ジャイアンツに関する記事


ジェームズ・ディーンはLEVI’S?Lee? 演技もファッションも一瞬で釘付けにされる彼の生涯に注目。

ジェームズ・ディーンはLEVI’S?Lee? 演技もファッションも一瞬で釘付けにされる彼の生涯に注目。

デビュー半年後に自動車事故で亡くなったジェームズ・ディーン。彼は二次元でしか存在しないのに、なぜか現代に至っても色あせない魅力があるのはなぜか。


全盛期の巨人、偉大なONの後を任された末次利光の実力

全盛期の巨人、偉大なONの後を任された末次利光の実力

9連覇を果たしていた頃の読売ジャイアンツで、外野手として活躍した末次利光。熊本県人吉市出身の元プロ野球選手です。地味なタイプながら、人気実力絶大だった王・長嶋の後を引き継ぐ最強の5番打者でした。不運なトラブルによって引退をするのですが、その後も縁の下の力持ちとなり、栄光のジャイアンツを支えています。


「巨人くん」は永遠に不滅です!「リトル巨人くん」を読んでプロ野球が熱かった時代を振り返る

「巨人くん」は永遠に不滅です!「リトル巨人くん」を読んでプロ野球が熱かった時代を振り返る

1970年代から80年代にかけて、小学生の子ども達の胸を熱くさせた野球漫画「リトル巨人くん」。 コロコロコミックや小学館の学習雑誌で連載されていました。 読んでいた!という人にも、知らなかった!という人にもわかりやすく、今回は「リトル巨人」について解説していきます。


【デーブ大久保】がホームランを打つと必ず勝つという「不敗神話」があった!

【デーブ大久保】がホームランを打つと必ず勝つという「不敗神話」があった!

1992年にトレードで西武から巨人に移籍したデーブ大久保さん。その時「大久保が打てば負けない」という「不敗神話」があったといいます。一体どんな内容だったのでしょうか?さっそく振り返ってみたいと思います!


初めて海を渡った侍はマッシー村上【村上雅則】

初めて海を渡った侍はマッシー村上【村上雅則】

「ビッグフライ!ホームラン!オオタニさーん!」と連日お茶の間のスポーツニュースで大リーグで活躍している日本人大リーガーが報道されています。今では当たり前になっている日常ですが、1ドル360円のころの1960年代にたった一人で大リーグで活躍している日本人がいました。あなたは知っていますか?その名はマッシームラカミこと、村上雅則選手です。


あの人も描いてたんだ!?タイトルに『巨人・ジャイアンツ』が含まれてる漫画まとめ!

あの人も描いてたんだ!?タイトルに『巨人・ジャイアンツ』が含まれてる漫画まとめ!

野球漫画は数々ありますが、今回はそんな野球漫画の中でも巨人・ジャイアンツで主人公が活躍する漫画をまとめてみました(^^)/ 日本一有名な球団巨人にまつわる懐かしい作品がありますよ~(^^)/


【ジャイアンツV9の立役者】元祖赤い稲妻柴田勲!切込隊長は球界一のモテ男だった

【ジャイアンツV9の立役者】元祖赤い稲妻柴田勲!切込隊長は球界一のモテ男だった

1962年にジャイアンツに入団し、王、長嶋と共にジャイアンツ9連覇に貢献した大選手。プロ野球初のスイッチヒッターとして、ジャイアンツの切込隊長の柴田勲は盗塁王を5回獲得した。甘いマスクで女性にも大人気の赤い手袋がトレードマーク。夜の銀座でも盗塁王の柴田勲とはどんな選手。


「ライオンズ」「ジャイアンツ」「ドラゴンズ」・・・球団と同じ名前のバンドの魅力!

「ライオンズ」「ジャイアンツ」「ドラゴンズ」・・・球団と同じ名前のバンドの魅力!

みなさんご存知のプロ野球12球団。実は、その球団名と同じ名前で活動している、または活動していたバンドって結構いるんですよね。この記事で紹介していきたいと思います!


今の巨人にこそ必要?…79年に行われた「地獄の伊東キャンプ」

今の巨人にこそ必要?…79年に行われた「地獄の伊東キャンプ」

1979年秋に行われた読売ジャイアンツの「地獄の伊東キャンプ」。長嶋茂雄監督によって行われた、連日、練習終了と同時に倒れこむほどの過酷過ぎるトレーニングは、当時若手だった江川卓や篠塚和典を鍛え上げ、一流選手へと成長させました。


ハリウッド製の超大作スペクタクル映画は子供心にもその凄さを感じた!!(1950年後半版)

ハリウッド製の超大作スペクタクル映画は子供心にもその凄さを感じた!!(1950年後半版)

1950年後半は、私がちょうど幼児期を脱しようとする時期であり、また外部からの刺激を積極的に取り入れようとしていた時期と重なります。ちょうどこの頃にハリウッド製の超大作スペクタクル映画が何本も封切され、両親と一緒に映画館に見に行きましたが、あまりの臨場感に恐怖感を憶えたことも多々ありました。そんな映画を年代別に集めてみました。


ホームランキング 王貞治の1本足打法   Flamingo Style Butting of Homerun King Sadaharu Oh.

ホームランキング 王貞治の1本足打法 Flamingo Style Butting of Homerun King Sadaharu Oh.

