江川との出会い
西本が江川と初めて出会ったのは、松山商業高校時代だった。江川は甲子園にも出場しており、全国的にも注目を集めていた。西本は実際にナマの江川を目の当たりにして、驚きよりも感激をしたと語っている。西本が江川に対しての意識が芽生えたのはこの時からであった。
実は両者は、プロ入り以前に邂逅を果たしている。西本が高校2年の時、栃木に遠征し、練習試合で江川と投げ合った。試合は松山商が江川の前に16三振、完封負けを喫した。
http://www.news-postseven.com/archives/20150503_319408.html?PAGE=2江川卓と西本聖 意地張り合い300球超も投げ捕手が強制終了│NEWSポストセブン
死んでも「アイツ」に勝ちたかった③ 西本聖 「エース」の座を争った江川卓との9年間(1) | アサ芸プラス

「こんな高校生がいるのかと思った。打席ではボールが浮き上がってきましたからね。今思うと、人生に偶然はなく、起こるべくして起こった出会いだったのでしょう」(西本)
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ドラフト外で巨人へ入団 ドラフト1位は定岡正二
1974年のドラフト会議で、巨人が1位指名をしたのは鹿児島実業の定岡正二だった。定岡は3年生の時エースとして原辰徳がいた東海大相模を延長15回の末破り、鹿児島県勢で初となる甲子園ベスト4を果たしていた。甘いマスクと実力もともない女子中高生のアイドルだった。
松山商業の西本は、エースとなった3年生の県予選で、南海へドラフト1位で入団した南宇和の藤田学と投げ合い0−2で敗れ、甲子園出場はできなかった。
西本はドラフト外で巨人へ入団したが、投手としてでなく内野手へ転向という見方もされていた。

同期入団のドラフト1位の定岡をライバルとしていたが、西本は入団3年目の77年にプロ入り初勝利をあげこの年8勝をした。対して定岡は、80年に初勝利をあげるまでは長らく2軍暮らしが続いていた。

江川入団
江川卓は、78年11月22日開催のドラフト会議前日の21日に、巨人と電撃契約を結んだ。いわゆる「空白の1日」である。しかし、ドラフト会議では阪神が江川を1位指名し交渉権を獲得した。この問題はこじれにこじれたが、金子コミッショナーの要望により、79年の1月31日に、江川は阪神と一旦契約を結んだ上で巨人へトレードする形をとり、巨人へ移籍することになった。このトレードの相手が小林繁だった。
江川さんが巨人に入団するという第一報を聞いたのは、羽田空港でした。春季キャンプで宮崎に向かうところで、「小林繁さんが来ない」っていうんで、ざわついていた。その時は「来るな!」って思いましたね。
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死んでも「アイツ」に勝ちたかった③ 西本聖 「エース」の座を争った江川卓との9年間(1) | アサ芸プラス

死んでも「アイツ」に勝ちたかった③ 西本聖 「エース」の座を争った江川卓との9年間(2) | アサ芸プラス
1981年 ダブルエース
死んでも「アイツ」に勝ちたかった③ 西本聖 「エース」の座を争った江川卓との9年間(2) | アサ芸プラス
日本シリーズでは、西本は第2戦に投げ、2安打1失点の完投勝利。第5戦では13安打を打たれながらも、シュート攻めで4つのダブルプレーを打たせ完封勝利を収めた。
死んでも「アイツ」に勝ちたかった③ 西本聖 「エース」の座を争った江川卓との9年間(3) | アサ芸プラス
【10月23日】1981年(昭56) 13安打浴びても完封 西本聖 絶妙シュート攻めで4併殺(野球) — スポニチ Sponichi Annex 野球 日めくり10年10月
第6戦に勝った巨人はV9達成の73年以来の日本一となった。4勝のうち西本と江川卓投手で2勝ずつを挙げたが、MVPは投球内容からみて文句なく西本が選ばれた。
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【10月23日】1981年(昭56) 13安打浴びても完封 西本聖 絶妙シュート攻めで4併殺(野球) — スポニチ Sponichi Annex 野球 日めくり10年10月
江川の5冠王と西本の沢村賞
西本聖
34試合 14完投 3完封 18勝12敗 257 2/3回 126奪三振 勝率.600 防御率2.59
江川卓
31試合 20完投 7完封 20勝6敗 240 1/3回 221奪三振 勝率.769 防御率2.29
江川卓は、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率、最多完封の投手5冠王に輝き、シーズン終了後にはMVP、ベストナインを受賞した。
しかし、沢村賞は西本が獲得し、このことが物議を醸した。

