角田信朗  冷徹なリングでモロに感情を露出させる愛と涙と感動のファイター!

角田信朗 冷徹なリングでモロに感情を露出させる愛と涙と感動のファイター!

K-1や空手のトーナメントでの優勝経験ナシ。 なのに正道会館の最高師範代であり、メディアへの露出度も多い。 特筆すべきは彼の試合は、その人間性や感情があふれ出てしまうこと。 これは選手としても、レフリーとしてもそうで、インテリとむき出しの感情を併せ持つ愛と涙と感動の浪花男なのである。 最近、ダウンタウンの松本人志との騒動が話題になり、角田信朗の人間性を批判する人もいるが、私はその批判している人の人間性を疑っています。


1982年、関西を中心に一大勢力を築き上げた石井和義は、ケンカ十段:芦原英幸の芦原会館から独立し正道会館を立ち上げた。
芦原空手側からみれば、大量の指導員と門下生が引き抜かれ
「クーデター」
といわれた。
角田信朗の道着の胸文字は「極真会」から「芦原会館」、そして「正道会館」へ短期間で変わった。
6月、京都大学、神戸大学、甲南大学、大阪芸術大学、桃山学院大学、松山商科大学、関西外国語大学、関西学院大学という石井和義が指導していた関西の大学が集って「第1回西日本学生空手道選手権大会団体戦」が行われた。
角田信朗は関西外国語大学チームの副将として出場。
1回戦、後ろ回し蹴りを相手の脇腹に炸裂させたが、体がくの字になった相手の顔に右手が当たってしまい、「技あり」と「顔面殴打(反則)」を同時にとられる。
試合が続行され後ろ蹴りを繰り出したが、またしても右手が相手の顔面を直撃し、2コの反則で反則負けとなった。
結局、関西外国語大学チームは4位。
角田信朗は1勝2敗に終わり「反則魔」といわれた。

正道会館は、6か月後の12月に「第1回ノックダウンオープントーナメント西日本空手道選手権大会」を開催。
角田信朗は、1回戦、後ろ回し蹴りを相手の脇腹に炸裂させKO勝ち。
2回戦も勝ち。
3回戦に脇腹に突きを食らってKO負けした。
この関西初のフルコンタクトカラテのオープントーナメント(正道会館にかかわらずすべての他流派や団体に所属する者でも参加を受け入れる大会)は、少年マガジンで大人気だった「1・2の三四郎」でも告知され、立ち見が出るほど大盛況だった。
石井和義の空手というマイナーだったものをメジャーに盛り上げていく才能は、28歳のこの頃からすでに発揮されていた。

石井和義は翌年の1982年10月にいきなり第1回全日本選手権を、しかも西日本最大の収容人数を誇っていた大阪府立体育館で開催。
5000人を超える大観衆が見守る中、1年遅れで芦原会館を退館し正道会館に移籍した中山猛夫が圧倒的な力で優勝した。
角田信朗は1回戦は勝ったが、2回戦の試合前に行われる杉板の試し割りが大会唯一の失敗に終わり、負けた。
この後、角田信朗は、正道会館の全日本大会に連続12回出場することになる。

パンチのある男

大学で教職課程を選択していた角田信朗は、3年ぶりに母校:奈良県立生駒高校に戻り、教育実習を行った。
私語を慎むように注意しても聞かない生徒がいたら、教室の後ろの小さな黒板に拳で穴を空けた。
授業は静かに進行したが、黒板の弁償費は30万円もかかった。

学生時代に納得のいくまで空手をやり抜いてみようと思った角田信朗は1年間大学を休学。
アルバイト先のスポーツクラブでは本格的な競技エアロビクスを行った。
また関西外国語大学ボクシング部キャプテンで、高校ではインターハイ群馬代表にもなった坂井武に出会い、週2回、ボクシング部へ出稽古。
顔面に青タンをつくり鼻血を出しながらパンチのテクニックを習得していった。
また時間が許す限り正道会館総本部に行き、中山猛夫師範に金魚の糞のようにひっつき、左レバー打ち(左ボディブロー)、左レバー蹴り(左ミドルキック)でガードを下げさせ顔面を蹴って倒すという技術を盗もうとした。

