読者のみなさんは「敬天愛人」という言葉をご存知でしょうか?
今年の大河ドラマ「西郷どん」でお馴染みの西郷隆盛が、学問の目的を説いた言葉として非常に有名な言葉ですね。その言葉の通り「敬天」は天を敬い「愛人」は人を愛することを指しています。

格闘道イベント「敬天愛人」
敬天愛人|鹿児島での格闘道イベント
2018年11月、この「敬天愛人」を冠した格闘道のイベントを立ち上げるのが、この度取材機会をいただいた格闘道家の菊野克紀選手。
どのような経験をしてなぜその想いに至ったのか、ミドルエッジ編集部(ミド編)が伺って参りました。

菊野克紀選手
心の弱い少年時代、大好きだったドラゴンボールの孫悟空
鹿児島に生まれ鹿児島に育った菊野選手。
格闘家を志しての上京は23歳のときでしたが、鹿児島時代のお話を伺います。

「ご多分に漏れず漫画が好きな少年でした、ドラゴンボール世代ですね。テレビも好きで仮面ライダー、ウルトラマン、戦隊モノ、全部欠かさず見ていました。」
「純粋に男の子としてヒーローに憧れましたね。僕はわりと体つきがよくて力持ちだったんですけど弱虫だったんです。体は強いのに心が弱くて余裕が無い、だからヒーローに憧れていました。」
-格闘技への憧れもヒーローからでしたか?
「小学校のころは水泳少年団とかに入っていました。でも6年生のころにはもう友達の影響でプロレスごっこばっかりしてました、水泳サボって(笑」
「体つきは大きかったんですけど気持ちが弱いものだから友達に手を出してしまう。だから嫌われちゃいますよね。小学4、5年生のころに孤独な経験もしました。半年くらい昼休みは図書館で生活していました。」
「そういう自分嫌いだった。僕の大好きなドラゴンボールの孫悟空と真逆なんです。強くて優しくて皆から愛される孫悟空と真逆。」
現在の菊野選手からは想像も出来ない少年時代。
しかし、純粋にヒーローに憧れる強い気持ちは少年時代だけでなく長じた後も菊野選手の判断軸となり続けます。
自信を得て、余裕が出て、人に優しくなれた
「中学校では柔道部に入りました。初めの頃は先輩に歯が立たない。けれども練習を続けていくと少しづつ強くなって試合に勝つと自信がついて余裕が出来て。そして人に優しくなれるようになって仲良くなれて。」
-武道を通して精神も磨かれた最初の経験ですね。格闘技の道に進もう!との思いは中学のころに?
「いえ、まったく無かったです。鹿児島は田舎で、なんというかテレビのなかの世界を目指すようなことは想像も出来なくて。両親は公務員になりなさいと。そして僕自身も学校の先生しか知らないもんだから、当時『GTO』っていう漫画が流行っていたので先生になってみようかな、なんて考えていました。」
高3の夏に決意!土木作業員で上京資金を貯める
「高校3年生の夏、親友が急にお笑い芸人になるって言い出して。それを聞いてヤバいって気になりました。親友がビッグになって僕だけなんとなく生きてたら負けた気がすると思って。焦って必死に自分探しした時に、結局ヒーローみたいに強くなりたいんだと気が付いて。じゃあ格闘家になろう、PRIDE目指そうって決めました。そして東京に行こうと。」
「親は大反対、泣いて反対しましたからね。だからひとまずお金を稼がないといけなくて土木作業員を始めました。土木作業員をやりながら自宅近くの極真空手の道場に通い始めたんです、鍛えるために。そしたらたまたまそこに世界チャンピオンがいて結局5年間もお世話になりました。」

-この5年間は鹿児島で地力を磨いていたんですね。
「先輩からの可愛がりもありましたし精神面も鍛えられました(笑。」
「プライベートでやられる、で試合しても勝てないんですよ。プライベートでやられるのは仕方ないとして、でも試合まで負けたら公私ともに自己否定されるんですよね。 」
「3年で3回挑戦して全敗、その時はもうほんとに心が張り裂けそうで。武道なんで試合後は礼をして終わるんですが、そのときはゥワ―ッて叫んてしまいました。 その強い先輩に勝つまでは絶対に出ていけない。先輩に勝たずに上京しても意味がないっていう気持ちがあって、結局この先輩を超えるのに5年かかりました。」
満を持して上京!メジャーになって知る総合格闘技界の現実
鹿児島での5年間を経て2005年、23歳で上京した菊野選手。
アマチュアから始まり、アルバイト生活を続けながら格闘家としての頂点を目指します。
そして2009年、ついに当時の所属団体でトップの座に君臨することとなります。
かつてブラウン管の向こうで繰り広げられていたPRIDEやK-1など格闘技のスーパースターたちの世界。
その舞台に立った菊野選手が感じたこととは?
