西川のりお   コテコテの大阪弁と捨て身の暴走で全国区へ殴り込み

西川のりお コテコテの大阪弁と捨て身の暴走で全国区へ殴り込み

高校でお笑いの世界に入り、パワフルに空回りしながら下積み時代を過ごし、ヤングOh!Oh!、漫才ブーム、じゃりン子チエ、俺たちひょうきん族で一気に全国のお茶の間に。関西独特のイケイケドンドンの暴走ぶりをみせつけた。


高3の夏休みに同級生に誘われ、初めて花月にいき、初めて横山やすし・西川きよしの漫才をみて、死ぬほど笑ってしまった西川のりおは、同級生と一緒に弟子入り。
5歳上、超マジメで超厳しく、あまり一緒にはいたくないが一生ついていきたいと思う西川きよし。
7歳上、超破天荒で超面白いが、ついていけない横山やすし。
そのギャップに苦しみながら、なんとか弟子を続け、同級生と「淀公一・公二」というコンビでデビュー。
しかし1年で解散。
同級生は、会社勤めを始めたが、目立ちたがり屋で自己顕示欲が強い西川のりおは、すぐに新しい相方をみつけ、新コンビ「横中バック・ケース」を結成。
自作のアカペラソングを歌ったり、緞帳にぶら下がって
「ターザンのように雄叫び」
をやって引きずり下ろしてしまったり、常々『大事にしろ』といわれているマイクにかじりついたりカバーを噛みちぎり、相方のケースに
「そんなことしたら感電するで」
とツッコまれると
「俺はもうシビレとるんじゃ!」
クイズネタで無茶苦茶な問題を出し、ケースに
「なんの関係があるんや」
とツッコまれると
「その答えを待ってたんや!」
といって往復ビンタ。
通常の漫才とは違う種類の笑いを起こし、
(やった)
と思った。
またクロ子として生放送番組に出演したとき、司会が年下の海原千里(上沼恵美子)だったことが気に入らず、いきなり
「俺はブルースリーやぞ!」
と叫んで海原千里(上沼恵美子)の腹部をキックして吹っ飛ばし、テレビ局から出入り禁止を、会社からは謹慎処分を食らった。
西川のりおの型破りで破壊的な芸風は、ウケるときは大きくウケ、ウケないときはまったくウケないが、とにかく常にパワフル。
暴走して自滅してしまうこともあるが、芸人を含めて熱烈なファンは多かった。
「僕はアウトローが好きなんですよ。
笑いってね、悪の部分と正義の部分のちょうど狭間なんです。
笑いって裏切りなんですよ。
僕は毒気が大好きですから。
コイツ、ムチャクチャむしよるなというね。
僕はムチャクチャするけど警察にはお世話になってないです。
ギリギリのところを攻めるというのが大事なポイントです」

ケースとのコンビ仲は悪かった。
あるとき舞台でネタがウケず、相方を客席に投げ落としたところ、今までで1番ウケた。
しかしケースは足を骨折。
その入院中、西川のりおは新しい相方を探し、
「顔の大きさでは勝っているが面白さでは完全に負けている」
という2歳下の上方よしおを見つけた。
上方よしおは、大学受験に失敗し浪人してたとき、松竹芸能の上方柳次・柳太師匠に弟子入り。
「ピンクパンク」「ムチャクチャ」というコンビを経て、「横中バック・ケース」をやっていた西川のりおに
「B&Bの片割れが新しい相方を探しとる」
と島田洋七を紹介され、柳次師匠にも、
「吉本の方が若手はノビノビやれる」
と背中を押され、吉本興業に移籍し、2代目「B&B」を組んだ。
2代目B&Bは、スピードのあるしゃべくりと抜群のセンスで半年後に第4回NHK上方漫才コンテスト最優秀話術賞受賞し、その後も数々の賞を受賞。
フジテレビのバラエティ番組「オールスター90分」に、学業に専念するために活動を休止したあのねのねに代わって2代目「B&B」がレギュラーに抜擢され、これが吉本が東京のテレビ局のゴールデンタイムでレギュラーを持ったのは、これが最初といわれている。
B&Bの漫才をみたザ・ぼんちの里見まさとは、
「もうエエよ!というくらいの大爆笑に次ぐ大爆笑で圧倒された。
正直、負けたと感じた」
といい、18歳の島田紳助は衝撃を受けて、島田洋七と同門に入り(島田洋介・今喜多代師匠に弟子入りし)、金魚のフンのようについてB&Bを研究した。
しかし2代目B&Bは、結成2年後、
「東京で勝負したい」
という洋七に対して、よしおが
「怖い」
と断ったことで仲が悪くなり、最終的に京都花月で大ゲンカをして解散。
上方よしおも新しい相方を探しているところだったのである。

西川のりおは、
「これで新コンビ結成や!」
と思ったが一悶着があった。
B&Bをやめたとき、
「よしおは芸能界を引退する」
と受け取っていた島田洋七の師匠、今喜多代が、
「筋を通してない」
と激怒したのである。
のりおの師匠、西川きよしとよしおの師匠、上方柳太が仲に入って、コンビを組むことを許され、やっと「西川のりお・上方よしお」が誕生した。
礼儀、楽屋マナー、漫才のつくり方、やり方、すべてが漫才師らしい上方よしおは、
「9割アドリブ。
予定調和が嫌い。
ドギマギする自分が好き」
と台本完全無視で暴走する西川のりおに
「相方はアドリブいっぱい入れて来はるんで、ツッコミたるものボケを殺さず、ボケの要望、期待に応えたい」
と正統派なツッコみを入れ続けた。
結局、島田洋七はB&Bで相方を4回変えたが、上方よしおと別れた後、一時的に間寛平とコンビを組んだ。
そして花王名人劇場」に出演したとき、前座で西川のりおが暴走したので島田洋七と間寛平は、まったくウケず、
「客を温めておくのでなく客を疲れさせた」
と激怒した。

「西川のりお・上方よしお」は、最初は前座ばかりで、ギャラは1回1千円。
1ヵ月で10回舞台あって1万円となるがそこから税金を引かれ、もらえるのは9千円。
「少ないギャラから税金とるな。
人でなし」
西川のりおは、そう思いながらアルバイトへ向かい、そしてアルバイト先から花月の楽屋に向かうとき、
「こんなんでどこが芸人や」
と思った。
そして舞台に上がってウケると持ち時間は15分なのに30分やった。
スタッフは合図を出してもやめないので、マイクを切り、それでもやめないので緞帳を下げた。
西川のりおは緞帳の前に出てマイク無しで漫才を続け、客は、その熱意が伝わって大爆笑した。

「休み多いからテレビ好きなだけ観れるんです。
でも芸人にとってテレビは観るもんやなく出るもん。
ホンマ最低の生活やった。
女引っかけても月9千円じゃなんもできへん。
名前は売れてへんわ、金はないわ、やらしてもらいたいわ、どうすりゃええんじゃいうて、いつも泣いとりました」
テレビばかり観ていてもあきるため、散歩に出始めた西川のりおは、最初は10~20分だったが、
「家に帰ってもやることがない」
とどんどん長くなっていき、
「倒れるまで歩いたろ」
と心斎橋、難波、梅田とひたすら街を歩きまくり、逆に体調が悪くなったこともあった。

この街ブラに4歳下の明石家さんまも参加。
昼間からコーヒー1杯で喫茶店に4、5時間居座り、バカ話をしながら外を歩く女性に点数をつけ、夕方になって獲物が増えると、
「パトロール」
に称して、ナンパしにいった。
西川のりおの実家は自転車屋を営んでいて、さんまは、その店舗兼住宅によく泊まった。
「さんま、もっと売れたいなあ」
「売れたいですね」
「今はこんなんやけど将来は俺が全国ネットの番組の司会して、お前はパネラーや」
「そうでんなあ、兄さん」
西川のりおは後輩と夢を語ったが、後年、さんまがバカ売れすると
「逆になっとるやないか!」
と激しく怒り、妬んだ。

「西川のりお・上方よしお」が初めて東京のテレビに出演することが決まると、西川のりおは、すぐに1歳下のザ・ぼんちのおさむに
「ボクら、日本テレビの『ヤジ馬寄席』出てくるわ」
と自慢。
「どこや?」
「大阪の田舎モンには困ったもんやな。
東京や東京。
後楽園ホールや。
日本テレビ、N、T、V。
明日の新幹線は何時だったかな?
「今晩飲み行こか」
悔し紛れに周りを誘うおさむをみながら、西川のりおは
(勝った!)
と思った。
ちなみに明石家さんまは3歳上のぼんちおさむの家にも泊まったこともあるが、マジメなおさむが夜中、何度も、頭を叩くフリをしながら舌で音を鳴らす練習や、
「オッ、オッッッ、おさむちゃんで~す!」
の練習をして、顔を真っ赤にしてジャンプしまくるため、まったく眠れなかった。

