1968年には23勝した安仁屋宗八、沖縄初のプロ野球選手だった

1968年には23勝した安仁屋宗八、沖縄初のプロ野球選手だった

沖縄県から初めてのプロ野球選手となった安仁屋宗八。1964年に広島カープへ入団します。1年目から活躍を見せた安仁屋は、1968年には23勝を挙げて広島初のAクラス入りに貢献したのでした。


アマチュア時代の安仁屋

安仁屋宗八は、第二次世界大戦の真っ只中に、11人兄弟の第8子で六男として生まれました。そして生後数ヶ月の時、一家は大変な思いをしながら大分県へ疎開。戦後は沖縄に戻りますが、友達と校庭で野球を楽しむのが精一杯でした。物資が無い時代、グラブはテントの布きれに雑巾を入れたものでバットは焚き火にくべるような木材だったのです。

しかし、中学高校で本格的に野球に取り組んだ安仁屋は、徐々に実力をつけていきます。3年生の時には予選を勝ち抜いて甲子園に出場。1回戦で敗退はしましたが注目を浴びるようになります。卒業後は琉球煙草へ入社し、社会人として野球を続けることにしましたなりました。

都市対抗九州予選で、予選を突破した大分鉄道管理局から補強選手に選ばれ、チームへ合流した際に捕手からシュートを覚えたら良いのではとアドバイスをもらいます。投げ方や握りを教わり投げてみると、右打者の懐をえぐるように食い込み、威力満点の武器を手に入れることとなったのです。

広島へ入団

プロ野球など考えもしなかった安仁屋でしたが、広島カープの選手であった日系2世の平山智が、スカウトとして沖縄入りすると状況が一変します。平山の人柄に父親が引かれ、絶対に最後まで面倒を見るという言葉にプロ入りを決意。ついに1964年、広島カープの安仁屋宗八が当時アメリカの統治下にあった沖縄出身プロ野球選手第1号として誕生するのです。

甲子園・都市対抗・プロ野球の全てが沖縄県人で初となった安仁屋。まだまだ僻地だった沖縄から来た少年ということで、不安も大きくホームシックになってはいけないと心配した広島球団は、1ヶ月の間は父親が寮に付き添って寝泊まりすることを特別措置として許可しています。

人見知りで食事も口に合わない

安仁屋宗八は、沖縄訛りがある上に人見知りな性格でもあったので、2週間は誰とも話ができませんでした。そして沖縄の濃い味付けに慣れていたこともあり、あっさり味の料理は全く味がしないようで、食事が口に合わず苦しんだようです。そこで父親が、味付けはうま味調味料と塩だけにしてほしいと寮に頼んだとか。魚・野菜も食べられず、喉を通るのは肉・カレー・ハヤシライス・チャーハンぐらいでした。

1ヶ月が経ち父が帰る時に「辞めて帰るかも」と言うと、「契約金を半分使ってしまったから1年は頑張れ」と励まされた。それでも徐々に慣れてきて、選手とも話ができるようになり、同学年の選手達と友達にもなれました。当時の沖縄への電話は国際電話だったので両親とも話はできません。特に沖縄のお母さんが心配し、逃げて帰ってくる夢を見て目が覚めることもあったそうです。

シュートを武器に

そんな状況でしたが、1年目から一軍に定着し主に中継ぎとして起用されます。2月22日の国鉄とのオープン戦でプロ初登板を果たし、5回を2安打無失点に抑えますが、4回まではパーフェクト投球でした。公式戦初登板・初先発となったのが5月31日の国鉄戦、5回4失点で敗戦投手に。しかし6月14日の巨人戦が2度目の先発となり、9回1失点で初完投・初勝利を挙げるのです。シュートを多投し、内野ゴロの山を築かせソロ本塁打による1点のみという完璧な内容でした。

サイドスローから沈むシュートと伸びるシュート、そしてカーブ・スライダーを投げ分ける投球が持ち味の安仁屋は、2年目の1965年から先発の一角に定着します。1968年には、得意のシュートを武器にして強気の投球を見せ、初の2桁勝利となる23勝を挙げるのです。同時に、同僚の外木場義郎に次ぐリーグ2位の防御率2.07も記録。先発と救援の両方をこなし、21勝を挙げた外木場義郎と共に球団初のAクラス入りに貢献したのです。

阪神移籍後再び広島に

1974年、安仁屋に転機が訪れます。若生智男とのトレードで阪神タイガースに移籍することに。阪神移籍後は中継ぎエースとして活躍し、12勝7セーブ・防御率1.91の成績を残し最優秀防御率とカムバック賞のタイトルを獲得しました。1979年オフ、阪神球団から二軍投手コーチ就任の打診があります。そしてその直後、広島カープの古葉監督から、現役をやる気があるんだったら帰ってきてもいいぞと連絡があったのです。阪神球団も広島復帰を認め、金銭トレードで広島に戻ることになりました。

さぁ気分を変えて再スタートという時でしたが、春先に十二指腸潰瘍を発症し1ヶ月の入院を余儀なくされてしまいます。退院後は投げるのも走るのも全力ではできない状態で、復帰後は思うような投球ができませんでした。それでも初めて優勝の胴上げに加わり、近鉄との日本シリーズでは、10月25日の第1戦に5番手でリリーフ登板しています。

そして迎えた1981年、開幕直後に中継ぎで1回4失点と打たれて二軍降格となり、まだやりたい思いを断ち切って引退を決意したのです。現役中は二日酔いで練習中に腹筋をしながら居眠りをしたという逸話を持つ豪傑で、球界きっての麻雀の達人という顔も。通算119勝は、憧れの藤田投手と同じであり、巨人から挙げた通算34勝は2番目に多い大洋の27勝より7勝も多かったのです。

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