プロ野球ファンの半分は【巨人】ファンといってもよいほど、往年の巨人の存在感は比類なきものでしたね。
【桑田真澄】正確なコントロールと、計算された組み立てで野球人生を歩み続ける男!
174cm、80kgという野球選手としてはけっして恵まれた体格とは言えない桑田真澄。そんな桑田がどのようにしてPL学園の黄金時代を築き、名門巨人軍のエース背番号「18」を21年間に渡り背負ってきたのか。彼の野球人生を振り返り、その時々のエピソードを見てゆくと「桑田真澄」という男の野球哲学が浮き彫りになってくる!
凄まじい切れ味の「カミソリシュート」を武器に、大洋ホエールズのエースとして通算201勝を挙げた平松政次。その201勝のうち51勝が巨人からの勝利であり、長嶋茂雄が最も苦手としていた投手だった。
現役時代、土井正三コーチに「監督に調子を聞かれたら嘘でもいいから必ず絶好調と答えろ」と言われたのがきっかけで、どんなときでも必ず「絶好調!」と答えるキャラクターが定着。ON引退後の巨人のスターとして、「絶好調男」「ヤッターマン」の愛称で親しまれた。ただ、当時から本当はどちらかといえば根暗な性格だったそうである。
【工藤公康】アイドル顔負けの人気を誇った80年代から「優勝請負人」を経て球界を代表する「鉄腕」と称された現役晩年までを追う。
「工藤公康」と聞いて、あなたはどの球団時代を思い出しますか。私はやっぱり西武時代の工藤が印象に残っています。西武黄金時代を東尾修や渡辺久信・郭泰源・松沼博久らと支えた工藤、その後の優勝請負人としてのキャリア、鉄腕とまで称された晩年まで振り返ります。
【巨人・篠塚和典】華麗な守備、芸術的な流し打ち!憧れのプロ野球選手でした!!
篠塚和典の華麗なプレーはよく憶えています。憧れのプロ野球選手と言えば、私の場合は間違いなく篠塚を挙げました。美しい広角打法は後に続く野球選手にも慕われるほどのものでした。イチローはいまでも篠塚モデルのバットを使っているといわれています。
王貞治氏がお菓子のホームラン王『ナボナ』の名誉大使に就任していた。
ソフトバンク球団会長の王貞治氏が、お菓子のホームラン王『ナボナ』の名誉大使に就任。懐かしいCM動画と共にナボナの歴史を振り返る。
1974年夏の甲子園。鹿児島実のエースとして出場した、元巨人投手の定岡正二氏(58)は、準々決勝で原辰徳氏(巨人監督)東海大相模(神奈川)を倒して人気爆発!甘いルックスで、女子学生たちに大フィーバーを巻き起こした。あれから40年、定岡選手の様なイケメンはなかなかいない。当時の人気ぶりを検証して、まとめてみました。
V9戦士・南海、巨人、日本ハムなどで内野手として活躍した【富田勝】が死去
南海(現ソフトバンク)や巨人などで内野手として活躍した富田勝(とみた・まさる)氏が死去。全球団本塁打を達成するという偉大な記録を作っています。
【ゼッコーチョー!】目下首位独走中!!いまこそDeNA指揮官、”男”中畑清を語ろう
中畑清、2015年シーズン5月時点でセ・リーグ首位独走中のDeNA指揮官。でも私たち世代にはいまもジャイアンツ時代の絶好調男のイメージが強いですね。決して明るいだけじゃない、”男”中畑清をいまこそ再確認しましょう。
【モヒカンを反省!】巨人・澤村がモヒカン頭を反省!球団内外から大不評
巨人澤村がなんとモヒカンに!しかしたちまちクレームが入ってしまったとか。ソフトモヒカンではダメだったのかしら?そういえばモヒカン頭ってどんな人がやってましたかね?
もう一度見たい!沢村賞を3回受賞した平成の大エース「斎藤雅樹」
80~90年代のプロ野球で圧倒的なピッチングを見せた平成の大エース「斎藤雅樹」の功績を振り返る。
夜8時代のテレビといえば、プロ野球中継。 チャンネル権なんという、謎の権利が存在し、ほとんどの家庭では父親が権利を獲得していた時代。 テレビから流れてくる選手の応援歌を口ずさみながら応援していた少年時代を思い出してください!!