吉本からもらう給料が月7~10万円になった西川のりおは、その多くをオシャレに投資した。
舞台衣装は、ほとんどをブランド品で揃え、ズボンの折り目などはキッチリしてないと気がすまず、靴も、いつもピカピカに磨いた。
私服や衣装にお金をかける一方、西川のりおは、桂文珍、前田五郎と並んで「吉本3大ケチ」といわれるほど財布のヒモが固かった。
芸人仲間で飲食したとき、
「お勘定、まかせなさい」
ということは、まずない。
それどころか誘われると必ず
「すまんな」
という。
だから西川のりおの財布の中をみた者は誰もいない。
新幹線に乗ると降りた客が残していった雑誌をすべて回収し
「儲かったな!」
高額のギャラが入ると
「パッと使うとか怖くてできへん」
とそっくり貯金し、破天荒キャラと真逆の堅実さをみせた。

政府が発表する「高額納税者公示制度」、通常「長者番付」(2006年に廃止)を、明石家さんま、島田紳助などの順位と納税額を蛍光ペンを持ちながらチェック。
少し歳下のさんまや紳助に加え、かなり離れたダウンタウンやナインティナインもランクに入ってくるようになり、彼らをテレビで観ると、
「この番組1本出たら、それこそちょっとした自動車買えるくらいもらってるん違うか」
「あのCMは、1億3千万くらい会社に入ってきて、アイツは1億ほどもらうんちゃうか」
「年間契約料とロイヤリティーと・・」
などと思ってしまい、
「家でテレビを観てても、いっこもオモロない!
体に悪いわ!」
と激怒。
バブル絶頂期には不動産などのサイドビジネスに手を出して大損し、そのことを著書「のりおのゼニはこう貯めるんや! 1千万はすぐ手にできる」「オレの銭かえせ!!―バブル崩壊西川のりお大爆発」につづった。

大阪の若手芸人にとって「ヤングOh!Oh!」は、憧れの番組だった。
番組の起こりは、桂三枝。
弟子入り後、1年足らずで深夜ラジオ「歌え!MBSヤングタウン」のパーソナリティに抜擢されると
「ひとりぼっちでいる時のあなたにロマンチックな明かりを灯す、 便所場の電球みたいな桂三枝です」
という独特の語りかけや
「オヨヨ」
「いらっしゃーい」
というギャグでブレイク。
「ヤングOh!Oh!」は、「歌え!MBSヤングタウン」のテレビ版で、合言葉は「若者の電波解放区」
司会は桂三枝と笑福亭仁鶴が行っていたが、すぐに横山やすし・西川きよしも加わり、吉本芸人による大喜利、コント、漫才、トークをメインに、多彩なゲストが登場し、アイドルが歌を歌った。
桂三枝は
「あっち向いてホイ!」
「さわってさわってナンでしょう(箱の中身はなんだろな)」
「たたいて・かぶって・ジャンケンポン」
などのゲームを考案。
吉本にとって「ヤングOh!Oh!」は、新喜劇や劇場中継以外の初めての番組だったが、爆発的な人気を得て、松竹芸能が独占していた上方のお笑い勢力図を逆転させた。

素人時代、予選を勝ち抜いて「ヤングタウン」に3週連続で出演したことがある西川のりおは、「ヤングOh!Oh!」に呼ばれると喜んだ。
しかもてっきり前説だと思っていたのに、いきなり本番に参加させてもらい、
「一生、前座専門で、一生、電波に乗れんヤツもようけおるけどね」
と悦に。
「ヤングOh!Oh!」は、スタジオに客を入れての公開録画番組で、初めて自分が出る日、西川のりおは京都花月の近くにあるお好み焼き屋「しんせつ」にいき、店内のテレビでさりげなく「ヤングOh!Oh!」を鑑賞し、店員が
「のりおさん!
出てるやん!!」
が驚くと、内心うれしくてうれしくて叫びたかったが我慢し、さりげなく
「まあな・・・」
番組の最後に
「大型新人登場!!のりお・よしお、乞ご期待!!」
というスーパーが出て、さら喜んだ。

こうして彗星のように「ヤングOh!Oh!」にデビューした西川のりおは、明石家さんまに
「兄さん、すごいですね」
といわれると
「まあな。
オレ、「ヤングOh!Oh!」なんか知らなんだ。
お前も出たいか?
こんな番組」
と答え、いい気分になった。
3回目の出演で
「オーメン!!」
というギャグが大ウケし、笑いと拍手をドッと浴び、天にも昇る気持ちになり、明石家さんまに
「兄さん、やりましたなあ。
これでレギュラー決定ですね」
といわれると
「まあな。
今度、紹介したるわ」
ところが欠員が出て桂三枝の推薦で「ヤングOh!Oh!」に出演した明石家さんまは、プロ野球選手の小林繁の形態模写で大ブレイク。
どこに行っても声をかけられ、サインを求められる後輩をみて、西川のりおは
「俺のオーメンはどうなったんや」
と嘆いた。

「ヤングOh!Oh!」のディレクターに、
「ザ・ドリフターズみたいなんをやれ。
ウケたらコーナーを持たせてやる」
といわれ、西川のりお・上方よしお、B&B、ザ・ぼんち、そして明石家さんまの7人でコントユニットを結成し、前説を行った。
西川のりお、島田洋七、ぼんちおさむの3人は好き勝手に暴れ、それをみた吉本の林正之助会長は
「あのバイ菌どもを、はよ降ろせ。
2度と出すな」
と激怒。
それを聞いてユニット名を「ビールス(Virus)7」とし、番組のレギュラーになった。
キャラの被る西川のりおと島田洋七は度々大ゲンカをし、20歳そこそこの明石家さんまが仲裁に入り、2人の機嫌をとるために代わりに怒られ、
「初めて大人の汚い世界をみた」
のりお、洋七、おさむの荒くれ者3人と、よしお、洋八、まさとの傍観者3人、合計6人の先輩をコントロールするさんまは、やがて他のコーナーでも司会を任されるようになった。
桂文珍は、
「さんま君、今日もアンタが司会?」
「はい、よろしくお願いします」
「フン!
偉ぁなったんやね」
とネタにしたが、西川のりおは、女性にキャーキャー騒がれる明石家さんまをみて
「俺もやったるわい」
と勇んだが、無理だった。

「ヤングOh!Oh!」が放送される中、さらに空前の漫才ブームが勃発。
まず日曜日の21時に放送されていた関西テレビ「花王名人劇場」で「おかしなおかしな漫才同窓会」というコーナーができて、新旧の漫才師が競演。
すると13~16%という異例の高視聴率となり、気をよくした「花王名人劇場」は、「激突!漫才新幹線」で、横山やすし・西川やすし、星セント・ルイス、B&Bという関東と関西の人気漫才師を競演させ、18%超え。
それをみた各局が新しいバラエティー番組を製作し始め、どのチャンネルでも漫才がみられるようになった。
そしてフジテレビで「THE MANZAI」が始まると一気にブームとなった。
フジテレビの横澤彪プロデューサー、佐藤義和ディレクターらがつくる「THE MANZAI」は、数組が漫才をするというシンプルな内容ながら革新的な番組だった。
フジテレビ第10スタジオに豪華なセットを組み、若い客を入れ、漫才の前にはショートPRムービーが流れ、登場時の出囃子はフランク・シナトラの「When You're Smiling(君微笑めば)」
出演者はベテランではなく若手が中心。
出演順は抽選で決め、楽屋には緊張感が漂い、舞台では真剣勝負が行われた。
ブームを牽引したのは、関東では、星セント・ルイス、ツービート、B&B、関西では、横山やすし・きよし、中田カウス・ボタン、西川のりお・上方よしお、ザ・ぼんち、太平サブロー・シロー、オール阪神・巨人、島田紳助・松本竜介などだった。

特にザ・ぼんちの人気はすさまじく、夏休みになるといつもは客の年齢層が高めの花月に若者が押し寄せ、ザ・ぼんちが登場すると大量のクラッカーが鳴らして紙テープが投げ、2人の出番が終わると一斉に席を立って出待ちに走った。
ザ・ぼんちの後に出演した芸人は、一気に客が減った劇場に苦笑い。
全芸人が、ザ・ぼんちの後に舞台に立つのをイヤがった。
それまでいまひとつ波に乗れてなかった西川のりお・上方よしおにとっても漫才ブームは大きな転機となった。
西川のりおは、相方をドツいたり首を絞めたりする暴走キャラとガラガラ声で
「ホーホケキョ」
腰を前後に動かして
「ツクツクボーシッ、ツクツクボーシッ」
時代劇「旗本退屈男」をモチーフにした
「天下御免の向こう傷、拙者、早乙女主水之介」
などギャグでブレイク。

