ロッキー・マルシアーノ 24歳で本格的にボクシングを始めるまで

ロッキー・マルシアーノ 24歳で本格的にボクシングを始めるまで

179㎝、84㎏。スピードも、テクニックもなく、不屈のブルドーザーのように突進するファイトスタイルで49戦49勝43KO、引き分けさえない全勝無敗のパーフェクトレコードを持つ世界ヘビー級チャンピオン。




ロッキー・マルシアーノの祖父、ルイージ・ピッチウートは、イタリアの村で鍛冶職人をしていた。
188㎝、100㎏という巨体でよく働き、よく遊び、よく食べ、よく飲み、よくギャンブルをして、
「マストロ(親方)」
と呼ばれていたが、妻と6人の子供と一緒にアメリカ、マサチューセッツ州東部のブロックトンに移住。
ブロックトンは、靴と革製品の製造が盛んな工業都市で、イタリア人だけでなくアイルランド、リトアニア、スウェーデン、ポーランド、ドイツ、フランスなど様々な国の人たちが集まっていて、文化の違いはあったが、国や肌の色に関係なく手を貸し合って生活していた。
ルイージの上から2番目の娘、パスカレナは、コルセット工場で働き、18歳のとき、友人の家で同じイタリア系移民で7歳上のピエリーノに出会った。
ピエリーノは、ルイージより数年早く、17歳のときに単身、アメリカに移民。
ルイージが移民した翌年に第1次世界大戦が始まると志願して軍隊に入り、アメリカのために戦い、フランスの前線で手りゅう弾の破片が頬を貫通して歯が3本折れ、爆発した戦車の破片が体に脚に刺ささりながらも戦い続け、ドイツ軍を退けた。
しかし毒ガス攻撃によって肺を侵され、屈強だった肉体は衰え、すぐに息が切れるようになってしまった。
アメリカに帰還後は、ブロックトンの靴工場で働き、25歳のときにパスカレナと出会った。


メガネをかけ、生真面目で細身のピエリーノとガッシリとした体と陽気でオープンな性格を持つパスカレナは、1年後、結婚。
3年後には、5897gの巨大児、ロッキー・マルシアーノが生まれた。
ピエリーノは、経済的余裕を持つために子供は2人までにしたがったが、パスカレナは、6人欲しいと主張し、3度の流産を経験しながら、アリス、コンチャッタ、ペティ、ルイス、、ピーターを産んだ。
2人は、家族が増えるに伴い、パスカレナの実家の2階に引っ越し。
家長は祖父のルイージ、家庭を仕切るのは母親のパスカレナ、父親のピエリーノは愛する妻と6人の子供のために毎日、靴工場に出勤するという家庭環境で育ったロッキー・マルシアーノは、
「強さは母親から、自制心は父親から受け継いだ」
という。

朝食は、シリアルに6本のバナナ、1リットルの牛乳をかけ、夕食は、母親が大鍋でつくったスパゲッティーをみんなの皿に盛られた後、残りのすべてをに鍋ごと食べるなど食欲旺盛で肥満児だったロッキー・マルシアーノは、7歳から新聞配達を開始。
小学校高学年になると、ギャンブル好きのユダヤ人、イジー・ゴールド、お調子者のユージン・シルベスターと仲良し3人組を形成。
いつも一緒に過ごし、自転車や牛乳を盗んだり、野球をして遊んだ。
イジー・ゴールドとユージン・シルベスターは、よくトラブルを引き起こし、普段物静かなロッキー・マルシアーノは、加勢するために多くのケンカに参加した。

カミソリで手首を切って傷をこすり合って
「血の誓いをした兄弟」
となった3人は、イジー・ゴールドの家の地下室を「クラブハウス」として
「俺たちの仲間になってクラブに加わるためには、俺たちがやったようにダウンタウンのビルの屋上から別のビルの屋上に飛び移ること」
というルールを決めた。
それは4~5階建てのビルで、距離は3mくらいだった。
ロッキー・マルシアーノは、野球に熱中し、ユージン・シルベスターと一緒に地区と教会の野球チームに入ってプレー。
雨の日、練習がなくなっても1人でボールを打ち、兄妹に球拾いをさせた。
背が低くズングリとした体型のロッキー・マルシアーノは、キャッチャーでホームランバッターだったが、走力はなく、通常ならランニングホームランの打球を放っても、2塁打になった。

