【松本匡史選手】青い稲妻と呼ばれた巨人軍不動のトップバッター
俊足巧打、そして守備も抜群に上手い。青い手袋を身につけていた事から 「青い稲妻」と呼ばれた松本匡史選手は、正に理想的な一番打者だった。 1980年代の巨人軍を支えた松本選手の球歴を振り返る。
松井選手についての記事を書こうとしたら、エピソードが多すぎたので、とりあえず「巨人に入団するまで」を振り返る事にしました。怪物と呼ばれ全国的に有名となった高校時代。「五打席連続敬遠」や巨人に入団するドラフト会議までを振り返ります。
「チュウ」と呼ばれた男・村田真一の現役時代を改めて振り返ろう!
2008年「あの人」が巨人の打撃コーチに就任することが発表されると「あの人打撃コーチやるほど現役時代打ってたっけ?」と巨人ファンから驚きの声が上がりました。 そんな「あの人」村田真一さんの現役時代を改めて振り返る。
長嶋一茂さんや野村克則さんは明らかに父親が偉大すぎた感じですが、実は結構いる日本プロ野球界の親子鷹。 父の背中を見て育ったからこそ選んだプロ野球への道なんでしょうか。
昔、プロ野球で使用された懐かしい球場 ドームより良かった!!
今ではプロ野球で使用される球場の多くがドーム型球場となり、雨でも開催されるというメリットがある一方で、昔の球場を振り返ると屋外の方が気持ちがよくて良いという人も多はず!
【ロベルト・ペタジーニ選手】ゴジラ松井に打ち勝った「最強助っ人」の一人
1998年に来日したヤクルトたぺタジーニ選手は、来日1年目から松井秀樹と壮絶な本塁打王争いを繰り広げる。松井選手が大リーグに行った後は読売ジャイアンツ、晩年はソフトバンクに在籍。3球団で活躍した彼の球歴を振り返る。
【バルビーノ・ガルベス投手】積み上げた勝利数よりも重かった「あの1球」
斉藤・槙原・桑田の三本柱に衰えが見えた巨人のローテーションを支え、NPB在籍5年間で46勝を挙げた、ガルベス投手。彼が投じた「ある1球」は野球ファンの間でいつまでも残っている。だがそれは、マウンドから投じられたものではなかった…。
【河野博文投手】ミスターに「ゲンちゃん」と愛された中継ぎエースの現在地。
1988年に最優秀防御率賞を獲得した河野投手はその後、FAで日本ハムから巨人に移籍する。1996年シーズン、首位に最大11.5ゲーム差をつけられてからの大逆転優勝(メークドラマ)に大きく貢献した。長島監督から「ゲンちゃん」と呼ばれた中継ぎエースは引退後波乱の人生を送ることになる・・・。
【野口茂樹】ドラゴンズ投手陣を支えたノーヒッターは「天敵」に移籍して・・・
ドラゴンズのエースとしてリーグ優勝に貢献し、最優秀防御率賞など数々の賞を受賞した野口投手。1996年にノーヒットノーランを達成するなど、特に巨人戦に強く「天敵」とも呼ばれた存在でした。その後、2005年にFAを宣言し、野口投手はその巨人に移籍するのですが・・・。
【小久保裕紀】ホークス・ジャイアンツの主将から、ジャパンの監督へ
ダイエーのリーダーだった小久保は突然の無償トレードで巨人に移籍するが、巨人でもリーダーシップを発揮。他球団から来た選手としては異例の巨人の主将となる。その後ダイエーに復帰し、引退後は「日本代表監督」を務めている小久保選手の球歴を振り返る。
【タフィ・ローズ】3球団・13年間プレーした、日本プロ野球史に残る大物助っ人
近鉄・巨人・オリックスの3球団で13年間在籍。「キレやすい」気質の為に退場処分を受けたり、コーチ陣と軋轢を呼ぶ事もあったが、彼がプロ野球史に残る打者であった事は記録とファンの記憶が示している。そんなタフィ・ローズの球歴を振り返る。
【ドミンゴ・マルティネス】ファンに愛され、惜しまれた長距離砲
「マルちゃん」の愛称で親しまれたマルティネス選手。 清原和博がFAで去った西武ライオンズの救世主的役割を果たし、その後、巨人でも活躍。 ファンに強烈な印象を残した彼の日本での球歴を振り返る。
【鹿取義隆選手】かっての守護神が宿敵となって巨人ナインに立ちはだかった!
1980年代、無類の安定感を誇り巨人のリリーフエースとして君臨した鹿取義隆選手。だが、トレードによって西武に移籍。そしてかっての守護神が1990年の日本シリーズにおいて、今度は宿敵の一員として、巨人ナインの前に立ちはだかったのである。
【駒田徳広選手】「満塁男・駒田」が起こした球史に残る「二つの事件」を振り返る。
満塁の際、無類の強さを誇った「満塁男」・駒田選手。巨人のスター選手だった彼は選手生活の晩年・FA宣言をして横浜に移籍する。「来る選手はいても、FAで巨人を出る選手などいない」そう思われていた球界の常識を変えた選手だった。
【槙原寛己選手】完全試合を達成した、伝説の「先発三本柱」の1人
1990年代の巨人には他球団が羨む先発投手が三人所属していた。 斎藤雅樹、桑田真澄と共に「先発三本柱」と呼ばれた男、槙原寛己投手。 抜群の成績を残しながら「エース」と呼ばれる事はなかった槙原投手の活躍を振り返る。
2015年楽天イーグルスの監督に就任。そして成績不振のため一年で解任。 打撃コーチとしては…監督としては…と指導者としての評価が分かれる大久保博元氏。 そんな彼の現役時代の活躍を振り返る。「彼は、まぎれもなく巨人の救世主だった」
【吉村禎章選手】交通事故レベルの激突事故から奇跡の復帰を果たした不屈の打者。
1988年7月6日。札幌円山球場に詰め掛けた野球ファンは後に「交通事故レベルの激突事故」と呼ばれた栄村選手と吉村選手の激突事故を目撃する。この様を見た多くの人が思った事だろう「吉村は終わった」と。だがこれが奇跡の始まりだった…。
【広沢克己】ヤクルト、巨人、阪神の三球団で四番を務めた長距離砲
池山選手、古田選手らと共にヤクルトの主力として活躍後、1994年オフにFA宣言で巨人に入団。その後阪神に移籍。 三球団で四番を打ち、それぞれの球団で優勝を経験した広沢克己選手についてのまとめ記事です。
【石毛博史投手】巨人、近鉄、阪神で優勝を経験した荒れ球ストッパー。
9回表、東京ドーム。「彼」の名前がコールされた瞬間、巨人の応援団から上がったのは歓声ではなかった。 「バッター、振ってくれ!」「ノーコン野郎!」野次が飛びかう中、「彼」はマウンドに上がっていく…。 3球団で優勝を経験した石毛博史投手についての記事を書かせていただきます。
懐かしい!子供の頃よくやってた!野球盤ゲーム。打てる、打てない「消える魔球!」 当時の読売ジャイアンツには王貞治・長嶋茂雄という二人のスーパースターがいた、野球漫画『巨人の星』が生まれ。TV放送された「アニメ版」は人気が高く、何度も再放送された。そんな時代の野球版をまとめてみました。