幼い頃から芸人に憧れ、高校卒業後、NSC吉本総合芸能学院に入るつもりだったが、一緒に受験するはずだった友人が芝居の道へ進んだため、フリーターとなった吉田敬は、紆余曲折の末、再びお笑い芸人を目指し、21歳でNSC吉本総合芸能学院に入学。
同期(NSC大阪校13期生)は、「次長課長」や「野性爆弾」、「クワバタオハラ」のくわばたりえ、「チュートリアル」の徳井義実を含め、200人以上もいた。
そんな中、吉田敬は、高校の同級生である和田義浩(現:放送作家)と「ツインテール」を結成。
しかしすぐに解散し、前々から
「2種類のなんでやねんを使いこなしてる」
とツッコミのスキルの高さに一目を置いていた小杉竜一にアプローチ。
小杉竜一も「関西キング」というコンビを組んでいたが、相方が結婚を期に引退したため、フリーだった。
コンビ名は、他に「ダークメキシカン」などの候補もあったが、「ブラックマヨネーズ」に決定。
「解散をいい出した方が罰金3000万円を払う」
という誓約書を書き、いつでもネタ合わせができるように同じマンションの別の階に住み、吉田敬の携帯電話もメモリのNo.0は小杉竜一で小杉竜一の携帯電話のメモリのNo.1は吉田敬。
練習場所である近所の区民会館の前をダンサーに取られると
「うるさくて眠れません」
警察に電話。
吉田敬は、漫才の最中、
(アレッ、ツッこんでくれへん)
(今の頭叩き方強すぎひん?)
と思うと、終わった後、すぐに小杉竜一に注意。
吉田敬に、
「小杉、お笑いはバスケットボールに似てる。
俺がシュート外してもお前がリバウンドとってくれたら、まだブラマヨボールや。
逆も、またしかり。
だから間違っても何やねん、今のシュートはとか、リバウンドとりにいかんのはナシや。」
といわれた小杉竜一は、健気に実行したが、それでもウケないと
「基本的に俺のシュートは入らないと思え‼」
といわれた。
こうして吉田敬が25歳のときに結成された「ブラックマヨネーズ」だが、すぐに日の目を浴びることはなかった。
吉田敬は自分の面白さに自信があったが、アルバイトをしながら、
「もう病んでたんですよ。
売れへんし、周りは売れてくし」
働いた後では疲れてネタを書くこともままならず、一念発起。
元来、無類のパチンコ好きだったが、アルバイトをやめてパチプロになることを決意。
パチンコ店に月20日、1日10時間出勤し、本気で研究。
結果、負けなくなって、2年弱、パチンコだけで生活。
「これは簡単なことではありません。
良い(釘が開いている)台を見抜く眼力を鍛えましたし、自分が根拠を持ってよい台と信じたなら、当り確率が1/300の台が1000回、2000回と回して当たららなくても、確率が収束されるのを信じて打ち続けなければなりません。
俺ってすごいって思えた、自分のギャンブル史上最も輝ける2年間でした」
吉田敬は、中学時代から、競馬、パチンコ、パチスロをするために夏休みに新聞配達や居酒屋のアルバイト。
「1日3時間弱で1ヵ月8万円程度。
時給でいうとそこそこ良いが、キツかった。
起きて雪なんか降ってたら絶望ですよ」
その8万円は、最短で給料日の夕方にすべてなくなったこともあった。
そして大人になると
「トータルでとんでもない額負けてて、小さなマンションくらい」
というが、やるのは、
「運や流れだけのあまりに目にみえないもの頼りのギャンブルやなく、自分の力で何とかなりそうな気がする方のギャンブル」
それ故、勝ったときの興奮はすさまじく、脳を焼くような興奮を覚える。
しかしそういった快楽だけでなく、
「ギャンブルには色んなことを学ばせてもらった」
といい、特に
「人生はパチンコで教わった」
という。
それは、
「強そうな店員に刃向ったらアカン」
「ワゴンレディのケツを振り返るオッサンになったらアカン」
「人生も右打ちしたければ より左側を丁寧にしないとダメ」
などという初歩的なものから、人生における珠玉の教訓まで様々なものがあった。
「自分が2500発出してても友達が1万発出してたら負けた気がするんです。
逆に自分が1万円ツッコんでも、友達が僕の倍、2万ツッコんでたら、なんか救われた気になったりして。
だから『エエなあ、あいつだけうまくいってるやん』、『よしよし、あいつ飲まれてるな』とか、自分の出玉よりも友達の台を気にしてたりする自分がいましたね。
でもそんなことを気にしていて良い成果が出せるわけがない」
周囲を気にしすぎる自分に気づいた吉田敬は、
「自分の目の前の台と向き合うことが大事ちゃうんか?」
と考え方をシフト。
かなり後輩でもあるキングコングが先に売れると常にスベることを祈っていたが、
「他人、関係ないやろ。
まず俺やろ」
と思えるようになった。
「パチンコは人生のリトルリーグ。
大人として仕事をする前に、人間として成長する場。、
高い授業料を払ってるんやから学ばんと損ですわ」
こうして芸を鍛えた吉田敬は、28歳のとき、相方の小杉竜一とのしゃべくり漫才で「ABCお笑い新人グランプリ新人賞」を受賞。
