草野球に始まり少年野球に高校野球、プロ野球。みなさんの思い出にはどの野球が登場しますか。私たちの世代、スポーツの王様といえば野球だったのではないでしょうか。往年の、懐かしい野球選手や野球の出来事が集まっています。
【鹿取義隆選手】かっての守護神が宿敵となって巨人ナインに立ちはだかった!
1980年代、無類の安定感を誇り巨人のリリーフエースとして君臨した鹿取義隆選手。だが、トレードによって西武に移籍。そしてかっての守護神が1990年の日本シリーズにおいて、今度は宿敵の一員として、巨人ナインの前に立ちはだかったのである。
野武士の切り込み隊長!そして日本球界最後の鬼軍曹!!大下剛史が貫くカープ愛
東映フライヤーズ(日拓フライヤーズ・日本ハムファイターズ)と広島カープで主に1番二塁手として活躍。ガッツあふれるプレースタイルと相手のすきを見逃さない観察眼が持ち味だった。引退後はコーチとしてだけでなく解説者としても舌鋒鋭く後輩を叱咤激励した大下剛史。彼の野球人生を振り返る。
【駒田徳広選手】「満塁男・駒田」が起こした球史に残る「二つの事件」を振り返る。
満塁の際、無類の強さを誇った「満塁男」・駒田選手。巨人のスター選手だった彼は選手生活の晩年・FA宣言をして横浜に移籍する。「来る選手はいても、FAで巨人を出る選手などいない」そう思われていた球界の常識を変えた選手だった。
【槙原寛己選手】完全試合を達成した、伝説の「先発三本柱」の1人
1990年代の巨人には他球団が羨む先発投手が三人所属していた。 斎藤雅樹、桑田真澄と共に「先発三本柱」と呼ばれた男、槙原寛己投手。 抜群の成績を残しながら「エース」と呼ばれる事はなかった槙原投手の活躍を振り返る。
【平井正史】かって被災者の想いを乗せてマウンドに上がったストッパーは、不死鳥の如く蘇った!
「がんばろう神戸」ユニフォームに縫い付けられたこの言葉と共に、オリックスの選手達は戦い続けた。 球史に残る1995年そして1996年のペナントレース。そして平井投手の球歴を振り返る。
2015年楽天イーグルスの監督に就任。そして成績不振のため一年で解任。 打撃コーチとしては…監督としては…と指導者としての評価が分かれる大久保博元氏。 そんな彼の現役時代の活躍を振り返る。「彼は、まぎれもなく巨人の救世主だった」
「空白の1日」「江川問題」は世間を騒動に巻き込み、「江川る(えがわる)」という言葉をも生んだ。並外れた投手・江川は、怪物として甲子園に登場した時から世の中を騒がし続けた。そんな江川が引き起こした事件を選んでみた。
江川事件に巻き込まれ悲劇のヒーローとして語り継がれる小林繁。どうしても悲劇の主人公として見られてしまいますが、沢村賞を2度受賞し、細身の体で気迫の投球をする姿から”細腕繁盛記”と呼ばれた小林繁を振り返ります。
巨人という同じチームでライバル関係にあった西本聖と江川卓。高校時代、無名の投手から沢村賞投手となった西本と怪物だった江川。同じチームにエースは二人並び立たない。果たしてそうだったのだろうか?
プロ1年目に15勝し、奪った三振201はセ・パ両リーグ最多。西崎幸広(日本ハム)との新人王レースは熾烈を極め、両投手は「トレンディエース」と呼ばれた。結果は阿波野が新人王に選出されたが、その輝きは3年間と短いものだった。
日本の最速投手の一人として名を挙げられる伊良部秀輝。トラブルが絶えなかったことから悪童と呼ばれていた。日米通算106勝は平凡な成績ではあるが、強烈な印象を残し、自殺という最期を遂げた伊良部を振り返ります。
野球少年達の奮闘を描く「がんばれ!ベアーズ 特訓中」。大ヒットした第一作目から待ちに待った第二作目!約40年前のヒットですが、ご存知の方も結構いらっしゃるのではないでしょうか?
かつて「新人類」と呼ばれた有名人と、「その後」をまとめてみました!
1980年代半ばに「新人類」と呼ばれた世代を特集します!また、彼等が現在どうしているのかもまとめてみました。
決して足が速かったわけではない。スタートの俊敏さ、盗塁への貪欲さが世界の福本を生んだのかもしれません。そんな福本豊の今と現役をご紹介します。
【カラーボールとプラスチックバットでやる野球】バットをビニールテープでグルグル巻きにしていませんでしたか?
子供の頃、手軽に野球と言えば、カラーボールとプラスチックバットを使った野球でしたね。場所やルールは様々。三角ベースや透明ランナーなどローカルルールは様々でしたね。
プロ野球選手が歌手デビュー!レコードを出していたプロ野球選手たち!
今、絶好調のDeNAベイスターズ。中畑監督は歌うのが好きで、「一人紅白?」などスポーツ誌に取り上げられるほど。しかも歌手デビューしてたって知ってましたか?そんな歌手デビューしたプロ野球選手を動画と共にご紹介!
右ひじの手術後1985年に見事にカムバックした村田兆治。日曜日ごとに登板し開幕11連勝を達成した。大リーグの名投手、元ドジャースのコーファックスが日曜日ごとに登板し”サンデー・コーファックス”と呼ばれたことにちなんでつけられた”サンデー兆治”は社会現象にもなった。
流行語大賞も受賞した「投げたらアカン」は鈴木啓示の口ぐせ。”草魂”と呼ばれた最後の300勝投手。数々のタイトルを獲得した男が自ら認める勲章とは何か?
昭和最後の完全試合投手【今井雄太郎】を変えたコップ1杯のビール
今井雄太郎は1970年代から80年代にかけて活躍した阪急ブレーブスの「主戦(エース)投手」。大酒飲みだったことから授かった称号が”酒仙投手”。酒にまつわる逸話とともに今井雄太郎について振り返る。
日本プロ野球史上最速の投手は誰か? この問いに対して必ずあげられるのは、1970年代後半に阪急ブレーブスで活躍した山口高志だ。では、この答えは本当に正しいのだろうか?