千原兄弟 ガサツな兄とシャイな弟が織りなす愛のハーモニー

千原兄弟 ガサツな兄とシャイな弟が織りなす愛のハーモニー

NSCに入った兄が引きこもりの弟を誘い出したとき、物語が始まった。引きこもりといってもジュニアにひ弱さは感じられない。ガサツといわれるせいじだが不快なイメージはまったくない。実は高スペックな兄弟なのである。


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今から40年ほど前の事です。
アンデス山脈のナスカ上空を飛行していたアメリカのジュン・レノンという飛行士が、大きな大きな鳥の形をした絵を見つけました。
周りを見ると猿、犬のみたいな、動物の形をしたものがありました
ジュン・レノンは急いで引き返して連絡しました。
そして世界一の科学者、日本の千原浩史先生が調べに行きました。
しかし謎は解けませんでした。
その後いろいろな科学者が謎を解こうとしましたがダメでした。
ある日、千原浩史博士はパッと気がついた。
「地図なのかもしれない」
千原浩史博士はナスカまで行き写真を撮ってきて、夜も寝ずに研究にかかった。
しかし地図ではなさそうだった。
ある日、ドラえもんもみていた千原浩史博士は
「あれをつくろう」
それはタイムマシンだった。
しかし失敗に終わった。

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これは兄、せいじ(千原靖史)が小6のときに書いた「ナスカの地上絵」という作文。

作中の「千原浩史」は弟、ジュニアの本名。
2人は京都府の福知山市に生まれた。
おじいちゃんの家にいったとき、せいじは悪さをして
「反省しとけ!」
と柿の木にくくられワンワン泣いた。
それをみてジュニアは
(なんとか助けたい。
でもこのロープをほどくのはアカン。
どうしよう)
と思い、ポッキーを1本ずつ食べさせた。
またある日、せいじが
「家出したるからな!」
といって部屋を飛び出したが、なかなか玄関の開く音がしないのでジュニアがみにいくとせいじはローラースケートを履こうとしていて
「家出も楽しもうしてんねん」
といった。

兄弟が公園で遊んでいるとき、ジュニアはブランコに座って地面をみながら泣いているせいじを発見。
「どないしてん」
と聞くと、せいじは
「アリが一生懸命エサ運んでんねん」
と答えた。
「こんなに心優しい男はいない」
と感動したジュニアだったが、別の日、彼も同じ公園でオンブバッタが離れ離れになるのをみて泣いた。

ジュニアは、
「せいじの1Pなんか、何回みたか」
という。
初めてみたのはジュニアが小学生のときで、中学生のせいじは顔を真っ赤にしながら
「ちゃうねん、ちゃうねん、実験や」
と弁解した。
あるときジュニアは、幼稚園のとき、絵を描いていて先生に
「太陽は紫色じゃない」
と怒られたことがあった。
そのとき強い違和感と悲しみを感じたが、小学生になっていつものように友人の家に遊びに誘いに行くと、中からその子の親が出てきて
「息子はいない」
と言われた。
そして帰り際、家の中から
「千原くんと遊んだらあかん」
という声が聞いた。

中1のとき、周囲の同級生がチェッカーズやおニャン子クラブなどのレコードを買う中、ジュニアは、
「なんかみんな聞いてるアイドルとかテレビの人のやつじゃなくて、なんかもっとこう無茶苦茶なヤツないんか」
と思っていた。
そして初めて買ったレコードは、日本のパンクロックバンド、ザ・スターリンの「虫」。
入っていた中学校は、中高一貫の進学校。
1つの教室に2人の教師がつき、まだ中学生なのに大学受験に向けてを猛勉強する雰囲気になじめず、友人も出来ずに孤立。
ある日の帰り道、橋から川に制服を投げ捨て、以来学校に行く事はなかった。
14歳から15歳まで引きこもることになったジュニアは当時のことを
「神経がほんとむき出しで、ほんとにビリビリ…」
「引きこもってること自体に自分自身違和感を感じながら、でも引きこもるというか、その場所にしか居れないという・・・」
「ほんとにこう、しんどい感情を抱きながら、その部屋にずっといた」
「両親が、僕が学校に行かなくなったことでよく喧嘩するようになったし、そういう声が聞こえてきて、でもちょっと待ってくれ、なんとかしようと思てんねんけど、どっちに足を踏み出していいかわからないみたいな」
などと語っている。

せいじは高校に入ったとき、知能指数測定を受け、
「普通に勉強しとけば東京大学に入れる」
という学校史上初の高数値を叩き出し、特別進学コースに入れられたが、成績が悪すぎて2年生から普通科になった。
しかし非常に目立つ存在で、女子からもモテて、最高で3股をしていた。
毎年開かれていた10kmマラソンでは、スタート直後に脇道に入り、親戚のお姉ちゃんに車でゴール付近まで送ってもらい10kmを5分で切り、陸上競技10000mの世界記録、26分11秒を大幅に縮めたが、停学処分。
その他、カンニングなどで3年間で8回、停学になった。
そして卒業後、大阪の専門学校、ニュースタークリエーション、通称:NSCに入学。
3ヵ月後、相方を決める時、
「明日、弟連れてくるわ」
と言って家に引きこもっている4歳下、15歳のジュニアに電話。
「はい」
「あ、浩史?」
「・・・うん」
「俺やけど吉本一緒に入って芸人しよか?」
「・・・・・・」
「土曜日来て、大阪」
「・・・・わかった」
「絶対売れるしな、ほな土曜日」
「・・・はい」
「ガチャ」
そしてNGKなんばグランド花月の前での待ち合わせにせいじは遅刻。
その間、ジュニアはずっとドキドキしていた。
そしてNSCに入ったジュニアにせいじは、
「明後日までにネタつくってこい」
と命じ、そのネタはNSCで爆笑をとり、ジュニアは
「俺にはこれしかない」
と決意。
1日も登校していなかった高校を2ヵ月で中退した。

