そ~れゆっけ、それゆけ篠塚!
1981年には.357という高打率!!
篠塚和典
銚子商業高校時代は甲子園で優勝
巧みなバットコントロールと華麗な守備
記録以上に華麗な守備や芸術的と言われた流し打ちに代表されるバッティング、プレースタイルがファンの記憶やプロ野球選手の憧れとして評価される選手だが、81年の.357という高打率は巨人の日本人野手として73年の王(.355)、61年の長嶋(.353)の記録を凌ぐ、高打率。
長打を狙うバッティングに瞬時に切り替えたり、広角に打球を操る器用な選手で、進塁打は打てたものの、バントなどを売り物にしてはいなかったため、制約のある2番バッターを任された1985年・1986年は打率.307、.291と成績を落としている。
85年に犠打26を記録しているが、チームは3位で貯金1であり、前年の首位打者にこれだけの送りバントをさせる采配がよいのか議論になった。しかし、85年は阪神の優勝で沸いたため、大きな議論にはならなかった。
逆に、自由度の高かった1984年には.334で首位打者を獲得。87年の首位打者獲得時もチームは優勝している。
1987年に広島の正田耕三と同率で2度目の首位打者を獲った。同率での首位打者はセ・リーグでは初の出来事であった。両リーグを合わせても1969年の東映の張本勲と近鉄の永淵洋三につぐ2度目。
いずれも打率は.333だった。正田とは同じ二塁手で、ベストナインが注目されたが、チーム順位・安打数・本塁打数が上回る篠塚が受賞した。
公式戦の通算打率は.304を記録しており、オールスター戦での通算打率も.327(55打数18安打)を残している。日本シリーズでも1987年に打率.409を記録するなどしているものの、シリーズ通算打率は.292(106打数31安打)で、あと1本安打を放っていれば、公式戦、オールスター戦、日本シリーズ全てで通算打率3割を達成できていた(この記録を達成している選手は日本プロ野球では2012年現在長嶋茂雄のみ)。
ファッションリーダーとしても鳴らしました
エピソード
イチローは篠塚モデルのバットを使用しているとされています