ロッキー・マルシアーノ 24歳で本格的にボクシングを始めるまで

ロッキー・マルシアーノ 24歳で本格的にボクシングを始めるまで

179㎝、84㎏。スピードも、テクニックもなく、不屈のブルドーザーのように突進するファイトスタイルで49戦49勝43KO、引き分けさえない全勝無敗のパーフェクトレコードを持つ世界ヘビー級チャンピオン。


数ヵ月後、バージニア州のキャンプに第348工兵大隊所属A中隊の一員として配属され、チェサピーク湾で船への積み下ろしや上陸用舟艇に乗って訓練。
1ヵ月後、列車でカナダに向かい、7000人搭載の輸送船に乗り換え、大西洋に出たが、ドイツの潜水艦、Uボートの攻撃を避けるため、夜間、デッキでの喫煙は禁止。
7日後の夜、イギリスのリバプールに到着。
月明かりの中、ドイツ空軍の爆撃でボロボロになった建物の間を進み、ロッキー・マルシアーノは、初めて戦地を経験。
その後、列車とバスで海沿いのリゾート地、マンブルズに移動し、午前3時に就寝。
M1ライフルを持って1ヵ月間、訓練した後、キャンプ・マンセルトンへ移動。
本格的な訓練の後、夜になると仲間とパブに行き、リフレッシュ。
ときに口論となって、巨漢の炭鉱夫や198㎝のオーストラリア兵をKO。
スポーツが好きなロッキー・マルシアーノは、駅の近くにあった、ウェールズのヘビー級ボクサー、ジム・ワイルドのボクシングジムに通い始めた。
が、すぐに橋をつくる訓練中に右手親指を金づちで打たれて骨折し、ボクシングジム通いは中止
第348工兵大隊は、ヨーロッパで行われる攻撃作戦に参加する予定だと聞かされながら、物資の積み下ろし、小型船の乗り降り、地雷やガレキの撤去などの訓練を継続。
出発が近づき、南方の海岸、ウェイマスに移ると外出許可が禁止され、ノルマンディーに向かう船に荷物を積み込み続けた。

「ノルマンディー上陸作戦」は、イギリス軍、アメリカ軍を主力とする連合国軍が、イギリスを出発してドイツ占領下のフランス北部のビーチ、ノルマンディー海岸に上陸するというもので、作戦初日だけで約15万人、作戦全体で200万人が参加。
第348工兵大隊の仲間たちも次々にノルマンディーに発っていった。
ノルマンディー上陸作戦が始まった10日後、1944年6月15日、いよいよ戦地に送られるロッキー・マルシアーノは、
「最後に・・」
という気持ちで外出禁止の命令に背き、仲間1人とこっそり宿舎を抜け出て街へ。
バーで飲んでいると21時半、偶然、知り合いのイギリス人がやってきた。
イギリス人は飛行機会社の重役で、会社の従業員用の食堂に移動し、飲み始めた。
23時を過ぎ、イギリス人は飲み会を終わらそうとしたが、悪酔いしたロッキー・マルシアーノの仲間が拒否。
結局、イギリス人は、ロッキー・マルシアーノの仲間に数回殴られ、財布を奪われた。
ロッキー・マルシアーノは、イギリス人に謝罪し、仲間から財布を取り戻そうとしたができず、そのまま宿舎へ戻った。

翌日の午後、2人は手錠をかけられ、指紋を採取されて写真を撮られた後、軍刑務所に収監された。
約1ヵ月後、7月17日、軍法会議にかけられ、その日のうちに暴行と窃盗で有罪判決が下され、仲間は10年の重労働刑、ロッキー・マルシアーノは7年の重労働刑が宣告された。
1ヵ月後、ロッキー・マルシアーノは、オハイオ州チリコシーの連邦感化院(非行少年などを保護し教育するための福祉施設)で謹慎を命じられ、同時期、ドイツ軍を後退させて上陸に成功した連合軍がパリを解放した。
1944年8月に連合軍によってパリが解放された後、ロッキーマルシアーノは、刑を7年から3年に減らされて不名誉除隊となった。
11月、囚人として、船で10日間かけてアメリカに帰国。
12月、ニューヨークで健康診断を受け、インディアナ州の収容所へ。
年が明けて1945年5月、ドイツが降伏したことで恩赦があったが、ロッキー・マルシアーノは対象とならなかった。
収容されて1年3ヵ月後、1946年3月、肺炎になって12日間入院した後、収容所を出て、軍に復帰。
ワシントン州郊外の陸軍基地で数ヵ月間勤務した後、ブロックトンに一時帰宅した。

