1955年12月1日、アメリカ南部アラバマ州、その州都、モンゴメリーで有名な事件が起こった。
その日、42歳の黒人女性、ローザ・パークスは、百貨店での裁縫の仕事を終えて帰宅するために市営バスに乗った。
アラバマ州を含むアメリカ南部は「人種分離法」が施行されていて、あらゆる場所で黒人と白人は隔離され、バスも前半が白人席、後半が黒人席と決まっていて、ローザ・パークスは黒人席の最前列に座った。
やがてバスが混んできて、立っている白人客が増えると、運転手は白人席を増やそうと黒人席の最前列に座る4人に席を空けるよう指示。
他の3人は従ったが、ローザ・パークスは応じず、運転手が
「なぜ立たないのか」
と詰問すると
「立つ必要は感じません」
と答えた。
運転手は警察に通報し、ローザ・パークスは市条例違反で逮捕された。
警察署で手続きが終わると一時、拘置所に入れられたが即日保釈され、やがて市役所内の州簡易裁判所で罰金刑を宣告された。
モンゴメリーの教会の牧師、26歳のマーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、それを知ると抗議のためにバス・ボイコットを呼びかけた。
肌の色を問わず多くの市民がこれに応じてバスを利用しなくなったことで市は経済的に大きな打撃を被った。
ローザ・パークスは、バス車内の人種分離の条例は違憲であるとして控訴。
事件から約1年後、連邦最高裁判所は違憲判決を出し、公共交通機関における人種差別は禁止され、381日間続いたボイコット運動は、判決の翌日に収束した。
これがきっかけとなって人種差別を撤廃するための「公民権運動」が全米で起こった。
ジョン・F・ケネディ大統領は、差別制度を禁止する立法を行った。
「モンゴメリー・バス・ボイコット事件」から7年後、1962年の10月19日、「The Real Deal(真の男)」イベンダーホリフィールド(Evander Holyfield)は、アラバマ州アトモアで9人兄弟の末っ子として生まれた。
アトモアは、州都モンゴメリーとモービルを結ぶ幹線道路から少し離れた場所にあり、リスや鹿、ポッサム、キツネなどが走り回る、公民権運動やデモとは無縁の静かな村だった。
母親のアニー・ローラ・ホリフィールドは、元々、アラバマ州の隣、ジョージア州アトランタに住んでいたが、長女、ジョー、次女、エロイーズ、長男、ジェームス、三女、プリシラ、四女、アネットを産んだ後に離婚。
夫のジョセフは、ミシガン州で新生活を始め、アニーは、しばらくアトランタに住んでいたが、親戚から自分の母親(イベンダー・ホリフィールドの祖母)が重病だと知らされると看病するためにアラバマ州のアトモアへ。
祖母は脳卒中で重体だったが、介護のかいあって危機を脱した。
祖母、パーリー・ベアトリス・ハットンは、神への信仰と意志が非常に強い女性で、車椅子生活になりながらも家族のために家事をこなした。
すでにアトランタで仕事をしていた長女、ジョー以外の4人の子供を連れてアトモアにやってきた母親は、レストランでコックとして働き、やがてアイソン・コーリーに出会い、ウィリー、バーナード、イベンダーという3人の男の子を産んだ。
2人は結婚するはずだったが、許せない事が起こり、突然、終わりを迎えた。
だからホリフィールド家は、
祖母、ハットン
母親、アニー
次女、エロイーズ
長男、ジェームス
三女、プリシラ
四女、アネット
次男、ウィリー
三男、バーナード
四男、イベンダー
という9人家族だった。
母親のアニーは、並外れて勤勉で、車もバスもないので毎日、どんな天候でも朝早く片道45分歩いて通勤し、深夜近くに帰ってくるのが当たり前だった。
そして週6日働いた後日曜は教会へ通った。
イベンダー・ホリフィールドの兄や姉も、村の中で綿摘みやペカン(クルミの一種)の収穫、レストランのウエイトレスなどの仕事をしていた。
母親は、幼いイベンダー・ホリフィールドに、どうして朝から晩まで働くことができるのか聞かれると
「世の中は、いつも公平であるとは限らないのよ。
でもそれは耐えられないほどの公平ではないわ。
神様は私たちが耐えきれないような苦しみはお与えにならないのよ。
人生の中には苦いものも甘いものもあるの。
大事なことは甘いものと一緒に苦いものをどのようにして受け入れるかを学ぶことなの。
髪を愛し、神の目的に従って神のしもべを務める者には、すべてがうまくいくと神様自身がおっしゃっているわ。
人を愛していれば、早く起きて、遅く寝ることはつらいことではないのよ。
むしろ喜びなのよ」
と答えた。
イベンダー・ホリフィールドは、
「母親から強い労働倫理、逆境に直面しても辞めない姿勢、深いキリスト教信仰を植えつけられた。