「正直な実感としては”あれ?”って。思い描いてた華やかな舞台では無くなっていた。僕は大晦日のダイナマイトに出ましたけど、その時はニコニコ生テレビでした。」
2000年前後、PRIDEやK-1のスーパースターたちがブラウン管の向こうに立ち並んでいた時代。
当時の一大ブームが去った後の格闘技界の現在進行形を中からみた菊野選手は、チャンピオンだからといって食べていけるわけでない現状を目の当たりにします。
そして菊野選手は、自ら行動を起こします。
「DEEPっていう団体で僕はチャンピオンになりました。その頃まではまだチケット収入やファイトマネーで生活出来ていたんです。後に僕は2009年からDREAMという大会に出場するようになりまして、テレビ放送もついていましたしスポンサーを獲得しようという考えになって。いっそのこと自分の会社を持とうということになりました。」
この行動にも「ヒーローに憧れる」菊野選手の行動原理が強く働いています。
「上京する少し前にヒーローになるっていう夢を持ったんです。子供達に空手を教えるなかで『靴を並べなさい』とか『困ってる人がいたら助けなさい』とか指導するんですけどそれが子供達のまっすぐな瞳に跳ね返って自分に跳ね返ってくるんですよ。 」
「俺どうなの?」って。
「自分に向き合って悩んだ末に降りてきたのが”ヒーロー”っていう言葉でした。漫画の主人公のように強くて優しくてかっこいい困っている人を助けるヒーローになろうと思えた時に世界が輝いて見えました。」
「ヒーロー目指すにはどうすればいいか、人の役に立つには力が必要だ。経済力でもパワーでも知識知恵でも、あらゆる面で力をつけなきゃいけない。じゃあその勉強を仕事を通してやってみようと。2009年からスタートして。もう10年目ですね今年で。」
-DREAMの後には総合格闘技の最高峰「UFC」にも挑戦なさいました。
環境、契約、ルール、全てがシビアな世界…
「UFCはあらゆる面でキツかったですね、 肉体的にも精神的にも経済的にも。 UFCは日本での知名度が高くなく、ここの頂点に立つことが僕の目指すヒーローへの道に繋がるのかっていう疑問もありました。」
「UFCをみると文化の違いを感じます。海外は賭けがOKだったりペイパービューが浸透していて、また総じてスポーツコンテンツの価値が高い。比べると日本はスポーツコンテンツの価値が低いんです。ビジネスとしてなかなか成立していない。」
「格闘道」で道を切り拓く
敬天愛人|鹿児島での格闘道イベント
「ここまでの格闘家人生で感じたことですが、日本ではスポーツ選手はスポーツに集中するべきという風潮があります。でもその価値観だとスポーツの流行り廃りに身を委ねるだけで結局は他人任せ。、競技人生が終わったのちに選手は社会に適応出来ません。だからスポーツの世界で感じたこと、身に着けたことを社会で活かすってことを考えていかないと。」
「人のニーズに応える、役に立つことで報酬を得られる。でもアスリートにおいてはそれを考えること自体が理解されにくい。きつい練習、きつい試合だけやっておけばいいんだ。余計なことは考えるな!という風潮がある。だから格闘家の環境は現役中もセカンドキャリアも良くならない。」
総合格闘技の世界で闘いの厳しさのみでなくビジネスとしての厳しさも身をもって経験した菊野選手。
いままさに「ヒーローになる」ための道を己で切り拓こうとしています。
親が子どもに見せたい格闘道イベント「敬天愛人」
「天を敬い人を愛するっていうこの言葉は道だと思うんです、人の道。天が僕らを愛してくれるように、分け隔てなく人を愛そうという人としての道。僕は格闘技を見せたいのではなく格闘道を見せたいと考えました。 自分自身、格闘技を通してかつての孤独な少年時代からとても幸せになりました。それを伝えたくて。 」
「僕が格闘技で学んだ事は困難に立ち向かっていく勇気と全てを受け入れる感謝です。それを親が子供に見せたい格闘道として全力で体現しようと。」
格闘道イベント 「敬天愛人」とは
敬天愛人|鹿児島での格闘道イベント
闘いのルールに仰天!?