漫才がブームになることで落語家は仕事が激減し、関西のトップを走っていた明石家さんまですら追い越された感があった。
しかし明石家さんまは魔術師のようなトークで漫才師とうまくカラみ、イジり、シキり、お笑い界の好位置をキープ。
島田紳助は
「漫才ブームが来て、やった、これでアイツを引き離せると思うて。
ブームが終われば絶対にさんまの方が有利になるから2馬身はリードせなアカンかったのにアイツはくっついて来よって。
関係ないくせに・・・」
とその適応力に驚き、西川のりおは、
「ずーっとさんまがおるな。
なんでや?」
と周囲に漏らし
「いや、あんだけのメンバー仕切ろうと思ったらさんまさんくらいしかアカンのとちゃいます」
とナダめられると
「なんで俺やったらアカンねん」
とムキ出しでヒガんだ。

「漫才ブームで爆売れしてるときも女の子にキャーキャーはいわれなかった。
ザ・ぼんちとかB&Bとかはいわれてましたけど。
そのときも僕はヒールにみられたかったんです。
のりおはなんちゅうやっちゃと思われてても、そやけど俺は最後まで残ったるぞという気持ちでやってました。
マラソンでいうたらね、トップ集団の3着か4着にずっとおるやつ。
やらしいやっちゃ、こいつまだへばりついとるわといわれる。
そういう奴になりたいんですわ」
という西川のりおだが、確実に全国区に進出。
1981年4月、アニメ映画「じゃりン子チエ」が放映。
監督は、「火垂るの墓」「アルプスの少女ハイジ」などを手懸けた高畑勲。
チエちゃんの声は、幼い頃から「名子役」といわれ、女優、歌手、作家として活動し、さらに女性解放の市民運動に取り組んで参議院議員になった中山千夏。
西川のりおは、
「なっなっなに~」
とテツの声を務めた。
藤田まことも候補に上がっていたが、TVで西川のりおを観たプロデューサーによる大抜擢だった。
その他、

丸山ミツル:上方よしお
小林マサル:島田紳助
タカシ:松本竜介
花井 渉:桂三枝
花井 拳骨:笑福亭仁鶴
百合根光三:芦屋雁之助
菊崎 健二:ぼんちおさむ
小鉄:西川きよし
アントニオjr:横山やすし
テツの博打仲間: オール阪神・巨人

など芸人が多数、出演。
「じゃりン子チエ」は、映画公開6ヵ月後、毎週金曜日19時にテレビで放送開始。
当初、半年間、26回放送の予定だったが、人気が高かったために64回放送された。
収録は毎週、夜中にスタジオで行われ、西川のりおは、いつも高畑監督からNGを出されてやり直し。
いつも1回で終わる中山千夏に
「なんでこんな簡単なんができひんねん」
といわれ、
(なんでこんなことせなあかんねん)
と泣きそうになり、本当にテツとチエのようなやりとりだったが、
「何より台本通りにやらないといけないというのが苦痛だった」
という西川のりおに、テツは超ハマリ役だった。

映画「じゃりン子チエ」が放映された翌月、1981年5月、寝る暇ないぐらい大忙しだったところに、さらにフジテレビで「オレたちひょうきん族」が放送開始。
裏にはTBSテレビの「8時だョ!全員集合」がいた。
それは会場に客を入れての公開生放送番組。
19時59分、放送開始1分前、いかりや長介がステージ上に、残りのメンバー4人は通路にスタンバイ。
時間になると、いかりや長介がカメラを指差し
「8時だョ!」
他のメンバーと客が
「全員集合!」
メンバーはステージへ向かい、ゲストも登場。
オープニングテーマ曲の最後にいかりや長介が
「よろしくぅー!!」
というと全員がお辞儀し、CMに入る。
CMが明けると、いかりや長介の
「オイッスー」
でコントが始まる。
それは何日もかけて稽古してつくりこまれたコント劇で、回り舞台、屋体崩し、タライ落としなど舞台装置も活躍。
強烈なリーダーシップをとるいかりや長介。
体操が得意な仲本工事。
何もしない、できない、喋らない、だけど面白い高木ブー。
ウンコチンコありでボケる加藤茶と志村けん。
全員が体を張って笑いをとった。

「ダメだこりゃ」(いかりや長介)
「ヘーックション!!」(加藤茶)
「加トちゃん、ペッ」(加藤茶)
「♪カラスなぜ鳴くの♪カラスの勝手でしょ♪」(志村けん)
「アイーン!」(志村けん)
「あんだ!バカヤロー!!」(志村けん)
はげヅラおやじ
白鳥
バカ殿
東村山音頭
ディスコ婆ちゃん
早口言葉
少年少女合唱隊
ヒゲダンス
雷様

など数々の名物コーナー、ギャグ、キャラが誕生。
最後は
「風邪ひくなよ」
「お風呂入れよ」
「頭洗えよ」
「宿題やれよ」
「歯磨けよ」
と合いの手が入りながらエンディングテーマ曲を合唱。
いかりや長介の
「また来週ぅ!!」
で番組は終了。
「8時だョ!全員集合」は、小学生を中心に熱狂的に受け入れられ、最高視聴率50.5%を誇るモンスター番組だった。

「勝ち残りゲームなんやなあと。
お笑いというジャンルの中で新しい時代に生き残るのは誰か」
というフジテレビの横澤彪プロデューサーは、新しいお笑いを模索。
チームワークよりも個の力を重視。
漫才ブームで人気を得たコンビを出演させながら、ネタはやらせず、アドリブ、即興性が求めた。
スタジオに客は入れず、
「演者は勝手に遊び、我々は勝手に撮る」
といって台本はあるものの芸人に好きなようにやらせて、面白い場面だけを採用。
そのため現場にムダな緊張感はなかった。
初回放送のオープニングは、正装したビートたけし、ビートきよし、島田洋七、島田洋八、西川のりお、上方よしお、ぼんちおさむ、ぼんちまさと、明石家さんま、島田紳助、松本竜介による晩餐会。
料理にコショウをかけてくしゃみが出そうになるさんま。
それを阻止するために口にパンを詰め込む紳助。
洋八が指を鳴らし、呼ばれたメイド服姿のいまくるよが、パンを吐き出させようと背中をどつく。
その力が強すぎて、さんまは料理に中に顔を突っ込む。
たけしが指を鳴らし呼んだくるよに
「ブスだねえ」
怪訝な表情で立ち去るくるよ。
たけしはカメラに向かって
「俺たち!」
全員で
「ひょうきん族!」
こうして土8戦争が始まった。
アドリブ主体で内輪ネタ、下ネタが横行するひょうきん族の笑いは、小学生にはわからなかったが、高校生、大学生や若者に強烈に支持された。
学校や職場は、「全員集合派」と「ひょうきん族派」で真っ二つ。
家でもチャンネルの取り合いが発生した。

ひょうきんファンにとって、ビートたけしのタケちゃんマン、明石家さんまのブラックデビル、島崎俊郎のアダモステ、そして西川のりおの暴走は欠かせないものだった。
「毎週、毎週メークを変え、妙ちくりんなかぶり物をし、またあるときは素っ裸ですわ。
最初は沢田研二さんのパロディーで始まったけど、マーチングバンドの指揮者よろしく右手を威勢よく上下に振りながら「ツッタカター、ツッタカター」と行進する「ツッタカ坊」や。
あるとき横澤さんに『君はギリシャ神話知ってるか?』と聞かれて『興味ないですわ』と返事したら、『知らんでエエから』って。
メーク室に行くと下半身が馬の前足・後ろ足のかぶり物をはかされ、お尻には尻尾。
それで弓矢を持たされて『今回は(半人半獣の)ケンタウロスや』いわれてね。
そのときのコントの絡みの相手が忌野清志郎さんで、みた途端に笑い転げてましたわ。
全身に金粉を塗られたこともあったなあ。
メークさんが『20分以上放置すると皮膚呼吸できなくて窒息します』って真剣に心配してるのに横澤さんは『大丈夫、大丈夫』いうて涼しい顔。
エライこっちゃとマネジャーに助け舟出してもらおうと思ったのに『面白いですね』ってまったくの他人事。
わざと目を合わせんとアッチの方、向いてるんやから。
そらないで、ホンマ。
全身白タイツで「オバケのQ太郎」風のメークをしたのもウケた。
当時新宿区にあったフジテレビ社屋はバラエティーも報道も同じメーク室やったんです。
オバQメークをしてたら、すぐ隣に座ったのが「FNNニュースレポート23:00」のメインキャスターやった俵孝太郎さん。
僕をひと目見て笑いをこらえるのに必死なんですよ。
そしてそのまま生放送のスタジオに行かはったけど、メーク室のモニターをみててたらオープニングの挨拶のときに思い出し笑いして噛み噛み。
相棒の安藤優子さんは事情を知ってるから笑いながら『俵さんは本番前にビックリされたことがあったんですよね』とフォローしてはった。
でも後の祭りですわ」

