巨人に関する記事

プロ野球ファンの半分は【巨人】ファンといってもよいほど、往年の巨人の存在感は比類なきものでしたね。


【バルビーノ・ガルベス投手】積み上げた勝利数よりも重かった「あの1球」

【バルビーノ・ガルベス投手】積み上げた勝利数よりも重かった「あの1球」

斉藤・槙原・桑田の三本柱に衰えが見えた巨人のローテーションを支え、NPB在籍5年間で46勝を挙げた、ガルベス投手。彼が投じた「ある1球」は野球ファンの間でいつまでも残っている。だがそれは、マウンドから投じられたものではなかった…。


緒方耕一と緒方孝市 同姓同名で同い年。プロ入りも同時にセリーグ球団だった偶然過ぎる二人を比較してみました!

緒方耕一と緒方孝市 同姓同名で同い年。プロ入りも同時にセリーグ球団だった偶然過ぎる二人を比較してみました!

1986年のドラフトでは二人の「おがたこういち」の指名がありました。巨人・緒方耕一と広島カープ・緒方孝市。驚くことに名前だけではなく、共通点の多々ある二人でもありました。そんな彼らを特集します!


【河野博文投手】ミスターに「ゲンちゃん」と愛された中継ぎエースの現在地。

【河野博文投手】ミスターに「ゲンちゃん」と愛された中継ぎエースの現在地。

1988年に最優秀防御率賞を獲得した河野投手はその後、FAで日本ハムから巨人に移籍する。1996年シーズン、首位に最大11.5ゲーム差をつけられてからの大逆転優勝(メークドラマ)に大きく貢献した。長島監督から「ゲンちゃん」と呼ばれた中継ぎエースは引退後波乱の人生を送ることになる・・・。


【野口茂樹】ドラゴンズ投手陣を支えたノーヒッターは「天敵」に移籍して・・・

【野口茂樹】ドラゴンズ投手陣を支えたノーヒッターは「天敵」に移籍して・・・

ドラゴンズのエースとしてリーグ優勝に貢献し、最優秀防御率賞など数々の賞を受賞した野口投手。1996年にノーヒットノーランを達成するなど、特に巨人戦に強く「天敵」とも呼ばれた存在でした。その後、2005年にFAを宣言し、野口投手はその巨人に移籍するのですが・・・。


甲子園未経験ながら巨人ドラフト1位・木田優夫 メジャーでも活躍し、セパを渡り歩いた息の長い投手でした

甲子園未経験ながら巨人ドラフト1位・木田優夫 メジャーでも活躍し、セパを渡り歩いた息の長い投手でした

投手・木田優夫。巨人にドラフト1位で入団し、先発や中継ぎ、抑えとして活躍しました。日本とメジャーの各球団に所属した彼の野球人生を追います。


【タフィ・ローズ】3球団・13年間プレーした、日本プロ野球史に残る大物助っ人

【タフィ・ローズ】3球団・13年間プレーした、日本プロ野球史に残る大物助っ人

近鉄・巨人・オリックスの3球団で13年間在籍。「キレやすい」気質の為に退場処分を受けたり、コーチ陣と軋轢を呼ぶ事もあったが、彼がプロ野球史に残る打者であった事は記録とファンの記憶が示している。そんなタフィ・ローズの球歴を振り返る。


【ドミンゴ・マルティネス】ファンに愛され、惜しまれた長距離砲

【ドミンゴ・マルティネス】ファンに愛され、惜しまれた長距離砲

「マルちゃん」の愛称で親しまれたマルティネス選手。 清原和博がFAで去った西武ライオンズの救世主的役割を果たし、その後、巨人でも活躍。 ファンに強烈な印象を残した彼の日本での球歴を振り返る。


あの落合博満に天敵と言わせた男、【川口和久】の人物像とは。

あの落合博満に天敵と言わせた男、【川口和久】の人物像とは。

ダンディな甘い風貌も加えて人気を博した男は、緩急をつけた投球術で、三振を築き上げてきました。そんな投球術は巨人阪神はもちろん。あの落合博満もうならせた投球は直感的なもので、あのイチローでさえも抑え込まれたのでは。


長打力を武器に3球団を渡り歩いた男。【江藤智】の魅力!

長打力を武器に3球団を渡り歩いた男。【江藤智】の魅力!

本塁打を武器に、広島、巨人、西武と3球団を渡り歩いた男。江藤智はプロ史上19人目となる350本塁打を放ったスラッガーである。そんな江藤智の現役時代と今をご紹介します。


意外性の男として巨人のマスクをかぶった男!【山倉和博】の今!!

意外性の男として巨人のマスクをかぶった男!【山倉和博】の今!!