デビュー3年、初メジャータイトルを獲得した。
29歳の吉田敬は、2年連続でABCお笑い新人グランプリ新人賞を受賞。
そしてこの年、「M-1グランプリ」が始まった。
島田紳助発案で吉本興業が企画する「M-1グランプリ」は、
・審査基準は、「とにかくおもしろい漫才」
・出場資格は、結成10年以内のコンビあるいはグループ
・所属事務所やプロアマは問わない
・優勝賞金は、1000万円
・決勝戦は年末のゴールデンタイムに全国ネットで生放送
という大型の漫才コンテストで、若手芸人にとって一夜でスターになれる超ビッグチャンス。
アマチュアを含め、1603組がエントリーした1回戦は、
9/9(日) NGKスタジオ(大阪)
9/16(日) フォルテホール(浜松)
9/22(土) よしもと紙屋町劇場(広島)
9/24(月) NGKスタジオ(大阪)
9/29(土) NGKスタジオ(大阪)
9/29(土) イズミティ21小ホール(仙台)
9/30(日) オリーブホール(高松)
10/6(土) ペニーレーン24(札幌)
10/7(日) 吉本ゴールデン劇場(福岡)
10/8(月) テレピアホール(名古屋)
10/13(土) ルミネtheよしもと(東京)
10/13(土) NGKスタジオ(大阪)
10/14(日) NGKスタジオ(大阪)
10/20(土) ルミネtheよしもと(東京)
10/22(月) 新宿モリエール(東京)
10/27(土) ルミネtheよしもと(東京)
10/29(月) 新宿ビプランシアター(東京)
で行われ、
なぎさ
足軽エンペラー(山里良太)
ミサイルマン
笑い飯
千鳥
西中サーキット(山崎静代)
天津
ダイアン
チュートリアル
ロザン
レギュラー
サバンナ
ハリガネロック
NON STYLE
ランディーズ
中川家
和泉修・ベーブルース高山
タカアンドトシ
アメリカザリガニ
レッツゴー2匹
華丸・大吉
バッドボーイズ
ドリアンズ
ますだおかだ
ダイノジ
カンニング
ツーハウス
おぎはやぎ
DONDOKODON
COWCOW
太平かつみさゆり
ビッキーズ
麒麟
オジンオズボーン
フットボールアワー
安田大サーカス
シャンプーハット
ハイキングウォーキング
パンクブーブー
2丁拳銃
アンタッチャブル
ライセンス
バイきんぐ
クワバタオハラ
トータルテンボス
ロバート
森山中
インパルス
ペナルティ
そしてブラックマヨネーズを含む、283組が合格。
2回戦は、
11/4(日) NGKスタジオ(大阪)
11/10(土) ルミネtheよしもと(東京)
11/11(日) NGKスタジオ(大阪)
11/17(土) ルミネtheよしもと(東京)
で行われ、106組に絞られ、3回戦の
11/18(日) NGKスタジオ(大阪)
11/24(土) ルミネtheよしもと(東京)
で35組に。
準決勝は、
12/1(土) ルミネtheよしもと(東京)
12/2(日) なんばグランド花月(大阪)
で行われ、
おぎやはぎ
DonDokoDon
中川家
フットボールアワー
麒麟
チュートリアル
キングコング
ますだおかだ
アメリカザリガニ
ハリガネロック
が生き延び、ブラックマヨネーズは、ここで落選した。
「M-1っていうのが始まるぞとなって、大したことない大会なはずやから…と思ってたんですけど、フタを開けてみたらガチもガチのとんでもない大会だとわかったんです。
それでなんかわからんけど自分らは準決勝で負けたんです」
決勝戦は、
12/25(火) レモンスタジオ(東京)
で生放送され、、
西川きよし
青島幸男
春風亭小朝
鴻上尚史
ラサール石井
島田紳助
松本人志
という審査員の得点と会場票によって最終決戦が行われ、結果は、
優勝 中川家 829点
2位 ハリガネロック 809点
3位 アメリカザリガニ 796点
4位 ますだおかだ 770点
5位 麒麟 741点
6位 フットボールアワー 726点
7位 キングコング 707点
8位 チュートリアル 637点
9位 DonDokoDon 614点
10位 おぎやはぎ 540点
こうしてNSC大阪校13期生のブラックマヨネーズは、M-1を準決勝で敗退。
優勝したのは、NSC大阪校11期生、2年先輩である中川家。
NSC大阪20期生、ほぼ無名だった麒麟は、決勝進出(最終結果は5位)を果たした。
M-1直後、大阪で一緒に歩いていた吉田敬は、7年後輩の麒麟が道でキャーキャーといわれるのを目の当たりにした。
しかしそんな中、
「写真撮ってください」
っといわれ
(やっぱり俺やろな)
と思いながら、ピース。
しかし
「いや、あの…撮ってください」
といってカメラ渡された。
「俺がお前らを撮んのか!」
とボケると田村裕に、
「すいません」
にマジメに謝られ、余計にツラくなった。
写真を撮った後、食事に行ったが麒麟のよると吉田敬は、いつもより口数が少なく、それまで毎日のように誘われてたのに翌日からピタリと連絡が来なくなった。
