あの落合博満に天敵と言わせた男、【川口和久】の人物像とは。

あの落合博満に天敵と言わせた男、【川口和久】の人物像とは。

ダンディな甘い風貌も加えて人気を博した男は、緩急をつけた投球術で、三振を築き上げてきました。そんな投球術は巨人阪神はもちろん。あの落合博満もうならせた投球は直感的なもので、あのイチローでさえも抑え込まれたのでは。


往年の左腕投手、江夏、新浦を彷彿させるカーブとストレート、年を重ねるごとに増えていく変化球を巧みに使い三振を築いていくスタイルが有名。

右脳で作る投球術で、直感的な投球も多いので、その球を補給する捕手の技量が求められていました。達川光男がいなかったら、川口の投球はボロボロだったかもしれません。

緩急をつけた投球術で三振の山を築く男

1980年代の広島投手王国のローテーションを担う川口和久

1959年7月8日生まれ
身長183cm、体重75kg
左投げ両打ち
ポジション:投手

広島カープ黄金期のローテーションを担う先発左腕投手。巨人キラーとして、球界にその名を轟かせたスター選手。
タイトルこそ奪三振の記録しかないが、巨人阪神から白星を獲り続けた本格的左腕投手である。甘いマスクから女性ファンも多かったと聞きます。

川口和久(かわぐち かずひさ)

川口和久の獲得タイトルや主な表彰と記録

最多奪三振:3回 (1987年、1989年、1991年) ※セントラル・リーグでは、1991年より表彰

日本シリーズ敢闘賞:1回 (1991年)
月間MVP:3回 (1983年6月、1988年9月、1989年4月)

2000奪三振:1995年9月27日、対横浜ベイスターズ10回戦(東京ドーム)、3回表に波留敏夫から ※史上14人目

川口和久のプレースタイルは・・・。

川口和久は三振を獲ることにこだわったスタイルと言えるであろう。ストレート、カーブ、スライダーと球種がある中で、川口が得意とした球種は速球でした。速球と同じフォームで投げる変化球を織り交ぜることで面白いように三振が取れたという。

特に巨人キラーとしても有名で、全盛期の巨人には左打者が多かったこともあるが、巨人に対して、30勝以上している投手の中で、勝ち越している投手は、星野、平松、川口の3人だけである。

阪神に対しても、好投を見せており、巨人戦よりも素晴らしい34勝21敗の成績を残しているのです。

川口和久の生い立ちからプロ野球選手になるまで

中国地方の山陰、鳥取市の吉岡旅館の3男として生まれる。小学校4年で少年野球チームに入り、市大会で優勝する原動力になるなどの大活躍をしていた。

速球派投手として名を馳せていた川口和久は鳥取城北高校に進学し、高校野球で度重なる好投を見せることで、スカウトからも注目を集めた。高校3年生の年、ドラフトでロッテオリオンズから6位指名を受けることになるが、まだプロでやれる自信がないと言うことで、プロ入りを断り、社会人野球へと進む。

社会人野球では思うような野球生活を送れないことから、社会人野球で注目を集め、プロに入ることを熱望し、1980年のドラフトで広島東洋カープに1位指名を受け、広島東洋カープでプロの生活を始めるのであった。

広島東洋カープで名左腕投手に!

速球とカーブの比率からカーブを見逃されるケースが増えたため、スライダーを覚え[32]、1991年はシーズン通算230奪三振を記録して同年タイトルとして制定された最多奪三振を獲得するなど、チームのリーグ優勝に貢献した。日本シリーズでは前日に佐々岡真司がノックアウトされてターニングポイントとなった第2戦に先発し[33]、オレステス・デストラーデに2ランホームランを打たれたものの8回まで被安打3、2失点の内容で勝利投手となっている。監督の山本浩二はシリーズの流れを引き寄せるため、シーズン中は一度もなかった中3日の間隔で川口を第5戦の先発として起用した[33]。川口もこれを意気に感じて104球を投げて8回無失点の好投を見せ、シリーズMVPの最有力候補とも言われた[33]。特に、8回二死満塁の場面で秋山幸二から見逃し三振を奪った速球は二宮清純らから絶賛された[34]。しかしリリーフとして登板した第6戦では同点の6回二死満塁から鈴木康友に2点適時打、第7戦では5回一死三塁から平野謙と田辺徳雄に決勝適時打を打たれている[33]。先発での好投が評価され、シリーズ敢闘賞を受賞した。契約更改では1,750万円増の年俸7,550万円(推定)となっている[35]。 1992年は6月まで2勝8敗と成績が低迷し[36]、速球を打たれることが多く[37]シーズンでも6年連続で達成していた二桁勝利が途切れ、オフの契約更改では自身初のダウンとなる350万円減の年俸7,200万円(推定)となっている[38]。また、同年は日米野球に出場して第3戦でデーブ・ホリンズとシェーン・マックに本塁打を打たれて敗戦投手となった[39]。1993年は6月に急性左ひじ関節炎で一軍登録を抹消され[40]、シーズン終盤には左手人差し指が血行障害となっている[41]。なお同年にFA権を取得したが、行使せずに年俸8,000万円(推定)で契約を更改した[42]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%92%8C%E4%B9%85