こうしてジュニアはせいじに強引に誘われ、今の生きている道に入ったわけだが、
「僕なんか本当に奇跡的に、たまたませいじが、引っ張り出してくれたから。
もし、せいじが居なければ、まだ部屋にいた可能性もぜんぜんあります」
といっている。

引きこもりが社会問題として取り上げられ、コメントを求められると
「ひきこもった人にはこうやればいいという答えがないから。
十人十色、100人100色」
「ひきこもりって特別なことじゃないんや。
誰でもそれぞれ不安や悩みを抱えてる自分のペースでいいから少しずつ歩いていけばいいんちゃうかな」
「引きこもっていることで、プラスになることもあると思う」
と優しく応援している。

NSCには200人以上の生徒がいて、発声や演技、ダンスなどいろいろな授業があったが、あまり面白くなく役に立ちそうでもないのでボイコットする生徒も多かった。
しかしバッファロー五郎の竹若だけは、すべての授業を1日も休まず、ダンスの授業ではメガネが外れないようにメガネバンドをつけるなどして1番、熱心に取り組んでいた。
週に1度、生徒がネタを発表し講師がアドバイスする「ネタみせ」という授業にはほとんどの生徒が参加。
ここでジュニアが始めて笑ったのが、袖のないGジャンを来たFUJIWARAの原西孝幸の見たことのないような動きのコント。
千原兄弟がネタを発表した後、隣にドカッと座って
「お前らおもろい」
と人差し指を突きつけながらいったのが吉本新喜劇の福山雅治こと大山英雄。
兄弟は同じ自動車教習所に通っていた。
雨上がりの教習でジュニアが運転していると、歩道でせいじが傘をグルグル回しながら熱唱していた。
隣に座っている教官は
「はーいよそ見しなーい。
外出たら頭おかしい人いっぱいいるからねー」
と言った。

コンビ名は、お笑い新人コンテストのエントリーシートを書くときに
「千原兄弟でええやん!」
と吉本の女性社員に言われたのがきっかけ。
せいじはツッコみ、ジュニアがボケ。
ネタづくりは基本的にジュニア。
当初はジュニアがネタを書いている場にせいじも同席していたが、ある日の深夜、せいじが
「今日、親友が来てんねん」
と席を外し、早朝になって顔中キスマークだらけで帰ってきて、以降、せいじはネタづくりに参加しなくなった。

千原兄弟は、ダウンタウンや雨上がり決死隊が東京に進出した後、大阪で頭角を表し、お笑いライブでは異例の大阪城ホール公
演を開催し超満員にした。
千原兄弟の舞台の練習は、ジュニアが考えたネタを監督に伝え、照明に伝え、音響に伝え、小道具に伝え、すべてに人間に伝え切ってから
「おもろいんやろなァ?」
とせいじが登場。
せいじは「おもろいんやろなァ?」とはいうが、ネタに文句をいったり修正したことは1度もない。
なにもいわずにそれをやる。


若手時代のジュニアは
「ジャックナイフ芸人」
と呼ばれた。
その由来は、いつも鋭い目つきをしながら、飲み会の席でも大喜利を始めるなどお笑いにストイック姿勢、そして芸人を含めさまざまなものに対する対抗意識をムキ出しの態度と尖った行動をとるため。
NON STYLEの石田明はジュニアのファンで追っかけをしていたが、あるとき人が殺到しもみくちゃになりジュニアに足を踏まれてしまい
「痛っ!」
といったところ、ジュニアから至近距離でガンを飛ばされ(睨まれ)
「あぁ?」
といわれた。

ジュニアは、15歳でデビューし芸歴が長く、同い年や年上の後輩が多く、年上から敬語で話されたりする。
ナインティナイン、岡村隆史も4歳上の後輩。
あるとき岡村隆史がレゲエクラブの2階にいるとき、1階ではジュニアとメッセンジャーの黒田有が来店。
女の子に
「芸人や~ん、なんかおもろいことやって~」
とリクエストされ、黒田は尻を出したが
「全然おもんないねんけど」
と言われ
「おらぁ~!」
とキレた。
すると女の子の周りにいた男もキレて、仕方なくジュニアも参戦。
突然、1階が騒がしくなり、岡村隆史は
「おらあァッー」
と暴れるジュニアを目撃。
「関わってはいけない…」
と思った。
その後、ラジオで「ジュニアは危険人物」と悪口を言って笑いをとってしまう。
ジュニアは、自分のラジオ番組にそのことが書かれたハガキが届き、ボソッと
「シバいたる…」
とつぶやいた。
ジュニアが住んでいたマンションの1階には飲食店の入っていて、ある日、ベロベロに酔っ払って帰ってくると店員に
「宮迫さんと岡村さん来てますよ」
と教えてもらった。
ジュニアは店に入って先輩の宮迫博之に挨拶。
そして
「あれ?
小っちゃいの、挨拶あれへんな。
おい!何かおかしない?」
とカラみはじめた。
しかしちゃんと挨拶する岡村隆史を目撃していた宮迫博之に怒られた。
(この後、2人はいよいよ近づくことがなく、2011年の「笑っていいとも!増刊号生SP」で初めて共演し、2人は近くにいたものの、まったく会話を交わさず、翌年の「めちゃ×2イケてるッ!」でやっとまともに共演を果たした)

