甲子園出場は高二の夏
兄の影響で野球を始めた球児は、兄と同じく高校野球の名門・高知市立高知商業高校に入学。甲子園には2年生の夏、1997年の第79回全国高等学校野球選手権大会に、3年生の兄・順一とともに出場しました。球児は投手、兄は捕手という兄弟バッテリーです。
第1回戦の相手は、北北海道代表の旭川大学高校。球児は4回裏からリリーフ登板し、残りのイニングを無失点に抑える好投を見せます。打線も着実に追加点を重ね、6対3で旭川大高に勝利しました。
第2回戦の相手は、京都府代表の平安高校。エースで4番の川口知哉(後にオリックスに入団)を擁する優勝候補です。球児は先発として登板しますが、自らのミスもあり初回に4失点。味方打線も川口の前に2安打完封を喫し、0対5で平安に敗れました。球児も10奪三振を奪う好投を見せましたが、初回の失点が最後まで響く結果となりました。
ドラフト1位で阪神に入団
1998年、3年生の春・夏はともに高知県大会で明徳義塾高に阻まれ、甲子園出場は果たせませんでした。しかし、その年のドラフト会議では、阪神タイガースが球児を1位指名。翌年就任した野村克也監督のもと、プロ野球選手としてのキャリアをスタートさせました。因みに、同年に高校生でドラフト1位指名を受けた選手には、松坂大輔(西武)、東出輝裕(広島)、古木克明(横浜)、實松一成(日本ハム)らが名を連ねています。
2003年4月11日の巨人戦
入団1年目の1999年は2軍で体力強化に専念し、1軍初登板は、2000年3月31日の横浜戦でした。2002年に星野仙一監督が就任すると、背番号をそれまでの「30」から球児(きゅうじ)に因んだ「92」に変更。2002年9月11日のヤクルト戦では、8イニングを初回の真中満のホームランによる1安打1失点に抑え、見事な投球でプロ初勝利を挙げました。
そして、阪神が優勝した2003年、チーム快進撃の起点となった、あの伝説の "2003年4月11日の巨人戦" に登板します。試合は、9回表終了時点で7対1と6点リード。最後は守護神ポートを投入する盤石の継投でしたが、これが大誤算。ポートがKOされ、吉野誠に続いて、緊急登板したのが球児でした。しかし、準備不足のままの起用では、巨人の勢いを止めることはできず、後藤孝志のホームランでついに同点に追いつかれてしまいます。
ところが、ここからが球児の真骨頂。その後は10回、11回と無失点に抑え、解説の江川卓も大絶賛の投球を見せました。最終的には、8対8の延長12回引き分け。星野監督も後に「あの試合を負けなかったことが大きかった」と語っており、実際に翌日と翌々日の巨人戦は2連勝を飾っています。
【阪神タイガース】2003年4月11日巨人戦!悪夢の同点劇・・・ここから快進撃が始まった!
火の玉ストレートの誕生
2004年、球児が1軍のマウンドに復帰した際、その球速の変化に驚いたファンも多かったことでしょう。この年も当初は2軍での調整が続きましたが、山口高志投手コーチの指導のもとフォーム改造を図ると、球質が一変。スピンの効いた伸びのあるストレートで、次々と空振り三振を奪うようになりました。
当時について、山口コーチは次のように語っています。
元阪神投手コーチ・山口高志氏、思い出す03年の藤川投球フォーム改造「右膝ギプストレ」(1/2ページ) - サンスポ
2004年は、7月からリリーフとして登板し、26試合中21試合で自責点ゼロ。この安定感抜群の投球が、翌年の勝利の方程式「JFK」誕生へとつながっていきます。
広末涼子は中学の同級生
広末涼子は、球児とは、かつて同じ高知市立城北中学校に通う同級生でした。広末は中学時代に芸能界デビューを果たし、一方の球児は高校野球での活躍を経てプロ野球界へ。しかし、芸能界とプロ野球界、それぞれの業界でスターとなった二人が同じ中学校の同級生だったというのに、今日までほとんど話題になったことがありません。
ところが、球児が阪神に入団した当初は、ドラフト1位の注目選手だったこともあり、広末からは正式なコメントがありました。
また、フジテレビの音楽番組『HEY!HEY!HEY!』に出演した際には、トークネタとして、"藤川くんに祝福のメッセージを送ったのにそっけない反応だった" というエピソードを紹介しています。
一方の球児は、プロ入りが決まった直後に、高知で広末とばったり会ったエピソードについて語ったことがあります。
その後は、ほぼメディアで取り上げられることのない同級生ネタですが、実は近年、球児がNHK BS『千鳥のスポーツ立志伝』に出演した際、広末と電話で連絡を取り合っていたことや、中学時代の広末の凄まじい人気ぶりについて紹介しています。
“期待に応えすぎちゃう”野球人生 ~プロ野球・藤川球児投手~ - 千鳥のスポーツ立志伝 - NHK
二人の活躍時期を重ねると、球児が甲子園への初出場を果たした1997年夏は、広末の2枚目のシングル『大スキ!』が大ヒット中でした。