高校時代は、ノーヒットノーラン9回、完全試合2回!!

1971年 高校1年
全国大会栃木県予選
2回戦(対足尾) リリーフで5回無安打無四球7奪三振
3回戦(対足利工大付) 初先発し8回3安打零封
準々決勝(対烏山) 完全試合
準決勝(対宇都宮) 延長11回で降板、後続ピッチャーが打たれ敗戦
秋季関東地区大会栃木県予選
4試合30回2失点37奪三振、防御率0.67
1回戦(対足利工) ノーヒットノーラン
関東大会
1回戦(対前橋工) 4回まで10者連続三振で無安打無得点も、5回に頭部に死球を受け退場し入院
1972年 高校2年
全国大会栃木県予選
2回戦(対大田原) ノーヒットノーラン 13奪三振
3回戦(対石橋) 完全試合 17奪三振
準々決勝(対栃木工) ノーヒットノーラン 17奪三振
準決勝(小山) 10回2死までノーヒットノーラン 15奪三振 11回裏にサヨナラスクイズの0-1で敗戦
秋季関東地区大会栃木県予選
1回戦(対那須) 5回無安打零封途中降板 15アウトのうち14を奪三振
2回戦(対足利工) 完封 2安打15奪三振
準決勝(対宇都宮) 6回6奪三振で降板
決勝(対烏山) 完封 2安打10奪三振
関東大会
1回戦(対東京農大二) 6回1安打(9者連続奪三振を含む)13奪三振
準決勝(対銚子商) 完封 1安打20奪三振
決勝(対横浜) 完封 16奪三振
秋季県大会・関東大会
7勝0敗 53回 被安打12 奪三振94 奪三振率16.0 失点0 自責点0 防御率0.00
1973年 高校3年
春の甲子園・選抜大会
1回戦(対北陽) 完封 4安打19奪三振
2回戦(対小倉南) 7回零封途中降板 10奪三振
準々決勝(今治西) 完封 1安打(8者連続奪三振を含む)20奪三振
準決勝(広島商) 0対1で敗戦 2安打(内野安打とポテンヒット)11奪三振
全国大会栃木県予選
2回戦(対真岡工) ノーヒットノーラン
3回戦(対氏家) ノーヒットノーラン
準々決勝(鹿沼商工) 1安打無失点
準決勝(対小山) 1安打無失点
決勝(対宇都宮東) ノーヒットノーラン
練習試合を含め140回無失点を記録
夏の甲子園・全国大会
1回戦(対柳川) 2対1(延長15回) 23奪三振
2回戦(対銚子商) 0対1(延長12回)で敗戦 9奪三振
「江川の大会」ー 1973年春の甲子園・選抜大会

江川が引き起こした”大渋滞”

江川が「電力」を止めてしまった!!
73年、江川雨中の押し出し/夏の甲子園 - 高校野球ニュース : nikkansports.com
法政大学時代は、47勝、17完封、443奪三振!!
江川の持つ東京六大学野球リーグ記録
通算最多完封勝利 17完封
通算勝利47勝 (最多勝利は山中正竹(法大-住友金属)48勝)
通算奪三振443 (最多奪三振は和田毅(早大-ソフトバンク)476三振)
通算勝利、通算奪三振はともに2位だが、通算40勝以上通算400奪三振を記録しているのは江川のみ。

2度目の入団拒否 クラウンを蹴り米国留学

【12月3日】1977年(昭52) 江川が2度目の入団拒否、クラウン蹴って米国留学へ(野球) — スポニチ Sponichi Annex 野球 日めくりプロ野球12月

空白の1日

阪神がドラフトで交渉権獲得

コミッショナー裁定

電撃トレード
最期まで“江川事件”に苦しめられた、 巨・神のエースの知られざる素顔 | スポーツ | 現代スポーツ | 現代ビジネス [講談社]


”江川る(エガワル)”

嫌われモノ 「江川ピーマン北の湖」

オールスターで8連続三振!!
【7月24日】1984年(昭59) だから江川卓 江夏と並ぶのは興味がなかった?(野球) — スポニチ Sponichi Annex 野球 日めくりプロ野球09年7月
スピードガンは壊れているのではないか?
鍼灸医団体から抗議を受けた引退会見
江川卓は”嵐を呼ぶ男”だった!
32歳での引退は、プロ野球通算9年間と短いものであった。しかし、江川が世の中に知られたのは高校1年の16歳の時だった。だから、16年の間、江川の投球を世の中に魅せてきた。
怪物と呼ばれ、甲子園に「江川フィーバー」を巻き起こした。プロ入の際には、社会問題を引き起こし、嫌われ者でもあった。アンチ巨人を数多く増やし、自らアンチ江川を生み出した。
しかしそれは、強すぎることへの裏返しでもあり、ピッチングは超一流であった。
まさに野球界に嵐を巻き起こした男だった。