「ホームレスになるんちゃうか」
という不安が出てきては、
「イヤッ、俺は大丈夫やろ」
と根拠のない自信で打ち消す毎日を送っていた吉田敬は、あるとき
「(自分がなるかもしれない)ホームレスってどういう暮らしをしてんのや?、
案外楽しいんちゃうか?」
と思い、大阪でホームレスが多く集まる西成の三角公園へいってみることにした。
場所がまったくわからないのでタクシーを使っていってみると、降りてすぐに数人に囲まれて、
「なに冷やかしに来てんねん」
と凄まれ、ダッシュで逃げ、その後、ウロウロしているとタイヤがパンクしたボロボロの車椅子に乗った顔面血だらけのオッサンに遭遇したり、片方だけの靴を売っている店を目撃。
公園から離れた場所に寝ているオッサンに、
「公園は力のあるやつかベテランしか入れへん」
と教えられ、
「ホームレスにもヒエラルキー(階層)があんのや」
と驚愕すると共に
「俺、頑張るなら今やな」
という前向きな気持ちになれた。
そして昨年まで2年連続で新人賞を受賞しているABCお笑い新人グランプリで、優秀新人賞を受賞。
(ちなみに1番いいのは、最優秀新人賞)
上方漫才大賞新人賞、NHK新人演芸大賞演芸部門大賞を初受賞。
関西の民放4局すべてでレギュラー番組を持つなど、関西では知られた存在に。
しかし全国区で放送されるM-1は、2年連続で準決勝敗退。
優勝は、1年先輩の松竹芸人、ますだおかだだった。
優勝 ますだおかだ 612点
2位 フットボールアワー 621点
3位 笑い飯 567点
4位 おぎやはぎ 561点
5位 ハリガネロック 545点
6位 テツandトモ 539点
7位 スピードワゴン 535点
8位 ダイノジ 534点
9位 アメリカザリガニ 525点
この年、星野仙一監督率いる阪神タイガースが、1985年以来、18年ぶり8度目のリーグ優勝し、大阪の街はものすごい人であふれた。
30歳になった吉田敬は、人々が喜びに沸く中、タイガースのハッピを着て、ハチマキを巻き、メガホンを持って、女の子をナンパ。
それを目撃した先輩芸人に、
「最低」
といわれると、
「違うんですよ。
ハッピ着てナンパしたんじゃないんです。
ナンパしてハッピ着たんです。
俺は阪神の力は借りてないんです」
といい訳し、
「一緒や」
と怒られた。
吉田敬の女性に対するアグレッシブさは、
「芸人最強クラス」
「イタリア人以上」
といわれ、ナンパするとき、まず道頓堀で深々とベースボールキャップをかぶってスタンバイし、後輩にナンパに行かせる。
後輩は、
「とりあえずすごい人おるから来てくれ」
と声をかけ
「誰、誰!?」
といって女性がやってくると、吉田敬は帽子をピンっと跳ね上げた。
すると
「100人いたら1人か2人くらいは食いつく」
といい、もし食いつかなければ
「リリース!」
といい、後輩は、
「釣れてませんよ」
とツッコみながら、次のターゲットへ。
またあるときは友人で、7歳下の男前だが売れていないミュージシャンにナンパに行かせ、自分は居酒屋で待機。
その際、顔のブツブツを隠すために少し薄暗い店をチョイス。
またTSUTAYAのお笑いコーナーでスタンバイし、ブラックマヨネーズのDVDをみている女性の横に立って、帽子を跳ね上げることもあった。
陣内智則、キングコングなどビジュアルがよい芸人が売れるのをみて、
「女性の人気を獲らな、上に上がれん」
が口癖になった吉田敬は、
「こうみえても川崎麻世に似ている」
と髪型やファッションなど川崎麻世を意識。
しかしあまり効果はなく、やがて着るものは、Gパン、Tシャツかポロシャツ、MA-1に固定。
小杉竜一は、木村拓哉を意識。
ドラマで木村拓哉がつけていたキャスケット帽(前ヒサシだけがついているハンチング帽)を購入したが、
「どうみても猪八戒」
「同じドラマでも西遊記」
といわれた。
吉田敬は、K-1で魔裟斗の試合を観て、
「判定勝ちは考えずに毎試合打たれてでもKOを狙って戦って、しかもそれで世界チャンピオンになった」
と感動。
つき合っていた彼女と一緒に魔裟斗の試合を観ているとき
「お前、もし魔裟斗が今の彼氏と別れてつき合ってくれっていってきたらどうする?」
と質問。
『ウチはアンタがいてるから断るに決まってるやん』
といって欲しかったが、
「エーッ、そんなん絶対あり得へんもん」
といわれて、再度、
「あり得なへんやなくて、もしも大阪の試合の後、難波の居酒屋で打ち上げしとって、たまたまそこにいたお前に声かけてきたらどうすんの?」
と質問。
「イヤッあり得へんやろ。
ウチらがいくような居酒屋に来んやろ」
「わからへんよ。
そこは案外、庶民派かもしれんし」
「ないない」
「っていうか場所はどこでもエエ‼
もしものもしもや、万が一声かけられたらついて行くんかって?」
「その万が一がない」
「だから仮にや‼」
最後には、
「お前はなんやねん、その感じは。
ハッキリいわんということはついて行くやろ。
何じゃ、お前は!