自分の成功は、自分をこのような性格に育てた母親のおかげだ」
といっている。
イベンダー・ホリフィールドが1歳のとき、南部、テキサス州ダラスでケネディが暗殺され、副大統領だったリンドン・ジョンソンが第36代アメリカ合衆国大統領になった。
リンドン・ジョンソンは、ケネディの遺志を継ぎ、「Great Society(偉大な社会)」の実現を掲げ、黒人の社会的・経済的地位を向上させるために貧困問題や失業問題のために10億ドルを拠出し「公民権法」を成立させようとした。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師は、リンカーンの奴隷解放宣言100年を記念する集会をワシントンで行い、著名人を含む20万人を超える人と共に大行進。、
リンカーン記念堂の前で行った演説で、
「I Have a Dream」
という有名な言葉を世に放った。
2歳のときに「公民権法」成立し、その1ヵ月後、南ベトナムを軍事援助していたアメリカの駆逐艦が魚雷艇の攻撃を受け、直ちに北ベトナムを爆撃するという「トンキン湾事件」が発生。
リンドン・ジョンソン大統領は
「アメリカ軍に対する攻撃を退け、さらなる侵略を防ぐために必要なあらゆる手段をとる」
と宣戦布告し、アメリカはベトナム戦争に突入した。
ボクシングでは、WBA、WBC統一世界ヘビー級チャンピオン、ソニー・リストンが、カシアス・クレイ(モハメド・アリ)の挑戦を受けた。
ソニー・リストンは、服も靴も食べるものもなく、教育を受けることもなく、2人の妻との間に25人もの子供をつくったアルコール依存症の父親に虐待されながら育ち、暴力に耐えかね逃げ出した母を追うように家を出たが、読み書きができない黒人少年にまともな仕事はなく、10代前半で強盗団を組織し、武装強盗や警官襲撃などで19回逮捕され、刑務所で神父に教わってボクシングを覚えた。
身長184cm、213cmという長いリーチと周囲38cmという大きな拳、そしてすさまじい殺気を放つボクシングで世界ヘビー級チャンピオンとなり、
「最強」
と称えられるより
「最凶」
と恐れられていた。
一方、カシアス・クレイ(モハメド・アリ)は、ローマオリンピック、ライトヘビー級金メダリストで、プロ入り後、19連勝。
試合前にKOラウンドを予告するなどのビッグマウス、ヘビー級では珍しい華麗なアウトボクシングでファンを興奮させていた。
このときも試合前に
「お前は醜い」
「蝶のように舞い、蜂のように刺す」
「8ラウンドで俺の偉大さを証明してやる」
などと挑発。
賭け率は、7対1でソニー・リストン有利だったが、6R終了時にパンチのダメージのために棄権し、TKO負け。
カシアス・クレイ(モハメド・アリ)は
「俺は王様だ」
「俺は美しい」
「俺は最高だ」
「俺は偉大だ」
と叫んだ。
イベンダー・ホリフィールドが3歳のとき、2人は再戦し、1R、2分12秒でカシアス・クレイ(モハメド・アリ)がKO勝ちした。
4歳のとき、1つ上の兄、バーナードと家の外の芝生の上で転げ回って遊んでいると庭の柵の向こうに背の低い見知らぬ男がきて
「ヘイ、坊主たち
こっちへ来いよ」
といわれた。
男は明らかに酔っぱらっていて
(知らな人と話してはいけない)
と思いながら無言で立ち尽くしていると無視されたと思った男は庭の中に入ってきた。
すると鎖でつながれた愛犬のラッシーが吠えはじめ、侵入者に向かって唸り、鎖をいっぱいに引っ張って飛びかかる動きすらみせた
ただならぬラッシーの吠え方に様子をみに出てきた姉、アネットが大声で
「出てってよ。
今すぐに。
聞こえたでしょ。
出ていきなさい」
といった。
酔っぱらいは、それを無視し、拳を振り上げながら鎖を伸びしたラッシーにギリギリまで近づいては離れ、近づいては離れを繰り返した。
悪質な挑発行為が1分ほど続き、ラッシーの怒りが爆発。
そのパワーで鎖が外れ、侵入者に向かって全力で突進。
酔っぱらいは甲高いを声を出しながら逃げ出した。
その表情をみて、兄弟は大笑い。
庭の外まで追っていったラッシーは、数分後、帰ってきた。
兄弟は、いつもの落ち着きと人懐っこさを取り戻したラッシーに鎖をつけ直し、水をあげた。
1時間後、男が保安官を連れて戻ってきた。
アネットは、
「この犬は弟たちを侵入者から守ろうとしただけで、いわば義務を果たしただけ」
と男が庭に侵入し、ラッシーをからかったと説明。
腕組みをしながら聞いていた保安官は
「この人から聞いた話と違う。
この人は道を歩いていたら、この犬がフェンスを飛び越えて襲ってきて、危うく噛まれそうになったといっている」
