吉田沙保里  強すぎてモテない霊長類最強の肉食系女子の霊長類最強のタックル その奥義は「勇気」

吉田沙保里 強すぎてモテない霊長類最強の肉食系女子の霊長類最強のタックル その奥義は「勇気」

公式戦333勝15敗。その中には206連勝を含み、勝率95%。 世界選手権13回優勝、オリンピック金メダル3コ(3連覇)+銀メダル1コ、ギネス世界記録認定、国民栄誉賞、強すぎてモテない霊長類最強の肉食系女子。


レスリングは、相手を投げて、フォール(相手の両肩を1秒以上マットにつける)を奪う格闘技。
3分間×2ピリオドで、ピリオド間には30秒の休憩がある。
相手の両肩を1秒以上マットにつけると「フォール」となり、試合終了。
フォールがない場合、ポイントでピリオドの勝敗を決定。
ポイントは、

・寝技からの投げ技・・・5点
・投げ技・・・4点
・相手をローリングさせる・・・2点

など技の種類によって、1~5点がある。
そして

・グレコローマンスタイル・・・腰より下をつかんだり、足を使う攻撃が禁止。
・フリースタイル ・・・全身のどの部分を攻撃しても構わない、下半身へのタックルもOK

の2種類があり、グレコローマンスタイルでは、8点差、フリースタイルでは、10点差をつけると「テクニカル・フォール」となり、ピリオドの勝者となる。

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ちなみに女子レスリングは、フリースタイルのみでグレコローマンスタイルはない。
「一般の方からレスリングのルールは難しいとか、よくわからないとかいわれることがありますが、実はとてもシンプルです。
ものすごく簡単にいうと相手を倒して両肩を1秒間マットにつけたら勝ち。
それがすべてです」
(吉田沙保里)

吉田沙保里の父親、栄勝は、高校でレスリングと出会い、大学のときに男子フリースタイル57㎏級選手で全日本選手権で優勝。
アジア選手権で銀メダルを獲得し、世界選手権にも出場したが、モントリオールオリンピックの代表選考会では敗退。
大学卒業後、三重県の職員として就職。
一志郡(現:津市)一志町に自宅を構え、長男と次男にレスリングを教えるために和室にマットを敷いたが、やがて近所の子供も教え出し、私財を投じて改築。
その後も借金をして「一志ジュニアレスリング教室」という道場が開いた。


一志ジュニアレスリング教室に会費がなく、父親は指導料を受け取らずに、平日は練習、週末は出稽古か試合のために自らハンドルを握って全国を飛び回った。
長男が野球をやりたいというと
「やりたければ自分でバットとグローブを買え」
といい、たとえ発熱しても、
「37.5度ルール」
と称して、
「37.5度までは熱じゃない」
と練習させた。
一志ジュニアレスリング教室は、
「1日練習を休めば3日遅れる」
という父親によって休みは、お盆と正月だけ。
来る者は拒まず誰でも練習できる半面、
「いつでも全力」
をモットーに練習で力を抜くと、
「やる気あるのか!」
「泣いて強くなるなら泣け!」
「闘志なき者はされ!」
とどんな子供も容赦なく叱られるスパルタ方式だった。

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3人目の子供は女の子で、母親の幸代は、アイドルの南沙織の「沙織」、河合奈保子の「奈保子」を足して「沙保里」と命名。
吉田沙保里は、自宅の道場のレスリングマットでハイハイをして、3歳からレスリングを開始。
小学校、中学校を通して門限は17時で、友達から
「遊ぼう」
と誘われても、
「ごめんね。
レスリングの練習があるから」
と断り、学校が終わると走って家に帰り、食事をして、19時から自宅の道場で、同居している兄や近所に住む男子たちと一緒に練習した。
「玄関入ると、すぐ道場。
台所からすぐ、居間からすぐ、寝室からすぐ、こんな家、なかなかありませんよ」

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「がんばったもの勝ち」
「自分の持っている力を全部出せば、強くなれる」
という考えを持つ父親は、吉田沙保里が熱を出しても、
「1度は道場に来てシューズを履け」
といい、体の調子が悪いといっても、
「だからどうした」
といって練習させた。
ある日の練習中、急にトイレに行きたくなった吉田沙保里が、焦って道場を横切り、他の子供に教えていた父親に衝突。
「オイっ、ちょっと来い!」
といわれ、
「えっ」
と思って振り向くと、いきなりビンタ。
近所の友達が家でピアノを弾くのをみて、
「ピアノ習いたい」
というと
「ピアノ弾けるようになっても強くならん」
と却下され、道場で練習するか、出稽古に行くか、レスリング漬けの毎日だった。

