室伏広治の学生時代「アジアの鉄人」と呼ばれた父親とやり投げの「幻の世界記録保持者」によって覚醒。

室伏広治の学生時代「アジアの鉄人」と呼ばれた父親とやり投げの「幻の世界記録保持者」によって覚醒。

ハンマー投げは、パワー×技×精神力、そして人間の本能を呼び覚ませ!!!


室伏広治は、静岡県東部、伊豆半島の付け根に位置する沼津市で生まれた。
父親は、2年前にハンマー投げ日本代表としてミュンヘンオリンピックに出場したばかりの室伏重信。
母親は、18歳でヨーロッパジュニア陸上競技選手権大会で金メダルを獲得し、やり投げのルーマニア代表だった室伏セラフィナ(セラフィナ・モリツ)
投てき選手の国際結婚は、「フィールドに咲いた恋」「恋の3回転ターン」といわれた。
そんなアスリートの両親の長男として生まれた室伏広治は、生後5ヵ月で腹筋運動のように上体を起こし、6~7ヶ月で物干し竿にブラ下がって腕でお腹まで身体を引きつけた。
そして父親の仕事場であるハンマー投げのグラウンドで遊んだのがすべての始まりとなった。
3歳のときから室伏広治は父親が発泡スチロールでつくったハンマーで遊んでいたが、
「ハンマー投げをやれ」
といわれたり、強制的にやらされたことは1度もなかった。
そんな自主性を重んじる父、重信は、室伏広治が4歳のときにモントリオールオリンピックに出場。
室伏広治は、小学校1年生のとき、立ち幅跳びで1m90cmを記録。
父、重信は、モスクワオリンピックの日本代表に選ばれていたが、ソ連がアフガニスタンを侵攻したため、アメリカをはじめとする西側諸国が出場をボイコットし、日本オリンピック委員会(JOC)も不参加を決定したため、246人の日本代表選手は出場することはできなかった。


小学校2年生のときに子供用の3㎏のハンマーを投げ始め、小学校3年生のときに父、重信がコーチ学を学ぶためにアメリカのロングビーチ大学に留学したため、アメリカへ。
そこで
「悪い癖がついてしまう」
と思った父親から初めてハンマーの投げ方を教わった。
しかし教わったのは3日間だけ。
それ以降は、また何もいわれなくなった。
小学校で学校で何かあれば必ず疑れるようなイタズラっ子で、教師に何度も怒られる一方、正義感が強く、カツアゲしていた上級生から取り返し、取られた相手に返したこともあった。
体育は好きで瞬発力を要する運動は得意だったが、持久力が求められる運動は苦手で、小学校で初めてマラソン大会に出たとき、序盤はトップだったが、最下位でゴール。
ショックを受けていると父、重信に
「お前はマラソンが得意ではないというだけの話だ」
といわれ
「人には得意なことと苦手なことがあるんだ」
と納得。
家庭科の調理実習も
「火を使って調理をするのはおもしろいな」
と大好きで裁縫も
「布に図案を描いて,丸い刺繍枠を使って刺繍をしたのが楽しかった」
といい、現在でも上手に縫える。
そして小学校5年生のとき、父、重信がロサンゼルスオリンピックに出場し、現地で応援し、
オリンピック独特の雰囲気を楽しんだ。


小学3年から中学2年までロサンゼルスで暮らした後、愛知県の中学校に編入学。
当初、複数の部活動を掛け持ちしたが、自然と陸上部に落ち着き、最初やったのは、3種競技B(400m、走り幅跳び、砲丸投げの合計ポイントを競う)
中学校1年生の夏、欧州選手権でユーリ・セディフ(ソ連)が、86m74を投げ、世界記録を更新。
それは現在(2024年)でも破られていない超ビッグスローだった。
中学2年生の2月、父、重信と母、セラフィナが、結婚15年目に離婚。
父、重信に事情を説明され、
「どちらと暮らすのか自由に選択してよい」
といわれた室伏広治と小学生の妹、由佳は、父親と暮らすことにした。
その後、セラフィナは、日本人男性と再婚し、室伏家と同じ愛知県に居住。
母親が外国人であったことや小さい頃から海外で過ごしたことで英語を話せる室伏広治は、
「母の社交的な基質を受け継いでいるという面もあるかもしれない」
という。

