元木大介
ユーティリティープレイヤーとして活躍
高校時代はスラッガー
南海ファン⇒巨人ファンに
豊中市立第十二中学校時代、バッティング練習中にあまりに打球を飛ばすので学校が近所への迷惑も考え高いネットを張った。「元木ネット」と言われている。
上宮高校で甲子園に3回出場。1989年の夏の甲子園では1試合2本塁打を放つなど注目された。
高校通算24本塁打。甲子園通算6本塁打は清原和博に次いで歴代2位タイ(桑田真澄と同数)の記録。
端正なマスク、スターと言われた外見とは裏腹に、あまりに唐突な発言の連発でチームの人気者となり、キャプテンに選ばれた。殺到するファンを避けるどころか、気さくな笑顔で手を振って応じるなど、それまでの人気選手の立ち振る舞いとは一線を画していた。別の高校に進学した先輩にもきちんと挨拶に行く等、礼儀正しい選手だった。
3年時の夏は大フィーバーで、大阪大会や甲子園練習には女性ファンが殺到。開会式当日、出場校は球場の外で待機することになっているが、混乱を避けるために上宮だけ隔離されるという異例の措置も取られた。
福岡ダイエーのドラフト1位指名を辞退
巨人からの指名を希望して1年間のハワイ留学
巨人での活躍
めでたく巨人に入団~巨人で引退
オールスターゲームでは、初出場の98年は遊撃手、翌99年は三塁手のファン投票で選ばれるも、98年は代打のみ、99年は二塁手で試合に出場。
2000年9月24日東京ドームでの中日ドラゴンズ戦で「2番・左翼手」として先発出場し、8回まで被安打5・無四球無失点と、好投を続けていた前田幸長からライト前ヒットで出塁、2番手エディ・ギャラードから江藤智が同点満塁弾、二岡智宏がサヨナラホームランを放ち、巨人が4年ぶりにリーグ優勝を決定する口火を切った。
2003年以降は度重なる故障に悩まされ、2005年は堀内恒夫監督のチーム若返りの方針により後半戦は戦力構想から外れて2軍生活を送ることとなり、活躍の場を失った。その年の9月に戦力外通告を受ける。
オリックスや楽天などから入団の誘いがあったものの、浪人してまで巨人入団を1年待った経緯もあり、「ジャイアンツが好きだから、入団したときからこのチームでいらないと言われたら辞めようと決めていた」と33歳の若さで現役を引退。
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現役時代、大石恵と浮名を流したことも
大石恵といえばニュースステーションのお天気お姉さん、いまは「L’Arc〜en〜Ciel」hydeの奥さん。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
引退後はタレントとして活躍
清原の子分と呼ばれる
奥さんは大神いずみ
元日テレアナウンサーの大神いずみ
バラエティでもユーティリティープレイヤー
バラエティ向き?な元木大介
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