世界の『Backstreet Boys』史上最大のヒット曲『I Want It That Way』について調べた!
Backstreet Boysが1999年に発売したアルバム「ミレニアム」収録のグループ最大のヒット曲、世界から愛される名曲『I Want It That Way』について幾つかの角度から調べてみました。
実は、賞という賞を取りまくっているカントリー・ガール、ドリー・パートン、いや、本当にスゴイです。
本国アメリカに比べ日本では知名度の低いドリー・パートンですが、カントリー史上最も称賛されている女性歌手と言われています。それを証明するように、グラミー賞を8回受賞し、アカデミー賞には主題歌賞にソングライターとして2回ノミネートされ、CMAアワードが10回、ACMアワードは7回、アメリカン・ミュージック・アワードでは3回も受賞しているのです。しかも音楽以外の活動も幅広く行っており、それをことごとく成功させています。本当にスゴイです。
00'年代にアイドルからアーティストへと駆け抜けたブリトニー・スピアーズ
アイドルとしてデビューし長年活躍するというのは非常に困難なことですが、ブリトニー・スピアーズはアイドルからアーティストへと上手く移行することが出来た数少ないアイドルのひとりです。しかも、00'年代のアルバム・セールスが1億枚を超えているという驚異的なアーティストなのです。
デビュー当時のデビー・ギブソンをみた男子学生は誰もがこんなガールフレンドが欲しいと思ったに違いありません!現在ではアイドルからの脱却を図ってデボラ・ギブソンと名前を変えてしまっていますが、そんな必要はありません。デビー・ギブソンは永遠のアイドルなんです。
赤毛のカリスマこと“ミック・ハックネル”率いるシンプリー・レッドは外さない!
1985年の結成以来数多くのアルバムをリリースしてきたシンプリー・レッドですが、どのアルバムも良質!ファンの期待を裏切ることなくヒットさせ続けています。シンプリー・レッドは、ミック・ハックネルの燃えるような赤毛同様に熱いのです。
4人組バンド『ハートバザール』ボーカルの描きだす歌詞は、深すぎるテーマと攻撃的なフレーズで驚かされた!!
1997年に結成した「ハートバザール」は、ストレートなメロディーと石井皐月が描き下ろした独特な歌詞を融合させ、強烈なインパクトを与えていた4人組ポップ・バンドです。
【ヴォーカル・グループの殿堂】あの有名なビートルズよりも前に人気があった?!フォー・シーズンズ知ってる??
ビートルズと同じ頃にデビューしたフォー・シーズンズですが知らない世代も多いと思い これを機に振り返ってみようと思いました。知っている人なら当時を思い出してみよう^^!
ポップスバンド『LAZY LOU's BOOGIE』アニメ「YAWARA!」のテーマ曲で一躍ブレイク!だが、音楽活動は続かなかった!!
『LAZY LOU's BOOGIE(レイジー・ルーズ・ブギー)』は、1990年に結成したバンドでした。シングル2枚とアルバム2枚を発表し、その中の2ndシングル「いつもそこに君がいた」は、TVアニメ「YAWARA!」のエンディングで起用されました。しかし、突然バンドが解散してしまい、驚かさせられました。
80年代一気に人気者になったバンド、Kajagoogoo(カジャグーグー)について
1980年代前半、デュラン・デュラン、カルチャー・クラブ等のイギリス出身のバンドが世界中の音楽シーンを席巻しました。そのブームに乗って登場したバンドの一つが今回取り上げるカジャグーグーです。この記事では彼らが主に活動していた1981年から85年の期間の出来事を中心にまとめてみました。
【80's洋楽PV】「ビリー・ジーン」に「テイク・オン・ミー」!スゴイぞ、スティーヴ・バロン監督!
80年代、MTVの登場により、音楽のプロモーションに欠かせない存在となったのが、プロモーション・ビデオ(PV)。ただ歌っているだけ、演奏しているだけの映像ではなく、最先端の技術を使って斬新な演出をしてみたり、映画顔負けのストーリー性を持たせてみたり、視聴者の目が釘付けになるような仕掛けがいろいろと試されました。中でも、特に印象的なPVを多数手がけていたのが、スティーヴ・バロン監督。そんなMTVには欠かせなかった、バロン監督が手がけた代表的PVをご紹介します。
4人のポップなハーモニー きらめくディスコミュージック ガガにも影響を与えた「ABBA」とは…
1970年代から1980年代にかけてヨーロッパをはじめ世界中で人気となった4人組のポップグループ。日本でも一斉を風靡しました。レコードを買って歌詞を覚えて友人達と歌ったり、当時流行っていたディスコでも彼らの曲が流れていたのをしっかりと覚えています。今でも街を歩くとどこからか流れてくる彼らの曲。ABBAというグループ名を知らなくてもきっとどこかで耳にしたことがあるはずです。
BANANARAMA 、デビュー35周年で27年ぶりの緊急来日公演決定!!
