高3の夏休みに同級生に誘われ、初めて花月にいき、初めて横山やすし・西川きよしの漫才をみて、死ぬほど笑ってしまった西川のりおは、同級生と一緒に弟子入り。
5歳上、超マジメで超厳しく、あまり一緒にはいたくないが一生ついていきたいと思う西川きよし。
7歳上、超破天荒で超面白いが、ついていけない横山やすし。
そのギャップに苦しみながら、なんとか弟子を続け、同級生と「淀公一・公二」というコンビでデビュー。
しかし1年で解散。
同級生は、会社勤めを始めたが、目立ちたがり屋で自己顕示欲が強い西川のりおは、すぐに新しい相方をみつけ、新コンビ「横中バック・ケース」を結成。
自作のアカペラソングを歌ったり、緞帳にぶら下がって
「ターザンのように雄叫び」
をやって引きずり下ろしてしまったり、常々『大事にしろ』といわれているマイクにかじりついたりカバーを噛みちぎり、相方のケースに
「そんなことしたら感電するで」
とツッコまれると
「俺はもうシビレとるんじゃ!」
クイズネタで無茶苦茶な問題を出し、ケースに
「なんの関係があるんや」
とツッコまれると
「その答えを待ってたんや!」
といって往復ビンタ。
通常の漫才とは違う種類の笑いを起こし、
(やった)
と思った。
またクロ子として生放送番組に出演したとき、司会が年下の海原千里(上沼恵美子)だったことが気に入らず、いきなり
「俺はブルースリーやぞ!」
と叫んで海原千里(上沼恵美子)の腹部をキックして吹っ飛ばし、テレビ局から出入り禁止を、会社からは謹慎処分を食らった。
西川のりおの型破りで破壊的な芸風は、ウケるときは大きくウケ、ウケないときはまったくウケないが、とにかく常にパワフル。
暴走して自滅してしまうこともあるが、芸人を含めて熱烈なファンは多かった。
「僕はアウトローが好きなんですよ。
笑いってね、悪の部分と正義の部分のちょうど狭間なんです。
笑いって裏切りなんですよ。
僕は毒気が大好きですから。
コイツ、ムチャクチャむしよるなというね。
僕はムチャクチャするけど警察にはお世話になってないです。
ギリギリのところを攻めるというのが大事なポイントです」
ケースとのコンビ仲は悪かった。
あるとき舞台でネタがウケず、相方を客席に投げ落としたところ、今までで1番ウケた。
しかしケースは足を骨折。
その入院中、西川のりおは新しい相方を探し、
「顔の大きさでは勝っているが面白さでは完全に負けている」
という2歳下の上方よしおを見つけた。
上方よしおは、大学受験に失敗し浪人してたとき、松竹芸能の上方柳次・柳太師匠に弟子入り。
「ピンクパンク」「ムチャクチャ」というコンビを経て、「横中バック・ケース」をやっていた西川のりおに
「B&Bの片割れが新しい相方を探しとる」
と島田洋七を紹介され、柳次師匠にも、
「吉本の方が若手はノビノビやれる」
と背中を押され、吉本興業に移籍し、2代目「B&B」を組んだ。
2代目B&Bは、スピードのあるしゃべくりと抜群のセンスで半年後に第4回NHK上方漫才コンテスト最優秀話術賞受賞し、その後も数々の賞を受賞。
フジテレビのバラエティ番組「オールスター90分」に、学業に専念するために活動を休止したあのねのねに代わって2代目「B&B」がレギュラーに抜擢され、これが吉本が東京のテレビ局のゴールデンタイムでレギュラーを持ったのは、これが最初といわれている。
B&Bの漫才をみたザ・ぼんちの里見まさとは、
「もうエエよ!というくらいの大爆笑に次ぐ大爆笑で圧倒された。
正直、負けたと感じた」
といい、18歳の島田紳助は衝撃を受けて、島田洋七と同門に入り(島田洋介・今喜多代師匠に弟子入りし)、金魚のフンのようについてB&Bを研究した。
