来日当初から大活躍!
1996年に近鉄に入団したローズ選手は、来日1年目から日本野球に順応。
130試合に出場し、チーム3冠王となる成績を残す。(打率.293、本塁打27、打点97)
その後もローズ選手は130試合以上に出場し、ハイレベルな成績を残してゆく。
一方、チームの成績はどうだったかと言うと…ローズ選手が中心となった「いてまえ打線」の爆発力は他球団の脅威となっていたが、好不調の波が激しく、優勝争いには食い込めないシーズンが続く。
1999年には、ローズ選手は40本塁打・101打点を記録して、初の本塁打王・打点王のタイトルを獲得するものの、チームは最下位に沈みました。

1999年オフに監督の佐々木恭介が成績不振のため辞任。再建を託された梨田監督の1年目も、「いてまえ打線」の中核を担った中村紀選手が本塁打と打点王の二冠を獲得するものの、近鉄は2年連続で最下位に終わります。
近鉄の優勝に貢献
そうして迎えた2001年シーズン、「いてまえ打線」がシーズン当初から絶好調。ローズ選手もシーズン当初から本塁打を量産する。そして、当時「並ぶ事も許されない」と一部で言われていた王貞治選手が持っていたシーズン記録の55本に並ぶホームランを西武ライオンズの松坂大輔投手から放ちます。
この年も近鉄は「取られたら、取り返す」という打撃戦で勝利する試合が続き、ローズ、中村紀選手らの働きによってなんとか上位に留まっているという状態でした。
壊滅状態にあった投手陣の救世主となったのがシーズン途中加入した、バーグマン(10勝)、パウエル(4勝)らによって先発ローテーションが安定。
更に、脳腫瘍から奇跡の復帰を果たしたリリーフの盛田投手らの活躍により、投打が噛み合いだすと、近鉄は一気に混戦を抜け出し、そしてプロ野球史上初となる、北川選手の「代打逆転サヨナラ優勝決定満塁本塁打」という劇的な一発によってリーグ優勝を果たすのです。

北川選手に抱きつこうとするローズ選手
「いてまえ打線」の最強クリーンナップ。
中村紀選手(背番号5)、ローズ選手、磯部公一選手(背番号8)

2001年、大阪近鉄がリーグ優勝したときに放送されたローズ選手を追った番組です。
日本シリーズで近鉄はヤクルトに自慢のいてまえ打線を封じ込まれ、1勝4敗で敗退します。
(その1勝はローズ選手が第2戦で放った決勝3ランによるもの)
結局この年のリーグ優勝が近鉄としての最後のリーグ優勝となったのです。
ハイレベルなホームラン王争い
2001~03年、ローズ選手はアレックス・カブレラと3年続けてハイレベルな本塁打王を展開します。
2002年シーズン終盤、カブレラ選手はローズ・王選手の記録に1本差と迫っていました。
迎えた近鉄対西武戦。ローズの記録に並ばせないと勝負を避けていた近鉄バッテリーに対し、ローズ選手が勝負を直訴。その直後にカブレラ選手が55号本塁打を放ちます。
この様にライバル関係にありましたが、カブレラ選手とローズ選手は同じ「外国人助っ人」として通じるところがあったのか非常に仲が良かった様です。

カブレラ選手
【2001年~03年の両者の本塁打成績】
カブレラ:49本、55本、50本 ローズ:55本、46本、51本
高騰する年俸と「ガイジン」発言
この様に毎年本塁打を量産するローズ選手の年俸は毎年高騰していきました。
2003年オフ、同じ様にクリーンナップを打っていた中村紀選手が5年契約を結んでいた事もあり、複数年の大型契約を望んだローズ選手と「外国人選手には複数年を認めない」としたフロントは対立。
ローズ選手は「僕がどんなに活躍しても『ガイジン』としてしか扱ってくれない」と発言。
ローズ選手は近鉄を退団、巨人に移籍する事になります。

巨人に移籍した2004年、ローズ選手は45本塁打を放ち、外国人野手では史上初の両リーグでの本塁打王を獲得します。ところが2005年、ローズ選手の守備を指摘した当時のコーチと激しく口論になった事も影響してかチーム内で次第に孤立。8月には右肩を故障。結局その年のオフに巨人を戦力外となります。
カブレラとの夢のクリーンナップを形成!
巨人退団後、アメリカに戻っていたローズ選手は、一時引退を表明していましたが、2007年の春季キャンプで入団テストを経て、オリックスバッファローズに入団。ブランクを全く感じさせず、この年、42本塁打、96打点を挙げる大活躍を見せるのです。

2008年には西武から移籍したカブレラ選手と同僚になり、55本塁打記録を持つ二人のクリーンナップは相手チームの脅威となりました。当時、オリックスの2軍にはローズ選手と巨人時代にチームメイトで仲もよかった清原選手がおり、オリックスファンはカブレラ、ローズ、清原の3人が揃うのを夢に見ていたのです。
2009年のオフ、シーズン中の骨折を公傷とするか否かをきっかけに契約交渉が難航。オリックスとしては来季も戦力として評価していたもののローズ選手の代理人から連絡が無かった事により、交渉が打ち切られ、ローズ選手はオリックスを退団する事になりました。日本プロ野球に在籍した13年間で464本の本塁打を放った大物外国人助っ人の「去り際」はなんとも寂しいものとなったのです。
(※FA権利を取得したローズ選手は、2005年からは日本人扱い)
「退場王」としての一面
普段は陽気な性格で、ファンサービスにも積極的なローズ選手でしたが、グラウンド内では激高する事が度々あり、退場を宣告されることが多かったのです。課された退場処分は史上最多記録の14回。
「死球を当てられた、危険な球を投げられた」という事もですが「ストライク・ボールの判定を巡って」審判に暴言を吐いて退場処分を受けるというケースも多く見られました。

ローズ選手と里崎捕手
「元何のローズ」と言うのが正解なのだろうか?
近鉄、巨人、オリックスの3球団で活躍したローズ選手。実はこの記事を書く前、筆者は彼の事を「元何のローズ」と言うのが正解なのだろう?と思っていました。「元近鉄」なのだろうか?「元巨人」なのだろうか?「元オリックス」なのだろうか?
いえ…どれも違う事に気付かされました。彼に「元」と付けるのはまだ早いのです。
なぜならタフィ・ローズ選手は「富山GRNサンダーバーズ」の現役選手(兼野手コーチ)として今も戦い続けているのですから。(2016年2月現在)