「ツッタカ坊や」
「つくつくほーし」
「オバQ」
黄色い安全ヘルメットに革靴、海パン一丁の「西川のりおとフラワーダンシングチーム」
フラワーダンシングチーム」
などでブレイクしていた西川のりおは、エスカレートして、しばしば股間を露出した。
山村美智、寺田理恵子など歴代のひょうきん女子アナたちは、下ネタをフラれたり、裸をみせられたり、
「好きなんやー」
と抱きつかれたりした。
あるときのりおが
「わおー」
と叫びながらマイクを投げると、それが当たったカメラが壊れてしまった。
スタッフに
「弁償してくれる?」
といわれ、西川のりおが
「いくら?」
と聞くと
「3千万円なんだけど・・・」
実家が自転車をしている西川のりおは、
「持って帰って修理します」
といったが、明石家さんまは
(できるはずがない)
と思った。

「俺たちひょうきん族」では、歌手がゲストで出演していたが、
「かわいく清純ぶった女性をみると無性に腹が立つ」
という西川のりおは、芸能界の洗礼を浴びせていった。
「ジョーダンはよせ!!」のコーナーに、女子大生ユニット「おかわりシスターズ」が出演。
ドンブリ鉢の着ぐるみをかぶった西川のりおが、
「ジョーダンはよせ」
と叫んだ瞬間、大量の発泡スチロールの粉が落ちてきた。
落ちてくるのは打ち合わせで聞いて知っていたが、あまりの量に息ができなくなり、西川のりおが血圧が高いことを知っている島田紳助は
「あのオッサン、死んだんちゃうか」
と本気で心配。
やっとのことで脱出した西川のりおは
「次のギャグは?」
といわれても
「ハア、ハア・・・」
島田紳助は心配して
「のりおさん、暑いでっしゃろ。
ドンブリ脱ぎなはれ」
といったが、その後ろから女性の笑い声が聞こえた。
(おかわりシスターズどもめ。
人が死に物狂いでやってるちゅうのに!)
西川のりおは、
「ギャー」
と叫びながら、紙吹雪を股間に押し込んでくっつけ、それをおかわりシスターズの頭上にふりかけた。
クラッシュギャルズとプロレスをやったときは、その強さに圧倒された上、竹刀で股間をつつかれてしまった。
プライドを傷つけられた西川のりおは、全裸になってドバッと男をみせつけ、
「ギャー」
とさわぐクラッシュギャルズをみて、
「やっぱあの子らも女の子やったんやなあ」
と思うと共に
「勝った!」


「俺たちひょうきん族」に、少女隊が出演。
それはオーディションで選ばれたミホ(藍田美豊)、レイコ(安原麗子)、チーコ(市川三恵子)の3人組で、キャッチコピーは
「胸騒ぎ、ザワ、ザワ、ザワ」
「一心同体、少女隊」
ファーストアルバムは、山口百恵、ピンクレディを手がけた都倉俊一がプロデュースし、レコーディングはロスアンゼルスで行われ、アメリカの一流ミュージシャンも参加。
ビデオと写真集の撮影もオールアメリカロケ。
そのプロモーションは総額3億円という異例の新人アイドルユニットだった。
西川のりおは、そんな少女隊に芸能界の洗礼を受けさせた。
「なにやったか?
ケツの穴みせてやっただけですわ」

フジテレビの正月特番で、山城新伍の家に女優や女性歌手がやってきてゲームをするという設定のコーナーがあった。
広いセットの中には本物のおせち料理や酒も置いてあった。
ゲーム中、せんだみつおがお尻を出したため、岩崎宏美が
「帰る」
といって退場。
一時休憩となり、西川のりおは
「せんだ、あれはマズいで」
と諭した。
そして横をみると片岡鶴太郎が五月みどりに
「ねえ、お姉さま。
僕の息子揉んで」
といって手を股間に導いている。
五月みどりは酒を飲みながら山城新伍と映画の話をしていたが、そのまま片岡鶴太郎の股間を揉みだした。
「1人だけそんなエエことすな」
すぐに西川のりおも五月みどりの隣に座った。
「困った子ねえ」
五月みどりはそういいながら
「エエことをやってくれた」
その間、山城新伍は気にせずに話を続けていた。
そのうち元気がよくなった西川のりおが、
「硬くなった」
というと、せんだみつおが
「インポのくせに見栄張るんじゃないよ」
と否定するので、袴を脱いで
「ホラッ、勃っとるやろ」
と証明。
そしてそれを見せびらかしながらスタジオ中を濶歩していると、早見優と気を取り直した岩崎宏美が戻ってきて、2人とも目を覆ってしゃがみこみ、泣き出し、マネージャーが
「番組降ろさせてくれ」
といった。

明石家さんま、島田紳助、松本竜介が3人で六本木を歩いていると台湾料理店から出てくる女性を発見。
先輩2人の指示を受けた松本竜介が近づき、背後から
「お姉さん、お茶飲まへん?」
と声をかけると、振り向いたのは浅丘ルリ子と大原麗子だった。
「あ~、おはようございます。
すんまへん」
松本竜介はあわてて退却。
そして2人の先輩にドつかれた。
ナンパに失敗し
「テレビ局で会ったらどうしよ」
と心配する松本竜介に西川のりおは
「会わん、会わん。
お前が浅丘ルリ子と会うような仕事、この先どこにあるんや」
といったが、それはその後、「週間実話」に風俗店の記事が載ったときに証明された。
記事中の写真は、客の顔の目の部分を隠してあったが、西川のりおは
「これ、竜介ちゃうか?」
と思った。
明石家さんまと島田紳助にもみせると2人とも
「竜介や」
と合意。
素人と思われて、顔や名前は出ることなく裸だけをさらしている竜介をみて、西川のりおは
「タレントでも何でもない。
タダの犯罪者や」

1982年、「オレたちひょうきん族」が始まった翌年、西川のりおは、大阪で深夜生放送ラジオを開始。
MBSヤングタウン、通称「ヤンタン」は、曜日別でパーソナリティが替わり、

月 明石家さんま
火 嘉門達夫、河合奈保子
水 原田伸郎
木 島田紳助
金 谷村新司とばんばひろふみ
土 鶴瓶

そして日曜日、通称「ヤン日」は、西川のりおだった。
土曜の夜にテレビで全裸になったり、白いメイクでオバQ になった男が、日曜日の夜にはラジオから語りかけるのである。
「西川のりおのヤングタウン」
とコールした後、約2時間、とにかく弾け、話し続けた。
フリートークでは、阪神タイガースの川藤幸三が「CAMUSのXO(カミューのエックスオー]」という酒を
「カマスのペケマル」
と読む話や
「石原裕次郎は53歳で亡くなりはったけど、阪神53敗目やないか。
どないなっとるねん」
徹子の部屋に出たときの話や吉本の芸人やマネージャーの悪口をガンガンしゃべった結果、花月の楽屋で着替えられなくなった話など、
「ここだけ」
と称して番組や業界の裏を暴露。
抜群の歌唱力で13歳で「オーディション荒らしの千絵ちゃん」といわれた大阪出身のアイドル歌手、小林千絵は、ヤンタンでの西川のりおとのボケ、ツッコミが好評となり
「おじさんの気持ちも知らないで~哀愁のシイタケ族」
というシングルCDでデュエット。
地元大阪での仕事が増え、大阪弁丸出しのトークでバラドルとして活躍するようになった。

コーナー企画としては自分の弟子とトミーズ健を漫談対決させたりもしたが、人気があったのは
「のりおの人生大船任せなさい」
というテレフォン人生相談コーナー。
恋愛、学校、仕事、家庭、友人などいろいろな悩みを持つ相談者に
「イジメはアカン」
「親には相談したか?」
「仕返し怖いやろうけど、先生にきちんと伝えろ」
「ちゃんといわなアカン」
などと決してボケることなく親身になって答え、
「しょせん人生は自己満足や。
誰かになんかいわれてね、自分ではちょっと違うなと思っても『ああ、そうですねえ』といわなアカンときもある。
そやけど基本的に自分がこうだと思ったときは、いいたいこといって大いに自己満足して生きなアカン。
芸人として売れる売れへんゆうためだけやなしに、エラそうにするいうんやなしに、自分のためにね。
人を笑わせるのが仕事をしていて『面白かった』といわれることは大切なことであると思っているけど自分が満足せんとアカン」
などと熱く語った。
難解なことを嫌う西川のりおの言葉や話は、基本的にシンプル、そしてパワフル。
落ち込み、悩める相談者やリスナーをスカッとさせて笑顔にした。

