ジェームズ・ディーンはLEVI’S?Lee? 演技もファッションも一瞬で釘付けにされる彼の生涯に注目。

ジェームズ・ディーンはLEVI’S?Lee? 演技もファッションも一瞬で釘付けにされる彼の生涯に注目。

デビュー半年後に自動車事故で亡くなったジェームズ・ディーン。彼は二次元でしか存在しないのに、なぜか現代に至っても色あせない魅力があるのはなぜか。


フッションセンス

身長は170cm前後だったと言われているジェームズ・ディーン。ハリウッド俳優の中で、背の高い方ではなかったであろう彼ですが、今でも彼のファッションは色あせずにいます。

ディーンは、独自のファッションセンスの持ち主だったようで、スーツからラフなジャケット、ジーンズ、ウエスタンウエアに至るまでのあらゆる衣装を着こなし、彼の持つ幼さもありながら大人な雰囲気や表情、しぐさが他の俳優やモデルに類を見ない魅力を放っていました。

彼の短いキャリアの中で撮影された写真の多くは、今もなおポスターや雑誌の表紙を幾度となく飾っています。

当時ディーンを撮影した写真家には、フィル・スターン、デニス・ストック、ロイ・シャット、サンフォード・ロスなどがいましだが、中でもデニス・ストックによって1955年初めに撮影された、雨のタイムズスクエアを黒いトレンチコートのポケットに両手を突っ込み、肩をすくめながらタバコをくわえて歩く様子のモノクロスナップは、20世紀を代表する名写真となりました。この写真の誕生前後を描いた物語が「ディーン、君がいた瞬間」として2015年に映画化されています。

そして、よくジェームズ・ディーンが着用していたデニムがリーバイスと勘違いされていますが、映画「理由なき反抗」や「ジャイアンツ」で着用していたのはリーのライダース101です。でも勘違いされても仕方がありません。リーバイスのCMにジェームズ・ディーンが起用されていてイメージ付けがされてしまっていますからね。

また、赤い上着を着たジェームズのポスターなどを目にしたことがあると思いますが、こちらも「理由なき反抗」で着用していて、マクレガー社の防寒用上着「ナイロン・アンチフリーズ」です。

マクレガー社の赤いジャケット

ジェームズ・ディーン - Wikipedia

生い立ち

ジェームズ・バイロン・ディーン、愛称ジミー。

彼は、1931年2月8日アメリカ、インディアナ州マリオンで誕生しました。父はウィントン・ディーン、母はミルドレッド・ウィルソンです。母親は、ジェームズが9歳の時に癌で亡くなってしまいます。その後父親は再婚することとなり、ジェームズは父親の姉夫婦であるウィンスロー夫妻と祖父母に預けられ、育てられました。

生前、母ミルドレッドは芸術を愛しており、ジェームズに詩を朗読してあげたり、ダンスを習わせたりしていたそうです。また、育ての親であるウィンスロー夫妻もジェームズに教会での詩の朗読を勧めたそうで、演劇などに興味をもったのもこのお陰のようです。

俳優への道

高校時代は、校内演劇や朗読会などで舞台に立ち才能を輝かせていました。「全米高校弁論大会」へ出場すれば優勝するほどだったのです。ジェームズは演劇の虜となっていましたが、彼はスポーツにも熱心に取り組んでいました。バスケットでは得点王になり、野球では優秀選手、陸上の棒高跳びではチャンピオンにもなっています。

18歳になったジェームズは、演劇を学ぶためカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の演劇科へ進みました。大学で演劇を学びながら舞台やコマーシャルなどに出ていたのですが、更に俳優としてのキャリアを追い求めるために大学を中退してしまいます。

その後ニューヨークに移ったジェームズは、いくつかのテレビ番組(DangerやGeneral Electric Theaterなど)に出演していました。この頃よりアンドレ・ジッドの「背徳者」に心酔し、ハリウッドへ行き、映画スターとなることを夢見るようになったのです。

そんなジェームズは「底抜け艦隊」等の映画の端役をいくつかこなした後、転機が訪れます。1955年「エデンの東」のキャル・トラスク役で初主役し、アカデミー賞の主演男優賞にノミネートされたのです。この後、続けざまに同年「理由なき反抗」で主役を、「ジャイアンツ」で準主役を演じ、またもアカデミー賞にノミネートされることとなりました。

