ロッキー・マルシアーノ 24歳で本格的にボクシングを始めるまで

ロッキー・マルシアーノ 24歳で本格的にボクシングを始めるまで

179㎝、84㎏。スピードも、テクニックもなく、不屈のブルドーザーのように突進するファイトスタイルで49戦49勝43KO、引き分けさえない全勝無敗のパーフェクトレコードを持つ世界ヘビー級チャンピオン。



ブロックトンに帰ったロッキー・マルシアーノは、2週間後、ジーン・カッジャーノが主催するボクシングの試合に出場。
ジーン・カッジャーノに収益の10%を支払うといわれ、アリー・コロンボと一緒に1枚1ドル25セントのチケットを600枚売り、イス並べなどの設営も手伝い、試合は、1ラウンドKO勝ちで盛り上げた。
しかし試合後、ジーン・カッジャーノから40ドルを渡され、100ドルはもらえると思っていたロッキー・マルシアーノは激怒し、40ドルを突き返した。
1週間後、AAUの大会に出るためにアメリカ北東部のニューイングランドに移動。
するとジーン・カッジャーノがやってきて、セコンドをやらせてくれといったので、ロッキー・マルシアーノは、許可。
準決勝でフレッド・フィッシュラを2ラウンドでKOしたが、そのときに古傷がある左拳を痛めてしまう。
それでもその日の夜に行われた決勝戦に強行出場し、1ヵ月前にKO勝ちしているジョージ・マキニスに右手1本で2度ダウンを奪って判定勝ち。
この勝利でAAUの全国大会への出場権を獲得。
そこでもし優勝すれば、夏のオリンピック出場も夢ではなくなる。
しかしグローブを外すと左手の親指が2倍ほどに腫れていた。
医師は骨折と診断し、ギブスを装着した。

医師に4~6週間は使うことができないといわれたロッキー・マルシアーノは、AAUの全国大会出場を断念。
さらにガス会社に出社すると
「こんな状態じゃ、お前は使えない」
といわれてクビになり、通院していると高校時代のアメリカンフットボール部の監督の妻が看護師をしていて
「なんのためにボクサーをしてるの?」
といわれた。
数ヵ月後には25歳になるロッキー・マルシアーノは、仕事もスポーツもトレーニングもできず、フラストレーションを溜めた。
ある日の深夜、友人とブロックトンのレストランにいると隣のテーブルから酔った2人の海兵にからまれ、最初は我慢していたが、友人が
「オカマ野郎」
といわれた瞬間、左手にギブスをはめたまま、右手で1人の顔面を殴ってノックアウト。
逃げた1人を追って、路上で倒すと、レストランに戻ったが、そのとき友人によると
「ロッキーは、明らかに元気になっていた」

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1948年3月にガス会社を解雇されたロッキー・マルシアーノのために、本人、アリー・コロンボ、父親、叔父のジョニー、警官であるバーバラの父親、そしてマックス・シュメリングと戦ったことのある元ヘビー級ボクサーでブロックトンでビールを売っているジョー・モンテが集まって会議を行った。
ジョー・モンテは、プロボクシングの世界は、実力や才能と同じくらいコネクションがモノをいうと説明し、ロッキー・マルシアーノにニューヨークへ行くことを勧め、まだ荒削りなボクシングに磨きをかけるトレーナーと大きな試合を獲ることができるマネージャーが必要だといった。
アリー・コロンボは、AAUの試合会場でエディ・ポランドというトレーナーに出会い、ジョー・モンテ同様、ロッキー・マルシアーノはニューヨークに行くべきだといわれ、数名のマネージャーの名前を教えてもらっていた。
その中に、アル・ワイルがいた。
ルー・アンバースをライト級チャンピオンに導き、チリのヘビー級ボクサー、アルトゥーロ・ゴドイを2度、ヘビー級チャンピオンであるジョー・ルイスに挑戦させ、「マネージャー・オブ・ザ・イヤー」に選出されていた敏腕マネージャーだった。
5月、アリー・コロンボは「ザ・リング:レコードブック&ボクシング百科事典(The Ring Record Book and Boxing Encyclopedia)」で、アル・ワイルの住所を調べ、手紙を書いた。
6月、ロッキー・マルシアーノとアリー・コロンボが野球の試合をしていると、アリー・コロンボの妹が走ってきて、アル・ワイルから長距離電話がかかってきているといった。
キャッチャーをしていたアリー・コロンボはスネ当てをしたまま、走って家に帰り、受話器を取ると
「君のボクサーを連れてニューヨークに来れるか?」
といわれた。