しかし2代目B&Bは、結成2年後、
「東京で勝負したい」
という洋七に対して、よしおが
「怖い」
と断ったことで仲が悪くなり、最終的に京都花月で大ゲンカをして解散。
上方よしおも新しい相方を探しているところだったのである。
西川のりおは、
「これで新コンビ結成や!」
と思ったが一悶着があった。
B&Bをやめたとき、
「よしおは芸能界を引退する」
と受け取っていた島田洋七の師匠、今喜多代が、
「筋を通してない」
と激怒したのである。
のりおの師匠、西川きよしとよしおの師匠、上方柳太が仲に入って、コンビを組むことを許され、やっと「西川のりお・上方よしお」が誕生した。
礼儀、楽屋マナー、漫才のつくり方、やり方、すべてが漫才師らしい上方よしおは、
「9割アドリブ。
予定調和が嫌い。
ドギマギする自分が好き」
と台本完全無視で暴走する西川のりおに
「相方はアドリブいっぱい入れて来はるんで、ツッコミたるものボケを殺さず、ボケの要望、期待に応えたい」
と正統派なツッコみを入れ続けた。
結局、島田洋七はB&Bで相方を4回変えたが、上方よしおと別れた後、一時的に間寛平とコンビを組んだ。
そして花王名人劇場」に出演したとき、前座で西川のりおが暴走したので島田洋七と間寛平は、まったくウケず、
「客を温めておくのでなく客を疲れさせた」
と激怒した。
「西川のりお・上方よしお」は、最初は前座ばかりで、ギャラは1回1千円。
1ヵ月で10回舞台あって1万円となるがそこから税金を引かれ、もらえるのは9千円。
「少ないギャラから税金とるな。
人でなし」
西川のりおは、そう思いながらアルバイトへ向かい、そしてアルバイト先から花月の楽屋に向かうとき、
「こんなんでどこが芸人や」
と思った。
そして舞台に上がってウケると持ち時間は15分なのに30分やった。
スタッフは合図を出してもやめないので、マイクを切り、それでもやめないので緞帳を下げた。
西川のりおは緞帳の前に出てマイク無しで漫才を続け、客は、その熱意が伝わって大爆笑した。
「休み多いからテレビ好きなだけ観れるんです。
でも芸人にとってテレビは観るもんやなく出るもん。
ホンマ最低の生活やった。
女引っかけても月9千円じゃなんもできへん。
名前は売れてへんわ、金はないわ、やらしてもらいたいわ、どうすりゃええんじゃいうて、いつも泣いとりました」
テレビばかり観ていてもあきるため、散歩に出始めた西川のりおは、最初は10~20分だったが、
「家に帰ってもやることがない」
とどんどん長くなっていき、
「倒れるまで歩いたろ」
と心斎橋、難波、梅田とひたすら街を歩きまくり、逆に体調が悪くなったこともあった。
この街ブラに4歳下の明石家さんまも参加。
昼間からコーヒー1杯で喫茶店に4、5時間居座り、バカ話をしながら外を歩く女性に点数をつけ、夕方になって獲物が増えると、
「パトロール」
に称して、ナンパしにいった。
西川のりおの実家は自転車屋を営んでいて、さんまは、その店舗兼住宅によく泊まった。
「さんま、もっと売れたいなあ」
「売れたいですね」
「今はこんなんやけど将来は俺が全国ネットの番組の司会して、お前はパネラーや」
「そうでんなあ、兄さん」
西川のりおは後輩と夢を語ったが、後年、さんまがバカ売れすると
「逆になっとるやないか!」
と激しく怒り、妬んだ。
「西川のりお・上方よしお」が初めて東京のテレビに出演することが決まると、西川のりおは、すぐに1歳下のザ・ぼんちのおさむに
「ボクら、日本テレビの『ヤジ馬寄席』出てくるわ」
と自慢。
「どこや?」
「大阪の田舎モンには困ったもんやな。
東京や東京。
後楽園ホールや。
日本テレビ、N、T、V。
明日の新幹線は何時だったかな?