「彼はウソをついているわ」
アネットは男を鼻で指し、バーナードも
「その通りだよ、保安官。
この人は1時間半前には今みたいに紳士のようじゃなかった。
家の庭に入ってきてうちの犬をからかったんだ」
といった。
「もういい」
保安官は話を遮り、
「話は十分に聞いた。
どうやら犬は射殺しなければならないようだな」
兄弟は顔を見合わせた。
誰も、この決定が信じられず、
イベンダー・ホリフィールドは、
(これは絶対に間違っている)
は思った。
保安官は車から黒いショットガンを取り出し、イベンダー・ホリフィールドが目をいっぱいに開いてみつめる中、弾をこめ始めた。
そして銃を持った保安官は、そばを通ってラッシーがいる場所へ。
「早く家に入りなさい」
アネットは、弟たちに命令。
イベンダー・ホリフィールドたちは従ったが、家の中に入ると一目散に窓際へ。
ガラス越しに膝を折った姿勢で、軒下のラッシーに狙いをつける保安官を目撃。
自分たちの位置はラッシーの真上だったが、低い唸り声も聞こえた。
さらに吠えはじめ、
「ジャラジャラ」
と鎖の音が聞こえた後
「バーン、バーン」
っち2発の銃声がこだました。
恐ろしい反響音が消えると、保安官は何事もなかったように車に向かって歩き、エンジンをかけ、走り去った。
男も満足そうな顔で歩いていった。
イベンダー・ホリフィールドは兄と庭に走り出た。
軒下には黒い血だまりができていて、弾を撃ち込まれて蜂の巣のように無数の穴が開き、毛皮のようになったラッシーがいた。
正義の名のもとに行われた理不尽な出来事に兄弟たちの気持ちはおさまることはなく涙を流した。
やがて帰ってきた長兄、ジェームスと次兄、ウィリーもラッシーの死を聞かされて悲しみ、怒りに拳を握り締め、肩を震わせた。
彼らはティーンエイジャーだったが、村で働くことで、すでにいろいろな苦い経験をしていた。
ラッシーは祖母がつくったキルトの布に包まれ、庭に掘った穴に埋葬された。
ラッシーの悲劇は、イベンダー・ホリフィールドに厳しい現実を教えた。
そしてこのときの無力感が、真の強さを求める原動力となった。
1967年、WBA、WBC統一世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリがベトナム戦争への徴兵を拒否したため、ボクサーライセンスとタイトルを剥奪された。
ベトナムの戦費は年々増え続け、アメリカを圧迫。
また人道的見地からもアメリカ国内を含む世界中で反戦運動が起きていた。
一方、5歳のイベンダー・ホリフィールドは、この年、聖書的体験をした。
真夜中にトイレに行ったとき、キッチンに誰かいるような感じがしていってみるとテーブルのそばにハゲ頭の大男が立っていたのである。
驚いて無言で立っていると、男は笑みを絶やさずに話しかけてきて、数分間会話。
そして男が近づいてきて、頭を撫でられた。
イベンダー・ホリフィールドは走って眠っている母親の部屋にいき、キッチンに男がいると訴えた。
昼間の仕事で疲れている母親は
「そう、キッチンに男がいるの。
よかったね。
もういい加減にベッドに戻って寝なさい」
と本気にしてくれない。
イベンダー・ホリフィールドは薄暗い廊下を走って、自分たちのベッドに飛び込んで眠ってしまった。
それから毎日、真夜中になると勇気を出してベッドを飛び出しキッチンへ。
すると必ず背の高い男がいて、おしゃべりをし、母親の部屋にいって男がいると報告し続けた。
1週間後、男と話した後、母親の部屋にいったが相変わらず本気にしてもらえず、自分たちのベッドへ。
その後、母親は、連日の睡眠妨害に腹を立てながら起き出し、キッチンにいって冷蔵を開けた。
そしてミルクをコップに注ぎ、冷蔵庫を閉めた後、悲鳴を上げてコップを床に落とした。
その音で各部屋で人が起き、ドアが勢いよく開き、全員がキッチンに集合し、床のミルクとコップの破片を踏まないように立った。
母親は恐怖で震えながら
「お、男がいるわ」
エロイーズは、
「誰もいないわよ」
といったが、母親は
「背の高い、ハゲ頭の黒人の男が私に向かって笑いかけていたのよ!」
驚いて悲鳴を上げたら消えてしまったわ」
といった。
イベンダー・ホリフィールドは、自分がみた男を説明した。
他の兄弟たちから質問攻めにあっていると祖母が厳粛な声で
「その人は主がおつかわしになった天使だったのさ」
すると家族に静寂が流れ、祖母は、さらに
「天使が子供に手を差し伸べて頭を軽くなでてくれたことは神の聖別を与えてくださったことなのさ。
神の贈り物で祝福してくださったんだよ」
といった。
祖母は、このキッチン騒動以降、イベンダー・ホリフィールドを厳しく躾けるようになった。