ブロックトンでは家族に歓迎され、母親のつくったスパゲティで満腹になり、旧友と会いにいった。
自分と同じく軍務の合間に帰郷していた4歳上の近所のお兄ちゃん、アリー・コロンボは、ロッキー・マルシアーノのアスリートとしての素質やストリートファイトの武勇伝を知っていたのでボクシングをやることを勧めた。
まだメジャーリーガーになることをあきらめていなかったロッキー・マルシアーノは、兵役よりもボクシングで稼ぐほうがいいかもしれないと思い、地元でボクシングの試合をプロモートしていたジーン・カッジャーノのもとへ。
35歳のジーン・カッジャーノは、元フェザー級のボクサーで、ロッキー・マルシアーノの体型とシャドーボクシングをさせると3分持たずに座り込む姿をみて
「戦える体ではない」
と思ったが、集客のために試合に出ることを許可。
「楽な相手を探して勝たしてやる」
といい、アマチュアの試合なので「経費」という名目で30ドルを払うことを約束した。
試合は、次の週の火曜日。
それまでロッキー・マルシアーノは家でゴロゴロし、母親のつくったイタリア料理にたっぷり食べ、友人と酒を飲み、タバコを吸って過ごした。
1946年4月16日の初試合の日の夜、親戚の家に寄って、マカロニパスタを食べて会場入り。
ウエイトは、97.5kg。
プロとして戦うようになってからよりも10㎏以上重かった。


試合会場の修道会ホールには、タバコの煙が充満し、たくさんの人が観戦していた。
この日のメインは、地元のバンタム級、ジョー・フェローリとニューイングランド地方チャンピオンのジョージ・コートの一戦。
その他にフェザー級のジョージ・マッキンリー、ヘビー級のロッキー・マルシアーノというブロックトン出身のボクサーが2人出場していて活躍を期待されていた。
ロッキー・マルシアーノの対戦相手は、マサチューセッツ州出身の新人のはずだったが、都合が悪くなって経験豊富な黒人ボクサー、ヘンリー・テッドに変更。
ロードアイランド州の州都、プロビデンスで黒人として初めてカトリック高校を卒業し、大学に進んだインテリで、188㎝、85㎏という見事な体格で、1年前に地方のアマチュア大会で準優勝していた。
対するロッキー・マルシアーノは、高校中退。
軍で6戦無敗という嘘の肩書をつけられたが、これがデビュー戦で、178cm、97.5kgという肥満体型。
試合は、4回戦(最長4ラウンドまで行われる)
開始のゴングが鳴るとロッキー・マルシアーノは、一直線に突進。
頭を下げてクロールのようなパンチを連発した後、足首付近からアッパー。
当たれば危険だったが、その大きなパンチはことごとくかわされ、空振りを繰り返したロッキー・マルシアーノは、すぐに疲弊し、ヘンリー・テッドの小さくて速いパンチを被弾。
2ラウンドが始まるとロッキー・マルシアーノは、ヨロヨロしながら接近し、KOパンチを狙った。
しかしラウンド途中、ロープ際で追い詰められ、連打されたとき、勝てないことを悟ると、ヘンリー・テッドの股間にヒザ蹴りを入れた。
レフリーは、ロッキー・マルシアーノを失格負けにした。

地元の声援を受けながら、絶対に負けたくなかったロッキー・マルシアーノは、知り合いには、
「足が滑って、偶然、膝が当たってしまった」
といいわけし、家族には
「どうすればよかったんだ?
負けろっていうのか」
と当たった。
ヘンリー・テッドは、この試合を最後にボクシングを引退し、原子力のエンジニアとなり、明るい未来を歩み出し、
「もう2度と人前で、あんな恥をかきたくない」
と痛感したロッキー・マルシアーノは、以後、トレーニングをせずに試合に出ることはなかった。
2人にとって、この試合は人生のターニングポイントとなった。