「今晩飲み行こか」
悔し紛れに周りを誘うおさむをみながら、西川のりおは
(勝った!)
と思った。
ちなみに明石家さんまは3歳上のぼんちおさむの家にも泊まったこともあるが、マジメなおさむが夜中、何度も、頭を叩くフリをしながら舌で音を鳴らす練習や、
「オッ、オッッッ、おさむちゃんで~す!」
の練習をして、顔を真っ赤にしてジャンプしまくるため、まったく眠れなかった。
吉本からもらう給料が月7~10万円になった西川のりおは、その多くをオシャレに投資した。
舞台衣装は、ほとんどをブランド品で揃え、ズボンの折り目などはキッチリしてないと気がすまず、靴も、いつもピカピカに磨いた。
私服や衣装にお金をかける一方、西川のりおは、桂文珍、前田五郎と並んで「吉本3大ケチ」といわれるほど財布のヒモが固かった。
芸人仲間で飲食したとき、
「お勘定、まかせなさい」
ということは、まずない。
それどころか誘われると必ず
「すまんな」
という。
だから西川のりおの財布の中をみた者は誰もいない。
新幹線に乗ると降りた客が残していった雑誌をすべて回収し
「儲かったな!」
高額のギャラが入ると
「パッと使うとか怖くてできへん」
とそっくり貯金し、破天荒キャラと真逆の堅実さをみせた。
政府が発表する「高額納税者公示制度」、通常「長者番付」(2006年に廃止)を、明石家さんま、島田紳助などの順位と納税額を蛍光ペンを持ちながらチェック。
少し歳下のさんまや紳助に加え、かなり離れたダウンタウンやナインティナインもランクに入ってくるようになり、彼らをテレビで観ると、
「この番組1本出たら、それこそちょっとした自動車買えるくらいもらってるん違うか」
「あのCMは、1億3千万くらい会社に入ってきて、アイツは1億ほどもらうんちゃうか」
「年間契約料とロイヤリティーと・・」
などと思ってしまい、
「家でテレビを観てても、いっこもオモロない!
体に悪いわ!」
と激怒。
バブル絶頂期には不動産などのサイドビジネスに手を出して大損し、そのことを著書「のりおのゼニはこう貯めるんや! 1千万はすぐ手にできる」「オレの銭かえせ!!―バブル崩壊西川のりお大爆発」につづった。
大阪の若手芸人にとって「ヤングOh!Oh!」は、憧れの番組だった。
番組の起こりは、桂三枝。
弟子入り後、1年足らずで深夜ラジオ「歌え!MBSヤングタウン」のパーソナリティに抜擢されると
「ひとりぼっちでいる時のあなたにロマンチックな明かりを灯す、 便所場の電球みたいな桂三枝です」
という独特の語りかけや
「オヨヨ」
「いらっしゃーい」
というギャグでブレイク。
「ヤングOh!Oh!」は、「歌え!MBSヤングタウン」のテレビ版で、合言葉は「若者の電波解放区」
司会は桂三枝と笑福亭仁鶴が行っていたが、すぐに横山やすし・西川きよしも加わり、吉本芸人による大喜利、コント、漫才、トークをメインに、多彩なゲストが登場し、アイドルが歌を歌った。
桂三枝は
「あっち向いてホイ!」
「さわってさわってナンでしょう(箱の中身はなんだろな)」
「たたいて・かぶって・ジャンケンポン」
などのゲームを考案。
吉本にとって「ヤングOh!Oh!」は、新喜劇や劇場中継以外の初めての番組だったが、爆発的な人気を得て、松竹芸能が独占していた上方のお笑い勢力図を逆転させた。
素人時代、予選を勝ち抜いて「ヤングタウン」に3週連続で出演したことがある西川のりおは、「ヤングOh!Oh!」に呼ばれると喜んだ。
しかもてっきり前説だと思っていたのに、いきなり本番に参加させてもらい、
「一生、前座専門で、一生、電波に乗れんヤツもようけおるけどね」
と悦に。
「ヤングOh!Oh!」は、スタジオに客を入れての公開録画番組で、初めて自分が出る日、西川のりおは京都花月の近くにあるお好み焼き屋「しんせつ」にいき、店内のテレビでさりげなく「ヤングOh!Oh!」を鑑賞し、店員が
「のりおさん!