あるとき東西の人気若手芸人が名古屋に集まってネタ対決をするという企画があった。
犬猿の仲だったせいじとやるじゃねぇかーずの浦井崇は、大阪から名古屋に向かう近鉄電車から会場に着くまでずっと口喧嘩。
本番5分前にも舞台袖でヒートアップし、浦井がせいじにヘッドロック。
兄をやられたジュニアも参戦し、騒動は拡大。
そこへ
「お前ら、本番前に何してる!」
と止めに入ったのが極楽とんぼの加藤浩次。
面識がなかったジュニアは
「やかましいわ、コラッ!」
以降、狂犬とジャックナイフが共演することはなかった。

2001年、東京に出て徐々に仕事が増え、「踊る!さんま御殿!!」の初出演が決まり番組アンケートを提出した帰り、ジュニアはバイクで自宅に向かっていて、タクシーと衝突しそうになり猛スピードのままガードレールに激突。
前頭骨骨折、鼻骨骨折、下顎骨骨折、頬骨骨折、上顎骨骨折、眼窩底骨骨折、眼窩内壁骨折などで一時、意識不明になった。
術後、ICUに入ったとき、顔面は腫れ上がりガーゼは血まみ、体のいろいろな所に管が通されていた。
お見舞いにいったYOUは、タバコを吸ったジュニアの喉から煙が出るのを目撃し、
「魂出てる」
と驚いた。
ダウンタウン、松本は、ジュニアにコンパのセッティングをさせていたが事故で連絡が取れないため、
「ジュニアやったら、あの店やろ」
と予想し、いってみると女の子がいて、正解したご褒美にその中の1人をお持ち帰りした。
入院当初、鼻に入った管から栄養を摂っていたが、アイスなら食べていいという許可がおりたジュニアは
「すとろへりーはふぇはへはい」
とストロベリーパフェをリクエストし
「おいふぃ」
いって食べた。

顔面が
「グッチャグチャだった」
というジュニアは表舞台に立つことを諦め、放送作家など裏方に回ろうと思っていた。
そんな中、先輩や後輩の芸人がひっきりなしにお見舞いに訪れた。
今田耕司は、バイクで死にかけた後輩にバイク雑誌、東野幸治は、ご飯が食べられないという後輩に「美味しんぼ」全巻などユニークなお見舞いを置いていった。
そして
「コイツ、芸人やめる気ちゃうか」
と思った東野幸治は、「鶴瓶・上岡パペポTV」の最終回のノー編集のビデオテープを渡した。
上岡龍太郎、鶴瓶、間寛平、明石屋家さんま、島田紳助、村上ショージらが同じ板に立ってボケまくるのをみたジュニアは
「絶対こっち戻りたい」
と芸人継続を決意。
そして千原兄弟のトークライブ「チハラトーク」で大きなサングラスをかけて復帰。
せいじはジュニアを後ろ向きにして顔面をチェックし、爆笑。
せいじは1度も見舞いに行かなかったが、弟の見舞いに行ってくれた1人1人にお礼を言っていた。

ジュニアは、板尾創路を尊敬し、たった1人の板尾軍団の団員で、数々の奇跡を目撃した。
甲子園に行こうと誘われ、2人でスタンドで観戦していたとき、7回裏、阪神タイガースの攻撃が始まる前、恒例のジェット風船飛ばしがあった。
そして8回表、裏が終わり、9回表を迎えたとき、誰かが飛ばしたジェット風船が板尾創路のおでこに
「ペチッ」
板尾創路はクールな表情のまま髪をかき上げてそれを落とした。
よく一緒にメシを食いにいっていたジュニアは、板尾創路が定食屋でショーケースに入っているサンマを取ろうとして突き指したり、暖かいソバを半分くらい食べてから、
「オレ冷たいやつ頼んだよな?」
と言ったり、エビフライ定食を注文しエビフライを残したり、ティッシュをスライスチーズと間違えて食べそうになるのをみた。
その他にも
「明日(午後)3時に家来い」
といわれ、ジュニアが時間通りに訪ねると
「何や?」
と不機嫌そうにいわれたり、楽屋でエアコンの調子が悪いとずっとエアコンを睨んでいたり、悪口をいっていた女性と後日、手を繋いで歩いていたり、百貨店の家具売り場で知らないおばさんとダブルベッドを見ていたり、コンビニで
「サンドイッチとコーヒー買うて…」
と言いながらおむすびとお茶を買ったり、ファミコンの野球ゲームでコンピュータ同士の対戦をジーっと観戦していたり、出産祝いとしてベビー服をもらったお返しにピンボケの子供の写真をあげたり、パイプ椅子に貼られていた「関係者席」の紙を背中につけたまま喫茶店へ行ったり、アロンアルファを目に入れて失明しかけたり、日光東照宮で参拝したときに二礼二拍一礼のことで頭がいっぱいになってお願い事を忘れたり、神がかり的な天然を目撃。

NHK、深夜の生放送番組「着信御礼!ケータイ大喜利」では、今田耕司、板尾創路、ジュニアが競演。
番組終了、残り5秒前、
「最後に一言メッセージをお願いします!」
とフラれた板尾創路は、潤んだ瞳でジッとカメラを見つめたまま一言も発することなく番組が終了させてしまった。
NHKホールで行われたケータイ大喜利初の公開収録のオープニングで
「(生放送ではなく公開収録は)基本的に大反対」
とコメントし
「なんでですか!」
とツッコまれた板尾創路はエンディングで、今日の感想を聞かれ、再び
「基本的には大反対です」
と答えようとして
「基本的にはだーはいたーです」
と噛んでしまった。
しかし照れるどころか胸を張り堂々と仁王立ち。
その潔さに客席からの拍手が止まらず、遂にはスタンディングオベーションに。
あるときNHKで生収録が終わった後、板尾創路とジュニアは朝6時から映画の撮影があってバスで移動。
「こんなもん寝られへんな」
板尾創路がいうのでジュニアは
「そうですねえ」
と応じたが、しばらくしてみるとスヤスヤと寝息と立てていて
「さすが板尾さん」
と思った。
そして現場に着くと、板尾創路は遠山の金さん役、ジュニアは水戸黄門役でヅラと衣装を装着。
「よーい、スタート」
勢いよく立ち上がり、桜吹雪の入れ墨をみせる板尾創路。
しかし首にマフラーを巻いたままで
「カット!」
次のシーンは
「おうおうおうおうっ」
と袴を持って歩くシーン。
なにやら白いものがカメラに向かって飛び
「カット!」
板尾創路が足の裏に貼っていたカイロだった。