アル・ワイルは、フランスで生まれ、13歳でアメリカに移住。
1年後、父親は帰国したが、1人残り、多くのダンスコンテストに出場して賞金を獲得。
プロのダンサーとして活躍しながら、ダンスイベントのプロモートを行うようになった。
アンディ・ブラウンというボクサーとルームシェアしているとき、セコンドを頼まれ、何も知らないままコーナーにつき、そこでボクシングの魅力にハマってしまう。
ボクシングの試合とダンス大会が同じ場所で行われることが多く、たくさんのボクサーや関係者と知り合いになったアル・ワイルは、ボクサーのマネージメントを始め、1916年に初めてニューヨークに来た「拳聖」ジャック・デンプシーの試合も観に行った。
13人兄弟姉妹の9番目に生まれたジャック・デンプシーは、16歳で家を出て、貨物列車の無賃乗車と野宿で各地を放浪しながら、酒場で相手を募って、金を賭けてケンカ。
ボクシングを始めて2年後、初めてニューヨークに来たジャック・デンプシーは金がなく、試合前夜、公園で寝て、アル・ワイルの観ている前でジョン・レスター・ジョンソンと10ラウンドを戦い、肋骨を3本折りながら引き分けた。
(そして3年後、世界ヘビー級タイトルに王座に初挑戦。
相手は、黒人初の世界ヘビー級チャンピオン、ジャック・ジョンソンを破った身長2mのジェス・ウィラード。
185㎝のジャック・デンプシーは、1Rに7度のダウンを奪い、ジェス・ウィラードは、顎、頬、歯、肋骨を折られて、4R開始に応じられず、TKO負け。
「トレドの惨劇」と呼ばれた)
ジャック・デンプシーがニューヨークにやってきた年、波止場でカーニバルがあり、アル・ワイルは、「ハイストライカー」というゲームを出店。
1回10セントで重りを高く投げるという力試しのゲームで、
「彼女に力を証明してみろ」
などといいながら客引きしていたが、このときルーレットゲームの屋台をしていたチャーリー・ゴールドマンに出会った。

アル・ワイルより5歳上のチャーリー・ゴールドマンは、元ボクサー。
ポーランドの首都、ワルシャワで生まれ、幼少期にニューヨークのブルックリンに移住。
治安が悪い街で自然と拳の使い方を学び、小学校4年生のときに学校で教師に殴られて、殴り返した後、教室を飛び出し、学校教育を終了。
バンタム級とフェザー級で世界チャンピオンになったハードパンチャー、テリー・マクガヴァンがトレーニングするジムが新たな教室になった。
1900年代初頭、ボクシングの試合は、野蛮な見世物として行うことが禁止されていたため、人目のつかない倉庫や空き地、酒場の奥やダンスホール、会員制のクラブなどで密かに行われていた。
そんな中でチャーリ・ゴールドマンは、16歳のときに、155㎝、48㎏の小さな体でデビュー戦を行った。
場所は、ブルックリンの酒場で、相手のエディ・ガードナーは、10歳以上も上。
どちらかが立たなくなるまで続けるというルールの下、3時間以上殴り合い、第42ラウンドに突入したとき、警官が入ってきたため、チャーリー・ゴールドマンは観客と一緒に逃亡。
試合の主催者も消えてしまい、ファイトマネーをもらい損ねたチャーリー・ゴールドマンは
「警察に漏らしたのはアイツだ」
と思った。
この後、バンタム級で400戦以上戦い、何度も手と指を骨折して変形し、耳もカリフラワーのようになったチャーリー・ゴールドマンは、ボクシングを始めて8年間後、初めて世界タイトルマッチに挑み、判定負け。
そしてボクシングを始めて10年後、26歳で選手を引退し、トレーナーになった。
直後、教え子のアル・マッコイが世界チャンピオンのジョージ・チップに挑戦。
チャーリー・ゴールドマンに
「右で誘っておいて腹に左を打ち込め」
と指示されたアル・マッコイは、1R45秒でKO勝ちし、時番狂わせで世界ミドル級チャンピオンとなった。

