巨人に関する記事

プロ野球ファンの半分は【巨人】ファンといってもよいほど、往年の巨人の存在感は比類なきものでしたね。


【スター選手の引退試合・ジャイアンツ編】(江川・西本・中畑・原)

【スター選手の引退試合・ジャイアンツ編】(江川・西本・中畑・原)

スター選手の引退試合、現役最後の試合をまとめています。ここでは読売ジャイアンツで活躍した選手の引退試合を紹介します。毎年何百人というプロ野球選手が入団し、そして引退していきます。「私、引退します」と言ってプロ野球生活に別れを告げられる選手はほんの一握り、更に言えばこの様な「引退試合」「引退セレモニー」を行える選手などはごく一部。そんな特別な選手の特別な試合をどうぞご覧ください。


巨人・モスビー!1992年はモスビー効果と称された活躍をした!

巨人・モスビー!1992年はモスビー効果と称された活躍をした!

メジャー通算169本塁打を引っ提げ、巨人入り。優勝を目指せるチームを探し、巨人に辿り着いたモスビー。陽気なキャラはクロマティ2世とも言われた。1992年のモスビーはデビュー戦でホームランを放つなど印象に残る活躍が多かった!


負け犬サダ・定岡正二!生ダラでセナ、とんねるず石橋とのカート対決!

負け犬サダ・定岡正二!生ダラでセナ、とんねるず石橋とのカート対決!

90年代とんねるずの生ダラでブレイクした「負け犬サダ」こと巨人のドラフト1位だった定岡正二。へなちょこと称され、高校時代のアイドル的扱いとは違った扱いをされた。天然ボケのキャラは同時期に生ダラへ出演していた輪島功一、輪島大士らと共に愛された。


巨人・岡崎郁!1989年近鉄に3連敗後の4連勝で日本一!その立役者だった!

巨人・岡崎郁!1989年近鉄に3連敗後の4連勝で日本一!その立役者だった!

巨人(読売ジャイアンツ)のレギュラー岡崎郁(おかざきかおる)。オープンスタンスでの勝負強いバッティングから篠塚二世と呼ばれた。岡崎郁は近鉄との日本シリーズで活躍し、90年代前半まで巨人軍の勝利に貢献した名選手だった。


【1989年日本シリーズ】近鉄・加藤の「たいした事ねえ」⇒巨人・駒田の「バーカ」はあまりにも有名!

【1989年日本シリーズ】近鉄・加藤の「たいした事ねえ」⇒巨人・駒田の「バーカ」はあまりにも有名!

1989年日本シリーズ。近鉄3連勝からの巨人4連勝という稀に見る激闘は、歴史に残る因縁対決としていまだに語り継がれていますよね。リアルタイムで見ていた私はテレビに向かって「え、ばかって言ってるよ!」なんて騒いでました。


巨人で活躍した投手ガリクソン!息子の名前に「クワタ」と名付けた!

巨人で活躍した投手ガリクソン!息子の名前に「クワタ」と名付けた!

80年代後半、巨人の投手で印象深いビル・ガリクソン。巨人入り前はメジャーでも大活躍していた選手で巨人での年棒は2億円とも!桑田真澄とも親交が深く、息子のミドルネームにクワタと名付けた。二人の熱い友情エピソードも特集する!


【松本匡史選手】青い稲妻と呼ばれた巨人軍不動のトップバッター

【松本匡史選手】青い稲妻と呼ばれた巨人軍不動のトップバッター

俊足巧打、そして守備も抜群に上手い。青い手袋を身につけていた事から 「青い稲妻」と呼ばれた松本匡史選手は、正に理想的な一番打者だった。 1980年代の巨人軍を支えた松本選手の球歴を振り返る。


改めて松井秀喜選手の5打席連続敬遠とドラフトを振り返る

改めて松井秀喜選手の5打席連続敬遠とドラフトを振り返る

松井選手についての記事を書こうとしたら、エピソードが多すぎたので、とりあえず「巨人に入団するまで」を振り返る事にしました。怪物と呼ばれ全国的に有名となった高校時代。「五打席連続敬遠」や巨人に入団するドラフト会議までを振り返ります。


「チュウ」と呼ばれた男・村田真一の現役時代を改めて振り返ろう!

「チュウ」と呼ばれた男・村田真一の現役時代を改めて振り返ろう!

2008年「あの人」が巨人の打撃コーチに就任することが発表されると「あの人打撃コーチやるほど現役時代打ってたっけ?」と巨人ファンから驚きの声が上がりました。 そんな「あの人」村田真一さんの現役時代を改めて振り返る。


【90年代巨人】偉大なる先発三本柱、槙原寛己・斎藤雅樹・桑田真澄を振り返ろう!

【90年代巨人】偉大なる先発三本柱、槙原寛己・斎藤雅樹・桑田真澄を振り返ろう!