「神に祝福された者たちに与えられる特別な者たち」
と信じ、最善を尽くそうと思ったのである。
一方、イベンダー・ホリフィールドは、騒動後も大男とキッチンで何度か会ったが、交わした会話は、何1つ覚えていないという。
この後、ホリフィールド家は、アラバマ州アトモアからジョージア州アトランタにある長女、ジョー・アン・の家に引っ越した。
ジョー・アンは、母親と兄弟がアトモアに行った後もアトランタの電話会社で働き続け、結婚もしていた
家には4つのベッドルームがあり5人(アン、夫、3人の子供)が住んでいたが、一気に9人増えて14人になった。
母親はシェフ、エロイーズは人材派遣会社、プリシラとアネットはレストン、ジェームズとウィリーは建設関係の仕事に出ると、家には祖母、アンの子供アントニー、アンジェラ、アリサ、バーナード、5歳のイベンダーが残った。
祖母は、イベンダー・ホリフィールドが何か間違いを犯せば、聖書の中の最も適切な章節を
「何々書、第何章の第何節だよ」
といって暗唱した後、
「お前たちがまいた種だ」
といいながら腕をつねった。
アトモアに比べ、アトランタはかなり都会で、イベンダー・ホリフィールドは、
「ユートピアだ」
と思った。
最初はフェンスに囲まれた家の敷地内で遊んでいたが、やがて道路に出て、近所の子供とフットボールやギャングごっこ、バスケットボール、かくれんぼなどをした。
しかし祖母は、
「道路に出てはダメ。
私の目が届かなくなるから」
と禁止。
その後、我慢できずに祖母の目を盗んで外に遊びに出たとき、見つかり、すぐに呼び戻され、居間のソファーに座らされた。
祖母は、表紙がボロボロになって、ページの余白に書込みやあちこちにアンダーラインが引いた愛用の聖書を持ち出し、孫が犯した過ちを探した。
「旧約聖書のでエジプト記の第20章、第12節にこう書いてある。
あなたの父と母を敬え。
これはあなたの神、主が賜る地であなたが長く生きるためである」
と話し始め、徐々に調子を上げていき
「これら恥ずべきことのうち、最悪のものが親の命令に従わないことだ」
と祖父母を含む親を敬うことの重要性を説明した。
この間、イベンダー・ホリフィールドは、説教を聞きながら、早く終わるように秘かに祈った。
祖母は、何がダメだったのか頭で理解させた後、体に罰を与えるため、イベンダー・ホリフィールドが差し出した腕を木の枝で打った。
「世の中にはよいことも悪いこともあるものだよ。
神様はお前たちが耐えられないような苦しみをお与えにならない。
物事はいつもうまくいくとは限らない。
でも神様を信じ、どんな苦しいことでも耐えて頑張れば、必要な強さを与えてくださる。
神様が苦しみをお与えになるのは、それだけの理由があるのさ。
お前たちに宿っている神様は、ほかの人たちの中に宿っている神様より優れている方だからね」
イベンダー・ホリフィールドは、そういわれても神の贈り物が何なのか理解できなかったが、やがて
「ハットンばあちゃんの厳しい指導に耐える力を与えてくれたのだろう」
と思うようになった。
イベンダー・ホリフィールドが6歳のとき、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が白人男性に撃たれ、39歳で死亡。
墓標には
「ついに自由を得た」
と刻まれた。
そしてメキシコシティオリンピック、ボクシング競技ヘビー級で、アメリカ代表のジョージ・フォアマンが金メダルを獲得した。、
決勝戦の相手は、ソ連代表のイチオス・チェピュリスで冷戦の真っただ中、米ソ対決を制したジョージ・フォアマンは、勝利したあと、四方に向け礼をするとき小さなアメリカ国旗を振った。
テキサス州ヒューストンの5番区、通称「血の5番区」で生まれ、父と母、4人の兄姉と2人の弟がいたが、自分だけが母親と浮気相手の間に生まれた子供で父親が違った。
朝、学校へ朝いくフリをして親が仕事に出た後、窓から家に入ってベッドで寝て、授業が終わる頃に学校にいき、友達と帰るという生活を繰り返し、単位が取れず留年し、年下の同級生と小学校を卒業。
中学ではアメリカンフットボールと出会い、高い理想を持つ指導者の下、186㎝84㎏の巨体で厳しい練習に耐え、レギュラーになったが、ある日、タバコをくわえているところを指導者にみつかってしまい、
「信頼を裏切ってしまった」
と自己嫌悪に陥って、その後、練習にも学校にも行かなくなってしまい、中学校を卒業できないまま義務教育を終えた。
その後、いくつか仕事に就いたが、飲酒が原因による無断欠勤などで長続きせず、13~15歳まで公園を1人で歩く男にタックルをして押さえつけ、仲間が財布を盗んで後で山分けにするということを続け、ケンカも絶対に負けず、気に入らない者がいればすぐさま殴り、自分をナメるとどうなるか教えた。