カーニバルで2人が出会った3年後、ボクシングが合法化されるとアル・ワイルは、すぐにセコンドとマネージャーのライセンスを取得。
ジャック・デンプシーが所属していた名門、スティルマンズジムで次々とスター選手を誕生させた後、同じニューヨークにあるCYOジムに移籍してボクサーたちを指導をしていたチャーリー・ゴールドマンに
「パートナーになろう」
といった。
チャーリー・ゴールドマンは、
「人が良くて、やり手で、とても聡明」
と思っていたアル・ワイルの提案に合意。
2人は、ビルの一室を貸り、
「ワイル&ゴールドマン ボクシングマネージャーズ」
という看板を掲げた。
アル・ワイルは、ボクサーのマネージメントとマッチメイクを担当。
ボクサーたちを家族と考え、溺愛する一方で、支配的になったり、ビジネスに徹することもあって
「暴君」
と呼ばれることもあったが、刺激的な試合を組んで興行を大成功させ、ボクシング界屈指のマネージャー兼マッチメイカーになった。

チャーリー・ゴールドマンは、トレーナーに専念し、アル・ワイルが送ってくるボクサーを教え、次々にチャンピオンを輩出。
タイトル戦の翌日でさえ、必ずジムに顔を出して練習を行う職人肌で、身につけている貴金属は父親からもらった金の指輪だけ。
代わりにいつも湿布、ワセリン、気つけ薬、テーピング、ハサミ、綿棒などの商売道具を黒いバッグに入れて持ち歩いていたが、そのバッグはボクサーから感謝の印にプレゼンとされたものだった。
「1番好きなことは未熟者が成長していくのを目にすること。
それはまるで片方のポケットに25セント硬貨を入れると、もう片方から1ドルが出てくるようなもの」
というチャーリー・ゴールドマンは、選手の弱点を手帳に書き、忍耐強く、修正していった。
そんな師匠の姿をみながら一緒に仕事をしていた若手トレーナー、アンジェロ・ダンディ-は、後にモハメド・アリのトレーナーになった。

アル・ワイルから電話をもらった数日後、ロッキーマルシアーノとアリー・コロンボは、ニューヨークへ向かった。
55歳のアル・ワイルのオフィスは、電話がひっきりなしに鳴り、スタッフが対応していた。
ソファーで対峙したアル・ワイルは、背が低く、2重アゴの肥満体にチョッキを着ていて、ベッコウのメガネをかけていた。
「お前は戦えるといったのは誰だ?」
ロッキー・マルシアーノをみながらズケズケというアル・ワイルに、アリー・コロンボは
「彼は出た試合の全部で勝っています」
「アマチュアで何試合やったんだ?」
「12戦くらいです」
「パンチは打てるのか?」
「それはもう」
「右手だけ?」
「いえ両方です
彼は両方の手でパンチが打てます」
するとアル・ワイルは、電話をかけ始めた。
「チャーリー、新しい若者が来てるんだ。
ヘビー級だ。
誰か相手を用意してくれ。
何ラウンドかみてみたい。
エッ、誰もいない?
ゴドイはいるか?
・・・・・
じゃあゴドイにちょっと待っててほしいと伝えてくれ。
コイツの動きをみたいんだ」

