日本フライ級、東洋太平洋フライ級、WBC世界フライ級チャンピオン、42戦36勝3敗3分、勝率85.7%、KO率63.9%の内藤大助は、北海道の左下、近くに有名な洞爺湖がある虻田郡豊浦町で生まれた。
生まれる前に両親が離婚したため、父親の記憶はなく、母親と兄との3人暮らし。
(内藤大助が高校生のときに母親が再婚。
それまで名前は「太田大助」だった)
母親は、自宅の離れで民宿「旭」を営み、兄弟は、よく自宅の前にある祖父と祖母が暮らす家に預けられた。
内藤大助が着ているものは、基本的に兄のお下がりで、つぎはぎだらけ。
学校の教材も、周りはみんなおニューだが、内藤大助だけお古。
スキーの授業も、みんなが新しいスキーセットを着ける中、内藤大助だけ学校の古い備品を借りて参加。
結果、
「ボンビー」
と呼ばれた。
しかし小柄だが運動が得意な内藤大助は、友人がからかわれていると
「やめろよ」
といって立ち向かっていくなど正義感が強く、クラスで目立つ存在だった。
中学校は、1学年70人くらいで2クラスしかなく、1年生は平穏に過ごしたが、2年生になる学校生活が地獄と化した。
クラス替えで
「アイツ」
と同じクラスになったのである。
アイツは、保育園から一緒の幼馴染だが、なぜか内藤大助のことを嫌っていた。
「運動神経は僕のほうがよかったから、もしかしてライバル心だったのかもしれないけど、面白くないと思われているような気がしていた」
アイツは、勉強ができる優等生。
しゃべりがうまくてクラスの人気者でリーダー的存在で、いつも5人ほどのグループで行動していた。
といっても決して不良グループではなく、悪いことなどしなかった。
少なくとも教師の前では・・・・
「オウッ、何やってんだ」
アイツとグループのメンバーは、そういいながら内藤大助を取り囲み、ふざけた口調で小突いたり、頭を叩いたりした。
「やめろよ」
といって抵抗すると
「アッ、なんだコラ?
やるのか」
と凄まれると、身長が140㎝しかなかった内藤大助は、勝てる気がせず、
「別にそんなつもりはないです」
こうしていつの間にかグループの下っ端として行動を共にすることになった。
そして集団リンチされた後
「これらからお前、地獄だかんな!」
といわれ、絶望的な気持ちに。
毎朝
(今日もやっぱりやられるんだろうな)
と暗い気持ちで校門をくぐった。
ある日、
「ちょっと来いや」
といわれ、後をついていくとアイツは周りに誰もいないことを確認してから内藤大助の肩に手を回し、
「お前、俺たちにイジメられんの嫌だろ?
今オレよ~美術室の窓ガラス割っちゃってさ。
お前、オレの代わりに先生のところに出頭してくれねえか?」
「エッなんで俺が」
「オレがやったってことがバレて高校入試の内申書に影響したらヤベーだろ。
だからお前が先生に、自分がやりましたっていってこい。
そうしたらイジメないでいてやるからさ」
もちろん嫌だったが、断った後の仕返しのほうが怖く、
「わかったよ」
といって暗い気持ちで出頭し、教師に叱られた。
悔しくて辛くて、帰宅後もふさぎ込んでいたが、翌日、教師に
「窓ガラス割ったのお前じゃないんだって?」
といわれ、なぜバレたのかわからず、答えずにいると
「割ったのはお前じゃないっていってきた女子がいたぞ」
その瞬間、うれしくなって、
「はい、実はそうなんです」
教室に帰されると代わりにアイツを呼び出された。
復讐を恐れながら待っていると、帰ってきたアイツは真っ直ぐにこちらにきて、至近距離まで顔を近づけ、
「バレたよ、この野郎」
その後、イジメは激化。
反撃を禁止させた状態でプロレス技をかけられ、さっき話していたクラスメイトに突然、後ろから叩かれ、ビックリして振り向くとアイツが笑っていたり、クラス全員に示し合わせて無視されたりして、悔しさと辛さは増した。
それでも少しでもイジメれらないように、グループに金魚のフンのようにつき、媚を売って生きることを選択。
この苦い記憶は、大人になっても自分を苦しめた。
「イジメには立ち向かえっていう人もいるけど、それができたら、みんな立ち向かっているよ。
強い意志なんて持てないよ!」
ある日廊下を歩いていると、向こうから女生徒がやってきた。
すれ違いざま、アイツは内藤大助を突き飛ばし、女生徒に勢いよくぶつけた。