このヤリマン!!」
彼女は、号泣した。
ブラックマヨネーズは、上方お笑い大賞 最優秀新人賞を獲得したものの、M-1は3年連続で準決勝敗退。
優勝は、1年後輩のフットボールアワーだった。
「いじめっ子が自分のしたこと覚えてないのと一緒でフットから圧を受けてた」
という31歳の吉田敬は、楽屋で寝ていて、何度もNSCでも年齢でも1つ下の後藤輝基のギターで起こされたが、何もいうことができなかった。
優勝 フットボールアワー 663点
2位 笑い飯 656点
3位 アンタッチャブル 616点
4位 2丁拳銃 608点
5位 りあるキッズ 601点
6位 スピードワゴン 572点
7位 アメリカザリガニ 564点
8位 麒麟 554点
9位 千鳥 552点
吉本興業の芸人は縦社会。
「たとえ借金してでも後輩に金を使わせない」
というのが美徳とされ、先輩は後輩にオゴらないといけないというルールがあった。
経済観念がしっかりしている吉田敬は、これが大嫌い。
同期の芸人に、
「売れている後輩にオゴる制度は変えよう」
と提案。
その理由を
「あいつらがオゴられたらさらにエエ服とか着て、先輩はどんどん汚れていく。
どこで挽回すんねん」
と説明。
先輩に
「それでも最初は俺が出すでというべきや」
と諭されても
「そこそこお金儲けてる後輩に5000円オゴるより、僕は、その5000円でネクタイのピンが欲しいんです。
カッコつけてオゴッて、ネクタイ歪んで漫才したら、これで今後、何千万円の損かもわからないじゃないですか」
と反論。
「そこでオゴることによって、ツラいかもわからんけど、やっぱり人望やとか、人がついてくるとか、そういうのが大事ちゃうの」
といわれても
「売れてる先輩が売れていない後輩にオゴるのはメチャクチャわかるんですよ。
でも売れてない芸人が先輩にオゴるのは違うと思うんです」
こういった吉田敬の姿勢を大多数が
「単なるケチ」
「セコい」
と非難。
ごく一部は、
「これまであったルールをぶち壊そうとする革命児」
と称賛した。
吉田敬と飲むとき、後輩は
・吉田敬がキープボトル(酒を瓶ごと購入してお店で保管してもらう)している焼酎を飲み、その他のアルコールは注文してはいけない
・食事はしてはいけない
というルールがあるため、ごはんを済ませてから、指定された居酒屋に向かう。
吉田敬は、「魚民」などクーポン券を使える店にしか後輩を連れて行かず、事前に調べて予約。
そして勘定の前にスマホを後輩に渡し、
「吉田さん、これありますけど」
とクーポンの画面を出させ、
「そんなん出すなや。
カッコ悪いなぁ。
店員さん、ホンマすいませんね」
といって、いかにも後輩が見つけたようにした。
そんな地獄のようなセコさをみせつけながら、M-1は、4年連続で準決勝敗退。
優勝したのは、同期の人力舎芸人、年齢は3つ下のアンタッチャブルだった。
優勝 アンタッチャブル 673点
2位 南海キャンディーズ 639点
3位 麒麟 634点
4位 タカアンドトシ 615点
5位 笑い飯 615点
6位 POISON GIRL BAND 603点
7位 トータルテンボス 587点
8位 東京ダイナマイト 583点
9位 千鳥 582点
28歳のときに始まった「M-1グランプリ」を4年連続で準決勝敗退。
ブラックマヨネーズは、巧みな言葉選び、話術、度胸、生き様、すべてピカイチ。
その面白さは芸人仲間にも認められていたが、武骨で華がなく、テレビ映えや女性ファンのウケという点で難があった。
「何が足りひんのや」
32歳の吉田敬は、悩みながら自分たちの色を出そうと試行錯誤。
そして開眼した。
「僕らは漫才よりもラジオでのフリートークのほうが面白いって気づいたんです。
それで、これまでのネタに足りなかったのは人間味やなと。
僕と小杉がやらなきゃ面白くない漫才をしないとダメだなと思ったんですよ」
それからブラックマヨネーズは、しゃべくり漫才から、まるでケンカのようなかけ合い漫才に進化。
過去最高3378組が参加した2005年のM-1で、頂点まで一気にかけ上がった。
優勝 ブラックマヨネーズ 659点
2位 笑い飯 633点
3位 麒麟 646点
4位 品川庄司 626点
5位 チュートリアル 622点
6位 千鳥 607点
7位 タイムマシーン3号 571点
8位 アジアン 564点
9位 南海キャンディーズ 552点
M-1優勝後、友人と2人で魚民に行くと、レジの近くの席で後輩芸人が10人くらい飲んでいて
「M-1優勝おめでとうございます」
といわれたので
「ありがとう」
といいながら奥へ。
「しゃべったことのない後輩もいる」
「あいつらがいつか売れても、恩返ししてくれるとは限らない」
とどうしてもオゴるのが嫌な吉田敬は、店員から魚民の制服を借りて脱出。