16歳で初めてヒューストンを出て、ジョンソン大統領の「Great Society(偉大な社会)」計画の一環である「職業部隊(Job Corps)」に入隊。
オレゴン州郊外にあるトレーニングセンターでボクシングに出会い、数週間後に行われた試合で海軍に所属する相手を、1RでKO。
勝ったとき、これまでこんなに誇らしく嬉しかったことは1度もなく、大声でわめき、リングを跳びはね、その後も試合で勝ち続けた。
2年間の職業部隊の期間を終えると実家へ戻り、身につけた技術を活かせそうな会社に書類を送った。
後は返事を待つだけだと2年間飲めなかった酒を飲み、女の子を口説いていると女の子のボーイフレンドと兄がやってきて、
「俺の彼女だぞ」
というので兄弟まとめて殴った。
そして告訴された。
母親は示談金を支払い、
「ジョージ、道は1つしかないわ」
といって職業部隊のボクシングコーチに電話。
ジョージ・フォアマンは職業部隊のトレーニングセンターに住み込みで働きながら、コーチにビシビシしごかれ、小学生から続けてきたタバコと酒を19歳で断つことに成功し、オリンピック、ボクシング競技のヘビー級のアメリカ代表となったのである。
(そして41歳のときにWBA・WBC・IBF統一世界ヘビー級チャンピオンとなった28歳のイベンダー・ホリフィールドに挑戦する)
一方、6歳のイベンダー・ホリフィールドは、朝、アトランタのE・P・ジョンソン小学校に行き、放課後は教会で開かれる子供のための美術と手芸の教室で過ごすのが日課だった。
チャーチ・アット・ハート(心の教会)は、小さく貧しい教会で、信者が座るのはベンチではなくパイプ椅子。
ギャストン牧師の指揮と、その娘婿のひくピアノに合わせて手をたたき、足を踏み鳴らしながら「オー・ハッピデー」を歌い、
熱心なお祈りのために跳び上がって
「ハレルヤ!
イエス様、ありがとうございます」
と叫ぶ者もいた。
ある日、学校が終わった後、クラスメイトに
「ボーイズクラブに行ってみないか ?」
と誘われた。
「ウォーレン・メモリアル・ボーイズクラブ」に入るためには、会員になって毎月50セントを払う必要があり、イベンダー・ホリフィールドは母親の頼んだ。
母親は最初、乗り気ではなかったが、クラスメイトから
「スポーツだけでなく毎週土曜日の朝に聖書を学習するクラスもあるんです」
と聞くと気前よく1年間分6ドルを出した。
こうしてイベンダー・ホリフィールドは学校が終わるとクラブの名前が書かれた車の乗って通うようになった。
ウォーレン・メモリアル・ボーイズクラブは、2階建ての巨大な施設で、オリンピック規格サイズの室内プール、NBA規格のバスケットボールコート、ボクシングのリング、、ビリヤード、ピンボール、図書室、木彫り教室、絵画教室、屋外には野球場とサッカーとアメリカンフットボールを行うグラウンドもあり、2人の白人女性がいる入り口の受け付けで、自分が参加する種目を申し込むシステムだった。
どちらかといえば争いを避け、物静かで攻撃性のない少年だったイベンダー・ホリフィールドは、あるときあり余るエネルギーをボーイズクラブで発散させた。
はじめはいろいろなものを試したが、やがて心をとらえたのはフットボールだった。
アレックス・ストーンコーチが指導するチームに入り、オフェンスではフルバック、ディフェンスではミドルラインバックでプレー。
クォーターバックから即興的な動きと並外れたスピードで相手ディフェンスに穴をこじ開けて、すり抜けるのが得意だった。
熱心に練習し、毎年、クラブの最優秀選手に選ばれた。
アトランタファルコンズのファンで、憧れの43番、デーブ・ハミルトンと一緒にプレーすることが夢だった。
施設の中でいろいろなスポーツに参加したが、バスケットボールコートの裏側に普通の会員が入れないようにフェンスで覆われたエリアがあった。
そこにはウォーレン・メモリアル・ボクシングチームのパスを持っているものだけが中に入ることができた。
激しいアメリカンフットボールの練習に耐えた後、フェンスにもたれて休みながらみていると、この一般会員が入れない聖域には、見慣れない用具が並んでいて、選ばれし者たちが全身汗まみれになってパンチを繰り出していて、イベンダー・ホリフィールドは、その速さに驚嘆すると共に強い誘惑を感じた。
8歳のとき、ついに誘惑に耐え切れなくなって用事があるフリをして禁じられたゲートを通過。
中に足を踏み入れ、天井から吊り下がっているスピードバッグに近づいて、エネルギーを込めて右拳を突き出したが、見事に外れた。
「ヘイ、ユー。
何してる!