川口和久 - Wikipedia

広島の左腕から巨人の左腕に。

ダンディですね。

入団会見時の川口和久

1994年は開幕から勝ち星を挙げられず7連敗して一時は先発ローテーションを外れる[43]など成績が低迷したが、7月以降は7勝3敗と調子を取り戻した[44]。一方で、前年に難治性のガンで倒れた日野市に住む妻の父の容態が9月に悪化し、東京に移住して看病したいと妻が強く訴えた[7][45]。川口自身は第二の故郷となった広島に愛着があり、師匠のような存在の大野豊をはじめとする同僚と離れることに抵抗があったという[7]。しかし毎晩のように話し合いを重ね、遠征が続く生活を長年送ってさらに離れて生活したくないと考えたこともあり、悩んだ末に手続きの期限である11月8日の夜になって球団へFA権の行使を連絡した[7]。これは広島の球団史上初のFA権行使となったが、11月10日に川口と会談した広島の球団常務は「気持よく送り出したい」と話し、慰留はしなかった[46]。また、この時点ですでに巨人や阪神が獲得の意志を広島側に伝えている[46]。 プレースタイルなどが知られていないパ・リーグでプレーするメリットなども考えて西武へ入団するつもりだったが、監督の長嶋茂雄から直接誘われたこともあって巨人に入団した[47]。巨人側にとっては宮本和知しかいなかった左の先発投手を補強できる点[48]や、前年に巨人から4勝を挙げていた苦手投手との対戦がなくなる点[47]などを評価されていた。なお、広沢克己に続いてFAによる巨人への入団が決まったことで、同じくFA宣言をして去就を取り沙汰された工藤公康の巨人入りの可能性がなくなった事が報じられている[49]。移籍にともない、年俸は2,000万円増の1億円(推定)となった[50]。一方で、週刊誌などでは「一桁勝利が3年続いており、FA移籍による高年俸の獲得を狙った」と皮肉的な論調の記事が書かれていた[7]。妻の父は移籍を喜んだ後、1995年の3月に逝去している[45]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%92%8C%E4%B9%85

川口和久 - Wikipedia

しかし左の先発の柱として期待された1995年は4勝に終わり、1996年も4月から不振で5月に先発ローテーションから外され、6月上旬まで二軍で調整を行なっていた[51]。この間に引退も考えたが、二軍投手コーチの宮田征典に誘われてリリーフに転向した[47]。先発は8月10日の対中日戦が最後となった[52]ものの、7月から8月にかけて負け試合の救援登板で安定した投球を見せ、リードしている場面での起用が増えていった[53]。リリーフでは防御率1点台前半の好成績を残し、9月24日にはプロ16年目にして初のセーブを記録している[53]。メークドラマに向かって調子を上げたチームにあって同じ左投げの河野博文とともにリリーフの軸となった[52]。10月6日の対中日戦では9回裏2死で立浪和義から奪三振を記録し、自身初の胴上げ投手となった[53]。日本シリーズでは第1戦、第2戦、第5戦の3試合に登板し、計4回2/3を無失点で終えている[54]。 1997年からは古傷である腰や左足の痛み肩の違和感などから二軍での調整が増え、趙成珉や小野仁ら若手選手に投球や心構えについての助言を送っていた[45]。1998年シーズン限りで現役引退。引退試合となった10月3日の対戦相手は古巣の広島で、挨拶の際にセレモニーに参加した広島の選手に対して礼を述べた。2014年時点、FAで巨人に移籍し、巨人で引退した選手は川口だけである。 引退後[編集]

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川口和久 - Wikipedia

引退後は・・・。

引退後は、ナイスミドルな風貌を売りに、情報番組のコメンテーターとしてテレビで活躍。趣味悠々に出演するなど、タレントとして様々な方面で活動している。

もちろん、野球人としても活動しており、マスターズリーグに所属し活躍するなど、地元鳥取市のクラブチーム鳥取キタロウズの総監督を務めるなど地元野球を盛り上げているのです。2009年~2011年には巨人軍の投手コーチをするなど、プロの後輩の指導も活躍しています。

あの落合との対戦は

落合博光との対戦は打率.271、6本塁打、15打点と割と打たれている記録であるが、落合はプロで唯一精神的にしんどい天敵であったと言わせている。落合の打撃フォームが左投手は苦手な部分もあるが、速球のキレとコントロールが試合を通じで変わらず、投球術も一球ごとに変わった投げ方をするので、駆け引きではなく本能で立ち向かっていたらしい。

川口も、まともに勝負すると必ず打たれるため、一球一球を大事に丁寧に投げており、その勝負の流れを楽しんでいたそうです。

卓越した投球のプロと、打撃のプロが対戦する場面をもう一度見たいものです。

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