一方、小杉竜一は、M-1の賞金を
「お母さんにあげる」
と発言し、美談として新聞にも取り上げられたが、M-1の帰りの新幹線で心変わりし、高級車、BMWを買った。
1980年代、女性漫才コンビのパイオニアとなった「今いくよ・くるよ」
ふくよかな体にカラフルな衣装でまとったくるよは、相方のいくよに
「前脚」
と呼ばれる腕で腹をポンっと叩き、
「どやさ」
というギャグで一世を風靡。
そんな一見、豪快なくるよだが、非常に気が優しく、誰に対してもホメ言葉を多用し、誰も傷つけない物言いで誰からも慕われていた。
間寛平のことを
「ジュリー」
今田耕司を
「ディカプリオ」
サバンナの八木真澄を
「ミケランジェロ」
明石家さんまを
「菅原文太」
明石家さんまが手帳にメモしていると
「いやあ、IT社長やんかいさ」
といういくよに、顔の肌の荒れから、ずっと
「ブツブツ」
と呼ばれてきた吉田敬は、
「ツブツブちゃん」
とかわいくいってもらってホッコリ。
相方、小杉竜一とファミレスで打ち合わせをした後、ドリンク代を1円単位で割り勘して、
「細かい男」
といわれていたが、ある日、新幹線に乗っていると、くるよがアイスクリームを持ってきて
「食べて」
ありがたくごちそうになった後、お礼をいいにいくと座席のテーブルを広げて小銭を分ける今いくよ・くるよがいた。
おそらく自分たちにオゴったアイスクリーム代を2人で分けている最中。
吉田敬は、自分がファミレスで行った行為を大師匠の2人がやっていることに
「間違いじゃなかった!」
と心でガッツポーズ。
以後も几帳面すぎるほどの細かさ、セコさを継続。
一方、学生時代からずっと憧れ、長年の苦労の末、やっと売れて、やっと生ダウンタウンに会うことができた吉田敬と小杉竜一は、松本人志に
「馬糞と人糞」
と呼ばれた。
ブラックマヨネーズが優勝した1年後、2006年のM-1で優勝したのは、チュートリアルだった。
吉田敬は、同期の男前、徳井義実、そして彼のいるコンビ「チュートリアル」を非常にライバル視。
ある女性を好きになって、何度も口説いた末、やっと食事にいくことになり、徳井義実に
「見てみい。
俺、今、こんな子と遊んでんねん。
めっちゃ美人やろ」
と自慢げに写真をみせたが、
「あーコイツ、めっちゃしつこいやろ」
と返され、自分は何度もアタックして、ようやく食事に行けたのに、徳井義実は、その女の子から誘われたのを知り、撃沈。
国産の大きなSUV車を購入して自慢したときも、徳井義実は、もっと大きな外国のSUV車に乗っており、
「なんでお前は常に俺の1歩上ばっかり行くんや!」
というと
「知らんやん。
お前が勝手の1歩下に来んねん」
と返された。
まだ売れていない頃、徳井義実が後輩に1000円ずつお年玉を渡していると、吉田敬が、
「お前、それアカンやろ」
「お年玉なんかあげんな」
と激怒。
徳井義実は
(自分が売れてへんのに調子に乗るなということか)
と思ったが、
「同期のお前があげたら、俺もあげなアカンようになるやろ」
といわれ、幻滅。
「お前ももろたやろ」
といったが、吉田敬は、
「お前とはスタートが違う。
お前はデビューしたときからワーキャーいわれてたけど、俺はキモいキモいから始まった。
だから同じ千円でも稼ぐ楽さが違う」
と譲らなかった。
ちなみに吉田敬は、
「男前は、できて当たり前」
と思っており、その理由は
「モテたいなあ、女とHしたいなとか1人悶々と悩む時間が短いから」
「ファミレスでネタを考えているとき、1時間のうち30分は、「あの女エエなあ」「なんとかならんかなあ」などと考えてしまうが、ハンサムな男性は女性に飢えていないので、僕がいやらしいことを考えている30分間を面白いことを考え続けることができる。
だから夢を追うとき、ハンサムとブ男では、えげつないハンデがある。
それは芸能界だけでなく、バスケットボールのマイケル・ジョーダン、、サッカーのクリスティアーノ・ロナウド や短距離走のウサイン・ボルトもハンサムで、大相撲の白鷗だってかわいらしい顔をしている
だから顔が良いということはスポーツでも有利」
という吉田敬だが、世の中のモテない男子に
「美人に相手にされないなら動き続けてほしい。
攻撃的なブサイクであれと。
守りに入るな」
とエールを送っている。
売れっ子になり、1日に数番組を収録し、1週間に10回以上新幹線に乗り、タクシー移動も増えたブラックマヨネーズ。
ある日、タクシーの中で吉田敬が
「ちょっと話あんねん」
といった。
「聞きたいんやけど、タクシーの後ろにこんもりなってるところあるやん
お前、あのこんもりに足置いてるときあるやん。
アレ、なんのつもり」
「エッなにが?」
「いやっ、あのこんもりって誰のこんもり?」
「ハッ?」
「俺も置きたいけど、俺のでもお前のでもないからこんもりに置いてへんのに、なんでお前はこんもりに足置くの」
