元メジャーリーガーのロイド・モスビー!巨人で活躍!!
1959年11月5日生まれ。米国アーカンソー州出身。
右投左打、ポジションは外野手。
ニックネームはShaker。
身長 6' 3" =約190.5 cm、体重 200 lb =約90.7 kg
巨人(読売ジャイアンツ)時代の背番号は、ウォーレン・クロマティも付けていた「49」だった。

巨人時代
【プロ入り】 1978年 ドラフト1巡目(全体2位)
【初出場】 MLB / 1980年5月24日、NPB / 1992年4月21日
【最終出場】 MLB / 1991年10月6日、NPB / 1993年8月28日

ロイド・モスビー
1992年に年俸80万ドル(推定)で巨人入り!
1992年開幕後も所属球団が決まっていなかったところ、読売ジャイアンツと年俸80万ドル(推定)で入団に合意した。なお、クリーブランド・インディアンスからもオファーを受けていたが日本の野球に興味があり優勝できるチームを希望していたため、巨人入りを決めたという。
「オレはデトロイトでもトロント(ブルージェイズ)でも優勝経験がない。東京ジャイアンツは日本で一番歴史があり、一番優勝しているチームだと聞いた。ぜひここでチャンピオンになりたい」とも。
4月12日に来日し、4月21日の対ヤクルト戦でNPBデビューし、この試合でホームランを放っている。

クロマティの次に活躍した巨人の助っ人外国人だった!
同年は96試合の出場ながら打率.306、71打点という好成績を残した。
また、途中入団ながらホームランは25本塁打を記録。
「モスビー効果」を称され、チームが最下位から2位にまで浮上する原動力となった。
11月20日に年俸140万ドル(推定)で残留契約を結んだ。
モスビーのプレースタイル
状況に合わせたチームプレーを行ない、打席や守備位置で常に体を動かす陽気なパフォーマンスでチームメートやファンに好評を博していた。
スイングスピードは非常に速く、低めへの投球にも強いといった特長があった。
研究熱心な点と合わせ巨人のコーチだった中西太から打撃を高く評価されている。
また、俊足・強肩で打球の読みも鋭く、守備範囲が広いため中堅手を主に務めていた。フェンスに激突しながら捕球する場面もしばしば見られた。

サインカード
走塁面ではMLBで通算280盗塁を記録するなど、積極的な走塁も売りだったが、日本では盗塁はそれ程多くはなく、盗塁成功率は低かった。
三振はやや多く、出塁率はやや高いといった具合だった。
1992年9月18日、シーズン終盤に値千金のサヨナラヒット!
【9月18日】1992年(平4) 残ったジャイアンツ 奇跡の5連打 トドメはモスビー(野球) — スポニチ Sponichi Annex 野球 日めくり10年9月
懐かしいモスビーの応援歌!
来日するまでのモスビーの来歴
≪アマチュア時代≫

ブルージェイズ時代の背番号は「15」
≪ブルージェイズ、タイガース時代≫
【プロ野球】名珍外国人列伝 ロイド・モスビー|kii(´・ω・`)chanのブログ

ブルージェイズ時代
1980年代後半から故障を抱えるようになり、万全のコンディションで野球に臨めなくなっていく。
背中と足の故障の影響で徐々に打撃成績を落としていった。
1990年に移籍したデトロイト・タイガースでは目立った成績を残せなかった。
最終的にはモスビーはメジャー12シーズンで1588試合に出場した。
通算成績は6574打席(5815打数)、1494安打(打率.257/出塁率.332)、169本塁打、737打点、869得点、280盗塁だった。

デトロイト・タイガース時代
モスビーは非常に明るい性格で、その陽気さも含め、当時「クロマティ2世」とも呼ばれていた。
懐かしの助っ人外国人「ロイド・モスビー」の特集だった。