聴くだけでテンションアップ!PRIDE初期の選手入場曲

聴くだけでテンションアップ!PRIDE初期の選手入場曲

1997年高田延彦 vs. ヒクソン・グレイシーと言う歴史的一線から幕を開けたPRIDE。その後、2000年に入ると全盛期となり、大晦日の風物詩にすらなっていました。そんなPRIDEと言えば、壮絶な殴り合いや巧みな関節技の妙技はもちろんの事、いわゆる「煽り」と言われる入場シーンも見せ場の一つだった。曲を聴くだけでテンションアップ間違いなしのPRIDE初期の選手入場曲を紹介します。今、聴いてもテンション上がりまくりですよ!


聴くだけでテンションアップ!PRIDE初期の選手入場曲

1997年高田延彦 vs. ヒクソン・グレイシーと言う歴史的一線から幕を開けたPRIDE。その後、2000年に入ると全盛期となり、大晦日の風物詩にすらなっていました。そんなPRIDEと言えば、壮絶な殴り合いや巧みな関節技の妙技はもちろんの事、いわゆる「煽り」と言われる入場シーンも見せ場の一つだった。曲を聴くだけでテンションアップ間違いなしのPRIDE初期の選手入場曲を紹介します。今、聴いてもテンション上がりまくりですよ!

桜庭和志入場曲-SPEED TK RE-MIX

PRIDEを語る上で、桜庭和志は外すわけにはいかないでしょう。グレイシー一族との死闘など、数々の名試合をして、PRIDE人気を確固たるものにした立役者の一人。
そんなIQレスラー・桜庭和志の入場曲は、「SPEED TK RE-MIX」。
小室哲哉作曲の映画「SPEED2」のメインテーマにもなった曲ですね。
TKサウンドらしい疾走感溢れるこの曲を聴くだけで、桜庭の名試合がプレイバックしてきます。

1998年に高田延彦主宰の高田道場へ移籍。PRIDE.2のヴァーノン・"タイガー"・ホワイト戦でPRIDEデビューした。 1999年4月29日のPRIDE.5では前年にヴァンダレイ・シウバをKOしたばかりのビクトー・ベウフォートに判定勝利。PRIDE参戦後はアラン・ゴエス戦(PRIDE.4)での引き分けを挟んで、ヴァーノン・ホワイト(PRIDE.2)、カーロス・ニュートン(PRIDE.3)、ビクトー・ベウフォート(PRIDE.5)、エベンゼール・フォンテス・ブラガ(PRIDE.6)、アンソニー・マシアス(PRIDE.7)に5連勝を飾り、ミドル級のトップコンテンダーに登りつめた。 1999年11月21日のPRIDE.8ではメインイベントに登場し、当時不敗神話を誇っていたグレイシー一族の一人、ホイラー・グレイシーとの対戦。1Rから15kgの体重差を生かしてホイラーのタックルを切り続けた桜庭は猪木アリ状態からのローキックでダメージを与えていく。2Rも優勢は変わらず、引き込んだホイラーにハーフガードからチキンウィングアームロックを極めた。ホイラーはタップせず、セコンドのヒクソン・グレイシーもタオルを投げなかったため、島田レフェリーが試合をストップした。ホイラー陣営は猛抗議するものの裁定は覆らず、桜庭はマイクアピールで「あそこからどうやって逃げたのか知りたいです。次はお兄さん僕と勝負してください!」とヒクソンに対戦を要求した。 2000年1月、桜庭は「PRIDE GP 2000」に出場した。ガイ・メッツァーの試合放棄という幕切れで1回戦を突破すると、5月の決勝大会ではホイス・グレイシーとの対戦が決定した。ホイラー戦での裁定に不満を持つホイスはルール変更を要求[3]、桜庭も受諾し、15分無制限ラウンド・レフェリーストップおよび判定無しで行われることになった。試合は1時間を超す長丁場となったが、桜庭はホイスの道衣を脱がせようとするなどして翻弄。桜庭がホイスの左足にローを蹴り続けたダメージで7R開始直前にホリオンがタオルを投入し、桜庭の勝利で実に90分に及ぶ死闘に終止符が打たれた。その後準決勝に進出するものの消耗が激しく、イゴール・ボブチャンチン戦では中盤から劣勢を強いられた。1R終了後の判定ではドローとなったものの、桜庭陣営がレフェリーにタオルを投入し、TKO負けとなった。 2000年8月27日、PRIDE.10でヘンゾ・グレイシーと対戦、バックを捕られるもアームロックでヘンゾの左腕を脱臼させTKO勝ち。12月23日のハイアン・グレイシー戦ではハイアンが直前に怪我した為、試合時間が10分1Rに変更された。試合は桜庭が終始優位に立って判定勝ちを収めた。 ホイラー、ホイス、ヘンゾ、ハイアンらグレイシー一族相手に4連勝を果たし、「グレイシー・ハンター」の異名を取った。また、ただ勝利するだけでなくファンを喜ばせるために戦うというファイトスタイルが高く評価された。桜庭の活躍と共にPRIDEは大きく成長を遂げ、2000年の桜庭はPRIDEのエースとして全盛期を迎えていたといえる