1933年、ニューヨークでボクシング世界ヘビー級タイトルマッチが行われ、イタリア出身で198㎝、118㎏の「歩くアルプス山脈」プリモ・カルネラが、ジャック・シャーキーをノックアウトして新チャンピオンになった。
その後、プリモ・カルネラがブロックトンアリーナで行われる試合にレフリーとしてやってくることになり、9歳のロッキー・マルシアーノは叔父のジョニーに連れられて観に行くことになった。
独身で左腕が不自由なジョニーは、家の1階に住み、甥や姪を大リーグの試合を観に連れていったり、自転車をプレゼントするなどしてかわいがっていた。
ロッキー・マルシアーノは、
「朝食にオレンジジュースを1リットル、牛乳を2リットル、トーストを19枚、卵を14個、ハムを半ポンドを食べる」
といわれていたプリモ・カルネラが目の前を通ったとき、手を伸ばし、肘を触って大興奮。

ロッキー・マルシアーノは知らなかったが、プリモ・カルネラは、黒い噂のあるボクサーだった。
サーカスの怪力男として活躍しているところをフランス人興行師にスカウトされ(買い取られ)、元フランスヘビー級チャンピオンからボクシングを教わり、アメリカに渡ってKOの山を築いた。
しかしその大半が八百長試合といわれ、対戦相手は、マフィアから脅迫や金銭的な交渉を受けて負けていた。
この世界タイトルマッチでも、マフィアはプリモ・カルネラのトレーニングだけでなく、対戦相手のジャック・シャーキーのトレーニングにもタバコは吸いながら姿をみせていた。
アメリカにおいてボクシングは野球に続いて2番目に人気が高いスポーツだったが、マフィアが幅を利かせて大きな収益を上げていていて、試合会場にはタバコの煙が充満し、プリモ・カルネラも、ファイトマネーの多くを搾取されていた。


ある日、10歳のロッキー・マルシアーノは、学校の帰り道、近所の友人と交代でゴムボールを弾ませていたが、やがて互いに自分のボールだと言い争いを始め、押し合い、突き飛ばし合い、最後は取っ組み合って道を転がりながら殴り合い、血と泥にまみれて、ボールは、どこかに行ってしまった。
ロッキー・マルシアーノの母親は、ケガをして帰ってきた長男をみてビックリ。
友人に殴られたと泣きながら説明するロッキー・マルシアーノをみて、叔父のジョニーは、
「泣いて帰ってきて母親を困らせるな。
自分の力で戦え」
と叱った。
ロッキー・マルシアーノは、何もいえずに部屋に引っ込み、数時間後にはケンカした友人と何もなかったように遊んで仲直り。
翌日、叔父のジョニーは、家に余っていた布とおがくずを使ってサンドバッグをつくり、地下室に吊るし、
「これを毎日30分殴れ」
と指示。
ロッキー・マルシアーノは、ジョニーに監視されながら、毎日、地下でサンドバッグを殴った。
地下室は天井が低いため、自然と身を屈めた姿勢になり、独特のボクシングスタイルは、すでにこの頃から始まっていた。
1年後、近所の裏庭に特設リングが組まれ、ボクシング大会が開かれると11歳のロッキー・マルシアーノは、自分より体の大きな年上の子供と対戦し、引き分けた。



1937年6月22日、世界ヘビー級チャンピオン、ジェームス・J・ブラドックと「褐色の爆撃機」ジョー・ルイスと対戦。
白人のジェームス・J・ブラドックは、2年前に世界チャンピオンになって、これが初防衛戦だったが、8RKO負けし、ジョー・ルイスが、史上2人目の黒人の世界ヘビー級チャンピオンとなった。
同時期、中学生だったロッキー・マルシアーノは、イジー・ゴールドと一緒に、ブロックトンアリーナでボクシングの試合が行われる度にアルバイトをしていた。
それは試合用のグローブが2組しかないため、試合が終わったボクサーからグローブを外し、次のボクサーに渡すという仕事だったが、無料で試合を観戦することができた。
ある晩の仕事中、ブロックトンアリーナにジョー・ルイスがゲストとしてやってきたため、、2人は大興奮して、ずっとつきまとい、トイレの個室に入ったジョー・ルイスを上からのぞいた。
この後、ジョー・ルイスは、ヒトラーが支配する独裁国家、ドイツのマックスシュメリングと対戦し、ノックアウトし、アメリカの国民的ヒーローとなった。