西川のりおと「ヤン土」の鶴瓶は、同じ1951年生まれ。
鶴瓶の家に遊びにいったとき、玄関で
「鶴瓶いるかー?」
というと
「兄さん、入って」
という返答があり、入っていくと真っ暗な部屋の中でコタツに入って向き合う鶴瓶夫婦がいた。
停電でもないのにコタツの上にロウソクを1本立てていて
(なんや、エクソシストか?
あの世から霊でも呼んでんのか?)
とオカルトを疑いながら西川のりおもコタツに入った。
そして客が来ても全く動こうとしない2人をみて、
(瞑想?)
とスピリチュアルを疑った。
とにかく異常な世界を打破しようと
「茶くれ」
と頼んだが
「台所にありますから自分でいれてください」
というだけで2人ともジーっと動かないし、しゃべらない。
「暗いやないか。
電気つけてエエか」
「つけんといてください」
(キツネに憑かれたんちゃうか?)
西川のりおは気色悪くなり、自分でお茶をいれ、飲み終わらないうちに帰った。
後日、正すと鶴瓶は、
「実はセンズリかいてましたんや」
と明かした。
「なんやて?」
「夫婦でマンネリズム陥るといけませんやろ。
それで刺激を与えるために・・・」
「コタツの中でしごいてたんか?」
「そうです」
「嫁は何してたんや?」
「向かいに座ってアクメの顔しますんや。
それみてオナる」
「変態夫婦!」
「そうですやろか」
「変態や。
嫁は座って歪んだ顔しとるだけか?
ホンマは一緒にやっとん違うか」
「まさか。
うちの奥さんはカタギですよ」
「カタギとか水商売とかの問題やない」
「うちのはそんな変態違います」
「旦那のオナニーに協力してヨガリ顔するだけで十分変態じゃ」
「そやろか」
鶴瓶は否定し続けたが、西川のりおは夫婦でオナニー合戦していたことを確信した。

日本テレビ「噂のチャンネル」に出演していた鶴瓶を、西川のりおは
「大阪の芸人が東京で人気出るいうのはなかなか大変」
「スゴイッ!」
と認め、
「浪速の芸人根性みせてやれ」
「せんだみつおにだけは負けるな。
それは大阪の恥だ」
とエールを送っていた。
するとある日、鶴瓶は、
「ナハナハナハ」
と笑っているせんだみつおの口に地面に落ちていた砂だらけの棒を突っ込み、
「バカヤロー」
と激怒された。
同日、歌録りがあり、アイドルとして売り出し中の山口百恵が歌い始めたが、しばらくすると顔面蒼白になって声が出なくなり、伴奏だけになってしまった。
唇をかんでうつむく山口百恵は、マネージャーに支えられながら退場。
スタジオは
「どうしたんだろう?」
とわけがわからない。
控室で
「誰とも話したくない」
という山口百恵をマネージャーは、
「事情だけでも話して。
じゃないと歌を途中でやめて帰ってきて、日本テレビに説明しないと・・・」
と諭したが、
「いえません」
の一点張り。
実は原因は、鶴瓶だった。
歌っている山口百恵を幕のそばでみながら下半身裸になって局部をしごいていのである。
そして山口百恵は、それをみてしまった。
結局、鶴瓶は、降板。
西川のりおは
「変態や!
ホンマ、変態!」
「本人を目の前にしてオナったらアカン!」
と思っていたが、自分が代わりに「噂のチャンネル」に出演することになった。
最初、番組ディレクターにいきなり、
「お前も同じ大阪モンだ。
アイドル歌手の歌うのみながらオナッたら即クビだぞ」
といわれ、
(誰がするかい、そんなこと)
といい返したかったが、鶴瓶を煽った自責の念があり、できず、大阪は見事に東京に負けた。

あるときアメリカに行った桑田佳祐の代役で「オールナイトニッポン」に出演。
急な話で打ち合わせもほとんどなかったが、大阪でヤンタンをやっている西川のりおは、まったく動じず、こういうギャグをいって、こういう面白い話をしてとイメージができた状態でスタジオへ。
「西川のりおのオールナイトニッポン」
というコールの後、テーマ曲が流れた。
(東京の老舗ラジオ番組や。
ビシッと決めんと。
大阪芸人の意地や)
西川のりおは、気合を入れてしゃべり始めたが、すぐにディレクターが
「電話が入ってます」
といってきた。
「もしもし」
「もしもし、私」
「誰やねん」
「私や。
わからへん?」
「だから誰やねん」
すると相手は急に大きな声になって、
「ワシや!
アッコや」
酔っぱらった和田アキ子は
「お前のこと、ホンマにわかってんのはワシだけや」
「しかしお前、つまらんな」
などと延々しゃべり続け、西川のりおは
(たまらん。
段取りもなんもメチャクチャや)
40分くらいしゃべられた後、和田アキ子の曲がかかり
(これで終いや)
と思ったが、すぐにディレクターから
「もう1度出てください」
と指示が出て、さらに20分、アッコ劇場が続いた。
それもやっと終わり、
(ヨッシャッ、面白いギャグや話をやったろう)
と思った瞬間、地震が起きて、建物がグラグラと揺れた。
それも収まって、
(さあ、やろか)
と思ったら
「ただ今の地震の震源地は・・」
というアナウンサーの声。
(これでやっと話せる。
大阪のこととか面白い話したる)
と身を乗り出したが
「各地の震度をお知らせします」
結局、「西川のりおのオールナイトニッポン」は、前半は和田アキ子、後半は地震情報で終わった。

金鳥のCMでタコ八郎と共演。
撮影は京都で行われ、セリフは
「蚊が出た、蚊が出た、どうしましょ」
「蚊にはキンチョーマットです」
「ホンマかいな、そうかいな」
の3つだけ。
まず畳の上に座る阪神タイガースの掛布雅之が
「蚊が出た、蚊が出た、どうしましょ」
というと、頭にカニのかぶりものをかぶって顔だけを出した西川のりおとタコ八郎がローラーの上に乗ってスタッフに押されながら
「蚊にはキンチョーマットです」
というのだが、タコ八郎のセリフが聞こえず、みると
「コケちゃった」
といって倒れていた。
もう1度、やり直しとなり、
「蚊が出た、蚊が出た、どうしましょ」
「蚊にはキンチョーマットです」
といったが、またタコ八郎の声がしない。
「どないしました?」
「足踏ん張ってたら、そっちが気になってセリフが出てこない」
3回目、
「蚊が出た、蚊が出た、どうしましょ」
「蚊にはキンチョーマットです」
までうまくいったが
「ホンマかいな、そうかいな」
という関西弁をタコ八郎がうまくアクセントできなかった。
その後も
「すんません」
タコ八郎はやり直す度に謝り、そのうち西川のりおが間違ったときも謝ったので
「どないなってんの?」
と思っているとマネージャーが、
「とにかく、タコさん、NG出たら謝れっていわれてるんです」
と教えてくれた。
西川のりおは、その人柄に感動した。
「後ろ姿まで笑えるのは芸能界浩といえどもタコ八郎さんだけや。
ホンマ憎めん、オモロくてエエ人やで」