80年代の巨人軍の捕手として、マスクをかぶった男、山倉和博は往年の江川、西本。そして斎藤雅の女房役として活躍してきました。ここで打つ!?という長打にも魅力がある選手で、スター選手の一人でした。そんな山倉和博の現役時代と今を語ります。


【鹿取義隆選手】かっての守護神が宿敵となって巨人ナインに立ちはだかった!

【鹿取義隆選手】かっての守護神が宿敵となって巨人ナインに立ちはだかった!

1980年代、無類の安定感を誇り巨人のリリーフエースとして君臨した鹿取義隆選手。だが、トレードによって西武に移籍。そしてかっての守護神が1990年の日本シリーズにおいて、今度は宿敵の一員として、巨人ナインの前に立ちはだかったのである。


【駒田徳広選手】「満塁男・駒田」が起こした球史に残る「二つの事件」を振り返る。

【駒田徳広選手】「満塁男・駒田」が起こした球史に残る「二つの事件」を振り返る。

満塁の際、無類の強さを誇った「満塁男」・駒田選手。巨人のスター選手だった彼は選手生活の晩年・FA宣言をして横浜に移籍する。「来る選手はいても、FAで巨人を出る選手などいない」そう思われていた球界の常識を変えた選手だった。


【槙原寛己選手】完全試合を達成した、伝説の「先発三本柱」の1人

【槙原寛己選手】完全試合を達成した、伝説の「先発三本柱」の1人

1990年代の巨人には他球団が羨む先発投手が三人所属していた。 斎藤雅樹、桑田真澄と共に「先発三本柱」と呼ばれた男、槙原寛己投手。 抜群の成績を残しながら「エース」と呼ばれる事はなかった槙原投手の活躍を振り返る。


【大久保博元選手】巨人の救世主になった「デーブ」

【大久保博元選手】巨人の救世主になった「デーブ」

2015年楽天イーグルスの監督に就任。そして成績不振のため一年で解任。 打撃コーチとしては…監督としては…と指導者としての評価が分かれる大久保博元氏。 そんな彼の現役時代の活躍を振り返る。「彼は、まぎれもなく巨人の救世主だった」


【吉村禎章選手】交通事故レベルの激突事故から奇跡の復帰を果たした不屈の打者。

【吉村禎章選手】交通事故レベルの激突事故から奇跡の復帰を果たした不屈の打者。

1988年7月6日。札幌円山球場に詰め掛けた野球ファンは後に「交通事故レベルの激突事故」と呼ばれた栄村選手と吉村選手の激突事故を目撃する。この様を見た多くの人が思った事だろう「吉村は終わった」と。だがこれが奇跡の始まりだった…。


怪物【江川卓】が世の中を騒がせた事件あれこれ!!

怪物【江川卓】が世の中を騒がせた事件あれこれ!!

「空白の1日」「江川問題」は世間を騒動に巻き込み、「江川る(えがわる)」という言葉をも生んだ。並外れた投手・江川は、怪物として甲子園に登場した時から世の中を騒がし続けた。そんな江川が引き起こした事件を選んでみた。


悲劇のヒーロー【小林繁】の細腕繁盛記

悲劇のヒーロー【小林繁】の細腕繁盛記

江川事件に巻き込まれ悲劇のヒーローとして語り継がれる小林繁。どうしても悲劇の主人公として見られてしまいますが、沢村賞を2度受賞し、細身の体で気迫の投球をする姿から”細腕繁盛記”と呼ばれた小林繁を振り返ります。


ドラフト外入団・雑草【西本聖】の”怪物・江川”との因縁

ドラフト外入団・雑草【西本聖】の”怪物・江川”との因縁

巨人という同じチームでライバル関係にあった西本聖と江川卓。高校時代、無名の投手から沢村賞投手となった西本と怪物だった江川。同じチームにエースは二人並び立たない。果たしてそうだったのだろうか?


【広沢克己】ヤクルト、巨人、阪神の三球団で四番を務めた長距離砲

【広沢克己】ヤクルト、巨人、阪神の三球団で四番を務めた長距離砲

池山選手、古田選手らと共にヤクルトの主力として活躍後、1994年オフにFA宣言で巨人に入団。その後阪神に移籍。 三球団で四番を打ち、それぞれの球団で優勝を経験した広沢克己選手についてのまとめ記事です。


【石毛博史投手】巨人、近鉄、阪神で優勝を経験した荒れ球ストッパー。

【石毛博史投手】巨人、近鉄、阪神で優勝を経験した荒れ球ストッパー。

9回表、東京ドーム。「彼」の名前がコールされた瞬間、巨人の応援団から上がったのは歓声ではなかった。 「バッター、振ってくれ!」「ノーコン野郎!」野次が飛びかう中、「彼」はマウンドに上がっていく…。 3球団で優勝を経験した石毛博史投手についての記事を書かせていただきます。