今年 、デビュー35周年 を迎えた女性グループ”BANANARAMA”が27年ぶりに緊急来日し、4度目となる単独公演を10月5日(水)に東京・豊洲ピット、7日(金)に大阪・松下IMPホールで行う予定。デビュー35周年の軌跡を網羅したパフォーマンスを披露する!!
あの頃洋楽が熱かった~全米トップ40あの年、あの月のベスト10曲(1979年12月)
あの時代、テレビと共にラジオにも夢中だった。テレビでは毎日歌謡番組が放送され、知らないうちに歌が身体に沁みこんでいった頃、ラジオでは洋楽専門の番組が各局に増えていた。その中でひと際洋楽ファンを虜にした番組が「全米トップ40」だ。ここでは、70~80年代のランダムにピックアップした月のチャートのトップ10曲をまとめました。
あの頃洋楽が熱かった~全米トップ40あの年、あの月のベスト10曲(1974年3月)
あの時代、テレビと共にラジオにも夢中だった。テレビでは毎日歌謡番組が放送され、知らないうちに歌が身体に沁みこんでいった頃、ラジオでは洋楽専門の番組が各局に増えていた。その中でひと際洋楽ファンを虜にした番組が「全米トップ40」だ。ここでは、70~80年代のランダムにピックアップした月のチャートのトップ10曲をまとめました。
ファンク・ザ・ピーナッツ♪ドリカム吉田美和と浦嶋りんこの陽気なデュオ!
1995年にRIN(浦嶋りんこ)とMIWA(吉田美和)により結成された一応匿名のデュオ「ファンク・ザ・ピーナッツ」。略称はファンピー。ファンク・ザ・ピーナッツはコミカルな内容の歌詞を会話のように歌うスタイルが特徴的だった。
あの頃洋楽が熱かった~全米トップ40あの年、あの月のベスト10曲(1977年5月)
あの時代、テレビと共にラジオにも夢中だった。テレビでは毎日歌謡番組が放送され、知らないうちに歌が身体に沁みこんでいった頃、ラジオでは洋楽専門の番組が各局に増えていた。その中でひと際洋楽ファンを虜にした番組が「全米トップ40」だ。ここでは、70~80年代のランダムにピックアップした月のチャートのトップ10曲をまとめました。
あの頃洋楽が熱かった~全米トップ40あの年、あの月のベスト10曲(1973年9月)
あの時代、テレビと共にラジオにも夢中だった。テレビでは毎日歌謡番組が放送され、知らないうちに歌が身体に沁みこんでいった頃、ラジオでは洋楽専門の番組が各局に増えていた。その中でひと際洋楽ファンを虜にした番組が「全米トップ40」だ。ここでは、70~80年代のランダムにピックアップした月のチャートのトップ10曲をまとめました。
あの頃洋楽が熱かった~全米トップ40あの年、あの月のベスト10曲(1975年11月)
あの時代、テレビと共にラジオにも夢中だった。テレビでは毎日歌謡番組が放送され、知らないうちに歌が身体に沁みこんでいった頃、ラジオでは洋楽専門の番組が各局に増えていた。その中でひと際洋楽ファンを虜にした番組が「全米トップ40」だ。ここでは、70~80年代のランダムにピックアップした月のチャートのトップ10曲をまとめました。
あの頃洋楽が熱かった~全米トップ40あの年、あの月のベスト10曲(1978年8月)
あの時代、テレビと共にラジオにも夢中だった。テレビでは毎日歌謡番組が放送され、知らないうちに歌が身体に沁みこんでいった頃、ラジオでは洋楽専門の番組が各局に増えていた。その中でひと際洋楽ファンを虜にした番組が「全米トップ40」だ。ここでは、70~80年代のランダムにピックアップした月のチャートのトップ10曲をまとめました。
あの頃洋楽が熱かった~全米トップ40あの年、あの月のベスト10曲(1976年6月)
あの時代、テレビと共にラジオにも夢中だった。テレビでは毎日歌謡番組が放送され、知らないうちに歌が身体に沁みこんでいった頃、ラジオでは洋楽専門の番組が各局に増えていた。その中でひと際洋楽ファンを虜にした番組が「全米トップ40」だ。ここでは、70~80年代のランダムにピックアップした月のチャートのトップ10曲をまとめました。