
緩急をつけた投球術で三振の山を築く男
1980年代の広島投手王国のローテーションを担う川口和久

川口和久(かわぐち かずひさ)
川口和久の獲得タイトルや主な表彰と記録
最多奪三振:3回 (1987年、1989年、1991年) ※セントラル・リーグでは、1991年より表彰
日本シリーズ敢闘賞:1回 (1991年)
月間MVP:3回 (1983年6月、1988年9月、1989年4月)
2000奪三振:1995年9月27日、対横浜ベイスターズ10回戦(東京ドーム)、3回表に波留敏夫から ※史上14人目
川口和久のプレースタイルは・・・。
川口和久は三振を獲ることにこだわったスタイルと言えるであろう。ストレート、カーブ、スライダーと球種がある中で、川口が得意とした球種は速球でした。速球と同じフォームで投げる変化球を織り交ぜることで面白いように三振が取れたという。
特に巨人キラーとしても有名で、全盛期の巨人には左打者が多かったこともあるが、巨人に対して、30勝以上している投手の中で、勝ち越している投手は、星野、平松、川口の3人だけである。
阪神に対しても、好投を見せており、巨人戦よりも素晴らしい34勝21敗の成績を残しているのです。
川口和久の生い立ちからプロ野球選手になるまで
中国地方の山陰、鳥取市の吉岡旅館の3男として生まれる。小学校4年で少年野球チームに入り、市大会で優勝する原動力になるなどの大活躍をしていた。
速球派投手として名を馳せていた川口和久は鳥取城北高校に進学し、高校野球で度重なる好投を見せることで、スカウトからも注目を集めた。高校3年生の年、ドラフトでロッテオリオンズから6位指名を受けることになるが、まだプロでやれる自信がないと言うことで、プロ入りを断り、社会人野球へと進む。
社会人野球では思うような野球生活を送れないことから、社会人野球で注目を集め、プロに入ることを熱望し、1980年のドラフトで広島東洋カープに1位指名を受け、広島東洋カープでプロの生活を始めるのであった。
広島東洋カープで名左腕投手に!
川口和久 - Wikipedia
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川口和久 - Wikipedia
広島の左腕から巨人の左腕に。

入団会見時の川口和久
川口和久 - Wikipedia
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引退後は・・・。
引退後は、ナイスミドルな風貌を売りに、情報番組のコメンテーターとしてテレビで活躍。趣味悠々に出演するなど、タレントとして様々な方面で活動している。
もちろん、野球人としても活動しており、マスターズリーグに所属し活躍するなど、地元鳥取市のクラブチーム鳥取キタロウズの総監督を務めるなど地元野球を盛り上げているのです。2009年~2011年には巨人軍の投手コーチをするなど、プロの後輩の指導も活躍しています。

あの落合との対戦は
落合博光との対戦は打率.271、6本塁打、15打点と割と打たれている記録であるが、落合はプロで唯一精神的にしんどい天敵であったと言わせている。落合の打撃フォームが左投手は苦手な部分もあるが、速球のキレとコントロールが試合を通じで変わらず、投球術も一球ごとに変わった投げ方をするので、駆け引きではなく本能で立ち向かっていたらしい。
川口も、まともに勝負すると必ず打たれるため、一球一球を大事に丁寧に投げており、その勝負の流れを楽しんでいたそうです。
卓越した投球のプロと、打撃のプロが対戦する場面をもう一度見たいものです。