大竹しのぶ  vs 明石家さんま  結婚 ~ イマル誕生まで

大竹しのぶ vs 明石家さんま 結婚 ~ イマル誕生まで

大竹しのぶと明石家さんま。陽気、勝気、自分が好き、自分のペースで生きていけないのが絶対無理な2人の戦い&見事なかけ合い。


基本的に、大竹しのぶは超マジメ。
中3の秋に初デートを体験し、相手はスポーツ万能、成績優秀というクラスで1番モテていた男子だったが、毎日、一緒に下校し、途中、公園でおしゃべりするだけの清い交際。
それも進学と共に自然消滅し、高1のとき、ドラマのオーディションに応募すると5700人中11人の合格者の中の1人に選ばれた。
このときは大勢いる脇役の1人だったが、次に映画のオーディションを受けると主人公の恋人役に大抜擢され、吉永小百合、仲代達也、小林旭らと一緒に撮影。
ラブシーンもあって、まだ男の子と手をつないだこともなかった17歳の大竹しのぶは、静まり返るスタジオで服を脱いで田中健と抱き合った。
その後、NHK朝の連続テレビ小説「水色の時」でもヒロインとなり、風邪薬の「ルル」で初CMも体験。
このとき大竹しのぶより2歳上の明石家さんまは、兵庫県で師匠の家に通いながら修行する「通い弟子」をしていた。
西宮市の家賃7500円のアパートで1人暮らしをしていたが、家具は瓶ビールのケースを並べた上に板を置いたベッドとテレビだけ。
その小さなテレビで「水色の時」をみて大竹しのぶに憧れを抱いた。

大竹しのぶは、短大に進学すると「みかん」という曲でレコードデビューも果たした。
清純派美少女として人気を得ながら、恋愛や男子とはまったく縁がなく、数回だけ参加したコンパでは、即席カップルが消えていくのをみて、親友のメグやマコと
「フケツー」
「許せなーい」
とささやきあった。
20歳のとき、舞台で共演した2歳上の歌舞伎役者、中村勘九郎にデートに誘われ、中3以来、5年ぶりのデートが決まったが、
「ボーイフレンドでもない男の人と2人きりで会うなんて常識から明らかに外れている」
と気が重くなり、かといって断るのも悪く、
「メグかマコを連れていこう」
と3人でデート。

同じく20歳のとき、CM撮影がアメリカで行われ、初めて海外へ。
オフの日にディズニーランドへ行くことになると朝から興奮状態。
行きのバスで遠足の小学生のようにはしゃぎ、開園時間に到着。
いくつか乗り物に乗った後、「イッツ・ア・スモールワールド」へ。
船に乗って水路を回り、世界で1番幸せな船旅を楽しめるアトラクションで、シンデレラなどディズニーキャラクターも登場したが、1番感動したのは世界中の国々の民族衣装を着けた子供の人形が、それぞれの国の言葉で歌う「小さな世界」
その
「世界はひとつ♪」
というフレーズを聞いて、
「そう、世界はひとつ。
戦争なんかしちゃいけない!」
と嗚咽を漏らしながら号泣。
イッツ・ア・スモールワールドには3回乗って3回とも泣いた。

2年後、22歳のとき、ドラマのロケでハワイへ。
パールハーバーにある公園で撮影があったが、そこには日本の真珠湾攻撃で命を落としたアメリカ人兵士の墓地もあった。
淡々と準備をするスタッフをみながら
「ちゃんとお参りしてから始めるべきでは・・・」
と思ったが、いい出せないまま撮影。
お昼の休憩時間に、
「せめて自分だけでもお参りしよう」
と1人で墓地にいき、1つ1つのお墓に手を合わせた。
墓石には名前と戦死したときの年齢が刻まれていて、ほとんど18、19、20歳の若者ばかり。
「私たち日本人が彼らを殺したんだ」
と思うと涙がボロボロ流れた。
すると公園の掃除をしていたオジサンがやってきて
「どうしたの?
なぜ泣いているの?」
大竹しのぶは、未熟な英語で必死に訴えた。
「私たちが殺したの。
ごめんなさい」
「我々だって多くの日本人を殺した。
お互い、同じことをしたんだ」
その言葉を聞いてオジサンに抱きつき、さらに大泣きした。

