「霊長類ヒト科最強の男」マーク・ケアー
マーク・ケアー(Mark Kerr)
1997年、総合格闘技へ転身。
総合転身後、いきなりUFC14およびUFC15でヘビー級トーナメントを2連覇。
なかでも当時柔術全盛だった総合格闘技において、ブラジルでは五指に入る柔術家ファービオ・グージェウを総合初挑戦のUFC14にて下したことで、大きな注目を浴びることとなった。
タックルで倒して抑えつけ、パウンドと膝で攻撃するのが基本スタイル。
派手さの無いシンプルな戦い方だが、怪力のケアーにとっては最も効果的な方法であった。
1998年、PRIDE参戦
1998年3月15日、PRIDE.2におけるブランコ・シカティック戦でPRIDEデビュー。
ブランコ・シカティック、ペドロ・オタービオ、ウゴ・デュアルチ、高田延彦とPRIDEにおいても連勝を重ね、人並外れた筋肉から繰り出される怪力で「霊長類ヒト科最強」と恐れられた。
1999年、2000年 アブダビコンバットを連覇
ADCCサブミッション・ファイティング世界選手権
(通称:アブダビコンバット)
打撃技は禁止され、関節技、絞め技のサブミッションホールドが許可された試合を行う。「寝技世界一決定戦」として知られている。
1999年2月、第2回 ADCC 99kg以上級 優勝。
2000年3月、第3回 ADCC 99kg以上級 優勝。
同大会、無差別級 優勝。
転落を感じさせたイゴール・ボブチャンチン戦
1999年9月12日のPRIDE.7でイゴール・ボブチャンチンにグラウンド状態での膝蹴りで失神KO負け。
試合後、反則である4点ポジションでの膝蹴りとの判断でノーコンテストと変更されたが、この頃から精彩を欠き始めた。
1999年11月21日のPRIDE.8でエンセン井上と対戦予定であったが欠場、公式には内臓疾患としか発表されなかったが後のドキュメンタリーで薬物中毒だったことが明らかになっている。
2000年1月30日『PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦』でエンセン井上と対戦。
からくも判定で勝利する。
転落を決定づけた藤田和之戦。
2000年に行われたPRIDE GRANDPRIX 2000 決勝トーナメントで藤田和之と対戦。
続く、2001年7月29日のヒース・ヒーリング戦ではグラウンドの膝蹴りにより1R 4:54 TKO負け。自身初のKO負けであった。
総合を離れプロレスへ参戦。
[ZERO-ONE]橋本真也、小川直也vsトム・ハワード、マーク・ケアー
2001年12月9日。
後にOH砲の代名詞となる技「俺ごと刈れ(STOとジャーマンの合体技)」でケアーは受け身もなにもなくリングに叩きつけられ、半失神。
自らもダメージを負い意識朦朧の橋本にスリーパーで絞めあげられKO負けとなった。
なお、このZERO-ONEへの参戦がケアーにとってのプロレス初挑戦ではなく、2000年の大晦日「INOKI BOM-BA-YE」にてマークコールマンと組み、永田裕志&飯塚高史と対戦している。
試合は12:29、コールマンが袈裟固めで永田からギブアップを奪った。
PRIDE、マット界から姿を消し、薬物中毒が明かされる。
2003年1月、ケアーの1998年から2000年までを追ったドキュメンタリー番組「The Smashing Machine」が米ケーブルテレビHBOにて放送された。
この番組の中でケアーは闘うことへの恐怖を口にし、痛みを抑えるために麻薬を鎮痛剤として常用する様子が描かれている。
ケアーは1999年11月のエンセン井上戦を前に摂取過多で心臓が一時停止し、生死をさまよっている。
その後、薬物依存を脱すべく、リハビリを行う姿が描かれた。
なお2001年5月にアルコール依存症の恋人と結婚したと語られた。
SMASHING MACHINE
2004年、PRIDEへ復帰。
かつてのパワーの源であった筋骨隆々の肉体は、薬物乱用と長期のブランクにより弛んで矮小化してしまっており、往年の姿を知る人間にとっては見るも無残な姿であった。
再起をかけた「霊長類ヒト科最強の男」の夢は、わずか40秒で幕を下ろした。
ケアーにとってこれが最後のPRIDE参戦となった。
PRIDE.27 山本宜久戦
なお、明らかにケアーの自爆と見られる結末だったが山本宜久は「僕がタックルでふんばった分ね、そういう部分でプロレス技で言うとDDTみたいな感じになってしまった。プロレスラーなんでね、DDTを使ってしまった。僕的にはそう解釈している」とコメントしていた。
2006年以降、アメリカを主戦場として総合格闘技に参戦。
2006年にアメリカの大会で復帰が決定したが、怪我で欠場。
同年11月にIFLに出場したがレフェリーストップにより敗北。
2007年2月10日、イギリスの総合格闘技大会Cage Rageでムスタファ・アルタークと対戦するも、パウンドを浴びタップアウト負け。
2009年のキング・モー戦の後はマットに上がっておらず、事実上の引退と見られている。
現在のマークケアー
マークケアーは現在、妻子を抱えアリゾナ州の自動車ディーラーで働いている。
体形も変わってしまい、かつて「霊長類ヒト科最強の男」と呼ばれた面影はないが、闘いから離れとても穏やかな表情をしているのが印象的。
闘うことへの恐怖から薬物に手を出してしまった男、ケアー。
性格的には格闘技が向いていなかったのかもしれない…。