「こんもり戦争」をしたくない小杉竜一は、以後、運転手の横の席に乗るようにし、前後に座った状態で会話。
吉田敬は、小杉竜一が助手席に座るようになっても
「こんもりは利用していない」
また運転手の後ろではなく、必ず小杉竜一の後ろに座る。
「運転席の後ろは安全といわれているから、小杉を前に行かせておいて自分だけそこに座るわけにはいかない」
といいつつ、小杉竜一の携帯電話の画面をチェック。
ある日、テレビ局の直前で吉田敬が
「ちょっと買い物していくわ」
といって降車し、コンビニへ。
小杉竜一は、前に乗ったまま、運転手と2人で移動し、
「タクシーの見習いみたいやった」
240連勤し1日休んで80連勤など、M-1優勝後、忙しくなりすぎて、しんどくなってきた吉田敬は
「俺より精神的に参ってるヤツ」
をリサーチ。
そして賞レースで結果が出ず、コンビ仲もギクシャクし、舞台の漫才もウケず、心を病み、心療内科に通うノンスタイルの石田明を発見。
石田明を飲みに誘い、
「番組中もストレスで手がしびれてくるんや」
というと
「それは気づいていないうちに過呼吸です」
「夜寝てると呼吸の仕方がわからなくなるんや」
というと
「自分の呼吸リズムをメトロノームに登録して、それを聞きながら呼吸するんです」
などと石田明から的確なアドバイスを受けながら、
「自分よりしんどいやつもおるんや」
「自分はマシや」
と癒された。
石田明は
・毎回行くのは同じ「魚民」
・頼むメニューも同じ
・会計も同じ
・最初のビール1杯は飲ませてもらえるが、後はボトルキープしている焼酎のみ
という吉田敬の金に対するシビアさに驚愕。
吉田敬は石田明によって楽になったが、石田明も
「これだけ面白い吉田さんでも悩むんや」
「こんなガサツな人でもしんどくなるんやから、自分がしんどくなるなんて当たり前や」
と気持ちが解放され、ノンスタイルは、関西の賞レースを総ナメ。
ある賞を獲ったとき、吉田敬にお祝いとしてすき焼きをオゴってもらったが、18000円のレシートをみせられ、
「これだけの金あったら、俺が他に何ができたか、100個考えてこい」
といわれた。
吉田敬は、30歳のとき、難波から車で数分、上本町3階建の3階の角部屋、12畳のリビング、8畳の寝室、46平米の1LDK、家賃7万円のマンションを借り、32歳でM-1で優勝し、全国区へ進出すると同じ上本町の8階建ての8階、4LDK、100平米以上、家賃15万円のマンションに、洗濯や掃除をしてくれる売れていない後輩と一緒に住んだ。
そして34歳のとき、1年のうち、東京のホテルで100泊以上するようになると東京で1人暮らしすることを考え、
「知り合いの知り合いの不動産屋」
に
・東京の各テレビ局にタクシーで30分以内
・駐車場つき
・壁が薄くないこと
・1DK以上
という条件をリクエストして物件を探してもらった
やがて六本木から車で10分くらい、東京都港区三田の物件を紹介された。
30歳のときに住んでいた上本町の7万円のマンションとそっくりの間取りなのに、
「駐車場代別で20万円です」
といわれ、
(騙されてる‼)
と思った吉田敬は、知り合いの知り合いの不動産屋のアゴを殴りそうになりながら
「あり得んやろ‼」
しかし知り合いの知り合いの不動産屋は
「僕、ブラマヨさん大好きなんで一生懸命、ここ数日、ずっと吉田さんの条件に合う物件探したんです」
そして目に涙を浮かべて
「それが東京なんです」
といった。
その言葉を聞いて吉田敬も号泣。
東京、三田で大の男が2人で泣いた。
番組で東野幸治に
「ブラマヨが優勝したときのM-1って何組エントリーしてたんでしたっけ?」
と聞かれると間髪をいれず
「3378組です」
とドヤ顔。
「これをいえなくなったときは、俺を老人ホームに入れてください」
と王者のプライドをみせる吉田敬は、M-1優勝後、数年間、ほぼ毎日、M-1Tシャツを着用。
それは胸に
「M-1 GRANDPRIX」
背中に
「We Are The Champion」
と書かれたTシャツで、後輩に、
「色が剥げてる」
「濡れた犬のような匂いがする」
といわれても無視。
先輩に
「過去の栄光にしがみついてる」
といわれると
「いやあのね、獲ってみてくださいよ。
チャンピオンになってみてくださいよ。
まだ我慢してるほうですよ」
と訴えた。
ブラックマヨネーズは、
「ポジティブな小杉、ネガティブな吉田」
というイメージが定着していたが、吉田敬が
「シャレならん」
と思ったのは、小杉竜一が1人だけで大阪府枚方市にある遊園地「ひらかたパーク」のCMキャラクター「ひらパー兄さん」に選ばれたときだった。
大阪府枚方市枚方公園町1-1にある「ひらかたパーク」、通称「ひらパー」は、広さ約16ヘクタール、甲子園球場の約4個分。