父親は、吉田沙保里に最初から左利きで組むように指導した。
レスリング以外は、全部右利きの吉田沙保里は、最初は何もわからずやっていたが、左利きの有利さに気付いたのは、小学校3、4年生くらいだった.。
「今はどちらかというと左利きの選手の方が多いくらいで、珍しくなくなりましたので、どちらが有利ということは全くなくなりましたが、私が子どもの頃は左利きの選手はほとんどいなかったので有利だったと思います。
普段、右利きとばかりやっている選手が、試合になって急に左利きとやるわけですから、戸惑いますよね。
右と左とでは、タックルの入る形からして逆になるわけで、対応の仕方も違いますからね。
でも、私は普段から右利きとやっているので、試合になっても何も困ることがなかったんです。
おそらく父はそういうことを見越して、私を左利きにしたのだと思います」



レスリングを始めて2年後、ノルウェーの首都オスロで女子レスリング初の世界選手権が初めて開催され、同年、5歳の吉田沙保里は、初めて試合に出場。
1回戦で男の子に敗北し、悔しくて泣いていると父親に、
「練習せんから負けんのや」
といわれた。
この言葉は、あまりピンとこなかったが、自分に勝った男の子が優勝し、表彰式で首から金メダルをかけているのをみて、
「アレが欲しい」
というと、父親は、
「アレは、どこでも売ってない。
コンビニでもスーパーでもデパートでも。
最後まで頑張って練習した子じゃなければもらえない」
この一言で、吉田沙保里は変わった。
「父がレスリングの指導者で、まずは2人の兄にレスリングを教えていたので、私も3歳の頃から始めました。
その頃は遊び感覚でしたね。
でも5歳のときに初めて出場した試合で負けて、私に勝った男の子が首から金メダルを下げている姿を見て気持ちは変わりました」

その後は練習でも極度の負けず嫌いになった。
負けず嫌いなだけでなく、勝負好きな性格となり、『勝負』『勝利』という言葉を聞くと異常にモチベーションが上がるようになった。
「とにかく勝ってナンボ」
「そんな気持ちがなくなればもう終わり」
という吉田沙保里は、勉強以外は、たとえジャンケンでも負けても本気で悔しがり、ゲームや遊びでも、はじめから勝てないとわかっていればやらず、兄や兄の友達が立小便をしているのをみて、やってみようとしたものの、うまくできず、悔しくて家に帰って母親に
「おチンチンがほしい」
といった。

こうして敗北から始まった吉田沙保里のレスリング人生は、男子の大会にも出ていたこともあり、その後も勝ったり負けたりを繰り返した。
ある試合で、過去に何度か対戦していて1度も負けたことのない男の子と当たり、あまり緊張感がないままマットに上がった吉田沙保里は、おどけながら友達に
「イエーイ」
と手を振った。
するとあっさり負けてしまい、父親に、
「どんな相手であっても敬意を忘れてはいけない」
と怒られた。
ある試合で気持ちが乗らずに負けてしまったとき、父親に怒られるのが怖かったので、すぐに女子トイレへ。
「ここまでは追いかけてこないだろう」
と思って安心していたが、トイレを出た瞬間、待ち構えていた父親に思い切り顔をハタかれ、全力で戦わなかったことを怒られた。

父親は、現役時代、鉄壁のディフェンスとカウンター攻撃で
「返しの吉田」
と呼ばれていたが、モントリオールオリンピックの代表選考会では、それが通じずに敗れた。
その経験から指導者となるとタックルを中心とした積極的で攻撃的なレスリングを教え、たとえ試合に勝っても、闘志や攻撃性が欠けていれば、雷を落とすこともあった。
吉田沙保里も最初に教わったのは、タックルで、
「タックルがレスリングの基本」
「勝つためにはタックル」
「タックルを制する者が世界を制す」
と攻撃の重要性を説かれながら、来る日も来る日もタックル。
また常に
「とにかく攻めろ!」
「こわがるな!」
「下がるな!」
といわれ、たとえ勝っても攻めが足りないと怒られた。