出てるやん!!」
が驚くと、内心うれしくてうれしくて叫びたかったが我慢し、さりげなく
「まあな・・・」
番組の最後に
「大型新人登場!!のりお・よしお、乞ご期待!!」
というスーパーが出て、さら喜んだ。
こうして彗星のように「ヤングOh!Oh!」にデビューした西川のりおは、明石家さんまに
「兄さん、すごいですね」
といわれると
「まあな。
オレ、「ヤングOh!Oh!」なんか知らなんだ。
お前も出たいか?
こんな番組」
と答え、いい気分になった。
3回目の出演で
「オーメン!!」
というギャグが大ウケし、笑いと拍手をドッと浴び、天にも昇る気持ちになり、明石家さんまに
「兄さん、やりましたなあ。
これでレギュラー決定ですね」
といわれると
「まあな。
今度、紹介したるわ」
ところが欠員が出て桂三枝の推薦で「ヤングOh!Oh!」に出演した明石家さんまは、プロ野球選手の小林繁の形態模写で大ブレイク。
どこに行っても声をかけられ、サインを求められる後輩をみて、西川のりおは
「俺のオーメンはどうなったんや」
と嘆いた。
「ヤングOh!Oh!」のディレクターに、
「ザ・ドリフターズみたいなんをやれ。
ウケたらコーナーを持たせてやる」
といわれ、西川のりお・上方よしお、B&B、ザ・ぼんち、そして明石家さんまの7人でコントユニットを結成し、前説を行った。
西川のりお、島田洋七、ぼんちおさむの3人は好き勝手に暴れ、それをみた吉本の林正之助会長は
「あのバイ菌どもを、はよ降ろせ。
2度と出すな」
と激怒。
それを聞いてユニット名を「ビールス(Virus)7」とし、番組のレギュラーになった。
キャラの被る西川のりおと島田洋七は度々大ゲンカをし、20歳そこそこの明石家さんまが仲裁に入り、2人の機嫌をとるために代わりに怒られ、
「初めて大人の汚い世界をみた」
のりお、洋七、おさむの荒くれ者3人と、よしお、洋八、まさとの傍観者3人、合計6人の先輩をコントロールするさんまは、やがて他のコーナーでも司会を任されるようになった。
桂文珍は、
「さんま君、今日もアンタが司会?」
「はい、よろしくお願いします」
「フン!
偉ぁなったんやね」
とネタにしたが、西川のりおは、女性にキャーキャー騒がれる明石家さんまをみて
「俺もやったるわい」
と勇んだが、無理だった。
「ヤングOh!Oh!」が放送される中、さらに空前の漫才ブームが勃発。
まず日曜日の21時に放送されていた関西テレビ「花王名人劇場」で「おかしなおかしな漫才同窓会」というコーナーができて、新旧の漫才師が競演。
すると13~16%という異例の高視聴率となり、気をよくした「花王名人劇場」は、「激突!漫才新幹線」で、横山やすし・西川やすし、星セント・ルイス、B&Bという関東と関西の人気漫才師を競演させ、18%超え。
それをみた各局が新しいバラエティー番組を製作し始め、どのチャンネルでも漫才がみられるようになった。
そしてフジテレビで「THE MANZAI」が始まると一気にブームとなった。
フジテレビの横澤彪プロデューサー、佐藤義和ディレクターらがつくる「THE MANZAI」は、数組が漫才をするというシンプルな内容ながら革新的な番組だった。
フジテレビ第10スタジオに豪華なセットを組み、若い客を入れ、漫才の前にはショートPRムービーが流れ、登場時の出囃子はフランク・シナトラの「When You're Smiling(君微笑めば)」
出演者はベテランではなく若手が中心。
出演順は抽選で決め、楽屋には緊張感が漂い、舞台では真剣勝負が行われた。
ブームを牽引したのは、関東では、星セント・ルイス、ツービート、B&B、関西では、横山やすし・きよし、中田カウス・ボタン、西川のりお・上方よしお、ザ・ぼんち、太平サブロー・シロー、オール阪神・巨人、島田紳助・松本竜介などだった。
