、沢村賞を受賞した。
「長嶋ファン」から「長嶋キラー」へ

入団当時は背番号3だった
投球フォーム(平松政次) : 野球史探求
平松が大洋に入団した時の背番号は「3」だった。普通はピッチャーがつける背番号ではないが、長嶋茂雄に憧れていたことこともあり、長嶋と同じ背番号だった。

前出の金田正一は、長嶋のプロデビュー戦の対戦投手で、長嶋から4打席連続三振を奪ったことが有名だ。次の対戦でも第1打席で三振を奪っており、5打席連続で三振に仕留めていた。この話から、金田も長嶋キラーだったのかと思うのだが実はそうではなかった。金田と長嶋の対戦成績は金田が巨人に移籍するまでの7年間で、打率.313、18本塁打、長嶋は金田が最も多くの本塁打を打たれた打者だった。
長嶋茂雄がおかしな打ち方をした理由

苦手な平松政次との対戦 長嶋茂雄がおかしな打ち方した理由│NEWSポストセブン

平松は巨人のV9時代カミソリシュートを武器に、巨人に対し滅法強く長嶋を手玉に取っていた。その活躍の背景にはドラフトで巨人に裏切られたことが根にあったのだろうか。そんな因縁があったればこそだが、平松と巨人、長嶋との対戦はプロ野球を面白くしていた。
筆者が小学生の頃(1972、3年頃)、近所に、平松とライオン丸の愛称で知られたシピン(ともに大洋)に似た店員さんがいるラーメン屋があった。巨人ファンで長嶋ファンの筆者からすると平松は憎っくき相手だったのだが、その店のラーメンと平松に似た店員さんが好きだった。