「格闘道イベント「敬天愛人」の試合のルールは世界初のものを作りました。
体重は無差別、服装もバックボーンの衣装でそれぞれ。道着を着てる人と着てない人が闘ったら、道着を着てる方が掴まれるから不利なんです。それでもいいじゃないかと。もっと言えばこれは安全なルールの中での話でいざという時の実戦では裸だとめちゃくちゃ危険です。噛みつかれたり爪をたてられたり、急所がわかりやすかったり、道路で擦りむけたり。つまり競技における強さとは所詮ルールの中での話であって、ルールによって序列が変わる。だから公平な競技という発想ではなくて不公平でいいじゃないかと。
実戦とは不公平なものなのだから、その中で自分を表現するルールを作ろうと。」
不公平という現実と向き合って、自分をどう表現するか
「格闘技は競技、プロレスはエンターテインメント、武道は在り方。このトライアングルの真ん中を目指しているルールです。今回判定をお客様が行います。主審はお客様。僕らは3分間、3分1本勝負でバッチバチやりあうんです。それをお客様がパンフレットの表と裏で支持表明します。紅か白か、それをパっとMCが見て過半数以上を支持されていたらそっちの勝ち。お客様の主観なのでカッコよさでも面白さでも、子供に見せたいでもいいし、頑張ってるでもいいんです。お客さんがワッ、いいなーこの選手って思った方に上げてもらう。そうすることで勝てばいいというつまらない試合は無くなるし、礼儀などのあり方も判定に響きます。」
-まったくもって前代未聞のルールですね!
その他にも
-ラウンド制を廃止
-セコンドの指示禁止
-応援禁止(ラスト30秒で解禁)
一方で、選手同士の闘いの打撃音が場内に響き渡るようにするなど、至る所に独創性が満ち溢れています。
「格闘技を通して何が得られるのか、なぜ素晴らしいのかを伝えていきたいんです。格闘技は痛いし怖いしキツいわけです。だからその1歩踏み出すことには価値がある、闘うということが。その勇気を、他のスポーツよりも分かりやすく伝えられると思うんです。そして闘い終わった後には礼があるんです。その礼と感謝は最高のコミュニケーションだと思っています。」
「敬天愛人」には子どもヒーロースタッフが参加
人を笑顔にする、人の役に立つことを体験できる職業体験の場として「敬天愛人」には子どもヒーロースタッフが多数参加予定。
貴重な体験が出来るのに加えて全員に参加賞まで用意されています。
「格闘道」イベントを普及させる
「例えば総合格闘技の試合前ってよく喧嘩腰の記者会見で煽りを入れますよね。でも「敬天愛人」が受け入れられたら、こういう社会的な意義や子供への体験教育とか巻き込んでやっていくことがビジネスとしても成功するんだってなれば格闘技全体が変わっていくと思うんですよ。」
-となると、やはり興行として大成功を収めることが次に繋がりますね。
「そうですね。例えばチケット、今回高校生以下無料なんですよ。子供は未来そのものなので子供が来てくれるようなものにしていかなくてはならない。
今回は協賛企業様のおかげで高校生以下無料で成り立つのですが、高校生以下がたくさん来てくれるようなにればそこに価値が出来てまた協賛企業がついてくれる。
良いものを作って社会貢献の対価として金銭を得るっていう流れでビジネスが成り立てば継続できるし広がっていく。未来があります。もうテレビの時代でもないですからね。」
11月11日、大勢の観客、スタッフ、選手の熱気で鹿児島が盛り上がることを期待しております!