正道会館神戸支部長

しかし角田信朗は、第2回全日本大会、第3回全日本大会を共に3回戦で敗退。
第3回全日本大会では、関西外国語大学でも道場でも後輩の佐竹雅昭が全日本初出場でベスト4に入るのを目の当たりにした。
1年休学して5年間、大学に通って空手に専念した角田信朗は就職を考え始めた。
教員採用試験は受けなかったし、大学からもらった大手の一流商社の話は、
「ウーン、商社マンか。
少なくともクマを倒すような空手家になることは無理だな」
と断った。
角田信朗はできるだけ空手に携わって生きていく方法の1つとして、アルバイトをしていたエグザスへの就職を考えていた。
しかしそんなときに正道会館が神戸支部をオープンさせることになり、その支部長にならないかという話が舞い込んできた。
「空手に専念して食っていける!」
角田信朗は2つ返事で受けた。
そして1985年3月、英語教員免許を取得し関西外国語大学を卒業し、4月には正道会館神戸支部長に任命され、単身神戸に赴いた。
道場は神戸三宮の新築テナントビルの3階を借り切り、道場スペースとトレーニングスペースを併設した立派で近代的なものだった。

この正道会館神戸支部の道場にはオーナーがいた。
谷本竜子。
「20歳のときにケニアのナイロビ空港を計画した」
「阪神高速道路を計画したのはウチや」
「南紀白浜サファリパークを造ったんはウチや」
などという謎の、任侠っぽい60歳前後と思われる女性だった。
神戸東灘の家は要塞のような豪邸。
グルメで食べることに月1000万円近く使っていた。
谷本竜子は、初めて角田信朗に会ったとき
「あんた!
ウチに恥かかすなよ!」
といった。
年末の全日本大会について
「あんた、何位になるつもりや?」
「押忍。
出来るならベスト8に入賞したいです」
「何?
チャンピオン違うんかい」
と露骨に嫌な顔をし
「ベスト8に入れへんかったらどうするつもりや?」
「押忍。
頭丸めて辞表出します」
「ホォーッホッホッホ」
と豪快に笑った。
また知り合いの社長に、全日本大会のチケットを100枚単位で押しつけ、
「ここへ振り込んどき!」
なにかあれば
「ウチは惚れたわけでもない男のためになんでこんなことせんとあかんのよ」
と角田信朗をヒールを履いたまま蹴った。
道場の初期投資費用は軽く1000万円以上。
家賃が月々150万円。
仮に200名の道場生を集めても、月会費5000円×200=100万円で赤字。
利益を上げるためには、多くの道場生を集めなければならない。
強い弟子を育てなければならない。
自分も全日本で勝たなくてはならない。
経営などまったくわからない角田信朗はとにかく必死のパッチでがんばった。

1985年12月、第4回全日本大会で角田信朗は、当初の目標ベスト8を超えてベスト4に進出。
準決勝で優勝した川地雅樹に、3位決定戦で今西靖明に共にローキックで倒された。
「ハイハイ、今日道場閉めたらご飯食べにおいで」
試合翌日、谷本竜子に自宅に呼ばれていくと、日本料理店吉兆から取り寄せられた料理、100g10万円のステーキ、1本50万円のワインが用意されていた。
「あんた、よぉがんばったやないの」
笑顔の谷本竜子に声をかけられ、目から涙があふれ出た。
正道会館神戸支部は約300名にまで道場生を増やした。

他流試合

角田信朗は総本部を離れたため強い相手との組手が少なくなり、ウエイトトレーニングに力を入れ、得意技、中山猛夫直伝の左ボディブローを磨いた。
少林寺出身で極真空手の全日本大会でベスト8入りした田中正文館長が主催する第3回全日本拳武道選手権大会に出場し2位になった。
2回戦から準決勝まで4試合すべてが左のレバー打ちによる一本勝ちだった。
1回戦で角田信朗の必殺の左ボディブローに耐えて倒れなかったのが村上竜司だった。
角田信朗を含め、正道会館は「挑戦」をテーマに、他流派の空手トーナメントにも参戦し「他流試合」を行った。
他流派の試合に出ると、どうしても判定では勝ち抜くい。
「じゃあ、倒せばいいんだ」
と「倒す空手」を追求。
やがてありとあらゆる流派の大会を総ナメにし「常勝軍団」と呼ばれるようになった。