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E5%BA%AD%E5%92%8C%E5%BF%97

桜庭和志 - Wikipedia

ヒクソン・グレイシー入場曲ーGracie Family Entrance Theme

1997年PRIDEⅠは、その後全盛期となる日本のMMA幕開けを告げる歴史的イベントだった。
そのメイン試合が「ヒクソングレイシーvs高田延彦」である。
ヒクソングレイシーと言えば、400戦無敗を誇る一族最強戦士。
鉄壁な防御力など負けない技術は凄まじかった。
そんなヒクソンの入場曲は「Gracie Family Entrance Theme」。まるでダースベイダーのテーマのような相手を威圧するような曲で、一族が一列に連なり、いわゆるグレイシートレインを形成して入場するスタイルは、ヒクソンだけでなく、グレイシー一族の定番入場シーン。

高田延彦入場曲-Training Montage

今ではバラエティ番組にも数多く出演している高田延彦ですが、PRIDE創世記は、ヒクソングレイシーを始め、マークケアーやミルコクロコップなどヘビー級の外国人選手と台頭に戦える数少ない日本人エースだった。
そんな高田の入場曲は、プロレステーマ曲専門バンド「MonkeyFlip」が作る「Training Montage」

キングダムの初期、高田道場の選手や海外のバーリ・トゥード系選手を招聘しての総合格闘技興行「PRIDE」の開始に深く関わる。 UWFインター時代の同門の安生洋二がヒクソン・グレイシーに道場破りを仕掛けるも返り討ちにあった因縁の結果、(詳細はお互いのリンク先を参照)PRIDE創生期に選手として活動、ヒクソン・グレイシーと2度対戦(PRIDE.1、PRIDE.4)するが敗退。特に初戦において、エースクラスの日本人レスラーの総合格闘技での敗北はこれが最初でありプロレスファンの深い失望を招くとともに、A級戦犯としてプロレスマスコミからバッシングを受け、さらにアントニオ猪木からは「よりによって一番弱い奴が出て行った」と酷評される。 2度目のヒクソン敗北直後にヒクソンとの3度目の対戦を望んだ。その後もマーク・ケアー(PRIDE.6)、ホイス・グレイシー(PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦)、イゴール・ボブチャンチン(PRIDE.11)、ミルコ・クロコップ(PRIDE.17)、マイク・ベルナルド(INOKI BOM-BA-YE 2001)などと次々と戦うが、消極的な戦い方で敗退した。イゴール・ボブチャンチン戦からはメインイベンターの座からも降りた。一方、マーク・コールマン(PRIDE.5)には勝利したが、コールマンは後にこの試合がブックであったことを事実上認める発言をしている。 2002年11月24日、PRIDE.23の田村潔司相手に引退試合を行い、2Rに右フックで失神KO負け。試合後のマイクで田村に「お前、男だ!」と発言、このフレーズが後の大会で頻繁に使用されることになる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%94%B0%E5%BB%B6%E5%BD%A6

高田延彦 - Wikipedia

ゲーリーグッドリッジテーマ曲-We Will Rock You

おうPRIDE初出場の日本選手などを次々と蹴散らしたことから「PRIDEの番人」と呼ばれたゲーリー・グッドリッジ。元アームレスリング世界チャンピオンだけあって、まさに剛腕がうなった。
そんなゲーリー・グッドリッジの入場曲は、クイーンの名曲「We Will Rock You』。この曲を聴くと、自然と手拍子したくなりませんか?

