13年間も盗塁王の名を欲しいままにした福本豊

福本豊(ふくもと ゆたか)
福本豊の獲得タイトル・主な表彰と記録
【 タイトル 】
盗塁王:13回 (1970年 - 1982年)
最多安打(当時連盟表彰なし):4回 (1973年、1974年、1977年、1978年) ※1994年より表彰
【 表彰 】
MVP:1回 (1972年)
ベストナイン:10回 (1972年 - 1974年、1976年 - 1982年)
ダイヤモンドグラブ賞:12回 (1972年 - 1983年)
【 日本記録 】
通算1065盗塁
通算115三塁打
通算299盗塁刺
通算外野手刺殺:5102
通算外野手守備機会:5272
通算初回先頭打者本塁打:43本(表24本、裏19本) ※表24本は日本タイ記録、裏19本はパ・リーグ記録
シーズン20二塁打以上:14回 (1970年、1972年、1973年、1975年 - 1984年、1987年) ※タイ記録
シーズン三塁打リーグ1位:8回 (1971年、1973年、1974年、1977年 - 1979年、1982年、1983年)
シーズン50盗塁以上:14回 (1970年 - 1983年)
シーズン盗塁:106(1972年)
1試合3盗塁死(1980年6月19日)※タイ記録
11試合連続盗塁:2回 (1971年4月27日 - 5月12日、1974年4月10日 - 4月28日)
13年連続盗塁王(1970年 - 1982年)※獲得回数13回も日本記録
12年連続ダイヤモンドグラブ賞(1972年 - 1983年) ※受賞回数12回も日本記録
14年連続シーズン50盗塁以上(1970年 - 1983年)
3年連続シーズン三塁打リーグ1位(1977年 - 1979年) ※タイ記録
福本豊のプレースタイルはこれだ!

投手の癖を読む力が半端ではなかった。
盗塁もリーグ1位なら、盗塁死も11回もリーグ1位を記録するほど、常に走り続けたことがわかるでしょう。決して、俊足というわけではない福本豊だが、盗塁術が素晴らしかったことで、日本記録106盗塁という大記録が生まれたのです。
盗塁だけではなく、打撃も素晴らしい選手だったことは知っていたでしょうか。安打数はリーグ1位が4回、本塁打においては、2ケタ本塁打が11回と、更に、先頭打者本塁打は8本と日本プロ野球史上1位タイ記録となっている。
守備においても、ゴールデンクラブ賞も12回も受賞するほど、外野手としての名手でして、肩は決して強いわけではないが、落下点を読む力が半端ではなく、捕球する範囲が広く名手と成長していったのです。
福本豊の高校時代の活躍
福本豊 - Wikipedia
福本豊のプロ入り前、社会人野球時代
社会人野球として、松下電器の野球部員で活躍していた福本豊が、1968年には、加藤秀司、岡田光男とともに、富士製鐵広畑の補強選手として都市対抗に出場し、チームを優勝させた。
その年に、阪急ブレーブスと南海ホークスのスカウトの目に捕えられ、阪急ブレーブスに7位指名を受けることとなる。当時は、福本が目に留まったわけではなく、注目の加藤秀司(南海ホークスに入団)を見に来ていたスカウトの前で、本塁打を打つ、ホームへ好返球と目につくプレーをやったことで、指名されることとなったのだ。
指名を受けた時は、福本豊は自分が指名を受けてるとは知っていなかった。
ドラフトの翌朝、先輩がスポーツ紙でおまえがのっとるがなと言われたことで初めて知ったらしい。福本らしいですね。
その後、しばらく経ってから、阪急職員による肉料理接待が始まり、プロになったら毎日、こんなに美味い料理が食べられるのかと思いながら、入団を考えていたが、何度も食事をおごってもらったことで、入団を決意したのです。

盗塁王の福本豊
指名を知らなかった福本の夫人も、奥さんらしく、夫が野球選手であることを知らなかったらしい。
ある日、福本に、松下から阪急に転職すると伝えらて、特に、詳しい説明もなかったので、ある日、阪急電鉄各駅を、夫の姿を探していました。
その時に、盗塁王の福本さんではと駅員に告げられ、初めて、自分の夫がプロ野球選手だとしったらしい。
阪急ブレーブスでプロに入り、世界の福本へ!
現役引退後の世界の福本は。。。

おしゃれなバーのオーナーに
盗塁以外も素晴らしい記録を残している
盗塁以外にも、試合でデットボールを受けた時に、デットボールぐらいで休んでいたらレギュラーでいられなくなるぞと言われ、強靭な体力の続く身体を作るようになり、17年連続規定打席到達、シーズン全試合出場8回とパ・リーグタイ記録を作っている。2000本安打、2000試合出場を記録している選手はなかなかいない。
通算本塁打も208本と通算安打数のベスト10選手の中で、立浪についで少ない選手である。

通算3塁打も日本記録を持っていて、果敢に攻めて走っていたことが伺えます。
世界の福本はこんなに陽気な関西人だった。

とにかく、負けん気が強く、走ることにこだわった天才。
天才肌だけに、後輩に教えることは難しいのかもしれません。そんな関西の天才は、13年も連続で盗塁王になる偉業を成し遂げたのです。
関西の天才から、世界の福本になった瞬間でしょう。
今は、おもろい関西のおっさんかも。