出ろ!」
ずんぐりした白人のコーチ、カーター・モーガンにドラ声で怒鳴られたので
「あれを打ってみたいんだ!」
と返した。
モーガンは首を振りながら近づいてきて
「スピードバッグはダメだ」
といって、ついてこいとジェスチャー。
天井からぶら下がるこげ茶色の皮袋を指し
「あの大きいやつを打ってみろ」
イベンダー・ホリフィールドは近づき、全身の力を込めて右拳を打ち込んだ。
ナックルが革のすり減った部分に命中した瞬間、右腕に鋭い痛みが走った。
50歳後半のモーガンは笑った。
イベンダー・ホリフィールドは痛みを隠しながら
「コーチ、ボクシングチームに入りたいです」
「若ぇの。
ボクシングチームに入るなら、本当にタフじゃないといけないんだぜ」
モーガンは、そういってクルリと向きを変えて去っていった。
(よし、俺がどれだけタフか、証明してやろう)
イベンダー・ホリフィールドは自分自身に言い聞かせた。
それから毎日、囲いで仕切られた場所にいき、カーター・モーガンが気付いてくれるのを待ち、
「ボクシングチームに入れてください」
と懇願。
何週間も頼み続け、ついにチームに入ることが許された。
8歳のイベンダー・ホリフィールドは、アメリカンフットボールとボクシングを併用し、アメリカンフットボール同様、ボクシングでも練習に打ち込んだ。
シャドーボクシング、ミット打ち、サンドバッグ打ち、縄跳び、ボクシングのトレーニングは、毎日毎日、同じことの繰り返しだった。
基本を習うと、すぐにヘッドギアと大きなグローブをつけたスパーリングや試合も行うようになった。
アメリカでは週末に各地でアマチュアのボクシング大会が開かれ、10歳未満の子供から30代の大人まで幅広い年齢層のボクサーが出場。
リングの周りに椅子とマットを並べられ、試合開始前のセレモニーでは国歌が流れ、出番を待つ選手たちの気持ちを高め、勝者にも敗者にも大小のトロフィーが手渡され、健闘を称え合ってリングを降りるとコーチと反省点を話し合い、翌日から練習をした。
イベンダー・ホリフィールドは、同世代の相手を打ち負かしたが、負けた相手が泣き出すのをみると気が滅入ってしまった。
負けるのはイヤだが、相手をケガをさせたり泣かしてしまうのも同じくらいイヤだった。
泣くヤツは顔面にパンチをもらった後、泣いていたので、
「もう顔は叩かない」
と決め、ボディばかり打った。
そんなことを知らない相手は、ポイントを上げた。
2ラウンド終了後、カーター・モーガンは、
「なんで頭にいかないんだ?」
と聞いた。
「顔を叩いたら泣いちゃうんです」
カーター・モーガンは、グローブを振り回しながら説明するイベンダー・ホリフィールドに
「オイッ、顔を叩かれて泣くんじゃないぞ。
負けたから泣くんだ。
みてみろ」
といって相手コーナーを指した。
「笑ってるじゃないか。
勝っているから笑ってるんだ。
さあ、どうする?」
3ラウンドが始めるとイベンダー・ホリフィールドは、その笑顔を連打。
相手は2度ダウンし、レフリーが試合を止めた。
その後、ある試合で強い相手を倒したとき、カーター・モーガンが
「お前はいつか世界チャンピオンになるよ」
といったので
イベンダー・ホリフィールドは、家に帰ると
「俺は世界チャンピオンになる」
といい、家族が
「なぜ?」
と聞くと
「モーガンさんがそう言ったから!」
と答えた。
いつも
「才能は神様がお与えになった贈り物なのだから、持ち主が才能の上にあぐらをかいたり怠けてはいけない。
神様はお前たちが時間を賢明に使って、神様の好意に報いるために、その才能を伸ばすことをお望みなのだよ。
神様は確かに贈り物をお前たちに下さったが、それを磨くのはお前たち自身なのだ。
お前たちがその才能を1日でも磨かないと、それだけ才能を失ってしまうのだよ」
といっていた祖母は、それを聞いて
「私のちっちゃなプロボクサー」
といって喜んだ。
その後、39歳の母親が倒れ、グラディメモリアル病院に運ばれた。
それまでに2回、心臓発作を、脳卒中を3回起こしていたが、精密検査の結果、静脈血栓と左心室に小さな穴があることがわかり、医師は直ちに手術が必要と告げた。
手術は、足から静脈の一部を切り取って、血栓でふさがっている場所を迂回するバイパスをつくるというものだったが、術後、母親は集中治療室で生命の戦いを続けた。
その間、心配する家族に祖母は
「死の天使が彼女を枕元に立って、彼女を私たちから奪おうとしている
でも神の選民である私たちが執り成しの祈りを続ける限り、神のご厚意が受けられるだろう
なぜなら正しい者の祈りは力があると聖書に書かれている」
といい、何が起こっているのか完全に理解することができない幼いイベンダーを抱きしめ
「今にすべてが良くなるよ。
ママはもうじき帰ってくるから」
教会では、祖母を先頭に数十名の信者がひざまずいて祈り、祖母が
「主よ、私の娘、アニー・ローラ・ホリフィールドをお治しください」
「主よ、彼女の子供たちが、まだ彼女を必要としています」
「主よ、死の天使を追い払って彼女を私たちにお返し下さい」
というと、続いて多くの
「アーメン」
がこだました。
ある夜、イベンダー・ホリフィールドは、トイレにいったとき、自室で祈りを捧げる祖母の声を聞いた。
「ハットンばあちゃんは、自分でつくり出した孤独の中で、周囲でささやかれる否定的な雑音を退け、彼女の内部にある強さにのみ精神を集中させていた。
世間から身を隠して神のみを求めていたのだ。
それは私が試合前に控室で行う精神集中と同じだ」
入院して3ヵ月後、祖母の予言通り、母親は退院し家に戻ってきた。
医師は、心臓発作の再発を危惧して母親が元の仕事に戻ることを禁止した。
家族会議が行われ、今までよりも多く働いて家計を助けることが決定。