番組で山本コウタローと
「女の自立」
というテーマで対談。
パートナーはいるが家事は自分でやっているコウタローに、西川のりおが
「それでも男か」
「そんな女とは別れてしまえ」
というと
「男尊女卑の型にはまった考え方」
といわれ、激論となった。
1ヵ月後、同じ番組で山本コウタローと同棲している吉田真由美と「女は職業を持つべきか」というテーマで対談。
映画評論家という肩書を持つ吉田真由美に
「俺、評論家とかレポーターとか信用せん。
ただのこけおろし屋やないか。
人のつくったものをアレコレいうなんて失礼や。
一芸ある人がいうならまだ許せるし聞こうと思うが、自分ではなんにもできん人間がいうのは許せん」
「のりおさんだって人のことなんだかんだいってるじゃないですか」
「俺は自分で芸をするんや。
演じるモンがいうのとアンタが人の作品ゴチャゴチャいうのは根本的に違うわ」
西川のりおは、山本コウタローと吉田真由美結婚しないことについても批判した。
「それに同棲しとるのも気分悪い。
それもアッケラカンと。
同棲いうのはヒッソリするもんで堂々いばるもんやない」
「どうして結婚と結びつけるんですか
共同生活でいいじゃないですか」
「ケジメつかなあかん。
結婚は結婚。
離婚は離婚。
結婚して離婚がある。
一生に1度のことで女の幸せや」
「つまらない既成概念です」
「女は家にいて男が食わす。
それが男の甲斐性やないか」
「どうして女性を家に閉じ込めておこうとするんですか。
女性も外に出たいんです」
「彼女やったらそれもいい。
しかし嫁さんなら話は違う。
家にいてほしい」
「無茶苦茶に勝手ないい分だわ」
西川のりおは途中から
(その通りだ)
と思いつつ、
(負けてられん)
と批判を継続した。
「男は新聞持ってきてもらったり、お茶入れてハイ、ドーゾいわれたら、ものすごうれしいんや」
「女だってそうです」
「山本コウタローも、ようこんな女と一緒に暮らしとんな」
「ウチのコウタローはね・・・」
「犬か!」
「・・・お風呂も自分で沸かすし、食事も自分でつくります。
ただ私たち一緒に住んでるだけです。
私はあの人の嫁いで、コウタローは私に嫁いだの」
それを聞き、昭和の男、西川のりお
(コウタロー、なにしてんねん。
チンチンついとんのか)
とは嘆いた。

フジテレビの新番組「クイズアカデミー」に出演するため、西川のりおは、東京、河和田町のフジテレビへ。
控室に入るとディレクターが隣に座った。
「実はですね・・・
1回目ですので素人に優勝されたくないんです」
「それは誘導みたいな感じ?」
「答えを・・・あのぉーお教えしようと・・・」
「エッ?今っ?」
「今!
だって盛り上がらないとどうしようもないでしょ?
もし仮にのりおさんが答えられないで素人が進出しちゃって、しかも最後に挑戦しないなんてことになったら・・・」
不正行為を持ちかけられた西川のりおは、
「わけのわからんやつが優勝してもしゃあないですもんね」
とためらうことなく同意した。

「プロ野球で初めて完全試合を達成した投手は誰でしょう?
これ、ご存じでしょう?」
「・・・・・・・」
「藤本英雄。
いまの中上英雄ですね。
それでね、(司会者の)みの(もんた)さんが聞くと思うんですけど、まあ聞かないにしても『野球のことは任せてください』っていってほしいんです」
「目の前に賞品が並んでますから、一応謙遜にしてほしいんです。
『僕はもうこれだけもらえれば満足です』みたいに・・・」
西川のりおは、ディレクターのいうことをすべて鉛筆でメモしていった。
「あとね、ポンポンポンときたんでね、1回間違えてほしいんです。
不自然でしょ?
正解正解正解ばっかりだと。
間違えたことで賞品とられることはないですから・・・
10問目は『手打ちといえばうどん。では手もみといえば何?』
まあ正解はお茶なんですけどね」
すると西川のりおは、
「おっぱいにしましょ」
といって笑顔になった。

「それでCMに入りまして、次はチャンピオンクイズなんで・・・
『戦国時代の武将、豊臣秀吉の幼名は日吉丸ですが、徳川家康の幼名は何でしょう?』
これ竹千代です。
チャンピオンクイズに正解しますとヨーロッパ1周。
挑戦するかどうかはのりおさんにお任せします。
仮に挑戦しなければ、それまでの賞品賞金はお持ち帰りいただけます」
「ハハハッ」
「もし何にも答えを知らなかったらどうします?」
「答え知らんかったら?
チャレンジしませんよ。
もらって帰りますよ。
しばらく品もん買わんですみますもん。
だいぶん助かりますわ」

こうして打ち合わせが終わると、のりおはディレクターと共に収録が行われる第4スタジオへ。
自分の席の後ろ、上方に客席があるのに気づくと
「みられんちがいます?」
と聞き、
「大丈夫です」
といわれると机に答えやセリフを書いたメモを張った。
そしてテレビ、ゴルフセット、ステレオ、カバン、自転車など豪華賞品をチェックし、
「俺のもの」
といった。

「みなさん、こんばんは。
今日から始まりました、クイズアカデミー。
司会のみのもんたです」
番組の収録が開始。
のりおは「今週のスペシャルゲスト」として真っ先に紹介され、東京の相沢正博さん、埼玉の高橋弘子さん、愛知の鈴木明さんと共に4人でクイズに挑戦。
「野球のことは任せてください」
「いえいえ、もうこれだけもらえれば結構です」
『手打ちといえばうどん。では手もみといえば何?』
「おっぱい」
いわれた通りにセリフを入れつつ、クイズの成績は断トツでトップ。
目の前に賞品賞金が山積みになっていった。


『先ほど行われたサミットの開催地はどこでしょうか?』
「ボン!」
と最終問題も正解し、のりおはトップ賞。
「さあ、今週のグランドチャンピオンの西川のりおさん。
ここで聞きたいと思います。
あのヨーロッパ1週旅行と副賞の100万円に挑戦しますか?
どうしますか?
もし不正解の場合には賞金と賞品は残念賞に変わってしまいます」
みのもんた問われ、西川のりおは
「やりましょう」
と胸を張って即答。
「男ぉー」
と持ち上げるみのもんたに
「任せてください。
僕が盛り上げな誰が盛り上げるんですか」
とノリノリで応じた。
「さあ、それではまいりましょう。
グランドチャンピオンの西川のりおさんが挑戦いたします。
では問題をどうぞ」
『戦国時代の武将、豊臣秀吉の幼名は日吉丸ですが、豊臣秀吉に生まれた年は何年でしょう?』
(打ち合わせと違う!)
西川のりおは焦ったが、
「1545年」
とヤマカンで勝負。
正解は1536年。
賞品賞金がすべて没収され、残念賞としてボールペンをもらった。

しかしここでハプニングが発生。
スタッフが
「VTRが撮れていない」
といって収録がストップ。
改めてチャンピオンクイズをやり直すことなり、賞品賞金も元通りになると凹んでいたのりおは笑顔に。
しかし
「さあ、それでは問題いってみたいと思います。
せーの!スターどっきり㊙報告!!」
みのもんたがいうと再び怪訝な表情になり、ドッキリだったと理解すると
「コラァー」
と叫んだ。

その日は国内で仕事をした後、、1人で海外に行かなければならなかった。
「マネージャーがついてくるとか、コンビ2人で行くとかやなしにまるっきり1人で、朝からどうしようと思うてました」
まずは横浜で、横山やすし主演の映画「ビッグマグナム黒岩先生」の撮影。
朝早く、伊丹空港へ行き、海外旅行用のトランクを預け、羽田行きの飛行機に乗った
しかし到着後、なかなかトランクが出てこなかった。
羽田空港には東映の担当者とハイヤーが待っていてくれたので
「悪かったなあ」
といって出ていくと、なんと横山やすしがハイヤーに乗っていた。
大阪から同じ飛行機に乗っていたが、タバコ嫌いの横山やすしは禁煙席にいたため気づかなかった。
「どないしたんじゃい!
遅いやないか!!
このどアホ!!!」
いきなり頭ごなしにいわれ、西川のりおは、
(なんで朝から怒られなアカンねん)
と思いながら
「すいません」
「ところで野山はどないしてん」
「エッ、僕知りませんけど」
「アホぬかせ。
お前探しに行っとんやないか、アイツは」
「僕は荷物取りに行ってましたから」
「それやったらそういうとかなアカンやろ、このアホンダラが。
何考えとるんや」
西川のりおは
「すんません」
と謝り、到着口に走った。
すると電話している野山雅史マネージャーを発見。
ちゃんと飛行機の乗ったか、大阪の西川のりおに家に確認をしていた。
「ああ、のりおさん」
「ゴメン。
俺、トランク預けとってん」
「探しましたよ。
横山さん待っとるし、のりおさんが怒られる思うて」
「なにいうとんねん。
オレはお前のためにムチャクチャ怒られて、お前探してこいいわれたんや」
「のりおさん、どうしよ」
「知るか!」

ハイヤーに戻ると2人は横山やすしに
「お前といい、このアホマネージャーといい、アホばっかや」
と怒られた。
それでも野山雅史マネージャーが
「のりおさんはこれから海外に行きますので、スケジュールは・・」
というと、横山やすしは
「なんで俺がコイツに合わさなアカンねん。
コイツの師匠は俺の相方や。
それの弟子になんで俺が合わせなならんのや」
と激怒。
撮影が始まり、横山やすしは自分がNGを出すと
「お前らがイランことするから、神経ハズレてもた」
西川のりおが出すと
「間違うな!」
西川のりおは、横山やすしがタバコが嫌いなためにまったく吸えず、
「厄日か」
と思いながら、なんとか映画の撮影が終了。