最高速度70km/hのローラーコースター「レッドファルコン」、イタリア製のメリーゴーランド、ドイツ製のウェーブスインガーなどのアトラクション。
夏はひらかたファミリープール、冬はイルミネーションや屋外アイススケートリンク。
ミニ動物園やバラ園もあり、年齢を問わず楽しめ、園内はゆったりとした時間が流れ、近隣住民の憩いの場にもなっている。
そんな「ひらパー」だが、吉田敬にとっては、父親が働いている京阪電車がつくった遊園地。
小杉竜一に、
「収入的な問題もある」
「裏があって表がある。
俺がいてお前の明るさがあるのに」
「(CMの最後に)俺が是非、来てねっていわせてくれ」
と訴えたが、
「お前は楽しいところのキャラクターにはなれない」
といわれ、CM撮影で小杉竜一だけ仕事、自分は連休という屈辱を味わった。
小杉竜一が独特のスマイルと親しみやすさ、
「ひらパーで、○○っちゃえよ」
でブレイクする中、吉田敬は様々な番組で、小杉竜一はユニバーサルスタジオジャパンが大好きでひらパーには1度しか行ったことがないと曝露。
これで小杉竜一の「2股疑惑」が発覚。
ひらパーが不信任案を出し、「ひらパー兄さん選挙」が行われることになり、吉田敬は
「父親がひらパーを経営する京阪電鉄の社員」
「幼い頃から何度もひらパーに来園した」
「自分のほうがひらパー兄さんにふさわしい」
と立候補。
「2代目ひらパー兄さん」の賭け、初代ひらパー兄さんである小杉竜一と対決することになった。
2010年4月、本格的な選挙ポスターをつくられ、大阪・天満橋で行った街頭演説では、女性問題の暴露合戦。
吉田敬のに激しい「2股疑惑」追求に、小杉竜一は
「記憶にございません」
吉田敬が
「いまだに「ヒ~ハ~」とかいってる奴はどうかしてるぜっ!」
と怒りを露わと小杉竜一は、
「ひらパーで、投票っちゃえよ」
と互いの足を引っぱり合った。
2010年7月10日~11月23日(いい兄さんの日)の来場者投票によって、どちらがひらパー兄さんにふさわしいかを決定。
有権者は、すべての人で年齢・国籍も問わない。
投票方法は、ひらかたパーク園内で配られる規定の用紙に支持者の名前を記入する。
オフィシャルサイトでは、「ひらパー兄さん選挙」特別ページを設けられ、政見放送やCM動画を配信。
2人は、以下のようなアニフェストを作成した。
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小杉竜一
・子供のボケつっこみ教育
相手の気持ちが読める、場の空気が読める子どもの感性を遊園地の遊びを通じて育める環境を整備します。
・肉食系子供の育成
告白したくなる演出を整備し、恋に臆病になることなく、好きな子にはちゃんと気持を伝えられる子を育成します。
・小杉竜一体型の子供の推進
売店・レストランメニューに高カロリー商品を導入し、ポッチャリかわいい子どもを養成します。
・子供の毛根育成
子どもの将来を見据え、園内で毛に効く商品を展開します。
・子供になる
好きなものは好き。
どっちも好きなものは好き。
自分に正直に子ども目線のキャラクターを目指します。
吉田敬
・ひらパー一筋
対立候補のように、某テーマパークに浮気することなく、ひらパーへの愛を貫きます。
・美顔の徹底
遊園地のキャラクターに相応しい爽やかさを身につけるために、寝る前の美顔ケアを欠かしません。
・笑いより、笑顔
笑いをとることは一旦忘れ、お客様が笑顔になれるような吉田スマイルを磨いていきます。
・ 親子の絆の強化
現代社会で希薄になりつつある親子の関係を再認識してもらうために、元京阪社員の父と2人3脚で取り組みます。
・後輩芸人のフル活用
私に賛同してくれる芸人仲間を大切にし、兄さん交代を実現するため、すべての手を尽くします。
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敗者には
・小杉竜一 モヒカン
吉田敬 「鼻にシリコンいれてハッサクみたいにする」
・
という罰ゲームが与えられる。
投票数は公表され、負けている吉田敬は、「がんばれ吉田!」キャンペーンを開催。
「吉田新聞」なるPR紙とあらかじめ吉田の名前に○をつけた投票用紙を配布し、会場内の特設ステージに小杉竜一と登場し、
「私、今まで小杉竜一の恋愛も全部みてます。
25歳の女性とつき合って30歳になったらポイ。
26歳の女性とつき合って30歳になったらポイ。
こんな人間に"ひらパー兄さん"やらせても、あと4年も経てばポイですよ」
「お前の安っぽい笑顔に騙されてるだけや!」
最後は2人で
「みなさん、こうやって出会えたわけですから、用紙も握っているし、投票しないとどうかしてるぜっ!」
「俺だってまだ票を伸ばす気ありますから!