イベンダー・ホリフィールドもポケットにあった2セントを提出し、空き瓶集めを開始した。
アスファルトの道路を歩いて道端に捨てられている空き瓶を探し、酒屋で1本5セントで交換してもらい、月に4~5ドルを家に入れた。
廃品回収を始めて間もなく、ホリフィールド一家は、ジョー・アンの家を出て、車で5分ほど離れた一軒家に引っ越し。
4つの寝室があるアンの家よりは狭かったが、人数が減ったせいで1つの部屋に4人ではなく3人で寝れるようになった。
イベンダーは自分たちの家をみて
「人生は予測のできない始まりと終わりの連続だ」
と思った。
引っ越し先の学区にある学校に転校すると、それまで聞いたことがなかった、
「人種差別」
とか
「オレたち」
「ヤツら」
などの新しい言葉に出会った
転校先のW・F・スレートン小学校は、公民権法(人種差別撤廃法)を施行されたことで人種共学の学校になったが、中には肌の色が異なる人間を嫌う人間もいた。
「みんないいたがらないけど、人種差別があるのは確かなんだ。
兄弟のように愛せよというイエス様の教えをみんなが守らないうちは、人種差別は決してなくならない。
でも人種差別に勝つ1番いい方法は、よく勉強して、どんなことでも、自分がこれと決めたことで1番になることなんだ。
そうすればいくら人種差別しても優秀な者には、そのうち頭を下げるようになる」
イベンダー・ホリフィールドは母親にそういわれたが、問題にぶつかることはなく、人種差別というものが何のことかわからなかった。
「隣のティモシーは白人だとか、通りの先の奴らはヒスパニックだとか、そいうことは考えたことがなかった。
みんな普通の友達だった。
私と同じように野球とアメリカンフットボールが好きな同じ年ごろの子供だった。
その面倒なことが何であれ、それは大人の問題であって、子供に関係ないことだけはハッキリしていた。
誰も肌の色の障壁など意識したことさえなかった」
イベンダー・ホリフィールドは、8歳からボクシングを始め、小学、中学の数年間を教科書と楕円形のボール、そしてグローブを巧みにやり繰り。
そして11歳までボクシングでは無敗、アメリカンフットボールでもタッチダウンとディフェンスでタックルを決めまくって最優秀選手に選ばれ、家にはたくさんのメダルやトロフィーがあった。
12歳のとき、WBA・WBC世界統一ヘビー級チャンピオン、ジョージ・フォアマンは、元世界ヘビー級チャンピオン:モハメド・アリと3度目の防衛戦を行った。
場所は、アフリカ、ザイール(現:コンゴ)の首都:キンシャサ。
その市外のジャングルを切り開き建てられたスタジアムで行われた。
ジョージ・フォアマンは25歳。
メキシコオリンピック、ヘビー級で金メダルを獲得し、プロ転向後、「象をも倒す」といわれるハードパンチで40戦40勝37KO無敗。
対するモハメド・アリは32歳。
ローマオリンピック、ライトヘビー級で金メダルを獲得し、プロ転向後、22歳で世界ヘビー級チャンピオンとなるも、ベトナム戦争への徴兵を拒否したことで王座を剥奪され、3年7カ月のブランクを余儀なくされた。
復帰後、プロ初ダウンと初黒星を喫し、46戦44勝31KO 2敗。
全盛期は過ぎたと思われるが、ファンはアリを「悲劇のヒーロー」「信念の人」と称賛し、不当に奪われたチャンピオンベルトの奪還を期待した。
ジョージ・フォアマンは、1Rから圧倒的に攻め続け、モハメド・アリを追い込んで強いパンチを打ち込んだ。
モハメド・アリは、ロープによりかかったり、弾力を利用して対応。
後に「ロープ・ア・ドープ(ロープ際のまぬけ)」作戦と呼ばれたが、ジョージ・フォアマンの突進力は弱まってくるとくとモハメド・アリは、ロープ際を離れて攻め始め、8R、コンビネーションパンチで大きくよろめかせ、とどめのパンチを放つとジョージ・フォアマンの巨体が、ゆっくり倒れていった。
この逆転KO劇は「キンシャサの奇跡」と呼ばれ、ジョージ・フォアマンが41戦目にして初めて敗れ、モハメド・アリが2度目の世界ヘビー級チャンピオンとなった。
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イベンダー・ホリフィールドは、中学卒業後、高校に進学。
プロフットボール選手になるためには、高校と大学で活躍しなければならなず、アトランタファルコンズに入り、43番、デーブ・ハミルトンと一緒にプレーするのが夢だったイベンダー・ホリフィールドは、フルトン高校のレッドパーズの選考試験に合格すると、ボクシングはやめ、すべての練習に参加した。
シーズンに入ると毎週末、試合があったが、5フィート4インチ(162.56cm)、115ポンド(52.163kg)と体が小さいイベンダー・ホリフィールドが出してもらうことはなかった。
仲間がグラウンドで奮闘しているのをベンチで眺めるのは苦痛だったが、それでも出場をあきらめずに集中して相手チームの弱点を探し続け、練習でも大きな相手にタックルを決めるなどしてアピールした。
しかしそれでも試合に出させてもらうことはなかった。
「面白くない」
ベンチを温めれば温めるほどアメリカンフットボールに対する情熱は冷め、残るシーズンが3週間になったとき、家で母親に
「フットボールをやめる」
といった。
「なんだって?」
「やめるんだよ」
「どうして?」
「精一杯やったんだ。
もうこれ以上は無理だ。
できることは全部やった。
それでもダメなんだ。
プロになりたかったんだけど体が小さすぎるっていうんだよ。
だからやつらはオレをベンチに座らせておくんだ。
そんなの時間の無駄だよ」
母親は、
「やり始めたことは最後までやり遂げないとどうなるかわからないの?