あるとき板尾創路に
「お前のテレビの出方はなんや?
地球上、ほぼほぼお前より年上や。
で、今日、大阪の街を歩いたけど、みんなジュニアさん、ジュニアさんっていうてる。
志村さん、みてみ? 
みんなから、志村、志村、志村って。
あれが芸人のあるべき姿や」
と説教され、ジュニアは
「わかりました」
いったが、その後、お店を出たところで
「あっ板尾さん」
とさんづけされていた。
しかしこのときの板尾創路のアドバイスが
「何%の人だけがわかってくれればいい」
と思っていたジュニアの笑いの理想が、
「1000人いたら1000人笑わせたい」
に変わるきっかけになったという。
またジュニアとダウンタウンを引き合わせたのも板尾創路。
普段、誰ともつるまない板尾が
「えらいつるんでる後輩がいるらしい」
という噂を聞いた松本人志が
「誰やそれ?」
となったことがきっかけとなった。

せいじは、毎年、芸人ブサイクランキングにおいて上位に入る顔面を持っているが、181cm、75kgとプロポーションは抜群。
嫁は元ファンで、長男にはよく
「ハゲとるやないか」
「中途半端にハゲやがって」
といわれていた。
木村拓哉が乗っているワゴン車からせいじが出てくるとドッキリで犠牲となった一般女性はあまりのギャップに腰を抜かして立てなくなった。
車で外出中、マクドナルドのドライブスルーで注文し、高速道路に入ってからポテトが入っていないことに気づくとすぐに引き返し、ポテトのみならず、高速代も要求。
最終的に本社へ電話を入れたが担当者に
「我が社のポテトをそれ程までに愛して頂き、ありがとうございます」
といわれると上機嫌になり、
「かまへん、かまへん」
その後、周囲に
「あの店は最高やで」
と語った。
ダウンタウンの「絶対に笑ってはいけないスパイ24時」では、
「せいじ ガサツやから OUT」
と宣告されレギュラー陣以外で初めて罰を受けた。

非常にデリカシーはない反面、非常にオープンで、どんな生物とも打ち解けることができる。
外国語は全く喋れないが、アフリカ大陸の30ヶ国を含む世界の60ヶ国以上を訪れ、ベトナムを訪れたとき、バイクタクシーの運転手が指定した場所の道をよく知らずモゴモゴしていると、運転手を押しのけて自分で運転。
マサイ族の村を訪問したときは、いきなり
「オイ!
自分の子どもはどれや?」
と聞いた。
「ここにいるのは全部、私の子どもです」
マサイは一夫多妻制で男性に数十人の子供がいるのを知ると
「めっちゃヤルやんけ、お前」
と肩を抱いた。
その後、すぐに溶け込み、翌日にはせいじの後ろをマサイ族がゾロゾロと付いて行くまでになった。
普通なら躊躇するような怪しい料理をアッサリと食べ、
「不味い!」
といった。
車で移動中、ラクダの群れが道を塞ぎ車が立ち往生。
ラクダは車を怖がらないので現地のドライバーは諦めていたが、せいじは
「俺に任しとかんかい」
と車を降り、
「ちょっとどいてくれや!」
とラクダにいい、手を大きく動かし
「行け!」
とジェスチャー。
するとラクダの群れが移動を開始。
「あいつはラクダ使いか!」
と驚かれた。

ゴリラを研究している施設でのロケでは、ゴリラは警戒心が強く人がいる所には出てこないと言われたが
「おーい!出てこーい!」
というと奥からボスゴリラが出てきて蹲踞の姿勢。
研究者によるとそれは歓迎を意味。
その後、別のオスゴリラ2頭と赤ちゃんを抱いたメスゴリラ1頭も出てきて、メスゴリラは赤ちゃんをせいじに見せたため、研究者は驚愕。
昼間、赤ちゃんを抱いて出てきて、しかも人に見せるなど初めてのことだった。
番組でサイの赤ちゃんを見に行ったときも、赤ちゃんは奥の方にいるので撮影は不可能だと言われたが、せいじが行くとなぜかサイの親子がこっちに向かってきて、無事赤ちゃんを撮ることができた。
サイの赤ちゃんは「せいじ」と名付けられ、アフリカですくすくと育っていった。
タイにサルしかいないという島があって、そこに道具を使って貝やカニを食べるカニクイザルがいた。
しかしカニクイザルは賢いが故にめったに人間に姿を見せない。
「ほんまにおるん?」
せいじが島をウロついていると奥からガサガサとカニクイザルが出てきて貝を食べ出した。
「よっしゃ~」
とせいじはそばに行き、
「ウェーイ♪」
と石で貝を割って渡すとサルは
「オゥ!」
と応じ食べた。
何個も貝を割って渡していると5、6匹のサルが並んで待ち始めた。
ロケが終わり、島を出る時にはボスらしきサルがせいじ達をずっと見送っていた。
「初対面のカメラマンと2人きりになったらどうするか」という企画では、開始数秒で積極的に話しかけた。
「徹子の部屋」では黒柳徹子のペースに一切惑わされず、自分の思い通りにトーク。
世界的に有名なフィリピンのプロボクサー、マニー・パッキャオが好きで、マカオでの試合後のホテルまで押しかけて起こし、ツーショット撮影。
Facebookを始めるとすぐに「友だち」が上限に到達してしまい、その後、閉鎖。

