2丁拳銃 愛人12人の小堀裕之と経験人数、生涯1人の川谷修士、そしてその妻、小堀真弓、野々村友紀子は、同じ1974年生まれ
NSC大阪校12期生、1993年結成の2丁拳銃が、2003年にM-1への挑戦を終えるまで。
ブラックマヨネーズ 吉田敬 飲んで、打って、買って、どケチで女性に超アグレッシブ。本当にどうかしてるぜ。ヒーハ~!
西川のりお コテコテの大阪弁と捨て身の暴走で全国区へ殴り込み
高校でお笑いの世界に入り、パワフルに空回りしながら下積み時代を過ごし、ヤングOh!Oh!、漫才ブーム、じゃりン子チエ、俺たちひょうきん族で一気に全国のお茶の間に。関西独特のイケイケドンドンの暴走ぶりをみせつけた。
西川のりお それは高3の夏休み、同級生からの1本の電話で始まった。
西川のりおの師匠は、なんと西川きよし。超マジメで超厳しいが一生ついていきたいきよし師と超メチャクチャで超面白い、でもついていけないやすし師。強烈な師匠に挟まれ、育まれた過激な弟子時代。
「お天気お姉さん」で激しい性欲を持つ仲代 桂子役を演じた『細木美和』覚えてる?
1997年9月から第1期の中で、最後まで残留したワンギャルの細木美和さん。2006年7月をもって芸能界から引退されています。懐かしく思いまとめてみました。
大竹しのぶと明石家さんま。陽気、勝気、自分が好き、自分のペースで生きていけないのが絶対無理な2人の戦い&見事なかけ合い。
1980年~1982年、日本中を大きな渦に巻き込んだ漫才ブーム
漫才ブームとは、1980年〜1982年のごく短い期間に漫才が様々なメディアを席巻した時代をいいます。まるで漫才がテレビ番組を占領してしまったかのようにも思えるほどの人気で、メディアの歴史に残るような一大ムーブメントとなりました。
東京進出、ドラマ出演、レコードリリース、おまけに芸能人運動会で田原俊彦に勝ってしまうという吉本芸人にあるまじき活躍の数々。
玄関はダイヤル鍵。解錠番号は「113(よいさんま)」風呂ナシ、WCナシ、照明も漏電で壊れてナシ。テレビは全チャンネル、砂嵐。ビールケースを並べてベニヤ板を置いたベッド。ガラスがなくビニール袋を貼りつけた窓。兵庫県西宮市のそんな部屋にお笑い怪獣は生息していた。
「天下とったる」横山やすし vs 「小さなことからコツコツと」西川きよし 怒るでしかし!!
1980年代に起こった漫才ブームの中で横山やすし・西川きよし、通称「やすきよ」は不動の王者だった 。実力派若手との共演、対決も多かったが「ライバルは?」と聞かれた横山やすしは「相方」と答えた。そして西川きよしは猛獣使いか調教師のごとき見事なムチさばきで荒ぶる相方と対峙した。
ジミー大西 お笑いモンスターの覚醒 明石家さんまと岡本太郎に見出された天才芸人&画伯
絶対に期待を裏切らないお笑い芸人。明石家さんまに見出され「ジミー大西」となり、岡本太郎に「はみ出せ」といわれ、爆発的な笑いと癒しを与えてくれる唯一無二の存在になった。
優しすぎて純粋すぎて、そして面白すぎるジミー大西。そのケタハズレのエピソードと天然ボケにはどんな芸人もかなわない。人々に爆笑と癒しを与える最強のお笑い芸人である。
明石家さんま 東京かけ落ち事件 芸より愛(オンナ)を取った純愛ラプソティ
国民的お笑いヒーロー、明石家さんまは、かつて芸より愛をとった。高校卒業後、プロ入りし、順調に弟子っ子生活を送っていたさんまは1人の女性と出会い、2人で暮らすために東京へ。1度も同棲することなく、パチプロ、無職、フリーターと極貧生活を送った末、女性にフラれ、大阪に戻った爆笑純愛ラプソティ
NSCに入った兄が引きこもりの弟を誘い出したとき、物語が始まった。引きこもりといってもジュニアにひ弱さは感じられない。ガサツといわれるせいじだが不快なイメージはまったくない。実は高スペックな兄弟なのである。
「お帰りなさい。小野田さん!」明石家さんまにつっこまれていたMr.オクレとは。
無気力、無表情でネガティブキャラですが、なぜか笑いの取れる唯一無二の芸人。オレたちひょうきん族では、「何人トリオ」の一員で注目をあびました。
鶴瓶 Ep2 お笑いモンスター 数々の事件と伝説と武勇伝 神か悪魔か 生放送で露出した最強の芸人
髪型は、アフロヘアー、短髪、(生え際が後退し)M型、(頭頂部も薄くなり)MO型と変わったが、顔はずっとタレ目で 笑顔。数々の事件を引き起こす「悪瓶」「恵比須顔の悪魔」 人々に笑いと癒しを与えてくれる「神」その突破力はお笑い芸人の中でもトップクラス。鶴瓶のお笑いの罠にはまった者はもう逃れることができない。ずっとファンでいるしかない。
いまだお笑い界への影響力は絶大!島田紳助が若き日に「紳竜」で繰り広げたツッパリ漫才。
2011年に芸能界を引退した島田紳助さん。2000年代はまさに氏のプロデュースによる番組やユニットが大ブレイク、希代のプロデューサーでした。引退後もお笑い界に絶大な影響力を誇る島田紳助さん、彼が若き日に紳助・竜介コンビで繰り広げたのはツッパリ漫才でした。
『ヤングおー!おー!』吉本を代表する芸人が沢山出演した!明石家さんまの出世作!!
「ヤングおー!おー!」は、吉本若手芸人の元祖登龍門的番組で1969年から1982年まで全国ネットで放送。出演者には、桂三枝、横山やすし、西川きよし、島田紳助、明石家さんまなど有名な芸人が出演していました。
自然消滅した「紳助バンド」を知っているか?Mr.オクレやパンチみつお!ROCKなメンバーを紹介するぜ!
1980年に結成後、自然消滅したロックバンド「紳助バンド」。貴重な音源と共に在籍メンバーにも迫る!
感動の涙が止まらない…。【バラ珍】嗚呼バラ色の珍生で、きれいな涙を流そう!
1994年から約6年間にわたり放送されていたバラエティ番組。芸能人のご対面ばかり見させられている昨今のバラエティとは違い、素人さんのリアルな人生模様に感情移入する方が続出。最近きれいな涙を流していないあなた…。人が人を思う気持ちの温かさを感じて、きれいな涙を流してみませんか?