特にザ・ぼんちの人気はすさまじく、夏休みになるといつもは客の年齢層が高めの花月に若者が押し寄せ、ザ・ぼんちが登場すると大量のクラッカーが鳴らして紙テープが投げ、2人の出番が終わると一斉に席を立って出待ちに走った。
ザ・ぼんちの後に出演した芸人は、一気に客が減った劇場に苦笑い。
全芸人が、ザ・ぼんちの後に舞台に立つのをイヤがった。
それまでいまひとつ波に乗れてなかった西川のりお・上方よしおにとっても漫才ブームは大きな転機となった。
西川のりおは、相方をドツいたり首を絞めたりする暴走キャラとガラガラ声で
「ホーホケキョ」
腰を前後に動かして
「ツクツクボーシッ、ツクツクボーシッ」
時代劇「旗本退屈男」をモチーフにした
「天下御免の向こう傷、拙者、早乙女主水之介」
などギャグでブレイク。
漫才がブームになることで落語家は仕事が激減し、関西のトップを走っていた明石家さんまですら追い越された感があった。
しかし明石家さんまは魔術師のようなトークで漫才師とうまくカラみ、イジり、シキり、お笑い界の好位置をキープ。
島田紳助は
「漫才ブームが来て、やった、これでアイツを引き離せると思うて。
ブームが終われば絶対にさんまの方が有利になるから2馬身はリードせなアカンかったのにアイツはくっついて来よって。
関係ないくせに・・・」
とその適応力に驚き、西川のりおは、
「ずーっとさんまがおるな。
なんでや?」
と周囲に漏らし
「いや、あんだけのメンバー仕切ろうと思ったらさんまさんくらいしかアカンのとちゃいます」
とナダめられると
「なんで俺やったらアカンねん」
とムキ出しでヒガんだ。
「漫才ブームで爆売れしてるときも女の子にキャーキャーはいわれなかった。
ザ・ぼんちとかB&Bとかはいわれてましたけど。
そのときも僕はヒールにみられたかったんです。
のりおはなんちゅうやっちゃと思われてても、そやけど俺は最後まで残ったるぞという気持ちでやってました。
マラソンでいうたらね、トップ集団の3着か4着にずっとおるやつ。
やらしいやっちゃ、こいつまだへばりついとるわといわれる。
そういう奴になりたいんですわ」
という西川のりおだが、確実に全国区に進出。
1981年4月、アニメ映画「じゃりン子チエ」が放映。
監督は、「火垂るの墓」「アルプスの少女ハイジ」などを手懸けた高畑勲。
チエちゃんの声は、幼い頃から「名子役」といわれ、女優、歌手、作家として活動し、さらに女性解放の市民運動に取り組んで参議院議員になった中山千夏。
西川のりおは、
「なっなっなに~」
とテツの声を務めた。
藤田まことも候補に上がっていたが、TVで西川のりおを観たプロデューサーによる大抜擢だった。
その他、
丸山ミツル:上方よしお
小林マサル:島田紳助
タカシ:松本竜介
花井 渉:桂三枝
花井 拳骨:笑福亭仁鶴
百合根光三:芦屋雁之助
菊崎 健二:ぼんちおさむ
小鉄:西川きよし
アントニオjr:横山やすし
テツの博打仲間: オール阪神・巨人
など芸人が多数、出演。
「じゃりン子チエ」は、映画公開6ヵ月後、毎週金曜日19時にテレビで放送開始。
当初、半年間、26回放送の予定だったが、人気が高かったために64回放送された。
収録は毎週、夜中にスタジオで行われ、西川のりおは、いつも高畑監督からNGを出されてやり直し。
いつも1回で終わる中山千夏に
「なんでこんな簡単なんができひんねん」
といわれ、
(なんでこんなことせなあかんねん)
と泣きそうになり、本当にテツとチエのようなやりとりだったが、
「何より台本通りにやらないといけないというのが苦痛だった」