正道会館神戸支部存続の危機

正道会館神戸支部はトロフィーの数も道場生も増やし、順調だった。
谷本竜子が海外出張から帰ってくるため、角田信朗は大阪伊丹空港に出迎えに行った。
しかしゲートから出てきた谷本竜子を10名ほどの屈強な男たちが取り囲んだ。
角田信朗は助けにいこうとしたが腕をつかまれた。
「角田くんやな?
兵庫県警の捜査一課や。
君、大人しくしてくれよ?
君が暴れたときのために表に機動隊が30人待機してるんや」
角田信朗は説明を求めたが
「谷本さんは逮捕された。
身柄は拘束されたので彼女とは今日は会えないから帰ってくれ」
とだけいわれた。
翌日、角田信朗は事情聴取のため兵庫県警に呼び出された。
丸一日、聴取され、ポリグラフ(嘘発見器)にかけられ、両手10本の指の指紋を採取された。
県警の事情聴取は道場生にも及んだ。
谷本竜子は証拠不十分ですぐに釈放され、事件は不起訴となったが、300人いた道場生は30名にまで減った。
また石井和義は、これ以上、谷本竜子から援助を受けることはできないと判断し、三宮の大道場は閉鎖された。
道場生はさらに減り15名になった。

角田信朗は練習場所を探した。
最初は週3回、神戸市中央体育館を借りたが、使用量が1回1万円。
月会費5000円×15名=7万5000円。
週2回でも赤字になる。
角田信朗は、正道会館の理事長からの依頼で、奈良県の薬湯健康ランドの警備員の仕事をした。
この薬湯健康ランドがオープンしたため地元の同業者から依頼され嫌がらせをしたり、みかじめ(用心棒代)を要求する暴力団。
酔った客の迷惑行為。
角田信朗は、道場の稽古のない日は泊まり込み、24時間体制で、何かトラブルが起きたら現場に駆けつけた。
ズボンの下には金的カップをつけ乱闘に備えた。
実際、刺青をいれた人の入店を断ったとき、いきなり金的を蹴られたこともあった。
手を出されたら極力相手にダメージを与えないように気をつけながら制したが、その後は報復を警戒し、車に乗るときなど周囲に気を配った。
この仕事の報酬は日当1万5000円。
半年ほど続けた。

半年の用心棒稼業で得たお金は新道場開設につぎ込んだ。
元門下生のお肉屋さんに、ある物件を紹介された。
それはたくさんから借金してたくさんの抵当権(お金を貸す際に不動産や動産(自動車や機械、船舶、飛行機など)に設定する担保)がついて所有権も分散しているという建物でだった。
2階建ての家屋で、1階はお肉屋さんが牛を解体するのに使っていた作業場、2階は事務所と居住スペースだった。
1階のガラス窓には銃弾を撃ち込まれた弾痕があった。
お肉屋さんは家賃はあるとき払ってくれたらいい、ないときは気持ちだけでいいという。
角田信朗は、作業場にこびりついた血と脂を洗剤とブラシで洗い流し、要らないものを奥にしまい、人工芝を敷いた上にトランクルームに預けてあったトレーニングマシンを置いたトレーニングマシンスペースと畳を敷いた道場スペースをつくった。
2階も掃除をして自分が住んだ。
こうして1ヶ月かけて蓄えをすべてつぎ込んで改装した道場をスタートさせた。
門下生を集め家賃を払っていけばいいと思っていた矢先、お肉屋さんから電話が入った。
「角田君。
君、先月家賃1円も入れてないやろ?
それはあかんわ。
先方(所有権を主張する債権者)から1ヶ月以内に出ていってくれっていうてきてるわ。
わしの顔潰さんとってや!」
確かに1万円でも入れておくべきだったと反省しつつ、あまりのことに角田信朗はついついケンカ腰になって言い返した。
「ちゃんと元通りに直して明け渡せ!」
お肉屋さんのおっちゃんもヤクザ口調になった。
汚かった部屋を貯めたお金と自分の体を使ってキレイにしたら「元通りにせよ」である。
再度、トレーニングマシンをトランクルームに戻し、何もない状態で明け渡すと、
「元通り違うやないかい!」
と電話が入った。
(なんやとぉ?)
角田信朗は片づけておいた備品をぶちまけ、天ぷら油をまき散らした。
悲惨な状態で出場した第5回全日本大会。
前年4位の角田信朗には「神戸の猛牛」というニックネームがつけられていたが3回戦で敗退した。