王貞治の澄んだ瞳と誠実さは尋常ではない。 個性とバカ話が渦巻く野球界にあって、ひと際、異彩を放っている。 しかし単なるお人好しじゃない。 鉄拳制裁や、、道場通い、刀を握っての練習などは、まさに鬼の所業だった。 三振王からホームラン王に、さらに世界の王となった現役時代の王貞治の軌跡を、一本足打法を中心にまとめてみました。


巨人の三本柱の一角・斎藤雅樹の「野球殿堂入りを祝う会」に王貞治ら球界関係者350人が出席!

巨人の三本柱の一角・斎藤雅樹の「野球殿堂入りを祝う会」に王貞治ら球界関係者350人が出席!

巨人・斎藤雅樹2軍監督の「野球殿堂入りを祝う会」が東京・文京区の東京ドームホテルで開かれた。王貞治ソフトバンク球団会長を始め、金田正一氏、堀内恒夫氏、原辰徳前巨人監督、高橋由伸監督ら球界関係者350人が出席した。


巨人と台湾のOB選抜戦で、王貞治が「一本足打法」を披露!両軍ナインはベンチ前で整列、球場のファンは総立ち!

巨人と台湾のOB選抜戦で、王貞治が「一本足打法」を披露!両軍ナインはベンチ前で整列、球場のファンは総立ち!

両国のレジェンドが集まった巨人と台湾のOB選抜戦は15-11で巨人OB選抜が逆転勝ちした。試合では”世界のホームラン王”の王貞治氏が1968年の台湾キャンプ以来、48年ぶりに故郷で打席に入り、豪快なスイングを披露した。


台湾から巨人にやってきた呂明賜(ろ めいし)!デビュー9試合で7本塁打!背番号97は体重と同じ!

台湾から巨人にやってきた呂明賜(ろ めいし)!デビュー9試合で7本塁打!背番号97は体重と同じ!

1988年、巨人に入団した呂明賜(ろ めいし)。 6月14日の明治神宮野球場の対ヤクルトスワローズ戦で、初回にボブ・ギブソンから初打席初本塁打を記録。その後も打ちまくった呂明賜(ろ めいし)の活躍を振り返る。


【ミスター胴上げ投手】宮本和知選手の現役時代を振り返る

【ミスター胴上げ投手】宮本和知選手の現役時代を振り返る

斎藤選手、槙原選手、桑田選手のいわゆる「先発三本柱」が全盛期の時代、右の先発投手が多かった1990年代の巨人投手陣の貴重な左の先発投手。いわゆる「ローテーションの谷間」を埋める「谷間に咲く花」として役割を果たし、3度の「胴上げ投手」になった宮本和知選手の球歴を振り返る。


【リーグ優勝の瞬間】読売ジャイアンツ編

【リーグ優勝の瞬間】読売ジャイアンツ編

まだクライマックスシリーズ制度が導入されていない頃、ペナントレースが今よりもずっと価値があった頃、各球団のリーグ優勝決定の瞬間、その年の戦いぶりをご紹介しています。今回は読売ジャイアンツのリーグ優勝決定の瞬間(1990、1994、1996)を集めてみました。


【スター選手の引退試合・ジャイアンツ編】(江川・西本・中畑・原)

【スター選手の引退試合・ジャイアンツ編】(江川・西本・中畑・原)

スター選手の引退試合、現役最後の試合をまとめています。ここでは読売ジャイアンツで活躍した選手の引退試合を紹介します。毎年何百人というプロ野球選手が入団し、そして引退していきます。「私、引退します」と言ってプロ野球生活に別れを告げられる選手はほんの一握り、更に言えばこの様な「引退試合」「引退セレモニー」を行える選手などはごく一部。そんな特別な選手の特別な試合をどうぞご覧ください。


巨人・モスビー!1992年はモスビー効果と称された活躍をした!

巨人・モスビー!1992年はモスビー効果と称された活躍をした!

メジャー通算169本塁打を引っ提げ、巨人入り。優勝を目指せるチームを探し、巨人に辿り着いたモスビー。陽気なキャラはクロマティ2世とも言われた。1992年のモスビーはデビュー戦でホームランを放つなど印象に残る活躍が多かった!


負け犬サダ・定岡正二!生ダラでセナ、とんねるず石橋とのカート対決!

負け犬サダ・定岡正二!生ダラでセナ、とんねるず石橋とのカート対決!

90年代とんねるずの生ダラでブレイクした「負け犬サダ」こと巨人のドラフト1位だった定岡正二。へなちょこと称され、高校時代のアイドル的扱いとは違った扱いをされた。天然ボケのキャラは同時期に生ダラへ出演していた輪島功一、輪島大士らと共に愛された。


巨人・岡崎郁!1989年近鉄に3連敗後の4連勝で日本一!その立役者だった!

巨人・岡崎郁!1989年近鉄に3連敗後の4連勝で日本一!その立役者だった!

巨人(読売ジャイアンツ)のレギュラー岡崎郁(おかざきかおる)。オープンスタンスでの勝負強いバッティングから篠塚二世と呼ばれた。岡崎郁は近鉄との日本シリーズで活躍し、90年代前半まで巨人軍の勝利に貢献した名選手だった。