ゴドイとは、世界ヘビー級チャンピオンであるジョー・ルイスに2度挑戦(それぞれ15R判定負け、8RTKO負け)した、チリ出身の白人ボクサー、アルトゥーロ・ゴドイ。
アル・ワイルと一緒にタクシーでチャーリー・ゴールドマンのジムへ向かうとき、ロッキー・マルシアーノは、
「あのゴドイとやるのか!?」
と思うと興奮し、心臓はバクバクしていた。
ジムに着くとボクサーたちが縄跳びをしたり、シャドーボクシングをしたり、サンドバッグを打ったり、スピードボールを打ったり、リングでスパーリングをしていて活気に満ちていた。
その中心にいたのが、年齢60歳、身長155㎝、ダービーハット(山高帽)をかぶり、角縁の眼鏡をかけたチャーリー・ゴールドマンだった。
ロッキー・マルシアーノにサンドバッグを打たせて、
「両足は開きすぎ、頭は高すぎ、両腕も開きすぎ。
パンチを打つのではなく、襲いかかっている」
と思ったチャーリー・ゴールドマンは、アルトゥーロ・ゴドイとスパーリングをさせず、翌日、また来るように告げた。

その日、ロッキー・マルシアーノとアリー・コロンボは、ホテルに宿泊。
翌日、ジムへ行くと、アル・ワイルとアルトゥーロ・ゴドイがいた。
しかしチャーリー・ゴールドマンは、ウエイド・チャンシーとスパーリングするように指示。
ゴドイのスパーリングパートナーで、すでにプロで12戦していて、ジョー・ルイスの試合の前座を務めたことのある有望選手だった。
スパーリングが始まるとロッキー・マルシアーノは、前進して大きなパンチを振り回したが、ことごとくかわされ、反対にジャブをもらった。
チャーリー・ゴールドマンは、
「腕の振りが遅すぎる」
「フットワークがムチャクチャ」
「左ジャブは手のひらが上を向いている」
と気がついたことを手帳にメモ。

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顔面に飛んでくるパンチは両腕を上げてディフェンスするが、ボディへのパンチは、まったくガードしないロッキー・マルシアーノが連打をもらったところで、不思議に思ったチャーリー・ゴールドマンは、スパーリングをストップ。
ボディをガードしない理由を聞き、ロッキー・マルシアーノに、
「顔が傷ついて母傷にみられるとボクシングを辞めさせられてしまうから、相手が疲れるまで殴らせておけと・・・」
といわれると大笑いした。
2R、ウエイド・チャンシーのガードが下がった瞬間、ロッキー・マルシアーノの右が顎の炸裂。
ウエイド・チャンシーがロープまでよろめくと、アル・ワイルが、
「倒せ!
倒すところを見せてくれ!!」
と叫んだが、チャーリー・ゴールドマンは、スパーリングを終わらせた。
誰もがロッキー・マルシアーノの大ぶりの右フックをラッキーパンチだと思ったが、チャーリー・ゴールドマンだけは、
「稲妻のようなパンチだった。
技術を教えることはできるが、あんなパンチを身につけさせることはできない」
と肯定的に評価した。


アル・ワイルとチャーリー・ゴールドマンは話し合い、
「置いておこう」
「何の損はないからな」
ということになった。
ロッキー・マルシアーノがプロボクサーとして成功できるか聞くとチャーリー・ゴールドマンは、
「簡単なことじゃない。
大変だよ。
やらなければいけないことはたくさんあって、犠牲もたくさんあって、たくさん殴られる。
だが君はやっていけるんじゃないかと思う。
君は強くて熱心だ。
戦うことが好きだとわかる。
好きじゃなきゃ、この世界に住んでいられない」
オフィスに戻るとアル・ワイルは
「すべてチャーリーのいう通りにするんだ。
それから何試合か4回戦を手配してやる」
といい、さらに
「マー・ブラウンの下宿に住んでゴールドマンとトレーニングすればいい」
といった。
チャーリー・ゴールドマンは、マー・ブラウンという気難しい高齢女性が経営するアパートに妻と一緒に暮らしていて、何人かのボクサーも同じアパートに住んでいた。