「タックルに必要なのは勇気。
思い切りぶつかって、相手にかわされるかもしれない、潰されるかもしれない、倒されてしまったら下手するとケガしてしまうかもしれない。
はじめの頃は恐怖心との戦いです。
恐さを押し殺して全力で向かっていく。
それができるようになるまでが大変でした」
という吉田沙保里は、最終的に低い姿勢から無意識に飛び込む、ノーモーションの超高速タックルという必殺技と共に、
「練習はウソをつかない」
という信念を手に入れた。
そして三重県生まれでテニス選手だった母親と三重県職員になった父親が、三重県で開催された国民体育大会に出場し、出会ったという話を聞くと、
「もしかするとディフェンスの吉田がアタックの吉田に転じ、猛烈タックルをかましたのか?」
と思った。

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吉田沙保里が6歳のとき、ソウルオリンピックの130kg級でロシア代表のアレクサンドル・カレリンが金メダルを獲得。
以後、1992年バルセロナ、1996年アトランタと3大会連続で金メダルを獲得。
1987年~2000年まで国際大会で13年間無敗で世界選手権9連覇。
その圧倒的な強さから、
「霊長類最強の男」
といわれた。
新聞や雑誌でアレクサンドル・カレリンの記事をみていた吉田沙保里は、その中で、
「前人未到」
という言葉が気に入った。
「前人未到。
誰も到達したこと者がいない領域。
誰もやったことがないことに挑戦するのは、ものすごい快感で、とっても興奮します」
そして大人になると、
「おんなカレリン」
「霊長類最強の女」
と呼ばれるようになった。

小学生の全国大会で優勝したものの、まだ女子レスリングがオリンピック種目ではなかった(大学4年生のとき、2004年アテネ大会から採用)ので、卒業文集の
『20年後のわたし』
という欄には、
「レジ打ちのオバちゃん」
と書いた。
中学校にはレスリング部はなく、父親の勧めで陸上部に入部。
その理由は、

・レスリングに必要な基礎体力がつく
・ケガが少ない
・レスリングの試合と重なって休んでも、団体競技と違うから迷惑がかからない

だった。
吉田沙保里は、陸上部で主に短距離やハードルをやった後、中学校から徒歩で5分くらいの自宅に帰ってレスリング。
ひたすら練習に明け暮れた結果、中学1年生で、

・JOC杯ジュニアオリンピック40kg級
・全国中学生選手権 44kg級
・全日本女子オープントーナメントジュニアC級

と3つの全国大会で優勝した。

そして初めて国際大会に出場し、
「身に着けているものに全て日の丸マークが入っていて、改めて日本の代表だということを感じました」
という吉田沙保里は、外国人選手を見たのも初めてで
「まるでテレビの世界のようでドキドキして・・・
とにかく見た目が強そうに映って、戦うのが怖いなと思いました」
と緊張した。
しかし実際に戦ってみると足が長くて腰高なため、タックルが入りやすかった。
また外国人は、
「コイツ、なんでこんなにかわいいんだ?」
と思う選手が多かった。
吉田沙保里は、かわいい外国人選手と戦うとき、いつも以上に燃え、26歳まで外国人に負けることはなかった。
「ものすごく集中力が高まって、自分でも驚くほど力が出て、ブン投げてやるぞって感じです」

そして中学2年生でも、ショーブ女子国際大会 カデット48kg級で優勝。
しかし続くJOC杯ジュニアオリンピック 52kg級は、2位。
決勝戦で負けた相手は、山本聖子(現:ダルビッシュ聖子)だった。
山本聖子は、吉田沙保里より2歳上。
その父親、山本郁榮は、ミュンヘンオリンピック7位。
姉、山本美憂は、13歳で第1回全日本女子選手権優勝し、17歳のときに最年少で世界選手権優勝。
そして兄は、後にカリスマ総合格闘家となる山本KID徳郁。
そんなレスリング一家に生まれた山本聖子は、5歳でレスリングを始め、13歳で全日本女子選手権の44kg級で3位になり、日本女子レスリング界の未来を担う逸材として期待されていた。

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その後、中学2年生の吉田沙保里は

・全国中学生選手権 48kg級
・全日本女子オープントーナメントジュニア48kg級

と全国大会を連続で優勝。
この年、アトランタオリンピックがあり、テレビで女子柔道の田村亮子が、小さな体で大きな外国人を勢いよく投げ飛ばすのをみて、
「かっこいい!」
と感動し、
「オリンピックに出て金メダルが欲しい」
と思った。


中学3年生になると、

・ショーブ女子国際大会 カデット49kg級優勝
・JOC杯ジュニアオリンピック カデット50kg級 2位
・全国中学女子選手権 52kg級優勝
・全日本女子オープントーナメント カデット52kg級優勝