チャンスを待つんだ。
チャンスが来るまでジーっと待つんだよ。
そしてチャンスが来たら、つかんで、絶対に離さないようにしなくちゃダメ。
体の大きさとか、見た目とかで決めつける人はいつもいる。
それが不公平なことは私もわかる。
だけど覚えておいて。
人は外見でみるかもしれないけれど神様は心をご覧になって判断を下される。
大事なのはお前の心なんだよ。
やめちゃいけない。
(手術の跡が残る胸を指しながら)大切なのはここ。
やめちゃいけない。
悪いことの中に良いことを見つけるんだ。
シーズンの最後までやりなさい。
全部の試合に出るつもりで一生懸命練習するんだ。
そうすればチャンスが来たときに、それがつかめる。
しっかりつかんで離さないで」
と諭し、イベンダー・ホリフィールドは、いわれた通りにした。
その後も控え選手のままだったが我慢し、練習も欠かさなかった。
「良いこと」は、シーズン最後の試合の第4クォータについにやってきた。
リードしているレッドパース対して相手が攻撃を行う場面で
「入れ」
といわれ、ポジションについた。
そして相手のクォーターバックがボールをフルバックに渡すフリをしてからハーフバックに投げるのをみると突進。
相手ハーフバックの両脚にショルダータックルを決めた。
次の攻撃で、相手フルバックが味方のラインを突破。
イベンダー・ホリフィールドは、突っ込んでくる自分よりはるかに大きい相手に対し、頭を下げ、脚に両手を巻きつけてねじ伏せた。
残り時間も、断固として自分の縄張りへの侵入を許さなかった。
こうして秋にアメリカンフットボールのシーズンは終了。
もう1年ベンチを温めるつもりはないイベンダー・ホリフィールドは、冬が来る頃には、ボーイズクラブの「カーター・モーガン・ボクシングチーム」ボクシングリングに戻った。
ファルコンズの夢は捨てがたかったが、体が小さくても夢が実現可能なボクシングはやりがいのあり、アメリカンフットボールの夢を失った絶望を癒すためにもうってつけだった。
60歳を過ぎたモーガンは、イベンダー・ホリフィールドの発達した筋肉に不屈の決意がみなぎっていることを感じた。
「改心して戻ってきやがったな」
イベンダー・ホリフィールドとカーター・モーガンは、まずは州南東部地区でトップになることを目標に挑戦を開始。
全国の各地域で
ライトフライ 49㎏以下
ライト級106ポンド 49㎏
バンタム級119 52㎏
フェザー級125 54㎏
ライトウエイト132 60㎏
ライトウェルター141 64㎏
ウエルターウエイト152 64㎏
ミドル165ポンド 69㎏
ライトヘビー75㎏
ヘビー201 81㎏
スーパーヘビー 91㎏以上
の各階級のトーナメントが行われ、勝てばリージョナル(地域)ディビジョン、ステート(州)ディビジョンと進んでいく。
そして最終的な頂点は、全米ナンバー1、ナショナルチャンピオンだった。
「明日はない」
が口癖のカーター・モーガンは、毎日、激しい練習メニューを課した。
ボクシングの技術を教えがらも
「戦いは10%の肉体と90%の精神」
と精神力の重要性を強調した。
イベンダー・ホリフィールドは、かつて母親が長くツラい1日を終えた後、ため息まじりで
「肉体は弱っても精神には力があるんだよ」
といっていたのを思い出し、
「どんな困難にも耐え抜こう」
と決めた。
毎朝、走り、学校にいって授業を受け、その後はボクシング。
朝の6時に通りを走る姿をみた同級生から
「透明人間にパンチ食らわせながら走ってる」
「イカれてんのか」
「何のマネだ」
とからかわれることもあったが相手にしなかった。
人との義理を欠こうと夢を胸に秘めボクシングを続け、学校では目立たなかった。