元大洋ホエールズ・エース斉藤明雄、大洋復刻ユニフォームで始球式に登板!
あの大洋ホエールズ時代の記憶が蘇る!往年のエース斉藤明雄氏が始球式に登場!「We☆YOKOHAMA DAY」企画の一環で行われたユニフォームの復刻も話題になっている
悪太郎・堀内恒夫!態度の大きい新人投手は沢村賞を獲得!HRの多い投手でしたね!
堀内恒夫。巨人軍のV9を支えた大エース背番号「18」。夜遊びを続けた悪太郎。しかし、成績は落とさずに200勝投手になりました!
ヤクルト・ギャオス内藤!ピッチ外でもお喋りで大活躍!本名をご存知ですか?内藤尚行と言います!
90年代の強いヤクルトを「投」から支えたギャオス内藤。人気者だった彼ですが、投手としても多くの名場面を演出しています。
浪商エース・牛島和彦 ドカベン香川と組み甲子園で活躍!ビッグマウスでも実力はピカイチだった!
牛島和彦(うしじま かずひこ)。大阪・浪商高校時代の春選抜甲子園で準優勝!プロ入り後も救援投手として多くのセーブを記録。数々の豪快な逸話も取り上げます!!
【河野博文投手】ミスターに「ゲンちゃん」と愛された中継ぎエースの現在地。
1988年に最優秀防御率賞を獲得した河野投手はその後、FAで日本ハムから巨人に移籍する。1996年シーズン、首位に最大11.5ゲーム差をつけられてからの大逆転優勝(メークドラマ)に大きく貢献した。長島監督から「ゲンちゃん」と呼ばれた中継ぎエースは引退後波乱の人生を送ることになる・・・。
【野口茂樹】ドラゴンズ投手陣を支えたノーヒッターは「天敵」に移籍して・・・
ドラゴンズのエースとしてリーグ優勝に貢献し、最優秀防御率賞など数々の賞を受賞した野口投手。1996年にノーヒットノーランを達成するなど、特に巨人戦に強く「天敵」とも呼ばれた存在でした。その後、2005年にFAを宣言し、野口投手はその巨人に移籍するのですが・・・。
【佐々木主浩投手】「名前がコールされた時点で試合終了」とまで言われたハマの大魔神。
9回・彼の名前がコールされただけで、相手チームのファン・選手は敗戦を覚悟した、佐々木主浩投手。「ハマの大魔神」は海を渡り、アメリカでも"DAIMAJIN"という異名で呼ばれた。日米通算で381セーブを記録した最強のストッパーは、引退後・・・。
巨人・西本聖。天下一品のシュートを武器に打者を打ち取りまくった負けず嫌いな大投手でした!
西本聖。長嶋監督も天下一品と認めるシュートを用いて、打者を内野ゴロに仕留めていました。巨人時代には江川とWエースの座として活躍。3冠王落合との名勝負もありました。
甲子園未経験ながら巨人ドラフト1位・木田優夫 メジャーでも活躍し、セパを渡り歩いた息の長い投手でした
投手・木田優夫。巨人にドラフト1位で入団し、先発や中継ぎ、抑えとして活躍しました。日本とメジャーの各球団に所属した彼の野球人生を追います。
マサカリ投法・村田兆治 「昭和生まれの明治男」と呼ばれ、フォークを武器にロッテ一筋で完投にこだわった野球人生でした
ロッテの大投手、マサカリ投法の村田兆治。「サンデー兆治」や「昭和生まれの明治男」と呼ばれました。途中、フォークボールを習得後、更に成績を伸ばしました。最後までロッテで過ごし、完投にこだわりを持った大投手でした。
ダンディな甘い風貌も加えて人気を博した男は、緩急をつけた投球術で、三振を築き上げてきました。そんな投球術は巨人阪神はもちろん。あの落合博満もうならせた投球は直感的なもので、あのイチローでさえも抑え込まれたのでは。
先発、抑えとマルチな才能を発揮する【佐々岡真司】はどんな選手だったのか!
抑えして1軍で活躍し、先発で出場すればノーヒット・ノーランを達成。最多勝、最優秀防御率も達成する90年代を代表する広島の名投手。佐々岡真司はどんな投手だったのか。ご紹介しましょう。
【潮崎哲也投手】まるで漫画!【消える魔球】を実際に投げた男!
1980年代後半から既に黄金時代を築いていた西武に潮崎哲也は入団した。入団1年目から鹿取と共にダブルストッパーを形成。潮崎の活躍は西武を最強の軍団へ進化させたのだ。対戦した打者は言う「本当に球が消えた」と。
投げ方はピンクレディ?UFO投法でインパクトを残した山内泰幸
1994年にドラフト1位で広島に入団しUFO投法で活躍した山内泰幸選手についてご紹介します
【槙原寛己選手】完全試合を達成した、伝説の「先発三本柱」の1人
1990年代の巨人には他球団が羨む先発投手が三人所属していた。 斎藤雅樹、桑田真澄と共に「先発三本柱」と呼ばれた男、槙原寛己投手。 抜群の成績を残しながら「エース」と呼ばれる事はなかった槙原投手の活躍を振り返る。
「空白の1日」「江川問題」は世間を騒動に巻き込み、「江川る(えがわる)」という言葉をも生んだ。並外れた投手・江川は、怪物として甲子園に登場した時から世の中を騒がし続けた。そんな江川が引き起こした事件を選んでみた。
江川事件に巻き込まれ悲劇のヒーローとして語り継がれる小林繁。どうしても悲劇の主人公として見られてしまいますが、沢村賞を2度受賞し、細身の体で気迫の投球をする姿から”細腕繁盛記”と呼ばれた小林繁を振り返ります。
日本の最速投手の一人として名を挙げられる伊良部秀輝。トラブルが絶えなかったことから悪童と呼ばれていた。日米通算106勝は平凡な成績ではあるが、強烈な印象を残し、自殺という最期を遂げた伊良部を振り返ります。
大洋時代は、大魔神・佐々木と共に「ダブルストッパー」を形成。近鉄に移籍後、脳腫瘍を発症するも、奇跡的に復活。近鉄の12年振りのリーグ優勝に貢献した「奇跡のストッパー」盛田幸妃投手についての記事です。
【石毛博史投手】巨人、近鉄、阪神で優勝を経験した荒れ球ストッパー。
9回表、東京ドーム。「彼」の名前がコールされた瞬間、巨人の応援団から上がったのは歓声ではなかった。 「バッター、振ってくれ!」「ノーコン野郎!」野次が飛びかう中、「彼」はマウンドに上がっていく…。 3球団で優勝を経験した石毛博史投手についての記事を書かせていただきます。