ヒーハー!」
と投票を呼びかけた。
最終的な来園者投票の結果は
小杉竜一(現職) 117567票
吉田敬(新人) 70076票
と小杉竜一が4万票以上の大差をつけて圧勝。
吉田敬は
「鼻にシリコンいれてハッサクみたいにする」
といっていたが
「半日スタッフを2回」
という罰ゲームを受け、売店でアイスクリームを売ったり、園内の掃除、スケート靴の整理などを行った。
ひらパー兄さん(小杉竜一)が2期4年の任期を終え引退することが発表され、4年間の歴史を振り返る展覧会を開催。
直後、ひらパーがある枚方市出身の岡田准一が「超ひらパー兄さん」に就任。
小杉竜一は番組で岡田准一と共演したとき、
「今、岡田さん、超ひらパー兄さんですよね。
僕もひらパー兄さんやった時期があるんですよ」
と話しかけ
「そうですよね。
元ですよね」
「ひとつ僕が聞いた話で僕がひらパー兄さんやってるとき、V6のライブのMCで「枚方生まれ、枚方育ちの僕のほうが『ひらパー兄さん』にふさわしい」みたいな話をした瞬間、ひらかたパークの人間が即飛びついたって聞いたんですが、その噂はホンマですか?」
と確認すると
「手紙を頂きましたね。
丁寧な」
といわれ、
「丁寧な!?」
と驚き、
「熱い手紙貰ってないですか?」
と聞かれると、
「ない!」
と叫んだ。
2014年、ひらかたパークは、「年間来園者100万人達成できなかったらさようなら」キャンペーンを実施。
それは「年間来園者数が100万人に達しなければ、超ひらパー兄さん(岡田准一)が園長解任」というもの。
園長解任になればタレント活動にも悪影響が及ぶことが危惧される中、
「図書館戦争」 ⇒ 「図書館便乗」
「永遠の0」 ⇒ 「たいくつな時間0」
「蜩ノ記」 ⇒ 「枚方ノ記」
「エヴェレスト 神々の山領」 ⇒ 「ええベスト 中々の温もり」
「海賊とよばれた男」 ⇒ 「結局やらされた男」
「関ヶ原」 ⇒ 「関ヶ原から徒歩23時間」
「散り椿」 ⇒ 「散り企画」
「来る」 ⇒ 「盛る」
「ザ・ファブル 殺さない殺し屋」 ⇒ 「ザ・イレカワル 苦肉の策や」
「燃えよ剣」⇒「燃えよ剣先イカ」
など岡田准一が主演した映画や大河ドラマをパロディ化したポスターを制作。
岡田准一の目をプリントしたアイマスクをしてコースターに乗り、恐怖感を倍増させる「目隠しライド」や、清涼剤を首に塗ることで体感速度とスリルが少しだけアップした気になる「スースーライド」など企画を実施。
見事に来園者数100万人を突破(116万人)
一方、吉田敬は、サッカー日本代表のエース、本田圭佑がイタリア北部の都市、ミラノを本拠地とする名門、ACミランに入団。
その記者会見で外国人記者からの質問に通訳を使わず、自分で英語を話して答えるのをみて
「サッカーすごいのに英語まで話せるんかい!」
と感動。
翌日の夜、後輩と飲みに行って泥酔。
最後に行ったラーメン屋で中国人の店員に
「ウォーター、ツー」
「ヘイ、チェックアウト、プリーズ」
メジャーリーグで活躍するダルビッシュ有に感化され、普段からベースボールキャップをかぶっていたが、
「ダルビッシュっぽく」
と後ろ髪と襟足を伸ばしたが強烈なクセ毛のため、襟足の毛が下ではなく真横に伸びたため、
「ロビンマスクのようになって終わった」
また吉田山田というアーティストの「日々」という曲を聴いて、
「何気ない日常の日々が幸せだったよね」
と感動。
1人で酒を飲みながら「日々」を聴いて涙を流したり、温かい気持ちになり、その後、激しいAVを鑑賞した。