ガサツで雑な兄に比べ、弟は神経質でストレス体質。
新しいタバコを開けるときビニールをとらなければならないが、
「灰皿に捨てて焼けて臭いし、小さく折りたたんでもピローンとなる」
と捨てに行かねばならず、大嫌いで1カートンで買うと、まず全個取り出しビニールを取り外す。
ある朝、マンションの窓を開けるとパジャマ姿でゴミ袋を持って歩く男性を発見。
みているとゴミ置き場まで4、5mの地点で止まり、そこからゴミ袋を投げて
「室伏~」
といった。

そして「ズームイン!!SUPER」をみていると日本語の研究家が
「最近は日本語が乱れている」
と警鐘を鳴らしていた。
そして
「上司に『うん』と答えたり、『はいはい』と答えたり『はい』といえない若者が増えている」
とし「はいと言おう!全国運動」を行っているといった。
すると男性アナウンサーが
「はいはい」
と返事をしたのを永遠のレジスタンス、ジュニアは見逃さなかった。

ファミレスのジョナサンに入ったとき、抽選で当たる懸賞があって
「C賞 5000名様にお食事券2000円」
「B賞 1000名様にオリジナルティーセット」
とここまではよかったが
「A賞 ジョナサンの店長と行く石垣島」
と書いてあるのをみると
「なんでやねん」
「何店の店長やねん」
などとツッコみながら応募した。

お台場での仕事の後、ジュニアは次の仕事に向かうため高速道路へ。
レインボーブリッジの真ん中くらいで前の車を追い越すために右の車線へ。
その瞬間、エンジンがストップ。
何度キーを回してもエンジンはかからない。
JAFに電話すると40分間はかかるといわれ、バックミラーを見ると後ろは大渋滞。
こうしてレインボーブリッジの封鎖は完了したが、先頭のジュニアの車のフロントガラスは恥ずかしさで真っ白に曇っていた。


ジュニアが渋谷のバーで飲んでいると、女性2人がこちらをチラチラみている。
「やったじゃん」
「あんたが行きなよ」
などという会話に聞き耳を立てていると、彼女たちがやってきて恥ずかしそうに言った。
「あのぉ~スガシカオさんですよね」
ジュニアは
「はい」
と答え、握手した。


別の日、新宿を歩いていると2人組みの女性に
「握手してください」
といわれ握手。
1人が
「この子、妊婦なんです。
おなかも触ってもらったら」
といった。
するともう1人の女性は
「それはイヤッ」
といい、ジュニアは少しショックを受けた。

三又又三に
「もしお前が「踊る!さんま御殿!!」に出ることになって、ビックリさせられた家族の行動って言うテーマだったらどんな話するんだよ?」
と聞かれたジュニアは、自身が母親と寿司屋に行ったときの話をした。
カウンターで寿司を食べていたところ、近くに座っている4人組のサラリーマンが
「千原ジュニアちゃう?」
「ちゃうやろ」
「いや、そうやって」
と言い出した。
すると母親は、
「このハマチあげるわ、ちはら君」
と大きな声で我が息子を苗字で呼んだ。
三又又三は
「まあまあだな」
といったが数日後、「踊る!さんま御殿!!」に出演し
「このハマチ、あげるわ、みまた君」
と名前だけ変え、踊るヒット賞を受賞した。
また三又又三は常日頃から
「芸人はよ、日当たりのいい部屋に住まないとダメなんだよ。
売れてる芸人はみんな日当たりのいい部屋に住んでいる。
やっぱスターは日当たりがよくないとな。
だから俺も次は無理してでも日当たりのいいとこに引っ越すからよ」
といっていた。
そしてついに日当たりのいいマンションに引越し。
数日後、部屋の窓にエイベックスのどデカイ看板が設置され、日がまったく入らなくなった。

キム兄こと木村祐一もジュニアの尊敬する先輩の1人。
本来、キム兄は非常に優しい人間で、優しいからこそ、おかしなこと、間違ったこと、鈍くさいことにはメチャクチャにキレてしまう。
それも最速、最適な言葉で激高する。
焼き鳥屋で
「焼酎ください」
と注文したとき
「えっようちゅう?」
と聞き返され
「たとえ幼虫というたとしても焼酎持って来い」
と店に早口な怒声を響かせた。
しかし加湿器を買いに行ったときは
「こちらの商品、青色とピンク色がありますがどちらになさいますか?」
と聞かれ
「なんで40過ぎたワシがピンク色の加湿器買うねん。
青色に決まってるやろ」
とキレたが、そのときキム兄はピンク色のポロシャツを着ていた。

野性爆弾、ロッシーは滋賀県生まれ。
小2のとき親戚と竹の子を採りにいった。
竹の子はピーク時には1日で1m以上伸びることもある。
だから朝早く少し頭が出ているものを見つけて収穫しなければならない。
ロッシーが下をみながら探していると首に冷たいしずくが落ちてきた。
朝露だろうと思った瞬間、親戚が
「上を見ろ」
と叫び、見てみるとネクタイで首を吊られた男がユラユラ揺れていた。
急いで家に帰り警察に通報。
数日後、警察は自殺ではなく事故と発表した。
酔っ払った男が竹やぶで寝てしまい、首元にあった竹の子がネクタイを引っかけて伸びたという。
「僕のトラウマなんです」
ロッシーはジュニアにそういったが、そのとき竹の子を食べながら話していた。