前のめりのヨロけた女生徒は、怒った声で
「ちょっとなにすんのよ」
「いや、俺じゃないよ」
「ブツかっておいて何いってるの。
じゃあ誰がやったのよ」
「俺じゃないって」
そういって内藤大助は、その場から逃走。
(ヤバいことになった)
と思いながら教室にいると校内放送で職員室に呼び出された。
アイツはニヤニヤしながら、
「何しでかしたんだ~?」
ドキドキしながら職員室へいくと、教師がこちらを睨んでいて、その横にはぶつかった女生徒もいた。
「お前、何した」
「ブツかりました」
「なんでだ」
「・・・・・・」
「そんなことして楽しいか」
「・・・・・・・」
「ちゃんと答えろ」
心の中では
『俺じゃないんです』
しかしそれを声に出していうことはできない。
「お前、そんなことやってモテるとても思ったのか」
「・・・・・・・・」
「最低だぞ」
「・・・・・」
「相手は女の子だぞ。
危ないだろ」
「・・・・・」
「お前、どうするんだ」
そういわれて内藤大助は
「謝ります」
「じゃあ、すぐに謝れ」
「すみませんでした」
頭を下げる内藤大助をみて先生が、
「どうする?
許してやるか?」
すると女生徒は
「許せません!」
「オイ、許さないっていってるぞ。
もっと心を込めて謝れ」
「すみませんでした」
「すみませんでした。
もうしません」
内藤大助は、何度も頭を下げながら目が熱くなった。
翌日、アイツがいないときにグループのメンバーが不満を漏らすのを聞いて、
(仲間によく思われていないんだ!)
と驚くと共に変に勇気づけられ、休み時間に教師のところへ。
そして
「せ、先生。
昨日の女子にブツかった件なんですけど、実はアレ、僕じゃないんです」
と打ち明けた。
すると教師はそっけなく、
「あ、そう。
じゃあ誰なんだ」
「〇〇です。
〇〇が彼女とすれ違いざまに僕を突き飛ばしたんです」
膝がガクガク震えそうになりながらアイツの名前を告げた。
すると教師はニッコリした。
内藤大助は
(わかってくれた!)
と喜んだが、返ってきたのは、
「そうだったのか。
なんで昨日いわなかった」
という予想外の言葉。
戸惑いながら
「だっていえないですよ。
バレたら後から責められるし」
「昨日いわなかったらお前のせいになっちゃうだろうが」
「でも・・・」
「イヤ違う。
その場でいわないとダメだったんだ。
いえなかったお前が悪い。
わかったか」
「・・・・・・・」
「いいか、今度からちゃんといいなさい」
そういって教師は去った。
このときの絶望感も内藤大助の心に長い間突き刺さり続けた。
クラスには、不登校を続けている不良がいた。
身長180㎝と学年で1番体が大きく、ちょっとしたことでキレて、暴れ出すと手がつけられなかった。
結果、誰からも避けられ、自然と学校に来なくなった。
その不良が学校に復帰。
最初はおとなしくしていたが、しばらくすると同級生から物を取り上げたり、気分で叩いたり、横暴が始まった。
誰も歯向かえず、アイツとそのグループは、衝突をさけて距離をとった。
不良は、内藤大助に目をつけ、休み時間になる度に階段の踊り場で蹴りを入れ、内藤大助が痛みでうずくまると
「立て、コラ」
といいながら、何度も蹴った。
昼休みになると内藤大助は、給食のおかずを先生に見つからないように不良に渡さなければならず、毎日、牛乳とパンかご飯だけ。
「金貸せ」
といわれ、コツコツ貯めた大金、5000円を取られたこともあった。
ある夜、電話がかかってきて、
「大助、友達よ」
と母親に受話器を受け取ると相手は、その不良だった。
「おう、××だ。
わかるか」
「うん」
「明日、お前にヤキ入れてやっからよ。
学校休むなよ」
「・・・・・」
「わかったか」
「わかったよ」
「よ~し。
じゃあ明日な。
バイバ~イ」
ある日の放課後、内藤大助はグループのメンバーの家に行くことになった。
みんなでテレビゲームをしているとアイツが
「腕時計みせてくれよ」
といい、内藤大助はつけていたデジタル時計を渡した。
それは祖母が埼玉の娘(内藤大助のオバさん)の家にいったときにお土産に買ってきてくれたものだった。
ゲームが終わり、解散となったとき、腕時計を返してもらっていない内藤大助が
「俺の時計は?」
と聞くと、アイツは
「ん?