ロッキー・マルシアーノが、
「自分の稼ぎの10%をアリーに渡したい」
というと、アル・ワイルは、
「なんだと?
お前、誰に言ってるんだ?
お前は、まだ金をもらうのにふさわしいことはなにもしていない」
と激怒。
アリー・コロンボが
「ロッキーには仕事がなく、ニューヨークで暮らす金がないんです」
というと、アル・ワイルは
「それは残念だ」
といった後、少し考えてから、
「ロードアイランド州のプロビデンスはブロックトンから近いか?」
と聞き、それほど離れていない(約48㎞)ことがわかると
「家に戻ってトレーニングし、準備ができたら俺に知らせろ。
プロビデンスで試合を手配するから」
といった。
話しが終わり、ロッキー・マルシアーノが帰るためにエレベーターで降りようとすると、アル・ワイルは、
「おい、戻ってこい」
といって、20ドルを渡した。
内心、アル・ワイルの態度に怒っていたロッキー・マルシアーノは、お礼をいって受け取り、アリー・コロンボと一緒に昼食。
そして別のマネージャーに会った。
ジャック・マーティンは、元マサチューセッツ州知事の息子でヘビー級ボクサーのピーター・フラーのマネージャーを務めていて、2人の話を聞いて、
「アル・ワイルと契約にサインした?」
と聞いた。
「してない」
「俺といくらで契約したい?」
アリー・コロンボが
「1000ドル」
というとマーティンは、
「OK。
明日、電話する」
といった。
しかしジャック・マーティンから電話はかかってこず、ロッキー・マルシアーノとアリー・コロンボは、ブロックトンに帰った。


ロッキー・マルシアーノは、ブロックトンに戻ると、すぐにトレーニングを開始。
毎朝、ボクシング経験のないアリー・コロンボと一緒に走り、ボクシングをやったことのない友人、トニー・タルタリアとスパーリング。
週1日は休んでバーバラと過ごしたが、22時には別れ、22時半には就寝。
数週間後、プロビデンスでの試合が1948年7月12日に決まった。
試合前日、母親は、改めてボクサーになることを反対。
ロッキー・マルシアーノが
「ケガをしないようにする」
というと、母親は
「帰ってきたら体をチェックする」
といった。
試合当日の午後過ぎ、ロッキー・マルシアーノ、アリー・コロンボ、トニー・タルタリアはプロビデンスに到着。
計量の後、トニー・タルタリアの妹がプロビデンスに住んでいたので、ロッキー・マルシアーノは、そこで昼寝をして、ステーキを食べて出陣。
セコンドの2人がボクシングの経験がなかったため、バンテージは、他の選手のセコンドに巻いてもらった。
この日は5試合が行われ、メインはキューバのフェザー級チャンピオンで世界ランキング3位のミゲル・アセペドとブロックトンのボクサー、テディ・トップの10回戦(最大10ラウンドまで行う)
ロッキー・マルシアーノの出番は、第1試合。
試合は4回戦で行われ、相手は、3歳下の21歳、1年前に世界ライトヘビー級チャンピオンになったハリー・ビラザリアンだった。
20時半、1ドル25セントの自由席、3ドル50セントのリングサイド席に、まだ客がまばらな中、リングへ。
相手を格下とみなしたハリー・ビラザリアンは、ゴングが鳴ると猛然と襲いかかったが、ロッキー・マルシアーノは、それをかわし、ボディに数発入れた後、右を顔面に叩きこんでダウンを奪った。

相手がカウント9で立ち上がってくるとラッシュ。
右が炸裂すると、ハリー・ビラザリアンは背中から倒れて転がり、うつ伏せに。
レフリーは、カウントを数えずに試合をストップ。
1分32秒、TKO勝ちしたロッキー・マルシアーノは、40ドルを受け取り、母親のチェックも無事にパスした。

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1週間後、再び、プロビデンスのリングに立って、ジョン・エドワーズをわずか1R、1分19秒、右でKO。
7月12日、7月19日と2連続で1RKO勝ちしたロッキー・マルシアーノは、8月9日にボビー・クインと対戦。
15勝0敗14KO、経験で優るボビー・クインは、2Rまで試合を支配し、ロッキー・マルシアーノは一方的に打たれた。
しかし3R、攻めてくるボビー・クインの側頭部に膝の辺りから放った大きな右がヒットし、3R 23秒、KO勝ち。
2週間後の8月23日、25勝0敗23KOのエディ・ロスと対戦。
1R 1分3秒、ロッキー・マルシアーノの右でエディ・ロスは、マウスピースをリング外に飛ばし、リングに倒れる前に気を失った。
これでロッキー・マルシアーノは、4連続KO勝ち。
体が小さく、動きはぎこちなく、よくパンチをもらうが、パンチを当たれば、それですべて片がつくという一撃必殺の豪快なボクシングで観客を興奮させた。
ロビデンスのプロモーターは、1度も試合を観に来ないアル・ワイルに、
「ジャック・デンプシーやジョー・ルイスよりもパンチ力がある」
と伝えた。

