タイソンとゴリとゴジラと角田信朗
角田信朗は静岡県沼津市の大平小学校では、成績はオール5だった。
しかし大阪府羽曳野市立高鷲小学校に転校後、変わってしまった。
「よろしくどうぞ」
関東弁で丁寧にあいさつする少年に大阪は牙をむいた。
自己紹介をして1時限目の授業を受けた後、わざわざ4年6組から角田信朗のいる4年4組まで、マイク・タイソンのような顔をした通称:タイソン桑木とその子分がやってきてメンチを切りながら(にらみながら、ガンを飛ばしながら)いった。
「オカン(母親)にいうなよ」
「・・・・」
角田信朗は恐怖でなにもいえなかった。
この威嚇行為は3日間、休み時間ごとに続いた。
そして4日目の下校後、家にいた角田信朗にお迎えが来た。
「かーくーだーくん、遊ぼ」
玄関にはニヤニヤ笑タイソン桑木が立っていた。
恐怖にすくむ角田信朗を母親は友達ができたことを喜び送り出した。
タイソン桑木と数人に囲まれ角田信朗は歩きだした。
会話は一切なかった。
数分後、角田信朗は袋小路に連れてこられ、いきなりタイソン桑木に殴られた。
そして倒れたところを全員に蹴られ唾をはかれた。
見上げるとみんな笑っていた。
その中には、通称:ゴリと呼ばれていた水谷という女子も混じっていた。
家に帰った角田信朗は玄関に入るなり泣き崩れ、土間を叩いて悔しがった。
以後、チクリ(密告)を警戒したのか、タイソン桑木の威嚇はなくなった。
(大人になってからテレビ番組の企画で角田信朗は彼らと再会。
当時のことを笑い話にして、タイソン桑木とは腕相撲をして勝ち、ノーサイドとなった)
また転校前の学校と、転校後の学校では教科書が違っていた。
以前の学校ですでに習っていたことは問題ないが、自分はまだ習っていないが他のみんなはすでに習っていることもあった。
角田信朗がわからなくても、かまわず授業は進んでいくため、勉強についていけず成績は急落し、通知表にはみたこともない2や3が並んだ。
自信を失った角田信朗は友達をつくらず、休み時間には1人でゴジラの絵を描いた。
周囲も疎み、道徳の時間には
「何故、角田君を仲間外れにするのか」
が議題となった。
(それこそ1番の仲間外れやんか!)
と思いながら黙って下を向いていた。
ブルース・リー
中学生になり、角田信朗はブルース・リーにハマった。
鍛え抜かれた肉体。
ほんもののアクションシーン。
圧倒的な強さと哲学的思想を併せ持つ武道家。
彗星のごとく現れたスーパーヒーローは、たった4本
(未完成の「死亡遊戯」を含めれば5本)
の作品を残し32歳で他界。
しかも死因は謎。
角田信朗は、学生服の白いカラーを外し、金色のボタンを黒色に替え、ズボンの裾に自分でホックを縫い付けて細く足首に巻き付け、学生服をカンフー着に改造した。
すりこぎ2つと鎖を買ってヌンチャクをつくった。
そして回し蹴り、後ろ回し蹴りを練習。
167㎝50㎏のガリガリボディを改造するためブルワーカーを購入した。
そして映画「ドラゴン怒りの鉄拳」のテーマ曲「Fist of Fury」を、中学で習いはじめたばかりの英語力で必死に歌詞カードを読んで歌った。
学生服をカンフー着にし、レコードをかけながらセリフをまねし完全になりきった。
そして学校の授業でも英語が得意になった。
散髪屋で順番待ちをしていたときにみていた週刊プレイボーイに
「ブルース・リーのカラテはねえ、ありゃあ君ぃ、シャモのケンカだよ」
というコメントが見出しに掲載されていた。
「俺の尊敬するブルース・リー先生に何をいう!」
角田信朗は許しがたいコメントの主を紙面に探した。
するとそれは極真空手の大山倍達だった。
ブルース・リーの映画とマンガ「空手バカ一代」によって空手ブームが起こっていた。
中学3年生の角田信朗は、剛柔流空手の通信教育を始めた。
しかし筆記試験でむなしくなり3ヵ月でやめた。
次に有段者になるとカンフー着のような上着を着ることができるという少林寺拳法を習い始めた。
当時の少林寺拳法の試合では「乱取り」と「組演武」があった。
角田信朗は、グローブと胴当てをつけたスパーリングで顔面をボコボコにされた。
ケンカ空手か?人食い熊か?
極真空手をドキュメントタッチで描いた映画「地上最強のカラテ」は大ヒットしたが、角田信朗はブルース・リーのカンフーを「シャモのケンカ」呼ばわりした大山倍達を否定していたので観にいくことはなかった。
「空手バカ一代」のマンガもアニメもみなかった。
しかし「地上最強のカラテPART2」のキャッチコピー「極真ケンカ空手か?人食い熊か?」にやられてしまい、ついに映画館に足を運んでしまう。
2m100㎏のウィリー・ウィリアムが、2m50㎝、320㎏の灰色熊と戦うシーンをみて、ブルース・リー信仰は失せた。
決してブルース・リーを否定するわけではないが極真空手には幻想ではないリアリズムがあった。
すぐにマンガ「空手バカ一代」を全巻揃え、読破。
大山倍達の著書もむさぼり読んだ。
空手バカとなる
角田信朗は奈良県立生駒高校に進んだが、人生の中心は空手バカ一代だった。
極真空手の道場に入る前に
「極真の稽古は地獄稽古」
「黒帯に到達できるのは入門者500人に1人。
時期によっては1000人に1人という狭き門」
という極真空手の稽古に耐えられる体づくりをしなければならないと思った角田信朗は、マンガ「空手バカ一代」の中で大山倍達や芦原英幸が行っていたトレーニングを実践した。
庭に成長の早い葦の種をまいて、毎日、その上を飛び越える訓練を行った。
しかし腰の高さくらいまで伸びると、
「庭が汚ない」
といって母親が苅ってしまった。
両親に買ってもらったバーベルとベンチプレス台をガレージにおいてトレーニングを開始。
ベンチプレスは40㎏からスタートし、重さを少しずつ重くしていく。
やがて挙がらなくなると、キリを持った弟にお尻を刺させた。
「ウギャー」
痛さでバーベルを胸の上に落してしまい死にかけの兄と
「アハハハッ」
と笑う弟だった。