1946年5月、ワシントン州の基地に戻ったロッキー・マルシアーノは、それまでは野球チームに入ってファーストを守って試合に出場していたが、新たにボクシングチームに入った。
この基地のボクシングチームは強く、トップの4選手は、アマチュア大会である「ゴールデングローブ」で地元を勝ち抜いていていて、中でもフェザー級のサミー・ブテラは、105戦103勝100KOの猛者だった。
ゴールデングローブは、アメリカ最大のアマチュアボクシングの大会で、全米30カ所でトーナメントによる地方予選が行われ、勝ち上がればニューヨークで行われる全国大会に進出し、全米ナンバー1を決める。
ロッキー・マルシアーノは、タバコと酒をやめ、食べ物に気をつけて懸命に練習して減量。
サイのような体になって、夏までに5戦し、4勝3KO。
軍の新聞に自分の名前が載っているのをみて感動。
さらに同じワシントン州のタコマでスパーリングパートナーの求人広告を発見すると応募し、194㎝、102kgのビッグ・ビルに
「熊みたいだな」
といわれながら、恐れずに攻撃し、度胸をホメられた。

8月にオレゴン州で試合があり、同じ日に野球の試合もあったが、人生で初めて野球の試合を捨てて、ボクシングの試合に出場。
オレゴン大学で行われたAAU(アマチュア運動連合)の試合は、全国から100名以上が集まり、初日を勝ったロッキー・マルシアーノは、2日目にフレドリック・ロスを開始直後、右1発でKO。
あと2回勝てば、全米ジュニアAAUヘビー級チャンピオンだったが、次の日、再び右でロバート・ジャーヴィスをKOしたが、試合途中に左手の指を骨折。
上官に止められたが
「戦わせてくれ」
と頼み、2日後、決勝戦のリングに上がり、191㎝のジョー・ディアンジェリスと3Rを戦って判定負け。
翌日、ワシントン州の軍の病院に入院。
ボクサー生命を脅かすような重度の骨折だったが、日系アメリカ人の外科医、トム・タケタは、1週間、アイシングと牽引で腫れを引くのを待って、指にドリルを入れてステンレス製のピンで砕けた骨をつなぐ手術を行い、1ヵ月後の9月、レントゲン写真で拳が元通りになっていることが確認された。
12月、かつて不名誉除隊となったロッキー・マルシアーノは、名誉除隊となった。

23歳で兵役を終えたロッキー・マルシアーノは、ブロックトンへ帰り、年末を家族と過ごし、退役軍人として週20ドルの失業手当を受け取りながら、かつて試合を組んでもらった地元のプロモーター、ジーン・カッジャーノに声をかけ、地元のYMCでトレーニング。
1ヵ月後にはアマチュアボクシングのトーナメントに参加し、相手の攻撃を受けながら突進し、大きなパンチを振り回すという粗削りなスタイルで、

1月4日、ロン・スラッシャー KO勝ち
1月11日、ジム・コノリー KO勝ち

しかし1月17日、ボブ・ジラートに判定負けした上、左手の古傷が悪化。

4歳上の近所のお兄ちゃん、アリー・コロンボは、ブロックトンから160㎞離れた、同じマサチューセッツ州のホールヨークのボクシングプロモーターにロッキー・マルシアーノの試合を組むように依頼。
時給1ドルで側溝を掘る仕事を始めたばかりのロッキー・マルシアーノは、前座試合ながら報酬は50ドルといわれて歓喜。
食べ物に気をつけながら1日2度公園で走り、YMCAのジムで練習。
3月17日の月曜日、ガス会社の仕事を休んで列車でホールヨークに移動。
駅からアリー・コロンボの車に乗って、アリー・コロンボの友人の家に行き、ステーキとグリーンサラダを食べて、昼寝。
会場であるヴァレーアリーナに移動し、試合前の計量で対戦相手と初対面。
地元で働くヘビー級ボクサー、レス・エパーソンは、パワー、スピード、技術があり、将来を有望視されたプロ選手で、会場の観客からの人気も高かった。
一方、作業着姿で計量会場に入ったロッキー・マルシアーノは、これがプロデビュー戦だったが、試合を盛り上げるために17戦16勝という偽の戦績をつけられていた。
試合直前、アリー・コロンボがファイトマネーが50ドルであることを確認すると、プロモーターは、35ドルだといった。
プロの試合に出るためにマサチューセッツ州に15ドルを払ってでライセンスを申請し、ガス会社の給料を捨ててはるばるやってきたロッキー・マルシアーノは、それでは赤字になってしまうため、会場の声を聞こえる控室でプロモーターと交渉。
35ドルのファイトマネーは35ドルで、15ドルのライセンス料はプロモーターが払うということで落ち着いた。

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