ロッキー・マルシアーノが4連続でKO勝ちし、40ドルの賞金を4回もらった後、アマチュア時代のマネージャーであるジーン・カッジャーノは、電話をかけ、自分がマネージャーであり、収益の1/3をもらうという権利がある主張。
しかし以前に報酬をごまかされたときからジーン・カッジャーノを信用していないロッキー・マルシアーノは、
「そんなこと知ったことか。
今度お前を見かけたら1発食らわせてやる」
といってハッキリと拒否。
するとジーン・カッジャーノは、契約違反と脅迫でロッキー・マルシアーノを訴え、この件が解決するまでロッキー・マルシアーノが試合に出られないようにする禁止命令を求めた。
裁判所は、その要求は退けたが、裁判は続行した。


一方、警官であるバーバラの父親は、ブロックトンの有力実業家にロッキー・マルシアーノを紹介。
ジムとプール付きの巨大な邸宅に住むラス・マレーは、ロッキー・マルシアーノに自分の家のジムで練習することを許可。
ロッキー・マルシアーノとアリー・コロンボは、次の週までの1週間、そこに通い、トニー・タルタリアや弟のソニーとスパーリングを行った。
経験のあるトレーナーがいないため、彼らはアメリカンフットボール投げたり、プールの中でパンチを繰り出したり、手探りでトレーニングしていた。
そういったオリジナルの練習に加え、様々な人からアドバイスを受けた。
YMCAでウエイトトレーニングをしているとボディビルダーに筋肉が硬くならないように気をつけろといわれ、食事のアドバイスも受け、揚げ物は避けて野菜を多く摂るようにした。
古傷を持つ左拳が、すぐ痛くなることに悩んでいるとブロックトンの消防士でボクサーでもあるアート・バーグマンは、
「正しいパンチの打ち方をしていないからだ」
といって、80㎏以上ある大きなサンドバッグを持ってきて、
「これを素手で殴って鍛えろ」
といった。
ラス・マレーの家でトレーニングしたロッキー・マルシアーノは、日曜日に野球の試合で一塁を守りった翌日、プロビデンスに行ってボクシングの試合に出場。
一方、チャーリー・ゴールドマンは、アル・ワイルの指示でニューヨークから列車に乗ってプロビデンスに行き、初めてロッキー・マルシアーノの試合を観戦することになった。

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8月30日、ロッキー・マルシアーノとアリー・コロンボはプロビデンスへ移動し、駅でチャーリー・ゴールドマンを出迎えた。
対戦相手のジミー・ミークスは、12勝1分5KO。
シュガー・レイ・ロビンソンも所属するニューヨークのスティルマンズジムでトレーニングし、ジョー・ルイスとスパーリング経験がある黒人ボクサーで、試合が始まるとロッキー・マルシアーノに手応えのあるパンチを入れた。
しかし1R終盤、ロッキー・マルシアーノの右がジミー・ミークスの顎に炸裂。
ジミー・ミークスは、なぎ倒され、なんとか立ち上がったが、再び右をもらってダウンしたため、レフリーが試合を止めた。
チャーリー・ゴールドマンは、
(確かにパンチは持っているが、改善が必要だ)
と感じながら、ロッキー・マルシアーノに
「ワイルがニューヨークに来て欲しがってる」
と伝えた。
そして
「何か食べに行きましょう」
というロッキー・マルシアーノの誘いを断り、ニューヨーク行きの列車の乗り、自分のジムで指導を行った。