そして中学3年生になると父親にハンマー投げを教えてほしいと願い出た。
「教えてほしいとはいったがハンマー投げの道に進むことを決めたわけではなく、自分がどの種目が向いているのかわからず、選択枝の1つとして試しにハンマーを投げてみたいと思った程度だった」
室伏広治は、町の相撲大会で大人相手に戦い、大相撲からスカウトが来るほど体が強かったが、180㎝、65㎏とかなり細身。
父、重信がハンマー投げを始めたのは高校1年生のときで、その時点で178㎝、78㎏あった。
だから
室伏広治にハンマー投げを教えてくれといわれたとき、
「大変なことになる」
と思った。
しかし勤務する中京大学のハンマーサークルで投げさせてみると、大学生よりも投げ方がうまく、しかもジュニア用のハンマーを40m以上も飛ばしたため、
「インターハイ(全国高校総合体育大会)でトップになれる」
と確信すると同時に、
自身、世界で100㎏を超える大男たちと戦ってきた経験から
「技術である程度はカバーできるが、体重が増えない限り、ハンディになる」
と思った。
そして全国の高校の陸上部を調べ、夏休みに室伏広治を、全天候型のグラウンドがあり、自分の大学の後輩が陸上部の顧問をしている千葉県の成田高校に連れていった。
大学の後輩とは、小山裕三。
砲丸投げの元室内日本記録保持者で、世界陸上やオリンピックの投てき競技のテレビ解説者としても有名な人物。

タレントの照英は、中学校3年生のときに全国大会(全日本中学校陸上競技選手権)の合宿で室伏広治と初めて会い、第1印象は、
「あの鉄人の息子?」
そして体がヒョロヒョロだったので
「跳躍の選手かな?」
と思ったが、実際、ダッシュやジャンプ力がすごく驚いた。
そして自身は3種競技A(100m・走高跳・砲丸投の総合ポイントを競う)と砲丸投げで全国大会に出場した。

こうして室伏広治は、私立成田高校に進学し、実家を出て、陸上部の監督である滝田詔生の家に下宿。
滝田詔生は、俳優の滝田栄の実兄で、小山裕三の師であり、マラソンの増田明美を育てたことで有名な指導者。
これまで自由に伸び伸びと生きていた室伏広治にとって、滝田詔生と小山裕三は、とても厳しく、雑巾がけや皿洗いをさせられたり、言葉遣いや礼儀、生活態度が乱れなど厳しく叱られた。
「小・中ではエネルギーが余っていて先生にも何度も怒られるようなことをしました。
でも高校で本格的にスポーツをするようになって規律ある生活をする中でおとなしくなっていきました。
エネルギーを向ける場所が見つかったのかもしれないですね」




ハンマー投げは、ワイヤーに取りつけた鉄球を、直径約2mの円の中で回転して遠心力を発生させて投げ、その飛距離を競う。
鉄球の重さは約7㎏。
ボウリングでいえば1番重いクラスのボールで、
これを80m投げるとき、リリース時の張力は400㎏近くにもなるという。
室伏広治は、入学直後の4月に行われた千葉県大会で、約6kgの高校生用ハンマーを2回転で投げて、44m26。
この記録で優勝した室伏広治は、南関東大会へ進出。
ここで上位に入ればインターハイに出場となるが、フォームを崩し、距離が伸びずに敗退。
その後、父、重信は、月1回、成田高校を訪れて指導を行い、1ヵ月間の練習メニューを渡して帰るということを繰り返した。

成田高校陸上部顧問、小山裕三は投てき種目の担当だったが、
「室伏先生が教えたほうがいいに決まっている」
といって、室伏広治にハンマー投げをまったく教えず、体力トレーニングを指導した。
かつて室伏重信に憧れて日本大学に進んだ小山裕三は、ハンマー投げを志していたが、コーチに回転競技のセンスがないといわれ、3ヵ月で砲丸投げに転向。
ある日、室伏重信に
「お前は砲丸を押し出す肘にバネがある。
真面目にやれば強くなるぞ。
これを着て、練習に励め」
といわれ、日本代表だけに支給される日の丸入りのランニングを手渡された。
感激した小山裕三は、関東インカレ(関東学生陸上競技対校選手権)を3連覇。
日本インカレ(日本学生陸上競技対校選手権)で優勝。
日本学生記録を出し、その後、日本選手権2連覇。
アジア大会6位。
そして砲丸投げの室内日本記録を出すまでになったが、日の丸入りのランニングは
「恐れ多くて1度も着ることなく、大切に保管してある」