ジェームズの人柄

順風満帆とも言える学生時代を過ごしたジェームズですが、その一方で、生まれながらにして存在していた父親との確執、幼少期に経験した「彼の唯一の理解者」であった母親の死、そしてその後の牧師からの性的虐待や自身の性的マイノリティへの葛藤など、その後ろ向きな生き方は彼の心に暗い影を落とし、常に不安感や孤独感に苛まれていたようです。そんな状況にあった彼が高校時代に出会った書物が「星の王子さま」であり、「心で見なければものごとはよく見えないってこと。大切なことは目に見えないんだよ」という言葉は、以後彼の信条となっています。

ジェームズの演技には、模範的な演技や台本にとらわれないアドリブが多く、演技に対するストイックさが、他の役者仲間から「異端児」と呼ばれる理由でもあるようです。特に「理由なき反抗」では1950年代の若者の鬱屈や反抗を端的に表現したため、同時代の多くの若者は彼をモデルにしたほどでした。

また、愛煙家のジェームズは、写真の多くはタバコが共に写っています。特にくわえタバコを好んでいたそうです。

出演作品

1955年の作品「エデンの東」は、ジェームズ・ディーンほか、ジュリー・ハリス、レイモンド・マッセイ、ジョー・ヴァン・フリート、リチャード・ダヴァロス、バール・アイヴスなどが出演しています。原作はジョン・スタインベックの同名小説で、その後半部分をポール・オズボーンが脚色したものとなっています。

この作品が、ジェームズにとって映画初出演となりました。主演を演じ名実ともにスターの地位を不動のものとしたのです。
主演を務めたジェームズは、不仲の父アダムを演じた俳優にわざと嫌われるようにするため、撮影期間中ろくに挨拶もしないなど横柄な態度をとっていたそうで、父役の俳優に本気で怒られたというエピソードが残っています。

こちらも1955年の作品「理由なき反抗」。ジェームズが主演の作品です。ニコラス・レイの原作、監督作品で、作中の若者達のチキンゲームが話題となり、題名が当時の若者たちを表す代名詞として流行語になりました。

舞台は、ロサンゼルスのグリフィス公園内にある天文台で、この映画によって天文台が広く世界に知られたことを記念して、天文台の館外にジェームズ・ディーンの胸像が建てられています。

この作品は、1955年10月26日に初公開されたのですが、ジェームズがこの公開の約1ヶ月前の9月30日に交通事故により死去しているのです。

1956年公開の「ジャイアンツ」にも、ジェームズは主演として出演しています。エドナ・ファーバーによる小説を映画化し、テキサス州の牧場に住む家族の約30年に及ぶ人間模様を描いたスペクタクル映画で、ジョージ・スティーヴンスが監督し、ジェームズ以外にロック・ハドソン、エリザベス・テイラーが主演しています。

ジェームズは、撮影終了1週間後の1955年9月30日に交通事故で急死したため、本作が遺作となりました。撮影時に上手く録音されなかった一部のジェームズの声をニック・アダムスが吹き替えという形で代演しています。

ジェームズの「死」

彼は、1955年9月30日、24歳という若さでこの世をさりました。芸歴はわずか4年間、主演俳優になって半年足らずという短いキャリアでした。その死は多くの同世代の人々に暗い影を落とし、彼の大規模な公開葬儀は、ディーンを時代を超えた青春の象徴とするに等しいものとなっています。

彼の「死」の原因は交通事故です。

ディーンは、16歳のとき叔父から与えられた1946年製のオートバイWhizzerから車好きになり、後にスポーツカーMG-TFを所有します。休日になると地元のカーレースに出場するほど本格的になり、レーシングドライバーのケン・マイルズとパームスプリングスで優勝争いを繰り広げたこともあったそうです。あまりの危険性に配給会社のワーナーは、「ジャイアンツ」の撮影に向けレース活動を禁止していました。

ですが、「ジャイアンツ」の撮影終了からわずか1週間後にサーキットに向かう途中で事故を起こし、この世を去ることになります。デビュー半年後にこの世を去った彼は、ハリウッドの世俗の垢に呑まれずに生き、ある意味幸運だったのかもしれません。

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