山地というマネージャーに子供の名前をつけてくれと頼まれたジュニアは
「空海」
を提案。
山、地、空、海、地球のすべてを要素を現した名前にマネージャーは大感激。
しかし嫁の親が、平安時代に異国から密教を持ち帰り真言宗を開いた名僧と同じ名前に
「大風呂敷を広げすぎ」
「仰々しすぎる」
と反対。
結局、
「心が太い子になってほしい」
という願いをこめ
「心太」
と命名された。
ジュニアは、「心太」が「トコロテン」と読めることを知っていたが黙っていた。
そして心中で
「がんばれ心太、トコロテンに負けるな」
と願った。

FUJIWARAの原西孝幸、宮迫博之、宮川大輔は「ゴリラ3兄弟」と呼ばれ、飲むと手がつけられなくなる。
あるときいきなり原西が
「俺はこの中から1人をどつく」
と言い出し、周囲が
「おっ誰や」
「誰どつくんや」
と騒ぐ中、鬼のような顔で
「お前やー」
とジュニアを指名。
ビックリするジュニアに
「コラー、どついたるからかかってこい」
といったが、周りに諭されると
「そうやねん。
コイツいいやつなんです」
といって急に泣き出した。
しかし電話している宮迫博之を発見すると
「俺がしゃべってんのに、なに電話してんねん」
と顔面を殴った。
宮迫博之は立ち上がって、おしぼりで原西孝幸の首を絞め上げ、それをみたジャリズム山下が
「ゴリラの長男が怒った!
次男ピンチや!」
と喜んでいると、宮川大輔が
「なにはしゃいどんねん!!」
といって
「サクッ」
と箸を側頭部に刺し、山下は流血。
実は文科系のジュニアにはすべてが信じられなかった。

ある時期、大学卒業したての帯川が千原兄弟の担当マネージャーとなった。
ジュニアが
「おいしいラーメン食べたいなあ」
とつぶやくと、次の日に20店ほどピックアップして地図つきで渡すほどマジメな帯川。
あるとき
「ご飯食べる時間ある?」
と聞かれ
「はい、食える時間あります」
「あーほんま」
となったが、帯川は頭を下げながら
「申し訳ありません」
と謝罪。
「どないしてん?」
「食えるではなく召し上がるです」
と訂正した。

テレビの収録前、
「ガソリン入れといて」
とジュニアの車を預かった帯川は、ガソリンスタンドから帰ってきて駐車するとき、右後ろを当ててしまい、収録が終わったジュニアに謝罪した
「すいません。
車をぶつけてしまいました」
「こんな広いところでどうやってぶつけるねん!」
「はい、なぜかぶつけたときは自分でも驚くほど冷静でした」
「お前の心情知るかー!」
と怒られた。
2日後、代車に乗ったジュニアが駐車場にバックで停めて降車。
すると帯川は
「車、ちょっと斜めになってますけど・・」
と注意し
「お前にいわれたないんじゃー!」
と怒られた。

仕事中、エスパー伊東が余裕で入れそうな大きなバッグをいつも持っている帯川。
あるとき
「ボールペン貸して」
といわれかなりの時間ゴソゴソと探し、
「ないです」
と答え
「何でやねん!
そのデカすぎるカバンなにが入ってるねん」
と怒られた。
いまいくよ・くるよは、若い人間を連れて食事にいくのが好き。
中でもよく食べる人間が好きで、身長が180cm以上ある帯川がよく食べるという噂を聞いて、創業100年の老舗しゃぶしゃぶ店に連れて行った。
すると帯川は20人前を1人で平らげ、店の人に「創業以来は初」と驚かれた。
そして楽屋で千原兄弟に
「いくくる師匠もどやさどやさでした。
でも家に帰ってお腹が痛くなって全部戻しました」
と報告。
「知らんがなっ!!」
と怒られた。

ジュニアはドラマでオダギリジョーと競演したとき、
「僕、せいじさんのファンなんです」
といわれ
「えっ?何で」
と聞くと
「せいじさんって僕が持っていないもの全部持っているような気がするんです」
といわれた。
「まったく逆ですよ。
オダギリ君が持っているものをせいじが全部持っていないんです。
せいじにあってオダギリ君にないものがあるとすれば必要のないガサツさだけです」
と説明したが、なぜオダギリジョーがせいじに惹かれるのかまったくわからなかった。

千原兄弟は、両親について聞かれると
「真面目な人たち」
(せいじ)
「真面目不真面目」
(ジュニア)
と答えている。
母、千原産三千代は、息子2人と「SMAP×SMAP」のビストロSMAPに出演。
本番前、控室は息子たちより大きな部屋を与えられ、
「キムタクに握手してもうたで。
柔らかかったわ」
と感激。
本番が始まると、料理をオーダーし、SMAPの手料理を食べてジャッジを下したのも母、千原三千代。
勝利した木村・香取チームに手づくりの梅干を渡すはずだったが、母、千原産三千代は息子たちの前で2人にキスをした。
因みに千原家の父は福知山で「旭一級設計」を経営し「メガネの三城福知山店」などを設計。
ジュニアより4歳下の妹は、元やり投選手で小学校教員である。

せいじの息子は
「幼稚園なんかいかへん」
と拒否。
せいじが
「ほななにすんの?」
と聞くと
「働く」
と答えた。
「どんな仕事すんの?」
「ナカヤマヒロシグッズを売る」
そしてナカヤマヒロシは歌手で
「♪ビールばっかり飲んでると死んで動けなくなるぞ♪」
という持ち歌があり、歌うときは絶対にマイクを使わず、グッズとしては、カタカタと動く人形と靴があると主張した。