一方、そのことを室伏広治から聞いてもアドバイスをしたこともランニングを渡したこともまったく覚えていなかった父、重信は、かつて東京オリンピック代表選考に落選し、アジア大会で準優勝した後、スランプに陥った。
練習量で打破しようと1日8時間、300本を投げたこともあったが、2年以上、停滞。
体力ではなく、技術に問題があるのではないかと疑い、自分のフォームを確認できる8㎜ビデオに出会ったのが転機となり、
初めて自分のハンマー投げのフォームをみて
「自分の感覚と実際の動きが違う」
と気づいた。
「始まりは、大学3年生のときでした。
それまで急速に記録を伸ばしていた私は、突然、大スランプに陥ります。
猛練習で乗り越えようとしましたが、成績はさらに下がっていく。
社会人になっても、不振が続きました。
そのときです。
当時、まだ珍しかった8mmビデオを借りて、自分のフォームを撮影したのです。
トップ選手の映像も手に入れました。
もう夢中になりましたね。
夜、社員寮の襖に映して、体の動きを分析する。
何度もテープを巻き戻して擦り切れるまで観ました。
「そうか、トップ選手の足の動きはこうなっているのか」と興奮し、畳の上で練習する。
そして修正したフォームをまたビデオに撮る。
そうやって足や腕など、あらゆる部分の動きを変えていきました」
父、重信は、高校から7年間投げ続けてきた感覚が消えるまで、ハンマーを投げることを控え、その後、アジア大会で優勝し、ミュンヘンオリンピック8位入賞。
「倒れ込み」という回転中に軸を背面方向に倒す技術を編み出し、日本記録樹立、オリンピック日本代表4回、アジア大会5連覇、日本選手権10連覇を果たし、
「アジアの鉄人」
といわれた。
そんな父、重信は、技術とその追求を第1に考える、シビアな合理主義者で
「フォームが崩れる」
といって、あまり投げ込みをさせなかったり
「力に頼る投げ方になって技術が身につかない」
といってウエイトトレーニングをさせないなど独自のやり方で室伏広治を育成。


室伏広治は、夏休みに帰郷すると中京大学で父、重信に指導を受けながら本格的な練習が始まった。
ハンマー投げは、まずハンマーを持たずに両足接地と片足接地を繰り返す足の運び方と回転運動を練習する。
その後、ハンマーを持ち、スイングと投げ方。
次に1回転投げ、2回転投げを練習。
その後、3回転投げにするか、4回転投げにするかを選択する。
世界記録保持者のユーリ・セディフは3回転投げで、世界2位のセルゲイ・リトビノフは4回転投げだった。
父、重信は、3回転投げだったが、回転スピードを高めるために、研究と練習を続けて4回転を習得し、38歳で75m96という自己の日本記録を更新。
そんな父、重信の指導下、室伏広治は、4回転ターンをみっちり練習。
結果、春の南関東大会で46mしか飛ばなかった室伏広治のハンマーは、4回転投げをマスターした秋、52m82に到達。
技術を身につけて結果を出すという喜び知ってしまった室伏広治は、父親や教師、誰からも1度も強制されないまま、純粋にハンマー投げが好きになり、自ら積極的にのめり込んでいった

父、重信に、
「一流選手のビデオをみなさい」
「あまりうまくない選手の投げ方はみなくてよい」
といわれ、時間があれば世界記録保持者のユーリ・セディフや世界歴代2位のセルゲイ・リトビノフのビデオを観た。
そしてある大会で、みんなが仲間のハンマー投げを応援しているとき、室伏広治だけ背中を向けて観戦。
「お前も応援しろ」
と注意され、
「親父からいいものをみろ、悪いものはみてはいけないといわれているので・・・」
と答え、叱られた。
高校2年生の夏、
日本初の世界陸上が東京、国立競技場で開催。
若手が台頭し、さすがに勝てないだろうといわれていた36歳の世界記録保持者、ユーリー・セディフが優勝。
観客席で感動した室伏広治は、
秋、千葉県代表として国民体育大会(国体)に出場し、68m22の高校新記録を出して優勝し、インターハイでも優勝(64m78)
試合で使うハンマー重さは、高校生が6㎏、大学生以上は7㎏だが、75㎏の体で大人用のハンマーで61m76をマーク。
高校3年生のインターハイでは、71m78と70m台を出して優勝し、2連覇。
7㎏のハンマーでも66m30を投げ、体と飛距離のギャップで衝撃を与えた。

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