90年代巨人を支えた偉大なる先発三本柱といえば槙原寛己・斎藤雅樹・桑田真澄。とくに1989~1999年の11年間、3人はいずれも100勝以上の白星をあげる活躍を見せた。そんな3投手について振り返りたい。


どうしても巨人が好きで仕方がなかった元木大介。

どうしても巨人が好きで仕方がなかった元木大介。

福岡ダイエーのドラフト1位指名を蹴って1年間のハワイ留学を選んだ元木大介、当時は印象に残りました。1年後に指名される保証もないのにと。巨人が好きで巨人で現役を終えた元木、いまではタレントとして活躍。そんな元木の経歴を振り返ります。


松井秀喜が「リアル野球BAN」再挑戦! 石橋貴明がNYに乗り込んだ!

松井秀喜が「リアル野球BAN」再挑戦! 石橋貴明がNYに乗り込んだ!

松井秀喜と石橋貴明が再び「リアル野球BAN」で対決する!現役時代はゴジラと呼ばれ、巨人とニューヨークヤンキースで活躍した松井秀喜がとんねるず石橋貴明をニューヨークで迎え撃つ!テレビ朝日系『とんねるずのスポーツ王は俺だ!! 』の特番で放送。


二軍の帝王・大森剛!二軍で本塁打王3度!日本シリーズでは活躍も!

二軍の帝王・大森剛!二軍で本塁打王3度!日本シリーズでは活躍も!

1989年のドラフトで巨人から1位指名を受けた大森剛。入団後は「二軍の帝王」と呼ばれる程に、二軍での活躍が目立ったが、1996年の日本シリーズでは2本のホームランを放ち、存在感をみせた。近鉄時代や引退後のスカウトでの働きも追う!


巨人軍の「鬼寮長」武宮敏明!堀内や西本、篠塚らを厳しく指導!現役時代は捕手でした!

巨人軍の「鬼寮長」武宮敏明!堀内や西本、篠塚らを厳しく指導!現役時代は捕手でした!

皆さんはご存知でしょうか?巨人軍の鬼寮長・武宮敏明を!V9時代の選手や80、90年代に活躍した選手とのエピソードが満載!巨人の強さを裏から支えた人物でした。


親父は偉大?いや、息子が凄い?プロ野球の親子鷹!

親父は偉大?いや、息子が凄い?プロ野球の親子鷹!

長嶋一茂さんや野村克則さんは明らかに父親が偉大すぎた感じですが、実は結構いる日本プロ野球界の親子鷹。 父の背中を見て育ったからこそ選んだプロ野球への道なんでしょうか。


悪太郎・堀内恒夫!態度の大きい新人投手は沢村賞を獲得!HRの多い投手でしたね!

悪太郎・堀内恒夫!態度の大きい新人投手は沢村賞を獲得!HRの多い投手でしたね!

堀内恒夫。巨人軍のV9を支えた大エース背番号「18」。夜遊びを続けた悪太郎。しかし、成績は落とさずに200勝投手になりました!


90年代巨人正捕手・チュウこと村田真一!死球や10.8の活躍が思い出深いですね!

90年代巨人正捕手・チュウこと村田真一!死球や10.8の活躍が思い出深いですね!

藤田、長嶋両監督の元で捕手を務めた村田真一。勝負強いバッティングも魅力でした。彼の男気溢れる現役時代を振り返ります。


【角三男】と言えば、サイドスローの魔術師!左バッターは恐れた存在です。

【角三男】と言えば、サイドスローの魔術師!左バッターは恐れた存在です。

80年代の巨人を担った一人で、抑えの切り札の一人でした。左バッターが出ると、必ず角が登場していたような記憶があります。そんなサイドスローの名手角三男の凄さに迫ります。


【ロベルト・ペタジーニ選手】ゴジラ松井に打ち勝った「最強助っ人」の一人

【ロベルト・ペタジーニ選手】ゴジラ松井に打ち勝った「最強助っ人」の一人

1998年に来日したヤクルトたぺタジーニ選手は、来日1年目から松井秀樹と壮絶な本塁打王争いを繰り広げる。松井選手が大リーグに行った後は読売ジャイアンツ、晩年はソフトバンクに在籍。3球団で活躍した彼の球歴を振り返る。


背番号1/2 「アニメ・ミラクルジャイアンツ童夢くん」 落合等実在の選手が登場し、数々の魔球も飛び出す小学生ピッチャーの物語です!

背番号1/2 「アニメ・ミラクルジャイアンツ童夢くん」 落合等実在の選手が登場し、数々の魔球も飛び出す小学生ピッチャーの物語です!

1988年連載開始、翌1989年からテレビアニメとして放送が開始された「ミラクルジャイアンツ童夢くん」。当時の野球離れを危惧して製作された本作。次々と編み出される魔球が面白くて見入ってしまった野球アニメです。