という西川のりおに、テツは超ハマリ役だった。
映画「じゃりン子チエ」が放映された翌月、1981年5月、寝る暇ないぐらい大忙しだったところに、さらにフジテレビで「オレたちひょうきん族」が放送開始。
裏にはTBSテレビの「8時だョ!全員集合」がいた。
それは会場に客を入れての公開生放送番組。
19時59分、放送開始1分前、いかりや長介がステージ上に、残りのメンバー4人は通路にスタンバイ。
時間になると、いかりや長介がカメラを指差し
「8時だョ!」
他のメンバーと客が
「全員集合!」
メンバーはステージへ向かい、ゲストも登場。
オープニングテーマ曲の最後にいかりや長介が
「よろしくぅー!!」
というと全員がお辞儀し、CMに入る。
CMが明けると、いかりや長介の
「オイッスー」
でコントが始まる。
それは何日もかけて稽古してつくりこまれたコント劇で、回り舞台、屋体崩し、タライ落としなど舞台装置も活躍。
強烈なリーダーシップをとるいかりや長介。
体操が得意な仲本工事。
何もしない、できない、喋らない、だけど面白い高木ブー。
ウンコチンコありでボケる加藤茶と志村けん。
全員が体を張って笑いをとった。
「ダメだこりゃ」(いかりや長介)
「ヘーックション!!」(加藤茶)
「加トちゃん、ペッ」(加藤茶)
「♪カラスなぜ鳴くの♪カラスの勝手でしょ♪」(志村けん)
「アイーン!」(志村けん)
「あんだ!バカヤロー!!」(志村けん)
はげヅラおやじ
白鳥
バカ殿
東村山音頭
ディスコ婆ちゃん
早口言葉
少年少女合唱隊
ヒゲダンス
雷様
など数々の名物コーナー、ギャグ、キャラが誕生。
最後は
「風邪ひくなよ」
「お風呂入れよ」
「頭洗えよ」
「宿題やれよ」
「歯磨けよ」
と合いの手が入りながらエンディングテーマ曲を合唱。
いかりや長介の
「また来週ぅ!!」
で番組は終了。
「8時だョ!全員集合」は、小学生を中心に熱狂的に受け入れられ、最高視聴率50.5%を誇るモンスター番組だった。
「勝ち残りゲームなんやなあと。
お笑いというジャンルの中で新しい時代に生き残るのは誰か」
というフジテレビの横澤彪プロデューサーは、新しいお笑いを模索。
チームワークよりも個の力を重視。
漫才ブームで人気を得たコンビを出演させながら、ネタはやらせず、アドリブ、即興性が求めた。
スタジオに客は入れず、
「演者は勝手に遊び、我々は勝手に撮る」
といって台本はあるものの芸人に好きなようにやらせて、面白い場面だけを採用。
そのため現場にムダな緊張感はなかった。
初回放送のオープニングは、正装したビートたけし、ビートきよし、島田洋七、島田洋八、西川のりお、上方よしお、ぼんちおさむ、ぼんちまさと、明石家さんま、島田紳助、松本竜介による晩餐会。
料理にコショウをかけてくしゃみが出そうになるさんま。
それを阻止するために口にパンを詰め込む紳助。
洋八が指を鳴らし、呼ばれたメイド服姿のいまくるよが、パンを吐き出させようと背中をどつく。
その力が強すぎて、さんまは料理に中に顔を突っ込む。
たけしが指を鳴らし呼んだくるよに
「ブスだねえ」
怪訝な表情で立ち去るくるよ。
たけしはカメラに向かって
「俺たち!」
全員で
「ひょうきん族!」
こうして土8戦争が始まった。
アドリブ主体で内輪ネタ、下ネタが横行するひょうきん族の笑いは、小学生にはわからなかったが、高校生、大学生や若者に強烈に支持された。
学校や職場は、「全員集合派」と「ひょうきん族派」で真っ二つ。
家でもチャンネルの取り合いが発生した。
ひょうきんファンにとって、ビートたけしのタケちゃんマン、明石家さんまのブラックデビル、島崎俊郎のアダモステ、そして西川のりおの暴走は欠かせないものだった。