そして入園式のとき、式が行われる体育館に入るため、みんなが廊下に整列していると、息子が急に
「体育館にぃ、行くか行かないかはぁ、自由だぁー」
とサバンナ高橋の犬井ヒロシをパロろながら走り出し、せいじは母親と先生が追いかける姿を撮影した。
捕獲され戻ってきた息子は素直に並ばず
「こんな感じで行く」
と廊下に仰向けで寝転び、モゾモゾと動いて壁に頭をぶつけ、先生に
「大丈夫?」
と聞かれ
「ほっといて」
と答えた。
式中はおとなしかったものの、各教室に移動してイスを円形において先生の話を聞くとき、
「俺はここに座るのイヤや」
と円の真ん中にイスを持って移動。
「これからは俺はここに座る」
この日、最後のイベントは体育館に戻って行った記念撮影。
全員が整列する中、せいじの息子は走り回り、みんなを待たせ、母親は捕まえ、みえないようにパンチを入れた。

せいじは、家電好きで、自宅にはゲーム機やAV機器が揃っている。
あるとき結婚記念日に、結婚式を挙げた沖縄、宮古島に旅行にいくことになった。
現地には結婚式のときにつくった泡盛が完成していて、息子の誕生日も近い(結婚記念日の1週間後)という千原家のイベントがテンコ盛り。
せいじは気合が入れ、1週間前から荷物を現地に送った。
3日前にユニクロで甚平3着と雪駄、海パンを購入。
前日、デジカメはメモリーを空にし2本のバッテリーを充電。
同じくDVD録画式のハンディカムもバッテリー2本を充電し、録画用DVDも50時間分用意。
すべての思い出を残そうと目論だ。
出発当日、予約した時間にタクシーが家に到着。
その後もすべて予定通りに進んだが、沖縄についてからDVDだけを持ってきてカメラを家に忘れていることに気づいた。

1ヵ月後、ジュニアも芸人5人で沖縄旅行に行くことになり、ビデオカメラを買うことにし、沖縄に行ってきたばかりの兄に
「ビデオカメラ買おう思うねんけど、どんなんがええの?」
とアドバイスを求めた。
「俺が持ってんのはエエぞ。
DVDに録るんやけどテープと違ってかさばらへん。
アレはええぞ」
「じゃあそれ買うわ」
しかし店へいくと店員にハードディスク内臓の新製品を勧められた。
DVDなら1枚で40分程度だが、そのカメラは内臓のハードディスクに60時間録画できる。
値段もさほど変わらず、ジュニアはそれを購入。
その後、仕事で会ったせいじに
「俺のいうたやつ買うた?」
と聞かれ、話すと
「ほんなら旅行先にパソコン持っていかなアカンやん」
と何故かキレられた。
「ハードディスクいっぱいになったら、パソコンに落とさな、次録れへんやん。
面倒クサ!」
「いやいや誰が1回の旅行で60時間も録るねん」
「俺なんてめっちゃ回すから!
今回もDVD50時間持っていたから!」
ジュニアは
(それでもこっちは10時間残ってるやんけ)
と思いながらもガマン。
後日、せいじが沖縄にカメラを持っていくのを忘れたのを知り、思った。
「頼むから死んでくれ」

せいじの息子はジュニアにとって甥っ子。
小2の甥っ子と初めてメールアドレスを交換したとき、別れた直後にたった1文字、ウンコの絵文字が送られてきた。
10ヵ月後、ある土曜日の深夜、甥っ子からメールがあり、一言、
「バカリズムに負けたな」
と「IPPONグランプリ」の決勝で負けたことをなじられた。
その翌日、ジュニアの家で鍋パーティーを行われ、せいじと仲がいい芸人に連れられ甥っ子も参加。
「ジュニアパパー」
と笑顔で飛び込んでくる甥っ子をジュニアは抱きしめ目を閉じ、昨夜
「しばいたる」
と思ってしまったことを恥じた。
そして一緒に鍋を食べているとき
「俺、来週の土曜日、誕生日や」
とねだられた。
そんな甥っ子はココゾというときは
「俺、千原せいじの息子」
とはいわず
「俺、千原ジュニアの甥っ子」
と自己紹介していた。

中華街で女の子2人がグルメ本をみながら、
「どこ行こう?」
と相談していると、突然、後ろから
「そんなもん見てるうちは素人や」
といわれ、振り返るとせいじがいて、初対面の2人は
「ええ匂いのする出所!
それがおまえらの目的地や!」
とアドバイスされた。

・ビルや信号、高速道路などをみえないようにしてつくられた。
・当初、御殿場につくられる予定だったが富士山が見えたため現在の場所になったという。
・特殊な電波を流すことで鳩やカラスはいない。
などジュニアはディズニーランドについてさまざまな噂を聞いて
「さすが夢の国やな」
と思っていた。
そしていよいよ初めてその国に行くことになり、胸躍らせながらゲートをくぐると目の前に鳩が歩いていた。

あるときモリを持って川に潜ったせいじは
「何か動いた!」
と思って自分の太腿を突き刺した。
またあるときせいじは大便を膝で踏んでしまい
「なんで膝やねん…」
と号泣した。

若手芸人のエリートヤンキー、橘が新宿を歩いていると前からせいじがやって来た。
初対面の橘は緊張しながら
「おはようございます。
吉本興業のエリートヤンキーの橘実と申します」
と頭を下げて挨拶。
するとせいじは
「ごめんなぁ、同じ会社やのに俺、君の事知らんわ。
俺の勉強不足や。
ほんま恥ずかしいわ」
といって頭を下げた。
それをみてエリートヤンキー、橘は驚愕。
何千人という若手芸人がいる吉本で知らない後輩がいて当たり前。
むしろ先輩に知ってもらえていない後輩の方が悪い。
しかも普段テレビで見ていたデリカシーのなさやガサツさは微塵もない立派な先輩っプリに。
そして2ヵ月後、エリートヤンキー、橘は、ライブに出演するために渋谷の劇場に入った。
それはテレビに出ていない若手芸人しか出ないライブ。
しかし楽屋のモニターをみるとマイクを持ったせいじがいた。
「今日、司会やらせてもらいます。
千原せいじです。
いやあ、こないだ新宿歩いてたらウチの若い子にあいさつされてんけど、俺その子のこと全然知らんかって。
これは同じ会社やのに失礼やな、勉強不足やな思て。
いろんな若手のことも知りたいから頼んで今日の司会無理やり入れてもうてん。
よろしく!
ではライブスタートです!!」
エリートヤンキー、橘は大感激し、さっそく舞台を下りてきたせいじにあいさつをしにいった。
「おはようございます!!
エリートヤンキーの橘です」
「どうも初めまして!」