死んでも「アイツ」に勝ちたかった③ 西本聖 「エース」の座を争った江川卓との9年間(3) | アサ芸プラス
この問題を受け、翌82年に、沢村賞の選考基準が作成され、記者投票から元プロ野球投手による「選考委員会」により選出されるように改められた。
1983年 日本シリーズ
第1戦の巨人先発は江川。1回に1失点、2回に5点を奪われノックアウト。巨人は江川で初戦を落とした。
第2戦は西本。西本は81年の日本シリーズ第5戦に続く2試合連続の完封勝利。
第3戦は槙原寛己。9回裏に中畑清のサヨナラヒットで巨人2勝目。
第4戦は再び江川。江川は6回まで投げ、6回裏に江川自らタイムリーヒットを放ちリードするが、リリーフの加藤が打たれ逆転負け。
第5戦は再び西本。西本は2失点をするものの完投。巨人は9回裏にクルーズがサヨナラ3ランホーマーを放ち、巨人が日本一に王手をかける。西本のシリーズ2勝目。
第6戦は槙原。しかし、舞台裏では大きな決断が下されていた。第7戦は順番でいけば江川が先発のはずだが、この試合を落とした場合の最終戦の先発を告げられていたのは、西本だった。
試合は、8回裏を終わって、2対1と西武がリードし、最終回を迎えていた。
続・ライバル物語 江川卓×西本聖 「エースは、1人」(2/3) - プロ野球 - Number Web - ナンバー
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「僕は投げるつもりがなかったので、すごく慌てました。準備もできていませんでしたし、気持ちがまとまらないままでした」(西本)
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9回裏、西本は1死満塁のピンチを招き、石毛宏典の内野安打で同点にされ延長戦に突入。
10回裏からは江川が登板した。しかし、すでに心が冷えていた江川は、2本のヒットを打たれツーアウト1、2塁から金森栄治にサヨナラヒットを打たれてしまった。
続・ライバル物語 江川卓×西本聖 「エースは、1人」(3/3) - プロ野球 - Number Web - ナンバー
続・ライバル物語 江川卓×西本聖 「エースは、1人」(3/3) - プロ野球 - Number Web - ナンバー
ライバルを失った西本
死んでも「アイツ」に勝ちたかった③ 西本聖 「エース」の座を争った江川卓との9年間(4) | アサ芸プラス

光と影
当時を振り返ってみると、いつも「江川さんに勝つ」という目標があったから、つらい練習も乗り越えることができた。そして通算勝ち星でやっと、江川さんを超えたんです(西本165勝。江川135勝)。
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西本と江川のライバル関係は光と影に例えられる。一般的にはエリートで怪物ともてはやされてきた江川が光で、甲子園出場もなくドラフト外で入団した西本が影だという印象があるが、本当にそうだろうか?
1980年の開幕投手は江川。81年の開幕投手は西本。82年は江川、83年は西本。84年は江川。85年は西本、86年は江川、87年は西本。このように交互に4回づつ開幕投手を務めてきた。
この間、江川が開幕投手の年は優勝できず、西本の時には3回優勝している。
この事実は、何を語っているのだろうか。
江川の入団の経緯を考えれば、江川も影を背負っていたとも言える。
江川が5冠王に輝いた年、沢村賞を獲得したのは西本だった。このことは二人の関係に影を落とし、因縁を作った。
しかし、江川が唯一ライバルと認めた男は西本だった。
そして、西本が輝くことができたのは、江川がいたからだ。