14歳のとき、ロッキー・マルシアーノ、イジー・ゴールド、ユージン・シルベスターの仲良し3人組がセミプロ野球チームの試合を観ていると、ファウルボールが後方の林へ飛び込んだ。
野球のボールは貴重品だったので、すぐに追いかけ、イジーがボールを発見。
そこにボールボーイが走ってきて、返すように要求してきた。
ボールボーイは、ジュリー・ダラムという年上の黒人で、近隣でタフで有名な少年だったが、イジーは、シャツの下にボールを隠し、持っていないと主張。
ユージンは、一緒にボールを探そうといった。
しかしジュリーを騙すことはできず、いい合いとなった。
エスカレートしたジュリーがイジーを脅すのをみて、ロッキー・マルシアーノは
「やるなら俺にしろ」
と進み出た。
2人は押し合い、次にジェリーが放った左パンチがロッキー・マルシアーノの鼻にヒット。
ロッキー・マルシアーノは葉っぱの上に倒れ、鼻血を出しながら立ち上がると両腕を上げて構えた。
しかしジェリーのパンチと動きは速く、防ぐことができない。
ジェリーは、強打を浴びせ続けたが、タフなロッキー・マルシアーノは倒れないため、動き回りながら
「ノロマ!」
となじった。
ロッキー・マルシアーノは、悔しさで涙を流したが、ジェリーが周りに何かいおうとして自分から目を離した一瞬、頭を低くしながら右のパンチを放った。
ジェリーは、顎を打たれてダウンした。

高校生になっても大リーガーに憧れているロッキー・マルシアーノは、野球部に入り、これまで通り、地区のチーム、教会のチームでもプレー。
熱心に練習しながら、自宅で懸垂をしたり、エキスパンダーを引き伸ばしたり、キャッチャーのしゃがんだ姿勢から重い椅子を頭上で上げ下ろししたり、
「秘密のトレーニング」
を行った。
高校2年生になるとアメリカンフットボール部の入団テストを受け、合格。
数少ない2年生レギュラーの1人になり、ボールを持って走ってもスピードがないため、すぐにタックルを受けたが、しがみつく相手を引きずりながら前進。
3年生になると他のチームでプレーしていることを理由に野球部のレギュラーから外されてしまう。
学校にいる意味を失ったロッキー・マルシアーノは、叔父のジョニーにトラックで仕事を運ぶ仕事があるといわれ、両親が反対する中、高校を辞め、メジャーリーグを目指しながら働くことを決意。
時給50セントで石炭をトラックに積んで各家庭に運ぶ仕事をし、数ヵ月後、より給料がよい飴工場へ転職。
さらに飲料工場、靴工場と渡り歩き、食堂の調理の仕事はつまみ食いをしすぎて解雇となって、ガス会社の建設作業員に。
この間、野球は地元のセミプロチームでプレーを続けた。

ロッキー・マルシアーノの高校在学中、1941年に日本軍が真珠湾を攻撃し、アメリカも第2次世界大戦に突入。
特需景気が起こり、ロッキー・マルシアーノは、ガス会社の建設作業員として飛行機の格納庫や工場の建設など給料の良い国の仕事に関わって恩恵を被った。
祖父、ルイージが死去した後、船積みセンターの建設が始まり、仕事が終わると急いで帰って野球にいくという順調な生活を人生を送っていたが、翌年の冬、19歳のロッキー・マルシアーノは徴兵されてしまった。
そして3月に工兵部隊に配属され、自分が建設にかわかった船積みセンター内にあったキャンプ施設へ送られた。
それからマサチューセッツ州ボストンの港湾防衛のための花崗岩でできた星形要塞、フォート・インディペンデンスへいって塹壕を掘ったり、器材を運搬したり、橋を建設する訓練。
やることはガス会社とほぼ同じで、給料もよかったが、野球ができず、自由も少なくフラストレーションが蓄積。
2ヵ月後、上等兵に昇進したが、17歳のときに初体験をして以来、1ヵ月に1度は女性と関係を持ってきたロッキー・マルシアーノは、7日間、無許可で離隊。
他の兵士にボストンで女性と一緒に歩いているところをみられて兵卒に降格させられたが、その後も女性に会うために抜け出た。

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