ゲーリー・グッドリッジ(Gary Goodridge、男性、1966年1月17日 - )は、カナダの元総合格闘家・キックボクサー。トリニダード・トバゴ出身。元アームレスリング世界王者。 並外れた怪力の持ち主で、完全に極まったアームロックを腕力のみで外してしまったこともある。左腕に刻まれた“剛力”のタトゥーは、文字通り自らのパワーを誇示するために彫ったものである。筋骨隆々とした強面な風貌とは裏腹に、普段は温厚で紳士的な人物として知られ、格闘技関係者から尊敬を集めている。PRIDE参戦当時のニックネームは「PRIDEの番人」。これはグッドリッジが、PRIDE初参戦の選手と数多く対戦したことに起因する。初参戦の選手にとっては立ちはだかる厚い壁、ファンにとっては積極的なファイトで会場を沸かせる名物選手として人気を集めた。 2008年12月15日、カナダオン タリオ州トロント郊外に自らのジム「Fighting University」をオープンさせた。2012年、CTE(慢性外傷性脳症)による認知症であると診断されたと伝えられていたが、本人曰く、脳にダメージは有るものの軽症とのこと。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B8

ゲーリー・グッドリッジ - Wikipedia

マークケアー入場曲-God of Thunder

「霊長類ヒト科最強の男」という触れ込みで、ものの見事な肉体美を惜しげもなく披露していた。PRIDE初期のエースの一人ではあるが、期待通りに勝利を積み重ねることはできなかった。

ミルコ・クロコップ入場曲-Wild Boys

元警察官であり、リングネームの「クロコップ」は、英語で「クロアチア人のコップ(警官)」の意があるクロアチアの星。K-1チャンピオンの肩書を引っ提げてPRIDE参戦したが、立ち技だけかと思っていたら総合にも適応力があり、長きにわたり歴史を作った。
そんなクロコップの入場曲はDuran Duranのワイルドボーイズ。
「ワールドボーイズ」と叫ぶところが「クロコップ!」と聞こえた。

ヴァンダレン・シルバ入場曲-Darude-Sandstorm

戦慄の膝小僧と言われたヴァンダレン・シルバのファイティングスタイルは、まさに息をもつかせぬ怒涛の攻撃で、天敵だった桜庭を始め、多くの日本人選手もリングに沈まされた。
そんなシルバの入場曲は、Darude-Sandstorm。砂嵐という題だけあって、トランス調のテンションアゲアゲにある名曲だ。

ヴァンダレイ・シウバ(Wanderlei Silva、男性、1976年7月3日 - )は、ブラジルの元総合格闘家。パラナ州クリチバ出身。アメリカ合衆国ネバダ州ラスベガス在住。ヴァンジ・ファイトチーム/キングスMMA所属。ブラジリアン柔術黒帯。元PRIDEミドル級王者。 ニックネームは「戦慄の膝小僧」(PRIDE時代の呼称)、「ジ・アックス・マーダラー」(斧を持った人殺し、UFC時代の呼称)。川崎浩市に発掘され1999年のPRIDE初参戦。PRIDE中期の象徴的選手であった桜庭和志を破り一躍スターダムにのし上がると、PRIDE.17におけるミドル級王者決定戦で再び桜庭を破り初代ミドル級王者となる。その後PRIDE GRANDPRIX 2003のトーナメント戦を勝ち抜き、グランプリでもミドル級王者となり、PRIDE参戦以来(無効試合、引き分けを挟んで)17戦無敗、タイトルマッチでも3回連続防衛に成功したことから「PRIDEミドル級絶対王者」と呼ばれていた。その後マーク・ハント戦での敗戦によって連勝が途絶えると、2005年グランプリのヒカルド・アローナ戦で敗北し、ミドル級相手としても無敗記録が途絶えた。その後防衛戦でアローナを下しリベンジを果たすも、2007年にダン・ヘンダーソンを相手にした防衛戦で敗れ、5年以上保持していたミドル級王者から陥落した。PRIDE消滅後は再びUFCを主戦場にして、UFCに在籍した6年間で970万ドル(約12億円)の報酬を稼いだ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%A6%E3%83%90

ヴァンダレイ・シウバ - Wikipedia

PRIDEのテーマ

最後に番外編。
選手入場曲ではないが、PRIDEのオープニングに流れるテーマ曲。今も、多くのバラエティ番組などで活用されているので、PRIDE知らない世代も聞いたことがある人が多いはず。
聴くと自然にテンションも上がらずを得ない名曲中の名曲との呼び声も高い。
和太鼓とのコラボもカッコ良かった!

以上となります。2015大晦日にはPRIDEの復活版とも言えるRIZINがスタートしましたが、全盛期のPRIDEのように観客のボルテージが噴火寸前のような雰囲気になって欲しいです。

【人気の音楽配信サービス「AWA」で格闘技の入場曲、テーマ曲を特集】

'70'80'90Best Vol.9 格闘技の入場曲、テーマ曲 by ミドルエッジ on AWA https://s.awa.fm/playlist/343y3qqrwbgcff7g577qfsopla/?playtype=copy_playlist

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