「毎週、毎週メークを変え、妙ちくりんなかぶり物をし、またあるときは素っ裸ですわ。
最初は沢田研二さんのパロディーで始まったけど、マーチングバンドの指揮者よろしく右手を威勢よく上下に振りながら「ツッタカター、ツッタカター」と行進する「ツッタカ坊」や。
あるとき横澤さんに『君はギリシャ神話知ってるか?』と聞かれて『興味ないですわ』と返事したら、『知らんでエエから』って。
メーク室に行くと下半身が馬の前足・後ろ足のかぶり物をはかされ、お尻には尻尾。
それで弓矢を持たされて『今回は(半人半獣の)ケンタウロスや』いわれてね。
そのときのコントの絡みの相手が忌野清志郎さんで、みた途端に笑い転げてましたわ。
全身に金粉を塗られたこともあったなあ。
メークさんが『20分以上放置すると皮膚呼吸できなくて窒息します』って真剣に心配してるのに横澤さんは『大丈夫、大丈夫』いうて涼しい顔。
エライこっちゃとマネジャーに助け舟出してもらおうと思ったのに『面白いですね』ってまったくの他人事。
わざと目を合わせんとアッチの方、向いてるんやから。
そらないで、ホンマ。
全身白タイツで「オバケのQ太郎」風のメークをしたのもウケた。
当時新宿区にあったフジテレビ社屋はバラエティーも報道も同じメーク室やったんです。
オバQメークをしてたら、すぐ隣に座ったのが「FNNニュースレポート23:00」のメインキャスターやった俵孝太郎さん。
僕をひと目見て笑いをこらえるのに必死なんですよ。
そしてそのまま生放送のスタジオに行かはったけど、メーク室のモニターをみててたらオープニングの挨拶のときに思い出し笑いして噛み噛み。
相棒の安藤優子さんは事情を知ってるから笑いながら『俵さんは本番前にビックリされたことがあったんですよね』とフォローしてはった。
でも後の祭りですわ」
「ツッタカ坊や」
「つくつくほーし」
「オバQ」
黄色い安全ヘルメットに革靴、海パン一丁の「西川のりおとフラワーダンシングチーム」
フラワーダンシングチーム」
などでブレイクしていた西川のりおは、エスカレートして、しばしば股間を露出した。
山村美智、寺田理恵子など歴代のひょうきん女子アナたちは、下ネタをフラれたり、裸をみせられたり、
「好きなんやー」
と抱きつかれたりした。
あるときのりおが
「わおー」
と叫びながらマイクを投げると、それが当たったカメラが壊れてしまった。
スタッフに
「弁償してくれる?」
といわれ、西川のりおが
「いくら?」
と聞くと
「3千万円なんだけど・・・」
実家が自転車をしている西川のりおは、
「持って帰って修理します」
といったが、明石家さんまは
(できるはずがない)
と思った。
「俺たちひょうきん族」では、歌手がゲストで出演していたが、
「かわいく清純ぶった女性をみると無性に腹が立つ」
という西川のりおは、芸能界の洗礼を浴びせていった。
「ジョーダンはよせ!!」のコーナーに、女子大生ユニット「おかわりシスターズ」が出演。
ドンブリ鉢の着ぐるみをかぶった西川のりおが、
「ジョーダンはよせ」
と叫んだ瞬間、大量の発泡スチロールの粉が落ちてきた。
落ちてくるのは打ち合わせで聞いて知っていたが、あまりの量に息ができなくなり、西川のりおが血圧が高いことを知っている島田紳助は
「あのオッサン、死んだんちゃうか」
と本気で心配。
やっとのことで脱出した西川のりおは
「次のギャグは?」
といわれても
「ハア、ハア・・・」
島田紳助は心配して
「のりおさん、暑いでっしゃろ。
ドンブリ脱ぎなはれ」
といったが、その後ろから女性の笑い声が聞こえた。
(おかわりシスターズどもめ。
人が死に物狂いでやってるちゅうのに!)