全国大会の1ヵ月前、吉田沙保里は左手首を脱臼骨折。
すぐに手術をして、折れた部分を3本のボルトで固定し、2㎝ほど出ているボルトをギブスで覆った。
全国大会に優勝すれば、フランスで行われる大会に日本代表として参加できたが、吉田沙保里は
「さすがにこれでは戦えないな」
と思っていた。
しかし父親に、
「片手でも戦える」
といわれ、唖然とした。
父親は、医師に長く出たボルトをテーピングできる長さまで切ってもらえと指示し、母親は
「そんな無茶な」
と母と反対したが
「行って来い!」
といわれて病院へ。
医師は、
「そんな無茶なことできません。
何が起こるかわかりませんよ?
使えなくなるかもしれません」
といったが、
「切ってもらわないと家に帰れないんで」
と懇願し、ギブスを外してもらい、ボルトを短く切ってもらった。
「きっと私が骨折=試合欠場と決めつけていたのが許せないんだと。
鬼かと思った。
どうかしてるなと思った。
お父さんでしたけど本当に大っ嫌いでした」
という吉田沙保里は、テーピングを厚く巻いて試合に出場し、ほぼ右腕1本だけで優勝。
翌年(1998年)フランスで行われた世界カデット選手権の 52kg級でも優勝した。
(1999年の世界カデット選手権では56kg級で出場し、2連覇)

高校は、父親が
「家から近くて、レスリング部がある」
という理由で選んだ、自宅から約10㎞の三重県立久居高校に進学。
放課後、高校のレスリング部で練習をして、帰宅後に自宅の道場で、再び練習という日々を送った。
高校進学直後のゴールデンウイーク、初めて全日本代表の合宿に参加。
場所は、新潟県十日町市塩ノ又。
車が高速道路を下り、緑に囲まれた道を抜けて、曲がりくねった山道を登っていくとき
「なんだか林間学校みたい」
とルンルン気分だったが、いつまでたっても車は停まらず、店はおろか、家もまばらになって、見えるのは山と田んぼと畑だけになり、
「なんて田舎なんだ」
と思っていると山の頂上に近い場所でようやく停車。
「ここだよ」
といわれた建物が
「桜花レスリング道場」
だった。
それは日本レスリング協会会長、福田富昭が廃校となった十日町市立六箇小学校塩之又分校を改築したもので、
「女子レスリング・虎の穴」
と呼ばれていたが、吉田沙保里の第1印象は、
「野原の中の一軒家」
だった。
玄関を入ると、すぐにマットが敷かれた道場で、その奥が台所と食堂。
さらにその奥が男子コーチの寝室で、選手は2階で雑魚寝。
他にトイレ、風呂、トレーニングルーム、外にはグラウンドがあった。
近くに店などなく、1番近いコンビニまで車で30分かかり、携帯電話の電波もなかった。
近くに「塩ノ又温泉 湯元荘」という温泉旅館があり、さらに山を登れば上越国際スキー場があったが、冬場は道場が閉鎖されるため、スキーを楽しむことはなかった。

高校1年生は自分1人だけだった吉田沙保里は、6時半に起床し、7時半から9時ごろまで1時間半、走り込み。
「とにかく走らされました」
「短距離はいいんですけど、長距離は全然ダメ」
という吉田沙保里は、毎朝3km、5kmと走らされた。
しかもそれは平らな道ではなくアップ・ダウンの連続で、合宿最終日は、9㎞になり、まったくついていけず、いつもビリだった吉田沙保里は、みんなより15分ぐらい前にスタートしたが、すぐに追い抜かれた。
長距離走の後は、合宿所前の急坂をダッシュ。
さらに手押しグルマや、パートナーをおんぶしたり、抱っこして駆け上がった。
初参加の吉田沙保里は、練習の流れや本数、いつ終わるかわからないという状況の中、必死にこなし、最期の坂道ダッシュは、意識が薄れ、フラフラになりながらフィニッシュ。

練習は2部制で、午後は、マットでレスリングの技術練習やスパーリングを行った。
「当時は51kg級でしたが、ロンドンオリンピックで金メダルを獲得した(坂本)日登美先輩や、世界選手権で4回優勝している(山本)聖子ちゃん、同じく世界チャンピオンになった篠村敦子さん、そんなすごい人たちが階級の近いところにいて、私はまだ技術もパワーもなかったから、結構いいようにやられていました。
またひとつひとつの当たりが痛くて、練習が終わるともうボロボロ」
吉田沙保里は、ついていくだけで精いっぱいだったが、自分から
「あと1本」
「もう1本」
といって坂道ダッシュやスパーリングを行う先輩をみて刺激を受けた。