最初、ロッキー・マルシアーノとアリー・コロンボは、ニューヨークのチャーリー・ゴールドマンのジムまで車で通った。
地元のトラック運転手で元ボクサーのビリー・オマリーが、20時にブロックトンを出て、午前3時にニューヨークに到着するというスケジュールで働いていたので、2人は、それに便乗。
夜明け前にニューヨークのトラックターミナルに到着すると空が明るくなっていく中、ジムまで歩き、練習の後、帰りのトラックに乗った。
やがて自分への絶対服従を求めるアル・ワイルの指示でマー・ブラウンのアパートに下宿し、ニューヨークに住み始めると、ロッキー・マルシアーノとアリー・コロンボは、何時間も街を歩いた。
目抜き通りのブロードウェイ、マディソン・スクエア・ガーデン、ジャック・デンプシーが経営するレストランを観て楽しみ、ホテルのカフェでくつろぐ世界ミドル級チャンピオン、ロッキー・グラジアノや女性を連れて歩く世界フェザー級チャンピオン、ウィリー・ペップをみてはしゃぎ、レストランに入ろうとしたがネクタイをしていなかったため、入店を断られると
「クソくらえ」
と罵った。
ジムへも徒歩で通い、同じアパートに住み、バスで通うチャーリー・ゴールドマンをあきれられた。
少し経つと2人は、より安く、よりジムに近いアパートを見つけ、アル・ワイルの許可を得て、引っ越した。

ロッキー・マルシアーノの強烈だが大きく弧を描く右は、小さく速くというボクシングの常識から外れたパンチで、通常なら矯正されたかもしれないが、チャーリー・ゴールドマンは、
「天から彼に授けられたオリジナルの最終鋭器」
とポジティブに捉え、それを残しながら悪癖を無くすという方向性で指導。
まず行ったのはフットワークの向上。
「力とバランスが奪われるから足が開きすぎてはいけない」
といい、両足の靴紐を結び合わせたり、左右の足首を手錠のように紐で結んで、スタンス(足幅)を狭めるよう指導した。
ロッキー・マルシアーノは、紐を切らないように動くことで、立ち方とフットワークが改善。
結果、ロッキー・マルシアーノの28.5㎝、幅広EEサイズのボクシングシューズは、左足の親指の付け根付近に穴が空いた。
開いていた上半身も、両脇に新聞紙を挟んだままパンチを打ったり、首にタオルをかけて、片方の手でタオルの両端を持ってシャドーボクシングをしてパンチの出し方を改善。
チャーリー・ゴールドマンは、
「床の匂いを嗅ぐくらい鼻を下に降ろして、それから相手を殴り続けろ」
といい、ロッキー・マルシアーノは、直立するのではなく、野球のキャッチャーのように低く、前屈みになった姿勢から両腕を上げ、頭を下げて相手のパンチをかわし、かいくぐりながら前進して攻める動きを練習。

ロッキー・マルシアーノいわく
「紳士的だがおっかない」
「聖人の忍耐力で規律を求めてきた」
というチャーリー・ゴールドマンは、スパーリングで繊細な技術を習得するより、強いパンチを打って戦いたがるロッキー・マルシアーノにスパーリング禁止し、サンドバッグ、シャドーボクシング、縄跳び、フットワークという基本練習を執拗に繰り返させた。
「最初に会ったとき、ボソボソとものをいう気の弱そうな印象を受けた。
アマチュア上がりで、そこそこは基本が出来てると思ったが、そうではなかった。
デビュー前から面倒をみたが基本から直す所がいっぱいあったね。
まずパンチは人一倍あったが、動きはグニャグニャしてダメだった。
まるでアコーディオンのジャバラのようだったなあ。
構えるスタンスが悪いからガードもよくなかったし、パンチを繰り出すコンビネーションも悪かった」

「もう長いラウンドじゃヘタばると思って、もっと動作の速い運動をさせたり、長い距離を走らせてスタミナをつけるようにさせたんだ。
なにしろヘビー級で戦うには体重が軽くて小さいから長くは続けられないと思って、ライトヘビー級を勧めたんだが、アイツは1番重いヘビー級にこだわったんだ。
出来るだけ体重を増やそうとも思ったが、動きが鈍くなるので無理に太らすことは、あえてさせなかった。
それよりももっと筋力をつけパワーをつけさせたんだ。
数ヵ月後になって数段逞しくなってた。
それが後になって試合に役立ったということだね」
というチャーリー・ゴールドマンは、週6日、ジムでボクシングの技術的なトレーニング、ミット、サンドバッグ、スピードバッグ、スパーリングなどを行うだけでなく、過酷な肉体的トレーニングも課した。
ロッキー・マルシアーノは、

