藤田、王時代の巨人軍投手をリードしてきた男。山倉和博。

山倉和博(やまくら かずひろ)
山倉和博の獲得タイトルや主な表彰と記録
MVP:1回 (1987年)
ベストナイン:3回 (1981年、1983年、1987年)
ゴールデングラブ賞:3回 (1981年、1983年、1987年)
オールスターゲームMVP:1回 (1981年第3戦)
オールスターゲーム出場:8回 (1981年 - 1987年、1990年)
3イニング連続本塁打:1985年7月12日、対阪神タイガース戦(後楽園球場)、6回から8回にかけて2ラン、ソロ、3ラン ※NPB史上6人目
山倉和博のプレースタイルは?

意外性の打撃を売りにする名捕手
とにかく8番で走者一掃の本塁打を放つのが魅力な選手で、捕手でそこまでの長打を放つのは当時は山倉以外はいなかったでしょう。
長打だけではなく、リード、肩でも見せる選手でした。
その意外性は、野球観戦でも見れたし、ファミスタでも見れた一面でした。
山倉和博のプロに入るまでの軌跡
山倉和博 - Wikipedia
80年代の巨人軍の正捕手として君臨する
1977年にドラフト1位で巨人軍に入団。長打力が魅力な選手で、守備、リードと素晴らしいセンスを持った選手ですが、打撃の不安定な要素が短所な選手です。
規定打数に達する選手でありながら、打率2割以下の選手は、山倉を最後に一人も存在しないほど珍しい選手である。
あの大谷翔平より悪い打撃成績なのである。
そんな投手が二打席続くような選手は、1980年、プロ3年目のシーズンから8年連続で100試合以上に出場するほど、巨人の正捕手として君臨するのであった。
それだけ、打率よりも高いリード能力、そして長打力と意外なところでの適打を認められていたということでしょう。
実際に、捕手でありながら3イニング連続本塁打も放っているのだ。8番打者にこんな風に打たれたら、相手ピッチャーもどう対処すればいいかわからないでしょうね。
1987年のシーズンは、打率.273と山倉としては素晴らしい打率で、本塁打も22本塁打を放っている。その年は、敬遠がリーグ1位の24敬遠と記録していることも、恐怖の8番バッターだったということはわかってもらえるでしょう。
山倉のリードは、野村や古田のようなピッチャーにここへ投げてと指示を出すリードではなく、5種類ぐらいのコースを提示して、どこへ投げる?って、問いかけるタイプだったようです。
当時の巨人軍は、江川、西本と素晴らしい投手がいる中のリードなので、この投手中心のリードがマッチしたのかもしれません。
実際に、江川は山倉さん以外なら対立していたかもしれませんと発言してるほどです。
巨人軍の中心選手であるからこそ、こんなCMにも出演していました。
1988年のシーズンには、自らの怪我や、中日の正捕手、中尾孝義の加入や、村田真一の成長など後身がどんどん成長してきたことも相まって1990年に現役を退きました。
引退後の山倉さんはどうした?
山倉和博 - Wikipedia
巨人の女房はこんな本も出していました。
プロ通算13年間で、打率.231と低い打率であるが、あのバースでさえ敬遠数は最高18の中、山倉は24も敬遠されています。次打者が投手であるという点もありますが、それだけ長打を恐れていたのでしょう。
そんな巨人の捕手を、またグランドで見たいものです。