西川のりおはフジテレビへ行って、そこから局車で成田に送ってもらう予定だったので、
「これでやっと解放される」
と思ったが、なんと横山やすしも息子の木村一八がドラマの撮影をしているので激励のためにフジテレビにいくという。
西川のりおは野山雅史マネージャーに
「タバコ吸えんし、怒られるし、あの人と同じ車イヤや」
喫煙者の野山雅史マネージャーも
「私もです」
意見が一致した2人は別の車の乗り、横山やすしの乗る車を追いながら一服。
フジテレビに着くと横山やすしと別れ、「金曜ファミリーワイド」のスタッフ、そして
「吉本マネージャーの上の人」
である木村政雄と合流。
成田に移動し、
(2時間前に着いたから余裕やろ)
と思いながら、係員に
「すんません。
喫煙席の通路側お願いします」
と頼んだが、喫煙席は満席で、しかも禁煙席の真ん中しか空いていなかった。
「そんなアホな。
ロサンゼルスまで何時間?」
「13時間くらいです」
「エエッ!」

搭乗手続きを終え、木村政雄が
「そろそろ帰るわ」
というと心細くなってすがるような目でみた。
すると木村政雄は笑顔で、
「さみしいやろ。
ようしゃべるお前が13時間、誰ともしゃべられへんのやからなあ。
君の隣はきっとアラブ人かなんかで、スワヒリ語かなんかしゃべりおるで。
特にパンナムやからな、いろんな国の人が乗ってきよるぞ。
キューバ人も乗ってくるかもわからへんで。
まして真ん中やろ。
ターバン巻いてるのに挟まれるかもしれんで。
ジャマイカの奴もおるかもしれん。
いろいろ乗ってくるから楽しみやな」
搭乗ゲートに行くと先ほど対応してくれた係員がいて
「誰かタバコを吸わない人で喫煙席に行ってくれる方いませんか?」
と聞いてくれた。
すると
「私替わります」
と女子大生が名乗り出てくれた。

こうして喫煙席の通路側に座れた西川のりおが寝ていると肩を叩かれ、起きてみると、さっきの女子大生がいた。
「なんやねん」
「サインしてもらえますか?」
数人かと思ったが、仲間がいて、結局、数十人にサイン。
タバコも吸えず
「禁煙席と変わらんな」
と思っていると横から
「芸人さんは大変ですね」
と声をかけられて、みると
「グラウンドキャニオンみたいな茶色い肌をしたオバサン」
がいた。
聞けば大阪出身で現在はアメリカに住む女性で
「アンタはパワフルでワンダフルでいい芸人や」
といわれ、西川のりおは
(大阪弁と東京弁と英語が混じっとる)
と思いながらも、素直にうれしかった。

やがてスチュワーデスが入国審査と税関の申告用紙を配ったが、オバサンが
「書かんでいいんとちゃいます」
というので従い、一斉に書き込んでいる女子大生たちにもと旅慣れしたフリをして
「君らね、そんなの書かなくていいんだよ」
といった。
「のりおさん、慣れてるのね」
「当ったり前やんか。
君たち初めてだから書くんだよ」
しかしロサンゼルスに着くと入国審査で
「紙はどうした」
と怖い顔で聞かれた。
どうやらアメリカに住んでいる人は書かなくてよいようだったが、オバサンは、
「アンタは書かないと」
とコロッと変わり、女子大生たちからはブーイング。
西川のりおが教えてもらいながら記入して提出すると係員は、
「NO!」
ノーっといっているのはわかるが、それ以外はなにをいっているのかわからない西川のりおがオバサンにみてもらうと
「あんた、サンディエゴの動物園で寝るの?
ZOOでは寝れんやろ。
これは仕事先。
泊まり先はどこ?」
サンディエゴのどこに泊まるのかわからない西川のりおは、オバサンが住んでいるアラバマの住所を書いた。
書かされている最中、女子大生たちにバシャバシャ撮られ、
(厄日はまだ続いてる)
と思い、アメリカで横山やすしを幻影がみえた。

12時にMr.ジェレミーというコーディネーターと待ち合わせだったので、心配して一緒に来てくれていたオバサンとバンナムの荷物カウンターで待っていた。
しかし12時20分になって来ない。
オバサンは
「私もトランジットする飛行機に間に合わなくなるから呼び出しだけしてあげるから」
とインフォメーションカウンターに行った後、去っていった。
そのとき西川のりおはオバサンに
「こちらの名前をいうと悪い奴らに荷物を持っていかれてしまう」
と教えられた。
呼び出しが行われても誰も来ないので、
(これ、ドッキリ違うか)
とキョロキョロとカメラを探し
(早よ、出てこい)
と思ったが、誰も現れる気配がない。
(おかしいなあ)
と思っていると、14時にやっと
「小太りのフランスパンみたいな顔した男」
が近寄ってきて、
「のりおさん?」
しかし西川のりおは、オバサンの教えに従って
「ナニッ。
どこに証拠があるんじゃ?」
「仕事に行きましょうか」
「いかへん」
「私はジェレミーです」
「どこに証拠があんねん。
俺は認めへんよ。
俺の名前フルネームでいうてみい」
「金曜ファミリーワイド。
西川のりお」
「まだアカン」
「吉本の木村さん。
フジテレビの〇〇さん」
具体的な名前を挙げられても80%くらいしか信じていない西川のりおはドキドキしながら後をついていった。
「トランク持ちましょうか?」
といわれ、断るのも変なので渡したが、すぐに飛びかかれる姿勢を崩さなかった。
「日本語喋れるんかい」
「少し」
「俺、空手習ってんねん。
柔道もやってるし」
とカマすと
「私、暴力嫌いです」

駐車場に着くと大きな車ばかりなので
「やっぱり本場やな。
ズラーっと外車ばっかりや」
「なにいってるの。
ぜーんぶ国産よ。
アメリカでは」
西川のりおは、少しバカにされたような気持になりながら、トランクを奪い返し、抱えて車に乗った。
「後ろに入れないの?」
「入れへん。
オレは自分の荷物はいつも肌身離さず持ってるんや」
ヒルトンホテルで食事をすることになり、西川のりおがトランクを持っていこうとするとジェレミーに
「荷物、おろさないほうがいいですよ」
といわれたが無視して持って降りた。
「なんでそんなに疑うのですか?」
「12時に来るいうてたのに来んかったからや」
「アッ、なんだ。
そんなことで」
「そんなこともこんなこともあるかい。
俺は遠いところから来てんねん」
「ごめんなさい。
12時と2時、間違えてました」
遅れた理由がわかって、少しだけ納得し、トランクは車に置いておくことにしたが
「キー、俺が持っとくわ」
といって、ジェレミーにあきれられた。

180㎞のドライブが終わり、サンディエゴのホテルに到着。
ジェレミーはベッドを指さし
「昨日まで友里千賀子が寝てた」
西川のりおは
「ナニッ!」
とときめいたが
「シーツは替えた」
といわれ、ドテッとコケた。
すぐにその部屋に「金曜ファミリーワイド」のスタッフがやって来て、打ち合わせが始まった。
西川のりおは動物図鑑を渡され
「のりおさん、猛獣は好きですか?
例えば抱きついたりキスしたりしたいと思いますか?」
「ヘビなんか好きですか」
などと聞かれた後、
「じゃあ今日はそういうことで。
明日は6時起床でお願いします
みんな可愛い動物ですから、安心してグッスリ休んでください。」
といわれミーティングは終了した。


その後、唸るイグアナに顔を近づける、チーターを散歩させて体当たりされる、サイやカバの口の中に腕を突っ込んでエサをやる、ニシキヘビを持つなど過酷なロケが、連日、6~17、18時まで行われた。
ホテルに帰り、日本から持ってきたカセットテープで大川栄策や五木ひろしを聴いていると涙が出てきたが、ジェレミーに
「のりおさん、汗かいてんの?」
といわれ、厄日は続いた

明日帰国というとき、プロデューサーに
「ポルノショップでも連れていってやろう」
と誘われ
「やった」
とジェレミーと3人で出かけた。
しかし夜のサンディエゴの街は、治安が悪く、
「チーターやサイ並みにコワかった」
店の前に銃を持った男が立っていたり
「路地には入ったらダメ」
といわれるなど、なにもできないままアメリカで唯一の夜は終了。
翌日、ロスから14時間飛行機に乗って、成田に着いたのは14時。
さらに乗り換え時間を空港でボーッと過ごし、飛行機で大阪に着いたの18時。
23時から深夜ラジオのヤンタンでしゃべりまくり、翌朝7時、「ビッグマグナム黒岩先生」の撮影のために飛行機で再び東京へ向かった。
現場で横山やすしにいきなり
「どやった?
どやってん?」
と聞かれ、
(もうエエわ)
と思った。