オレ知らねえよ」
「貸したじゃん」
「返さなかったっけ」
トボケ続けるアイツに悔しくて仕方なかったが、そのまま帰宅。
しかしどうしても取り戻したかったので、方法を考えていると時計のアラームを昼の12時に鳴るようにセットしていることに気づいた。
翌日、学校を抜け出し、メンバーの家へ。
応対に出てきたメンバーの母親に、
「時計を無くしてしまったので、探させてください」
と頼んだ。
そしてゲームをしていた部屋で祈るような気持ちで時間を持っていると
「ピピピッピピピッ・・」
という聞き覚えのある音。
必死に音の鳴る場所を探すと、天井近くの鴨居に時計が隠されていた。
学校に戻り、メンバーに
「時計あったよ」
というと
「あ、そう」
といわれた。
グループと不良のダブル攻撃にさらされる憂鬱な日々が続き、内藤大助の体に異変が起こった。
下痢が止まらなくなり、トイレに行く回数が増え、授業中もトイレが我慢できなくなり、手を挙げて
「先生、トイレ行ってきていいですか?」
学校で大をするだけでも恥ずかしいのに、授業中、みんなの前で、それを申告し、クスクス笑う声を聞きながら教室を出ると
「汚っねえ、ボンビー。
またクソしにいったよ」
というアイツの声と大きな笑い声。
それを聞いて、さらにまたお腹が痛くなった。
ある日、ついに
「おかあ、最近ずっとお腹が痛いんだ。
病院に連れてって欲しいんだけど」
と打ち明け、翌日、学校を休んで母親と病院にいくと医師は、胃カメラをするといい、検査の結果、胃潰瘍であることがわかった。
内藤大助は、胃潰瘍という言葉も、どんな病気なのかということも知らず、ましてやその原因ががイジメによるストレスであるなど思いもよらなかった。
胃の穴が開きそうになるほど精神的に追い詰められていた内藤大助は、その後、1日3回、食後に薬を飲むことになり、ある日、給食の後、薬を飲んでいると
「何飲んでるんだ?
どこか悪いのか」
と美術の教師に声をかけられた。
「胃潰瘍っていうのができちゃって」
すると教師は驚きながら
「お前、中学生で胃潰瘍になったのか」
「そうなんです」
内藤大助は、そういいながら
(もしかしたらイジメに気づいてもらえるかもしれない)
と期待したが、教師は
「ハッハッハッハッ」
と豪快に笑った後、
「中学生から胃潰瘍じゃ、お前、長生きできないぞ」
といった。
ある日の昼休み、3年生の番長に呼ばれ、体育館へいくと
「〇〇がオレの悪口いってなかったか?」
〇〇とはアイツのことで、3年生の先輩に目をつけられていることがわかった。
内藤大助が答えられずにいると、番長は、
「絶対にいわないから」
それを聞いて、
(もしかしたらアイツをやっつけてくれるかもしれない)
と思った内藤大助は
「絶対にいわないでくださいね」
と念を押した後、アイツが先輩のことをバカにしていることを正直に話した。
「やっぱりそうか。
よく教えてくれたな」
番長は、そういって去っていった。
その日の放課後、グループのメンバーに
「サッカーの練習するんだけど、お前も一緒にやろうぜ」
と誘われ、うれしくなってグラウンドに出た。
そしてシュートの練習をしているとアイツが蹴ったボールが大きく外れてゴールの後ろの茂みの中へ。
全員が茂みに入ってボール探しが始まった。
散らばって探していたはずなのに、気づけば内藤大助は取り囲まれていた。
「お前、今日、体育館でなんかあったよな」
(裏切られた?)