・毎朝、アリー・コロンボと一緒に5~6マイル(8~9㎞)のロードワーク
・後ろ向き走
・坂道ダッシュ。
・腕立て伏せ、腹筋運動、背筋運動、懸垂、握力や首の筋力トレーニング
・メディシンボールで腹を打つトレーニング。
・大きなハンマーでタイヤを叩くトレーニング。
・アメリカンフットボールの楕円球を左右の腕で投げてキャッチボール。

などを行い、きちんと食事を摂り、毎晩9時半には就寝することを徹底し、鉄壁の持久力と筋力、不屈の精神力をつくり上げ、82~86㎏の体でヘビー級のリングに立った。

ロッキー・マルシアーノは、ジミー・ミークス戦から2週間後、1948年9月13日、ハンフリー・ジャクソンに1R KO勝ち。
さらに2週間後の9月20日、ビル・ハーデマンに1R KO勝ち。
そしてギルバート・カーディアンと戦うためにワシントンへ乗り込んだ。
屋外で行われる予定だった試合は、雨で2度延期された後、屋内に変更。
この間にギルバート・カーディアンと仲良くなり、彼が病気の父親と4人の兄弟のために戦っていると知ったロッキー・マルシアーノは、試合開始36秒後に、左アッパーでノックアウトした後、意識を失ったギルバート・カーディアンが回復するまでリングから去るのを拒否。
初めてロッキー・マルシアーノの試合を観戦し、ノックアウトの瞬間、興奮して叫んだアル・ワイルは、試合後、正式に契約を交わしたが、チャーリー・ゴールドマンは、
「運よくKO勝ちしたが、力任せの腕力だけで倒してテクニックは全然ダメだった」
と酷評。
4日後、ロッキー・マルシアーノは、ロードアイランド州に戻り、ボブ・ジェファーソンと対戦し、2Rで倒し、9試合連続KO勝ち
しかしこの試合で初めて右拳を痛めてしまい、ブロックトンに戻って休養することになった。
洗濯機の中にバスソルトとお湯を入れて泡立たせて、その中に右手を入れて回復を促進させたロッキー・マルシアーノは、2ヵ月間試合を休んだ後、1948年11月29日、ロードアイランド州で復帰戦を行い、194㎝のバット・コノリーを57秒でKO。
これで10連続KO勝ち。
そのパンチに観客は興奮し、1000人以下だった観客数は、3000人に増加。
これまで数々の世界チャンピオンを世に送り出ながら、ヘビー級だけは、その夢が叶っていなかったアル・ワイルは
「未来の世界チャンピオンだ」
と期待した。

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 内藤大助  イジメに克ち、イジメっ子にリベンジ

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日本フライ級、東洋太平洋フライ級、WBC世界フライ級チャンピオン、42戦36勝3敗3分、勝率85.7%、KO率63.9%。恐ろしく強いボクサーなのにオネエを疑われるほど柔和、かつ元イジメられッ子。中学時代に凄絶なイジメに遭い、20歳でジムに入門し、 22歳でプロデビュー。そして24歳で全日本新人王になった後、イジメっ子と再会する。


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ファミリーマートにて、講談社「週刊少年マガジン」で連載中の『はじめの一歩』と、アサヒ飲料のロングセラー商品「ワンダ モーニングショット」がコラボした「はじめの一歩×ワンダ モーニングショット ファミリーマートのはじめの一歩缶」が1月28日より全国のファミリーマート約16,200店にて発売されます。


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「週刊少年マガジン」で『はじめの一歩』を連載中の漫画家・森川ジョージが、11月27日に放送された麻雀対局トーナメント『麻雀オールスター Japanext CUP 決勝戦』にて優勝を飾りました。それを記念し、『はじめの一歩』の麻雀回が「マガポケ」にて現在無料公開中となっています。


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