V9時代のエース・堀内恒夫

指導者や解説としても活躍
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小学校~高校時代

プロ入り後
初登板を迎えた当日。投球練習時、堀内はバックネットに向けて大暴投します。
しかし、それは緊張をほぐす為にわざと投げたものでした。
さすが「悪太郎」。肝っ玉の据わったエピソードです。

堀内恒夫 - フレッシュアイペディア
堀内が記録した1972年の26勝とゆう好成績。
以降のセリーグでは、その勝ち星を上回った投手はいません。
また、この頃(1963年~1974年)のセリーグMVPは巨人の選手が独占しました。
受賞者としてON(王と長嶋)以外では、唯一堀内が選ばれ、まさに真のエースとして君臨していた時期でした。

ルーキーの時代から「悪太郎」と呼ばれた!
ルーキー時代にはすでに「悪太郎」と周囲に呼ばれていた堀内。
素行の悪さは有名で、早くも寮の門限破りの常習犯でした。
鬼寮長と呼ばれた武宮敏明に、「巨人の歴代三ワル」の一人に選ばれ、王貞治からもあまりの常識外れの行動や態度から、愛の鉄拳制裁を浴びた堀内だった・・・。

本人が振り返る「悪太郎」と呼ばれたきっかけ
堀内恒夫氏 王貞治氏に殴られた巨人寮で過ごした思い出語る│NEWSポストセブン

直球も変化球も超一品だった大投手!
堀内恒夫 フォーム4画面コマ比較: 投球フォーム コマ比較

直球に対して変化球では、キレのあるドロップカーブや大リーガービル・シンガーから教わったチェンジアップ(「ロサンゼルス・ドジャース」のキャンプに参加した時)等がありました。これらも天下一品でした!
打撃センスも光った投手だった!
堀内恒夫 - Wikipedia

現役最終打席でのホームラン詳細
プロ野球「現役最終試合」特集!90年代に活躍した選手に限ってみても、有終の美を決めたり、盟友に送り出されるなど色々いました! - Middle Edge(ミドルエッジ)
現役時代、エピソードに事欠かない大投手だった堀内恒夫。
前述の江夏との通算100勝を掛けた一戦は堀内に軍配が上がりましたが、150勝を掛けた一戦では江夏に軍配が上がりました。
堀内は一つ下の江夏をライバル視していました。なんともアクの強い二人の対戦ですね。
また、「悪太郎」と言われた現役時代でしたが、野球に対しては非常に真面目で、初登板以降ピッチングノートを付けて、細かく打者を分析しており、先発前夜は寝付けなくなる程でした。
偉大な大投手も裏ではやはり努力していたんですね!