と思いながら、
「なんにも」
とトボけたが、心臓は高鳴り、足はガクガク震えていた。
「ウソつけ!」
「オレらのこを告げ口したろ!」
「オレたちその場にいたんだからな」
激怒するアイツとグループのメンバーは、
昼休みにかくれんぼをして遊んでいて、偶然、体育館で番長と話す内藤大助を見つけたという。
「なんにもいってないって」
内藤大助はシラを切ったが
「ウソいえ。
悪口いってますってチクったろ」
といいながら内藤大助の胸ぐらをつかんで顔面をパンチ。
火花が飛ぶような痛さと恐怖にしゃがみ込み、泣き出した内藤大助は、代わる代わる殴られ、蹴られた。
やがて暴力が止み、体を丸めながら大泣きしている内藤大助は、
「考えてみろ。
今あっちについたって、卒業していなくなったら、あと1年地獄だぞ」
「オレらについたほうがいいに決まったんだろ」
「お前は仲間だ。
頼むぞ。
2度と裏切んな」
「大丈夫だ。
オレたちがついてっから」
と優しい言葉をかけられ、リンチの発覚を恐れたのか、アイツは
「△△ち寄って顔冷やしてくか」
といった。
解放された内藤大助は、1人泣きながら歩いた。
家に着いても涙が止まらず、母親や兄にバレないようあちこちを歩いた。
人気のない夜道を1人さまよいながら、自分の人生に絶望し、
「神様なんていない。
絶対いない」
と思った。
中学2年生から3年生に上がるとき、クラス替えはなく、最悪の日々は卒業するまで続いた。
内藤大助は、後ろから殴られないようにいつも教室の隅っこにいて、いつもビクビクし
「生きた心地がしなかった」
内藤大助は地獄の中学校を卒業すると、アイツやグループメンバーとは別の高校に進学。
偏差値低めの、いわゆる不良のたまり場と呼ばれる類の高校で、リーゼント頭にボンタンを履いたツッパリ、ヤンキーだらけで高校生なのにヒゲを生やしている先輩もいた。
体が小さい内藤大助は、ブカブカの制服を着て、
「またイジメられたらどうしよう」
と思いながら登校。
入学早々、
「オイ、オレたちもこういう時期あったんじゃねえか」
と笑われた。
しかしイジメられることはなかった。
たしかにワルそうな顔をした人間は多かったが、学校にバレないようにイジメをするような陰湿な人間はいなかった。
クラスで自然と友達ができて
「オレんち、泊まりに来いよ」
と誘われて信じられず、
「ホントに?