西川のりおは、
「ギャー」
と叫びながら、紙吹雪を股間に押し込んでくっつけ、それをおかわりシスターズの頭上にふりかけた。
クラッシュギャルズとプロレスをやったときは、その強さに圧倒された上、竹刀で股間をつつかれてしまった。
プライドを傷つけられた西川のりおは、全裸になってドバッと男をみせつけ、
「ギャー」
とさわぐクラッシュギャルズをみて、
「やっぱあの子らも女の子やったんやなあ」
と思うと共に
「勝った!」
「俺たちひょうきん族」に、少女隊が出演。
それはオーディションで選ばれたミホ(藍田美豊)、レイコ(安原麗子)、チーコ(市川三恵子)の3人組で、キャッチコピーは
「胸騒ぎ、ザワ、ザワ、ザワ」
「一心同体、少女隊」
ファーストアルバムは、山口百恵、ピンクレディを手がけた都倉俊一がプロデュースし、レコーディングはロスアンゼルスで行われ、アメリカの一流ミュージシャンも参加。
ビデオと写真集の撮影もオールアメリカロケ。
そのプロモーションは総額3億円という異例の新人アイドルユニットだった。
西川のりおは、そんな少女隊に芸能界の洗礼を受けさせた。
「なにやったか?
ケツの穴みせてやっただけですわ」
フジテレビの正月特番で、山城新伍の家に女優や女性歌手がやってきてゲームをするという設定のコーナーがあった。
広いセットの中には本物のおせち料理や酒も置いてあった。
ゲーム中、せんだみつおがお尻を出したため、岩崎宏美が
「帰る」
といって退場。
一時休憩となり、西川のりおは
「せんだ、あれはマズいで」
と諭した。
そして横をみると片岡鶴太郎が五月みどりに
「ねえ、お姉さま。
僕の息子揉んで」
といって手を股間に導いている。
五月みどりは酒を飲みながら山城新伍と映画の話をしていたが、そのまま片岡鶴太郎の股間を揉みだした。
「1人だけそんなエエことすな」
すぐに西川のりおも五月みどりの隣に座った。
「困った子ねえ」
五月みどりはそういいながら
「エエことをやってくれた」
その間、山城新伍は気にせずに話を続けていた。
そのうち元気がよくなった西川のりおが、
「硬くなった」
というと、せんだみつおが
「インポのくせに見栄張るんじゃないよ」
と否定するので、袴を脱いで
「ホラッ、勃っとるやろ」
と証明。
そしてそれを見せびらかしながらスタジオ中を濶歩していると、早見優と気を取り直した岩崎宏美が戻ってきて、2人とも目を覆ってしゃがみこみ、泣き出し、マネージャーが
「番組降ろさせてくれ」
といった。
明石家さんま、島田紳助、松本竜介が3人で六本木を歩いていると台湾料理店から出てくる女性を発見。
先輩2人の指示を受けた松本竜介が近づき、背後から
「お姉さん、お茶飲まへん?」
と声をかけると、振り向いたのは浅丘ルリ子と大原麗子だった。
「あ~、おはようございます。
すんまへん」
松本竜介はあわてて退却。
そして2人の先輩にドつかれた。
ナンパに失敗し
「テレビ局で会ったらどうしよ」
と心配する松本竜介に西川のりおは
「会わん、会わん。
お前が浅丘ルリ子と会うような仕事、この先どこにあるんや」
といったが、それはその後、「週間実話」に風俗店の記事が載ったときに証明された。
記事中の写真は、客の顔の目の部分を隠してあったが、西川のりおは
「これ、竜介ちゃうか?」
と思った。
明石家さんまと島田紳助にもみせると2人とも
「竜介や」
と合意。
素人と思われて、顔や名前は出ることなく裸だけをさらしている竜介をみて、西川のりおは
「タレントでも何でもない。
タダの犯罪者や」