こんな時代にこそポジティブに生きる力を。テレワークが主体となった現代社会、体と心を自ら整えることは非常に大切です。多くのビジネスエリートが取り組んでいる「ファイトネス」主宰の大山峻護さん。総合格闘技の世界で数多の死線を乗り越えた末に編み出したメソッドをぜひ体験してください。
こんな時代にこそポジティブに生きる力を。自分の心をポジティブにコントロールするための、とても分かりやすいストレッチ本が登場です。執筆したのは元・総合格闘家の大山峻護さんと明治大学教授の堀田秀吾先生。度重なる死闘の度に自らを奮い立たせるために編み出したストレッチは「体で心をポジティブにコントロールする」出来る術となりました。
2000年以降、極真の分裂は沈静化。いろんなことがあったが、結局、みんな極真空手が好きだった。
大山倍達没後、2年目。一見、クールだが一番ガンコな松井章圭 vs 不屈の男、三瓶啓二。
1994年、大山倍達没後 激動の1年。
1994年に大山倍達が亡くなられる前年(1993年)までを、その後に起こる分裂騒動のキーマンを中心にまとめ。
格闘道イベント「敬天愛人」とは?鹿児島で産声を上げる格闘道の発起人、菊野克紀選手に伺った。
数多くの格闘技が共存共栄する日本。ときにブームに沸き、ときに存続の危機に立たされる世界で、格闘家は黙々と 己との闘いを刻み続けている。そんな格闘技を通じて体得出来ることを「格闘道」として広く発信しようと取り組む 菊野克紀選手。格闘家としての頂点をみた男の大いなる挑戦に耳を傾けていただきたい。
黒澤浩樹 圧倒的な空手家 驚異の下段回し蹴り 格闘マシン ニホンオオカミ 反骨の戦士
他の一切を拒否し「最強」を目指すことのみに生きた男。 敵の脚と心をへし折る下段回し蹴り(ローキック)。 ルール化された極真空手の試合においても、ポイント稼ぎや体重判定、試割判定で無視し、倒すこと、大きなダメージを与えることを目指す姿は、まさに孤高のニホンオオカミ。 また指が脱臼し,皮だけでぶら下がっている状態になったり、膝の靱帯が断裂しグラグラになっても、絶対に自ら戦いをやめない格闘マシン。 総合格闘技やキックボクシング(K-1)への挑戦し戦い続けた反骨の戦士。 黒澤浩紀は、最期まで退くことを知らず死んでいった。
角田信朗 冷徹なリングでモロに感情を露出させる愛と涙と感動のファイター!
K-1や空手のトーナメントでの優勝経験ナシ。 なのに正道会館の最高師範代であり、メディアへの露出度も多い。 特筆すべきは彼の試合は、その人間性や感情があふれ出てしまうこと。 これは選手としても、レフリーとしてもそうで、インテリとむき出しの感情を併せ持つ愛と涙と感動の浪花男なのである。 最近、ダウンタウンの松本人志との騒動が話題になり、角田信朗の人間性を批判する人もいるが、私はその批判している人の人間性を疑っています。
そんなに大きくない体。 あまり太くない筋肉。 哲学者的風貌。 そしてシンプルすぎる戦い方。 これで世界最強の男なんてありえない。 でも (カビラジェイ風に)あるんです。
あくまで最強の男を目指し、「闘志天翔」というテーマと、「1位.夢、2位.健康、3位.お金」という人生価値観を実践し続ける男。 空手を武器に総合格闘技のリングにも立った空手バカ一代男は、90年代の格闘技ブームの立役者となった。 批判されることもあるけど、ほんとうに強いし、ほんとうにナイスガイ。 間違いなく格闘技ヒーローである。
日本クルーザー級のパイオニアとしてその名を轟かせた西島洋介山を知らない人はいないだろう。手裏剣パンチを武器に闘った地下足袋ファイターは、そのボクサー人生の多くをアメリカで過ごした。またボクサーとして現役を退いた後には、日本国内で総合格闘技やキックボクシングにも出陣することに。様々なバックボーンを持ったファイター達とリング上で相見えてきた西島洋介山、孤高のボクサーはその拳にどんな想いを乗せて闘っていたのだろうか。
PRIDEからHERO'S、パンクラスと格闘家の道を歩んだ大山峻護、40歳を超えてのプロレスチャレンジ!
柔道一筋の学生時代からPRIDE、HERO'S、パンクラスと格闘家としての道を歩み続けた大山峻護。眩いばかりのスポットを浴び、ときに峻烈極まる罵声に晒された彼は40歳でその格闘家人生を終え、いまはトレーニングプログラム「FIGHTNESS」を提唱して日々躍動中。そんな中、なんと42歳にしてプロレスにチャレンジするという彼に話を伺った。
2002年、PRIDE.23で引退した高田延彦の「出てこいや!」は決してギャグでなく、90年代Uインターを知る者の涙を誘う名シーンだった!
2002年11月24日、PRIDE.23のリングで引退した高田延彦。このとき引退試合の相手を務めた田村潔司への試合後のマイク「お前、男だ!」、そして大会ラストの「Uインター、上がってこいや!」はどちらも流行語となり、以降の高田は「出てこいや!」を持ちネタにすることとなります。しかし90年代Uインターを観ていた者にとって、この時の「上がってこいや!」はギャグなどでなく胸が熱くなる、そして涙を誘う名シーンであったことを忘れてはなりません。
元K-1ファイター西島洋介をダイエットサービスのトレーナーに起用!
元K-1ファイターであり、ボクシングの元クルーザー級世界王座の西島洋介が、ダイエットサービス『BB7』のパーソナルトレーナーに起用されました。本稿では西島洋介山と名乗っていた90年代の活躍もご紹介します。
谷津嘉章の熱闘10番勝負!鶴龍との対決・本気のブロディ・五輪コンビ・グッドリッジとの激闘を振り返る
谷津嘉章の熱闘を当時の時代背景を交えながらドラマティックに振り返る。ブッチャー&ハンセンの血祭り事件。キレた猪木。ブロディの本気。PRIDEでグッドリッジと激闘。鶴龍との対決や五輪コンビの活躍などもプロレス的感性で語り尽くす。
かつて「霊長類ヒト科最強の男」と呼ばれた男がいた。その名はマーク・ケアー。UFCとアブダビコンバットを連覇しPRIDEでも破竹の勢いで連勝した男の活躍と転落を動画中心に紹介する。
香取慎吾がベトナム人を熱演!国籍を超えたヒューマンラブストーリー『ドク』
日本語教師を目指した雪とベトナム人留学生のドクの許されない愛をめぐる、ヒューマンラブストーリーです。
1997年高田延彦 vs. ヒクソン・グレイシーと言う歴史的一線から幕を開けたPRIDE。その後、2000年に入ると全盛期となり、大晦日の風物詩にすらなっていました。そんなPRIDEと言えば、壮絶な殴り合いや巧みな関節技の妙技はもちろんの事、いわゆる「煽り」と言われる入場シーンも見せ場の一つだった。曲を聴くだけでテンションアップ間違いなしのPRIDE初期の選手入場曲を紹介します。今、聴いてもテンション上がりまくりですよ!
日本人初のヘビー級世界チャンピオンを期待されたボクサー「西島洋介山」の経歴と現在
日本国内初のクルーザー級ボクサーとして注目を浴びた西島洋介山のボクシング、K-1、総合格闘技の戦績。引退と現在について紹介。