僕でいいの?」
昼休み、バスケットボールをすると運動神経の良い内藤大助に自然とボールが集まった。
「いいじゃん」
と肯定されたり、困っているときに
「オレがやってやるよ」
と助けてもらい、内藤大助は、
「自分の中で世界が変わった」
という。
元々運動神経には自信はあったが、高校入ると急に力もついて、腕相撲で不敗。
ハンドボール部に入部し、どんな体勢からボールを打ち込んだ経験が、大きな横の動き、まるでシュートを放つように顔と体を捻りながら打つボディーなどボクシングに活きた。
しかしそれはかなり先の事で、夏、海にいったとき、中学時代にイジメられた不良と偶然会って、再び殴られ、
「このまま海に沈められるんじゃないかと本当に怖く、高校の友達が一緒だったので、そんな姿をみられたことがすごく恥ずかしくて・・・」
暗い過去は、まだ終わっていなかった。
学校で禁止されていたが、内藤大助は洞爺湖のホテルで皿洗いのアルバイトを開始。
洞爺湖は観光地なので店が多く、他にもいろいろなアルバイトをした。
「母子家庭で、おかあが仕事に忙しく、かまってもらえずに育ったせいか、家庭への憧れは強く、幼稚園の頃から結婚願望があった」
という内藤大助は、うどん屋のアルバイトで知り合った女の子を好きになり、仕事が終わった後、勇気を出して告白。
後日、電話でフラれ、布団の中で大泣きした。
高校2年生のときに同級生の彼女に友達を紹介してもらって、初めて彼女ができた。
「色白で目が大きくてかわいい子だった」
という彼女と楽しく遊んでいたが、ある週末、自分の家に来る約束をしていた彼女から
「電車に間に合わなかったから今日は行くのやめる」
という電話が入った。
彼女の家は隣駅だが、電車は1~2時間に1本しかない。
そういう事情を知りながらも、
「バスで行くっていって欲しかった」
という内藤大助は、彼女が来ないことに怒り、一方的に電話を切った。
しかし次の日、彼女に
「大助、優しくないから別れる」
といわれ、大慌て。
「謝るから考え直して欲しい」
と頼んだが、彼女はそれっきり連絡してこなかった。
高校3年生となり、就職活動の時期に入ると洞爺湖の観光ホテルで厨房のアルバイトをしていた内藤大助は、職場の先輩に勧められて採用試験を受け、合格。
そして3月に高校卒業し、正式に入社する4月まで、そのホテルでアルバイトを継続。
それまで洋食だったが、仲のいい先輩がいる中華の厨房を希望し、働き出した。
ある日、その先輩に
「お前な、ここに就職するのに態度よくないぞ」
と怒られ、カチンときた内藤大助は、
「はい、ラーメンあがり」
という先輩に返事もせずに、メンマやチャーシュー、ネギを丼に投げつけるように盛りつけ。
「いいかげんにしろ」
正社員である先輩に怒鳴られ、まだアルバイトの内藤大助は、夜の勤務をを無断で欠勤。
そして翌日、上司に事情を話し、
「調理場で就職決まってますけど部署変えてください」
と入社式の前に配置転換を要求。
翌日、上司に呼び出され
「昨日の話だけど事情を総支配人に話したんだよ。
そしたらそんなヤツいらないっていうんだよ」
「エッ」
「つまりその、そんなこといってるなら、君を採用しないということなんだ」
「ええ~、僕そんなつもりでいったんじゃないですよ」
しかし後の祭りだった。
家に帰った内藤大助は、母親に
「就職ダメになっちゃった」
と報告。
翌日、卒業した高校から呼び出だれ、
(ホテルが、やっぱり来ていいっていってきたのかも・・・)
と期待しながら職員室に入ったが、、
「とにかくなんでもいいから絶対に就職しなきゃダメだぞ。
がんばれ」
といわれただけ。
さらに翌日、寝ていると母親に
「おめえ、内地に行け」
と怒鳴られ、寝ぼけながら
「はあ?」
と聞き返すと
「内地に行け。
もう義隆には電話しておいたから」
義隆とは、4年前に東京に出た兄。
「はっ?」
「は、じゃない。
内地に行って修行してこい。
10年は帰ってくるな」
「イヤだよ」
「イヤじゃない。
もう航空券とってある。
1週間猶予をやるから、その間に友達に挨拶してこい」
こうして内藤大助は、東京の北部、足立区と葛飾区に隣接する埼玉県八潮市の兄のマンションへ転がり込んだ。
兄は、内装会社に勤めていて、
