試合や練習だけでなく、私生活の面からも選手育成を行う巨人軍。
若手選手が生活した多摩川寮で、「鬼寮長」と呼ばれた武宮敏明をご存知ですか?
実は巨人の選手としても活躍した人物でした!
1940~50年代に巨人の正捕手だった武宮敏明

入団の翌1948年から正捕手となりました。
その年の10月3日対阪神戦でランナーの藤村富美男から体当たりを受け、脳震盪を起こします。
ランナーが捕手に体当たりをかけたのは日本のプロ野球ではこれが第1号と言われていて、武宮はその最初の捕手となりました。
1953年から寮長となった!

武宮敏明 - フレッシュアイペディア
「湯口事件」とは?
湯口事件は、巨人にドラフト1位の投手として入団した湯口敏彦が、1973年3月22日に急死したことをきっかけに、監督の川上哲治はもとより、球団全体へのバッシングに発展した事件です。
練習や試合中に体罰や過度な精神的ストレスが与えられ、うつ病を患ってしまった湯口。
それから入退院を繰り返し、1973年に病院のベッドで死亡しているのが見つかりました。
死因は心臓麻痺との発表でしたが、うつ病とはいえ、身体は元気だった湯口の死因に好奇の目が向けられ、自殺ではないかと雑誌などによるバッシングが相次ぎました。
武宮敏明 - フレッシュアイペディア
武宮寮長のエピソード

武宮敏明 - Wikipedia
「悪太郎」こと堀内恒夫との対決
武宮は一度寮長を退いていましたが、悪太郎の異名を持つ堀内恒夫の入団により、再度寮長の職に就きます。「手に負えない悪太郎に対抗するには、鬼の寮長・武宮しかいない」という理由からでした。
悪太郎vs鬼の寮長の対決は伝説になっています。
門限破りの常習犯の堀内に対し、一貫して厳しい指導を行いました。
ある日、朝6時に帰ってきた堀内を、武宮は竹刀でバシバシと叩きます。
寮長部屋のマイクスイッチが切られていなかった為、その激しい音が寮中に響き渡ったそうです。
しかし、堀内も負けじと風呂場に隠れたり、知恵を絞って門限を破り、朝帰りを繰り返したそうです。

寮長を引退後

2010年1月15日午後8時48分、急性すい炎の為、都内の病院で死去。88歳でした。
当時の巨人軍監督の原辰徳は「巨人愛を強く持っていた方」とコメントしています。