完全試合をマークした点において外木場は沢村に勝る!
沢村栄治は完全試合を達成したことはなかった。3度のノーヒットノーランのうち完全試合を1度達成した外木場は、その点で沢村栄治の上を行くと言っても良いだろう。
ちなみに、1966年5月1日、広島は広島市民球場で大洋の佐々木吉郎に完全試合をやられていた。しかし、1968年9月14日、広島市民球場で外木場が完全試合を同じ大洋相手にやり返したのだった。広島市民は溜飲が下がったことだろう。
1972年4月29日・広島ー巨人(広島)外木場3度目ノーヒットノーラン
感動再び!スポニチ選定「プロ野球名場面100選」 外木場3度目ノーヒットノーラン — スポニチ Sponichi Annex 大阪
「なんなら、もう1度やりましょうか?」
プロデビュー2戦目で、憧れの阪神の大エース村山と対戦し、初勝利をノーヒットノーランで飾り、あっと言わせた外木場だが、記者に対する答えも新人離れしていた。
ノーヒッター3度の外木場氏 バネとなった記者の一言 — スポニチ Sponichi Annex 野球
65年に広島に入団した外木場は、75年には20勝を挙げ優勝に貢献し、最多勝、最多奪三振、沢村賞のタイトルを獲得。その後は右肩の故障に苦しみ、79年にチームが初の日本一に輝いたのを機に現役引退
情報を活用できる球団か否か?~中日は“企業努力”で打率アップ~ - プロ野球 - Number Web - ナンバー
1975年カープ初優勝!最多勝!沢村賞!
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豪快なフォームから繰り出す豪速球と決め球のパワーカーブ!
パワーカーブで有名なのは、イチローをして「完璧な投手」と言わしめたMLBのペドロ・マルティネス。外木場は当時スピードガンがあれば150キロ台は出ていただろうと言われているストレートとパワーカーブの2球種のみで勝負していた。
外木場が田淵に投げた頭部死球の産物とは?
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二宮清純「田淵幸一、“頭部死球”の産物」 | SEIJUNプレミアム | 現代スポーツ | 現代ビジネス [講談社]
復帰後、後楽園の巨人戦で耳付きヘルメットをかぶり本塁打を放った田淵幸一
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