角田信朗は、ラーメン屋で働き、王子公園近くに部屋を借りて、近くの安いレンタルスペースで週3回の稽古、陸上トレーニング、そして三宮のジムでトレーニングした。
ラーメン屋の営業時間は17時から5時。
仕事後、そのまま寝ず王子公園陸上競技場サブトラックで走り込み。
その後、食事をとって、カーテンが買えないので窓にアルミホイルを貼って朝日をカットした部屋で5~6時間寝た。
週3日はレンタルスペースで空手の稽古。
この日はラーメン屋に入るのは22時。
それ以外の日は、ラーメン屋に入る前に三宮のジムでウエイトトレーニングとエアロビクス。
エアロビクスはインストラクターが好きになって週5回も通っていたが、2時間ブッ通しでやっているうちに運動能力が改善された。

角田信朗は、建設現場のアルバイトも行った。
セメントやブロック、角材をかついでビルの階段を上がり、コンクリートをハツって(砕いて)ガラを袋に入れてトラックに積み込んだ。
(学校の先生になっておくべきだった・・・)
(商社に就職しておくべきだった・・・)
(エグザスのインストラクター・・・)
後悔が頭によぎれば
「吾、事において後悔せず」
と大山倍達も感動したという宮本武蔵の言葉を心で唱え、角材をかついで階段を7階の現場まで上りながらワンフロアごとにスクワット。
角材を床に下ろすときも数回持ち上げてショルダープレスしてから下した。
汗まみれで仕事を終えると事務員の女性に1万円札をポーンと投げられた。

毎週土曜日の夜は三宮の街に繰り出し1000円で歌い放題飲み放題カラオケパブで歌いまくりベロベロに酔っぱらった。
道場生と夜の街をナンパして歩くこともあった。
タンクトップを着て道場で腕立て伏せをやって筋肉をパンパンにして歩いた。
時間がたって筋肉の張りが消えてきたら路地裏に入って再び腕立て伏せ。
再びパンパンにした。
そして第6回全日本大会はベスト8に進出したものの、準々決勝で今西靖明のパンチのあまりの痛さに背を向けてしまう。
闘魂の権化:今西靖明は容赦せずに怒涛の攻撃で追い込み、角田信朗は人間サンドバッグとなり場外へ押し出され再び敵に背中をみせたところで試合が終わった。
屈辱的な負け方だった。

グローブマッチ

佐藤塾の松井宣治、長谷川一之。
士道館の村上竜司、シアマク・マハダビ。
白蓮会館の杉原正康館長。
誠心会館の青柳誠司館長。
真樹道場の安里昌明。
正道会館の佐竹雅昭、柳澤恥行、今西靖明。
極真空手を除くすべての実戦空手の各流派のチャンピオンが集い「梶原一騎追悼記念興行・格闘技の祭典、空手リアルチャンピオン決定トーナメント」が開かれた。
そして大方の予想を覆して柳澤恥行が佐竹雅昭に勝って優勝した。

空手リアルチャンピオン決定トーナメントの2ヵ月後、角田信朗は、極真空手の第1回世界大会の優勝者である佐藤勝昭の佐藤塾が主催するポイント&KO全日本大会に出場。
他流試合にのぞんだ。
そして1回戦から準決勝まで5試合を嫌味なくらいに圧倒的な強さで勝ち進み2位となった。
試合後、
「すごいですね。
どんな稽古してるんですか?」
とストイックそうな佐藤塾の選手に聞かれ
「週3回の空手の稽古と(恋をしたインストラクターに会いたくて通う)週5回のエアロビクス」
とはいえなかった。

1988年、正道会館は全日本大会を一新させた。
まず畳の上だった試合場がリングに替わった。
選手は畳の外に逃げることができず、よりアグレッシブで完全決着が期待された。
また本戦、延長戦、再延長戦を戦い差が出なかった場合、体重差10㎏以内であれば、グローブをつけて顔面パンチありで延長戦を行うことになった。
大会前、角田信朗は、就職していた元関西外国語大学ボクシング部キャプテン:坂井武や大阪帝拳でWBA世界Jrバンタム級チャンピオン:渡辺次郎を育てた安達哲夫トレーナーにコーチしてもらってパンチに磨きをかけた。
そして2回戦まで本戦で判定勝ち。
3回戦は左ミドルキックでKO。
準々決勝で、昨年、背中をみせて屈辱の敗退を喫した今西靖明と対戦。
開始30秒、今西靖明のパンチが角田信朗の顔面をとらえダウンさせてしまうアクシデントがあった。
ドクターは止めようたが角田信朗が続行を懇願し、1試合挟んでから改めて試合が行われた。
角田信朗は今西靖明の猛攻を体を捻って打点をズラシして殺し、必殺の左フックを右肩に叩き込んだ。
通称:肩パンチを嫌がって今西靖明が右のガードを開くと、角田信朗はそのガードの内側にパンチを入れた。
左ボディブローで一瞬、今西靖明の体が沈み、後退。
その後も角田信朗は今西靖明の攻撃に対して必ず左の肩パンチを返した。
そして試合はグローブマッチに突入。
角田信朗のパンチに今西靖明はそむけてしまう。
1年前の真逆の展開。
角田信朗はあらゆる角度からパンチを浴びせラッシュ。
技ありを奪う。
そして最後は左フックで肩パンチと同じ反応を起こし右ガードが開いた今西靖明に右アッパーをねじ込み、再び閉じたガードの外から左フックでフィニッシュ。
今西靖明は鼻血を出しながら倒れていった。
昨年からの目標「打倒!今西先輩」を果たした角田信朗は、リングを降りると同時に倒れた。
今度こそドクターと石井和義がストップしようとしたが、角田信朗は再び続行を望んだ。
「角田、わかった。
お前の骨は俺が拾ったる」
石井和義はそういって本部席に戻った。