「ビッグマグナム黒岩先生」は、荒廃し切った学園に文部省から超法規的に拳銃所持を認められた、ただ1人の男、通称「ビッグマグナム」黒岩鉄夫が赴任するというストーリー。
「唐獅子株式会社」に続く横山やすし主演第2弾、しかも2年連続の正月映画だった。
西川のりおは
「これで俺もお笑い芸人という肩書におさらばし、これからは俳優の2文字がつくんや」
と思って、頑張った。
しかし「ビッグマグナム黒岩先生」を制作した東映は、同じお正月に東宝が「ゴジラ」「グレムリン」「ゴーストバスターズ」を、松竹が「男はつらいよ」を放映することを知ると4月に公開に先送りしてしまった。
それを知った西川のりおが
「なら正月映画はなんになんねん」
と聞くと
「キン肉マンでいくそうです」
といわれ
(キン肉マンに負けるとは)
と思った。

フジテレビ系列、月曜19時30分~20時54分まで、毎週、単発のドラマを放送していた「月曜ドラマランド」
西川のりおは、
「うっふんレポート 宇宙女子高校生ミューの大冒険」
で早見優と共演。
夜中まで撮影を頑張った甲斐があり、メディアで話題となって、
「ビートたけしなんかメやない」
と調子に乗り、ゴールデンタイムに流されるということで
「大阪の皆々様にもええカッコできる」
と思ってたが、放送当日、よりによって関西テレビは、急遽、プロ野球「阪急 vs ロッテ戦」を放映というではないか。
西川のりおは
「5、6千人くらいしか入らんショボイ試合より、視聴率、上いくに決まっとるやないか」
と憤り、テルテル坊主を逆さに吊るし
「雨降れ、雨降れ」
と祈った。
しかし叶わず、「うっふんレポート 宇宙女子高校生ミューの大冒険」は、別の日の
「わけのわからん夕方」
に放送された。

高3で芸能界に入った西川のりおは33歳のとき、20年ローンを組んで3階建ての家を建てた。
そして34歳で日産自動車が西ドイツの自動車メーカー、フォルクスワーゲンと契約してノックダウン生産した高級車、サンタナを購入。
数年前まで
「ヘタしたら結婚でけへんのんちゃうか」
「芸能界やめてしまうんちゃうか」
と思っていた西川のりおは、いい気分でサンタナを乗り回した。
ところが我が子のように愛していた車を、弟子の伊藤と永田がぶつけてしまった。
「永田に後ろみててもらってバックさせましたら、後ろに当たってるのに、まだオーライオーライいうもんですから・・・」
と伊藤から報告を受けたときは、周りに人がいたので
「まあ人身事故やなかったから、よかったやないか」
といったが、部屋に入ると
「お前ら、なに考えとるんじゃ」
と怒鳴り、延々説教。
最後に
「で、どれくらいの傷や?」
と聞くと
「これくらいです。
バンパーんとこに小指くらい」
というので
(それくらいやったら)
と思ったが、後でみてみると親指よりも大きく、
(なんちゅう弟子どもや)
とまた腹が立った。



関連する投稿


伝説のレトロゲームに有野課長が果敢に挑む!『ゲームセンターCX DVD-BOX22』が発売決定!初回限定版も要チェック!

伝説のレトロゲームに有野課長が果敢に挑む!『ゲームセンターCX DVD-BOX22』が発売決定!初回限定版も要チェック!

伝説のレトロゲームに有野課長が果敢に挑む、超人気ゲームバラエティ番組「ゲームセンターCX」(CS放送フジテレビONE スポーツ・バラエティで放送中)のDVDシリーズ第22弾、『ゲームセンターCX DVD-BOX22』が発売されます。


自宅でダイナマイトが爆発!?相方・ビートたけしとのコンビ結成の裏側も!『鶴瓶ちゃんとサワコちゃん』にビートきよしが出演!

自宅でダイナマイトが爆発!?相方・ビートたけしとのコンビ結成の裏側も!『鶴瓶ちゃんとサワコちゃん』にビートきよしが出演!

全国無料放送のBS12 トゥエルビで現在放送中の、笑福亭鶴瓶と阿川佐和子がMCを務めるトークバラエティ「鶴瓶ちゃんとサワコちゃん~昭和の大先輩とおかしな2人~」第47回放送分(7月28日よる9時00分~)にて、お笑い芸人・ビートきよしがゲスト出演します。


まさかの芸失敗!?衝撃の髪型事件を語る!『ますだおかだ増田のラジオハンター』に芸歴55周年の海原はるか・かなたが出演!!

まさかの芸失敗!?衝撃の髪型事件を語る!『ますだおかだ増田のラジオハンター』に芸歴55周年の海原はるか・かなたが出演!!

ABCラジオで毎週木曜日12時から放送の『ますだおかだ増田のラジオハンター』7月10日放送分にて、髪型漫才界の重鎮、髪型ハンターこと海原はるか・かなたがゲスト出演しました。


2丁拳銃    愛人12人の小堀裕之と経験人数、生涯1人の川谷修士、そしてその妻、小堀真弓、野々村友紀子は、同じ1974年生まれ

2丁拳銃 愛人12人の小堀裕之と経験人数、生涯1人の川谷修士、そしてその妻、小堀真弓、野々村友紀子は、同じ1974年生まれ

NSC大阪校12期生、1993年結成の2丁拳銃が、2003年にM-1への挑戦を終えるまで。


「ロンドンブーツ1号2号」が電撃解散を発表!「ロンドンハーツ」は今後も出演継続の見込み

「ロンドンブーツ1号2号」が電撃解散を発表!「ロンドンハーツ」は今後も出演継続の見込み

お笑いコンビ・ロンドンブーツ1号2号が24日、レギュラー出演しているテレビ朝日系「ロンドンハーツ」内で解散を発表しました。


最新の投稿


ギタリスト 鈴木茂「BAND WAGON」発売50周年記念ライブを東阪ビルボードで開催!

ギタリスト 鈴木茂「BAND WAGON」発売50周年記念ライブを東阪ビルボードで開催!

ギタリスト 鈴木茂が、『鈴木茂「BAND WAGON」発売50周年記念ライブ~Autumn Season~』を11月13日にビルボードライブ大阪、16日にビルボードライブ東京にて開催する。今回は、1975年にリリースされた1stソロアルバム「BAND WAGON」の発売50周年を記念したプレミアム公演となる。


【1965年生まれ】2025年還暦を迎える意外な海外アーティストたち!

【1965年生まれ】2025年還暦を迎える意外な海外アーティストたち!

2025年(令和7年)は、1965年(昭和40年)生まれの人が還暦を迎える年です。ついに、昭和40年代生まれが還暦を迎える時代になりました。今の60歳は若いとはと言っても、数字だけ見るともうすぐ高齢者。今回は、2025年に還暦を迎える7名の人気海外アーティストをご紹介します。


吉田沙保里  強すぎてモテない霊長類最強の肉食系女子の霊長類最強のタックル その奥義は「勇気」

吉田沙保里 強すぎてモテない霊長類最強の肉食系女子の霊長類最強のタックル その奥義は「勇気」

公式戦333勝15敗。その中には206連勝を含み、勝率95%。 世界選手権13回優勝、オリンピック金メダル3コ(3連覇)+銀メダル1コ、ギネス世界記録認定、国民栄誉賞、強すぎてモテない霊長類最強の肉食系女子。


消えた回転寿司チェーンの記憶──昭和・平成を彩ったあの店はいまどこに?

消えた回転寿司チェーンの記憶──昭和・平成を彩ったあの店はいまどこに?

昭和から平成にかけて、全国各地で親しまれていた回転寿司チェーンの数々。家族の外食、旅先の楽しみ、地元の定番──いつしか姿を消したあの寿司屋は、なぜ消え、どこへ行ったのか。本記事では、現在は閉店・消滅した地域密着型の回転寿司チェーンを、当時の特徴やSNSの証言とともに記録として振り返る。


【歌謡曲】ありえないシチュエーション!歌詞がおもしろくて笑ってしまう歌謡曲5選!

【歌謡曲】ありえないシチュエーション!歌詞がおもしろくて笑ってしまう歌謡曲5選!

昭和の歌謡曲には、現代ではお蔵入りしてもおかしくないほど、ありえないシチュエーションを描いた詞が数多くあります。その中には、残酷な人物像や露骨な情景描写もあり、思わず笑ってしまうような歌詞もありました。今回は、筆者の独断と偏見で、歌詞がおもしろくて笑ってしまう歌謡曲を5曲ご紹介します。