「やりたい仕事が見つかるまでは俺が働いている会社で手伝ってもらうぞ」
といわれ、上京した翌日から、内装会社の中にある木工所でアルバイトとして働いた。
8時半~17時半まで、資材を運んだり、掃除をしたり、住宅や店舗に必要な建具や什器をつくる職人の手伝いを行った。
「現場に出ると徹夜で作業することもあった。
見習いとして大工仕事をやっていくうちに意外と木材の加工という仕事が楽しく感じられて、ほかに何かやりたいこともないので、しばらく続けていく気になっていた」
ある日、本屋でスポーツ雑誌を立ち読みしていると、ある記事が目に飛び込んできた。
それは兄のマンションの最寄り駅、綾瀬駅のそばにあるボクシングジムの記事で、見た瞬間、
「ドクンッ」
と心臓が鳴った。
それまでボクシングに興味を持ったことは1度もなく、ボクシングジムというものもみたことがなかったが、「ボクサー=強い」というイメージがあった。
「たとえどこにいたって、結局、僕はイジメられっ子のままだった。
強くなって自分をイジメた同級生たちを見返したい」
それは強烈かつ切実な思いで、翌日、木工所の仕事が終わると、さっそく雑誌に載っていたボクシングジムへ。
勇気を出して扉を開けると中は狭く、小さなリングとサンドバッグが3つ、ブラ下がっているだけ。
そして人間は、会長らしき人と練習生が2人いるだけだった。
「あの、見学させてもらえますか?」
「はい、どうぞ」
会長らしき人は笑顔でいった。
その後、3人の練習を見学し、申込書をもらって帰り、翌日に入会。
木工所の仕事を終えてからジムに通う毎日が始まった。
母親にはボクシングのことは内緒にしていたが、電話で
「スポーツジムに通うことにしたんだわ」
とちょっとだけ報告。
「何のジム?」
「いや、その・・」
「まさかボクシングじゃないだろうね」
「・・・・・(なんて勘がいいんだ!)」
「殴り合いさせるために東京にやったわけじゃない!
お前はどこかの料理店に住み込みして、料理の勉強をしてくるんだ!
調理師になるんだよ!!」
「はあ?
なにそれ?」
母親が、民宿を継がそうとしていることに気づいた内藤大助は、その後、電話をせず、母親も電話をしてこず、少しの間、冷戦が続いた。
「ただ強さだけを求めてボクシングジムの門を叩いた」
という内藤大助は、木工所の仕事を辞めて転職し、ボクシングジムに近い場所で1人暮らしを開始。
ボクシングに打ち込んだが、大きな悩みがあった。
ジムにいる練習生は、いついっても1人か2人。
会長は不在が多く、おじいちゃんトレーナーが1人いるだけ。
おじいちゃんは、元ボクサーで現役の中古車販売店経営者。
いつも目を細めながら自分の店の帳簿をみていて、トレーナーというよりは留守番だった。
内藤大助は、あまり指導してもらえないまま、先輩のマネをしながら練習したが
「これじゃ強くなれないんじゃないか?」
という不安があった。
そんな中、ジム仲間との会話で
「宮田ジムは、4回戦無敵っていわれてるんだよね」
と聞き、「宮田ジム」の存在を知った。
プロボクシングは、デビュー戦は4回戦(4ラウンド)で試合が行われる。
4回戦で4勝すれば、6回戦(6ラウンド)、6回戦で2勝すれば、8回戦以上(8ラウンド以上)の試合に出場できるようになり、日本タイトルマッチは、10回戦(10R)、東洋太平洋や世界タイトルマッチは、12回戦(12R)で行われる。
だから「4回戦無敵」とは、有望な新人選手を多いということで、内藤大助はボクシング雑誌で、
「日本スーパーバンタム級1位 真部豊(宮田ジム)」
という文字を見つけるなどして、宮田ジムという名前が頭から離れなくなった。
ある日、ジムの先輩がいった。
「明日、宮田ジムに出稽古に行くんだ」
その人は、ジムで唯一の6回戦ボクサー。
明治大学を卒業し、教員免許を持っているのに、あえてボクシングの道を選び、
「日本ランキングに入るのが夢なんだ」
といっており、勉強が苦手で母親に
「バカ」
「頭が足りない」
といわれ続けた内藤大助にとって衝撃的な生き方をしている人物。
そんな先輩が出稽古にいった後、右目に大きな内出血がつくりながら、
「いやあ、東日本新人王の決勝までいった、すごいパンチを持ったヤツがいてさ」
と話し、内藤大助の宮田ジムに対する興味は、ますます高まった。