準決勝の相手は佐竹雅昭だった。
心を鬼にした佐竹雅昭の容赦ない攻撃の前に角田信朗はマットに膝をついた。
試合場ではエアロビクスのインストラクターが涙を流して観ていた。
しかし彼女は3ヵ月後に結婚した。

西太后

1989年、角田信朗は芦原空手の先輩が経営する不動産会社に就職した。
そしてこの年の第8回全日本大会で現役を引退しようと決めた。
仕事は宅建業(宅地建物取引業、自らが行う宅地や建物の売買や交換、売買や交換、貸借をするときの代理や媒介を業として行う)だったが、角田信朗は宅建の試験に受からず、物件を1つも成約させることはできなかった。
それでも会社は角田信朗をバックアップし定時で帰れるようにした。
角田信朗は自らの神戸支部と大阪の総本部で稽古を行った。
そして第8回全日本大会で角田信朗は3回戦まで圧倒的な強さで勝った。
4回戦の相手は、田上敬だった。
軽量級の選手で、直前の稽古で角田信朗は左ボディブローでKOしていた。
楽勝かと思われたが、田上敬久はひたすら攻め続け、前進し続けた。
角田信朗は何もできずあっさりと本戦で負けた。
最終的な結果は6位。
「あんな試合してるようじゃ、もうあきませんわ。
これで引退しますわ」
角田信朗はサバサバした表情でリングを降りた。
浪花の出戻り男、1度目の引退だった。

「ちょっとあんた!
何やのん、あの試合?」
翌日出社すると、いきなり女性社員にいわれた。
天野雅子、通称「西太后」と呼ばれ恐れられていた女性で昨日の試合を観戦していた。
年齢は角田信朗の5つ上で
「あんたが小1のときウチは6年や
ウチが1年のときアンタはヨチヨチや
べチャッと踏んだら終わりや
そんときからあんたはウチには勝たれんようになってんねん」
「あんた!
またそのへんの腐ったイソギンチャクみないなしょーもない女の口ばっかり吸うてんと、据え膳食わずに真っすぐ帰れ!」
と歯に衣着せぬ毒舌でズバズバいう人だった。
「何やのんって、しょうがないですやんか。
燃えへんのやから」
「ちょっとあんた!
今なにいうた?」
「天野さん、お言葉を返すようですけど、仕事のことや人生のことは先輩やと思って聞かせてもらいますけど、空手に関しては天野さんがどうこういわはんのお門違いやと思いますよ」
「あんたな、今まで神戸で色んな苦労しながら空手を忘れずやってきたんと違うんか?
あんたが引退するいうもんウチは別に止める筋合いも何もない。
そやけどな、ウチも社長もあんたが空手がんばって大会出るいうから、残業もさせんと稽古行くのも優遇してきたったわなあ。
ひとつも売り上げ上がらんのに。
これ普通の会社やったら、空手?寝ぼけたこというてんと、サッサと仕事して成績上げてこいで終わりやで?
あんたが成績に満足するか否か、そんなことはどうでもええ。
そやけど応援してくれてる人間の気持ち考えたら、あんたを支えてくれてきたたくさんの人たちに対して、人間として感謝の気持ちがあるんやったら、勝っても負けても全力で試合するんが礼儀違うんか?」
「・・・・・・・」
「ヘラヘラしながら引退しますわって。
冗談やない。
ウチはあのとき人前でもかまわんから引っぱたいたろ思たわ!」

極真空手の全日本大会でベスト4

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