憂鬱な合宿で、唯一の楽しみは、食事だった。
「新潟は米どころですから、ご飯がめちゃくちゃ美味しいんです。
近くに住むおばちゃんたちが用意してくれるんですけど、おかずも豪華で美味しくて。
もちろん、ご飯も山盛り。
ただ私は昔から食が細くて食べるのが遅いから、最後は、食堂で1人になっちゃうんですよ。
すると現在ナショナルチームのコーチをされている吉村祥子さんなどが、ずっと隣にいてくれて、「サオ、しっかり食べなきゃ」って話しかけてくれていました。
そうそう、私があまりにも食べないもんだから、浜ちゃん(浜口京子)の隣で食べさせられていた時期もありました。
テーブルで向き合って食べるんですけど、浜ちゃんは何度もおかわりに行くので、すごいなぁ、食べるのも練習なんだなと思ったものです」
食事の後、選手は、2階で雑魚寝。
クーラーもなく、カメムシが入ってきたり、カエルの鳴き声がうるさかったり、快適な環境ではなかったが風呂で裸のつきあいをした者同士、ワイワイと恋バナをして盛り上がった。

いつも攻めるレスリングを練習し、
「悩まず、迷わず、即決断、即行動!」
の吉田沙保里は、恋愛も攻めの一手で、
「即、告白!」
中学3年生のとき、サッカー部のキーパーが初彼氏となり、同じ久居高校に進学し、彼氏は、同じレスリング部に入った。
あるとき同じクラスで野球部の北森久史が、女子バレーボール部の先輩を好きになり、その女子バレーボール部の先輩と仲の良い吉田沙保里に相談。
北森久史は、小・中とプロ野球選手になった岡本篤志(西武ライオンズ)とバッテリーを組み、久居高校野球部では、キャッチャーで4番を打っていた。
吉田沙保里は、最初、何とも思っていなかったが、休み時間や学校の帰りにいろいろ話しをするうちに、、
「きんちゃん」
の真っすぐなところが好きになってしまった。

吉田沙保里は、元キーパーの彼氏との関係を解消。
北森久史に、
「付き合ってください」
と手紙を書いて渡し、フラれた。
ショックを受けたが同じクラスなので毎日顔を合わせなくてはならず、お互いに気まずく、以前のように声をかけられない。
それをみた周囲に
「あんたら何やっとるの?」
「なんか変だよ」
といわれ、間に入ってもらって、再び以前のように話せるように。
すると吉田沙保里は、
「やっぱり好きやわ」
と気持ちが甦り、再び告白。
すると
「ごめん」
といわれた。
好きになったら一直線、駆け引きや様子見などしない吉田沙保里は、その後も何度もアタック。
「断って、気まずくなって、また仲良くなっての繰り返しでした。
周りは、付き合ったらえーやんっていうし…」
一方、北森久史は、クラスで男子がケンカを始めたとき、吉田沙保里に
「きんちゃん、止めて!」
といわれ、、
(女の子っぽいトコあるじゃん)
と思うと同時に
(お前がタックルすれば、1秒で止まるわ!)
吉田沙保里のことを恋愛対象というより、
「別世界の人」
と尊敬していた。

スポーツ科学コースのクラスで3年間、ずっと一緒だった2人は、修学旅行で沖縄へ。
ビーチで遊んでいるとき、周りに促され、野球部と吉田沙保里が相撲をすることになった。
「浜辺で野球部全員が1人ずつ相撲を挑んだんです。
みんな体も大きいし、さすがに勝つと思ったんですけど、高速タックルで全員一撃でした。
ホント速すぎて見えないんですよ!」
北森久史も、タックルでとられた足を持ち上げられて倒れ、敗北。
卒業式の後、吉田沙保里は、校舎の陰で
「付き合ってよ。
付き合って…ください」
と最後の告白。
北森久史は、事前に吉田沙保里の母親からも、
「きんちゃん、お願い!」
といわれていたが、
「ごめん!!」
結局、6回告白し、6回フラれた吉田沙保里は、その後、
「彼は、きっと私をフッたことを後悔している」
といい続けた。
吉田沙保里が36歳で引退したとき、2男1女のパパになっていた北森久史は、ラインで
「さおちゃん、本当にお疲れ様でした」
と送ったが、すぐに
「きんちゃん、ありがとう」
という返信があった。

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