
【宇野勝】基本情報
誰がなんと言っても、やっぱり“宇野ヘディング事件”でしょう!
宇野選手は中日ドラゴンズの不動の5番打者、そして強肩のショートストップとしていまだに中日ファンのみならず、プロ野球ファンの記憶に残っています。
でも、宇野選手を語る上でどうしても避けて通れない出来事が、ありますよね~!では、まずそれからご覧いただきましょう。詳しい話はそのあとで。
高校時代から光っていた強肩!原のラブコールを振り切ってプロ入り!
宇野選手と言えばこのヘディング事件が有名ですが、実は野球選手としても素晴らしい名選手だったんです。その頭角は高校野球の時から表れていました。千葉県の名門、銚子商業でショートして1976年に甲子園に出場。その時の宇野の守備を中日のスカウトに買われ、その年のドラフト3位で中日ドラゴンズに入団することとなる。
プロ入り前には、宇野がショートストップとしてどれほど優秀であったかというエピソードがある。
守備も攻撃も一か八か!

主なタイトル獲得&表彰
宇野勝 - Google 検索
1984年には37本のホームランを放ち本塁打王のタイトルを獲得している。しかし、この年のシーズン最終戦でもある129試合目と130試合目は、ホームラン王のタイトルを争っている掛布率いる対阪神戦であった。その時点で宇野と掛布は37本のホームラン数で並んでいたが、試合は両軍投手による掛布、宇野の敬遠合戦となり、結局この二人がホームラン王を分け合うこととなった。しかし、この両軍の敬遠合戦は後に物議をかもしだし、特に129試合目の7回裏2死満塁で宇野に打席が回ってきたが、この時もフォアボールで歩かされた。一般的にショートストップは守備の負担が大きい為、巧打者が少ないと言われているが、宇野が1985年に放った41本のホームランは、現在も遊撃手のシーズン本塁打数としては最高となっている。また、中日時代に打った334本塁打も球団史上最多記録となっている。
またベストナインにも1984年のシーズンを含めショートストップとして3度選出されていることも特筆しておきたい。いきなりヘディング事件から入ったものの、その時代のショートストップには広島の高橋義彦、大洋の山下大輔、巨人の川相昌弘、ヤクルトの池山隆寛などのそうそうたるメンバーが揃っていた中でのベストナインなので、その価値がどれほどのものか想像に難くない。しかし、そんな人気者が揃っていた当時のセリーグで、なかなかオールスターには出場することはできなかった。
まあ、そういった輝かしい記録とは別次元で、我々が宇野魅せられたのは次のようなことが理由かもしれない。
宇野勝 - Wikipedia
また、あまり成功しない盗塁もたびたびトライしていたが、生涯盗塁成功数78盗塁に対して、96個も刺されている。こんなところも、セオリーや理論などではくくれない大物感が漂っている感じがしますよね。
「燃えよドラゴンズ!78」では8番宇野がスクイズバント!?
最後はやっぱり好プレー珍プレー!みのもんたの名調子でお楽しみください!
さらに、宇野選手は自身のヘディング事件について次のように語っている。