ビリー・ブランクスの障害と格闘家への道
ブランクスは1955年にペンシルバニア州エリーの貧しい家庭に生まれ、15人兄弟の三男として育った。彼は生まれつきの股関節の異常と失読症による障害に悩まされた。
11歳から空手とテコンドーのクラスに通い、格闘技の訓練を始めた。テレビで見たブルース・リーに憧れ、格闘技の世界チャンピオンになりたいと決心したという。
そして、7 回の世界空手チャンピオン、テコンドーの8段黒帯、カンフー4段黒を取得した。

1975 年のアマチュア アスレチック ユニオンの初代チャンピオン、1984 年のマサチューセッツ ゴールデン グローブ ボクシング チャンピオン、トライステート ゴールデン グローブ チャンピオン オブ チャンピオンズに輝いた。
1980年代は、米国空手チームのキャプテンを務め、国際大会で 30 個以上の金メダルを獲得しています。米国でほぼ 7 年連続でフルコンタクト空手ファイターの 1 位または 2 位にランクされた。

ビリー・ブランクス 男子組手部門3位
特にスティーブ・アンダーソンとの対戦は、格闘技ファンの間で伝説となっている。1980年、世界空手道連盟(WUKO)世界選手権の男子組手部門で3位に終わった。1981年にカリフォルニア州サンタクララで開催された世界大会で米国代表として出場し、男子組手オープン(ヘビー級)で銅メダルを獲得した。
アメリカで殿堂入りした空手家・ビリー・ブランクス
ビリー・ブランクスは300 以上の勝利を収め1982 年に空手の殿堂入りを果たした。1983年には、Karate Illustrated誌の全国チャンピオンと新人王に選ばれた。
1989 年まで Karate Illustrated 誌で国内ランキング入り、1982 年から空手の殿堂入りそした。
1980 年米国オリンピック空手チームのキャプテン、米国空手チームのメンバーを務め、国際大会で 36 個の金メダルを獲得した。

ビリー・ブランクス
1980年代後半、ブランクスはマサチューセッツ州クインシーで空手スタジオを経営しながら、テコンドーとボクシングを融合させた人気のエクササイズ「テボ」を発明した。

ビリーは何て叫んでるのか?
「Here we go!(ヒィウィゴー!)」(さぁ、いくぞ!)
「Good job!(グッジョブ!)」(いいぞ!)
「Walk it up, walk it, walk it!(ウォーキッ アッ!)」
アクション俳優・ビリー・ブランクス
ビリー・ブランクスは、運動能力を生かしたタフガイ役で映画にも出演している。彼の映画出演は、そのフィットネス界での名声をさらに高めた。1988年の映画『ドライビング・フォース』の撮影中、主演女優のキャサリン・バックのボディーガードとして雇われたことがきっかけとなり。『キング・オブ・ザ・キックボクサーズ』や『ブラッドフィスト』。1991年には、映画『ラストボーイスカウト 果てなき生涯』で麻薬中毒のランニングバック「ビリー・コール」の脇役を演じた。
33年の結婚生活に終止符を打ち日本に移住
1974年に空手教室で出会ったゲイル・H・ゴッドフリーと結婚し、ビリー・ブランクス・ジュニアとが生まれる。娘のシェリー・ブランクスは妻の連れ子。シェリーもアメリカのフィットネスの第一人者である。ビリーは別の女性との婚外関係により、2008年に離婚した。

ビリー・ブランクスの元妻
2007年に日本人通訳の佐藤智子と知り合い、2009年に結婚。ビリー・ブランクスは日本に移住した。二人の間には、2008年11月に生まれたアンジェリカという名の娘がいる。
ビリー・ブランクスの現在
ブランクスファミリー、妻子とビリー。

2024年6月8日放送のバラエティー番組「ゲストダイアン」(ABCテレビ)に出演。
俳優の武田真治(51)と「ビリーズブートキャンプ」で一世を風靡した、「ビリー隊長」ことビリー・ブランクス(68)。

ビリー・ブランクス、武田真治
2024年「テボ」カーディオカウント(最大カロリー) エクササイズ
68歳のビリー隊長といっしょに!
「ワン・トゥー・スリー・フォー・ファイブ・シックス・セヴン・エイト!」 .