宮迫博之がガンで入院し手術を受けたとき、ジュニアは
「なんて声をかけよう」
「どんな顔で行こう」
などいろいろ思いながら恐る恐る病室のドアを開けた。
するとジーパンにブーツ姿の宮迫博之が
「おう、いまコンビニ行っててん」
とプリンを出しながら笑っていて、心の中で
(どんだけ雨上がるの早いねん)
とツッコンだ。

2019年5月、せいじは名古屋市内のホテルで不倫をスクープされた。
相手は浜崎あゆみ似の20代女性。
品川駅で週刊文春の記者に
『やってますよね?』
と突撃取材され、最初こそトボけていたが
「そやそやそや」
と付き合ってることも不倫してることも認めた。
『相手の女性、結婚されてますよね?』
と聞かれ、女性に未婚といわれていたせいじは新幹線の発車時刻が迫っていたため
「お前、乗れ」
と記者を同乗させ、女性に連絡を取り、目の前で女性が未婚であることを確認。
その後も1時間、しゃべり倒した。
突撃取材を受け、2日後に自分の不貞が掲載された週刊誌が販売されることを知ったせいじは「だいぶ芝居こいて」嫁に説明した。
まず
「エラいことなってまったわ。
これはシャレにならん、アカンわ、ちょっとホンマに」
と切り出し、何度も話すフリをしながらも決して核心には触れない。
すると嫁が
「なに?なに?」
と言い出した。
嫁の不安を増大させる作戦に成功したせいじは
「実は文春に写真撮られたんや」
と明かした。
もっと大きなことを想像していた嫁は
「ハッ?
そんなこと」
と拍子抜け。

こうしてせいじはピンチを切り抜けたが、2日後、文春が発売になり
「カレーライスだけではなく、たまにはハヤシライスも食べたくなる」
というコメントが掲載された。
それを読んだ嫁は
「文章もやけど写真がむっちゃ腹立つ」
といってそれから毎日文春を1冊ずつ買って、リビングに置いていった。
嫁は怒ったが世間では
「ハヤシライス不倫」
と明るい話題となり、たくさんの芸人が番組でイジって笑いをとった。
ジュニアは
「例えとして食材が近い。
スシとかラーメンとか多岐にわたれ。
狭いところでやりくりすな」
「まず嫁を守ろうと思うなら『毎日ステーキばかりだと飽きるから、たまにはお茶漬けも食べたいがな』というのが正しい例え。
相手の女性に申し訳ないと思うなら、全然違う食材で順序をつけないようにすべき」
とダメ出し。
せいじの息子も
「あいつ、アホやな~」
といった。

こうしてなんとか笑いで乗り切ったものの、わずか半年後、せいじは、40代の元AV女優との不倫旅行を撮られてしまい
「激辛カレーや。
激辛カレーに手を出してもうたんや。
俺は女にモテるために芸能界に入ったんや。
モテることに必死やねん」
と再び潔く認めて開き直った。
そしてテレビで
「本当にエライすみませんでした」
と神妙に謝罪。
共演していたハイヒール・リンゴに
「女性を食べ物に例えるのをやめなさい」
と叱られた。
せいじが嫁に2度目の謝罪した翌朝、いつものようにリビングでBSのニュースをみていると、嫁が現れ、
「アンタ、今日は1日ワイドショーやろ」
といわれ、いたたまれなくなって自分の部屋に向かったが、その途中、息子とスレ違い、
「お前、もう知らんぞ」
といわれ、いよいよ居場所がなくなったせいじは吉本へ。
ここでも厳重注意を受け、
「俺、しょーもな」
とうなだれながら会社を出るとき、社員に
「どこに行くんですか?」
と聞かれ
「友達とツーリングに行く。
風と一体になりたい気分。」
といって去った。

2度目の不倫のとき、嫁は取材を受けた。
『どのように感じていらっしゃいますか?』
「仕事関係の方々にご迷惑をおかけしたと思うので申し訳ないという気持ちでいっぱいです。
ご迷惑をおかけした方にお許しをいただけたらということだけですね」
『2度、裏切られたことになりますが、今後も結婚生活は続けていきますか?』
「そうですね。
芸人さんと結婚している時点で、ある程度の覚悟はしていますから。
離婚は考えていないです」
そう記者の目をみながらキッパリ言い切り、最後は
「お疲れ様です」
とお辞儀までして、せいじをはるかに上回るメンタルタフネスを見せつけた。
毎朝、起きるとまずリビングに出てくるせいじに、いつも水やトマトジュースなどを出していた嫁は、まったく部屋から出てこなくなったせいじをみて
「アイツ、たぶん部屋から起きて喉カラッカラやで」
と思っていた。

こうしてせいじは2回、世間に不倫が発覚したが、1回目の時、記者と連絡先を交換し、2回目のとき、その記者から電話がかかってくると、携帯の電話の画面を見ながら
「どれや~」
とつぶやいた。
それを目撃したジュニアは、
「絶対に2回だけじゃない」
と確信した。

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