この頃、軽妙なしゃべりで大阪を制し、東京に進出した明石家さんまは、自叙伝「ビッグな気持ち」とCD「Bigな気分」をリリース。
朝のワイドショーで歌うためにテレビ局へいき、その廊下で大竹しのぶとスレ違った。
これが2人のファーストコンタクトだったが、大竹しのぶは、ガラガラ声で歌う明石家さんまをみて
「この人はきっとすごい大病を患っている人だ。
若くてしてもうすぐ死ぬ人のためにテレビ局の人が最後に出させてあげたんだ」
と泣きそうになり、家で番組をみていた大竹しのぶの母親も
「あんな声で・・・
かわいそうに・・・」
と思った。

23歳の大竹しのぶは、「恋人たち」というドラマに出演し、TBSのディレクター、41歳の服部晴治と出会った。
「オシャレで優しそう」
というのが第1印象で
「服部さんってかっこいいよね」
と共演していた田中裕子と盛り上がり、最終的に
「ジャンケンで負けた方が服部さんに電話しよう」
ということになった。
そして公衆電話のダイヤルを回したのは大竹しのぶ。
ドキドキしながら自分の名を告げ、
「何?
僕と結婚したいの?」
とダンディな声でいわれると動機がして倒れそうになり、あわてて田中裕子に受話器を渡した。
すると田中裕子も同じセリフをいわれて卒倒しそうになった。
服部春治にノックアウトされた2人だったが、その後も機会をみては電話。
大竹しのぶは、服部春治が過去に2度の離婚歴があり、現在は女優の中村晃子と交際中と知ると
「なんだかガッカリ」
しかし服部春治の誕生日には
「服部さん、台本のカット割りにエンピツ使うから」
とスヌーピーの鉛筆削りを買って、2人で映画を観にいったときにプレゼント。
3ヵ月後、服部春治は中村晃子と別れ、大竹しのぶは初めて男性と心と身体で愛を交わした。

マスコミは2人の交際を、
「17歳差!
清純派女優、2度の離婚歴がある中年テレビディレクターと熱愛!」
「中村晃子から略奪愛」
とスキャンダラスに報じ、これまでロクに恋愛経験がない大竹しのぶは
「魔性の女」
と書かれ、驚いた。
周囲からは
「あの人はプレイボーイだから絶対に浮気される」
「だまされている」
「遊ばれて、いずれは捨てられる」
会社からも
「映画監督や演出家があなたを可愛がってくれたこと、わかっているでしょ?
このままじゃ、みんなからソッポを向かれる。
そしたら女優としておしまいなのよ」
ととにかくみんなに交際を反対された。
しかし気持ちは変わらず、逆に
「自分からハッキリと交際していることを公表したい」
と進言。
会社は血相を変えて
「交際宣言するなんて絶対許さない。
それだけはいっちゃダメ。
一生のお願い。
絶対にいわないで。
約束して」

ちょうどドラマの発表記者会見があり、会社に
「交際を公表したら大勢の人に迷惑かけることになるのよ。
だから逆に否定してちょうだい。
つき合っていませんって。
お願い」
といわれた大竹しのぶは、自分の気持ちで素直でありたいと思ったが、周りに迷惑をかけてしまうことを考えると従うしかなく、
「服部さんのことは尊敬しています。
でも好きっていう感情とは違うんですよねぇ。
もちろん交際はしていません。
本当に何でもないんです。
誤解を受けるような行動をした私がいけなかったんです。
ごめんなさい」
と交際を否定。
これをマスコミは
「したたかな女」
とバッシングした。
大竹しのぶは、人生最大級の自己嫌悪に陥った。
「ウソをついた。
妙にはしゃいだりしながら。
どんなことがあっても正直でいようと、ずっと心がけてきたのに、とうとうその信条を曲げてしまった。
後で記者会見の映像をみたら、とてもイヤな顔をしていた。
その後も2人は人目を避けてデートを続け、交際を始めて約1年後役所に婚姻届けを提出。
さらに2ヵ月後の1982年10月12日に結婚式を挙げ、2時間の披露宴の間、大竹しのぶは泣きっぱなしだった。

結婚して約1年半後、服部春治が胃ガンであることが発覚。
医師は大竹しのぶに
「だいたい1年くらいです」
と余命宣告し、かつ本人は告知せずに治療していくことを提案。
大竹しのぶは、涙を流しながらそれに合意し、
(取り乱しちゃいけない)
と自分にいい聞かせながら病室へ。
医師から
「胃潰瘍です」
といわれている服部春治から鋭い視線を受け、自分の病状を読み取ろうとしている意図を感じ、目をそらさず
「もう情けなくて、思わず泣いちゃった。
どうして潰瘍がこんなにひどくなるまで放っておいたのかって叱られたよぉ。
気づかなくて本当にごめんね」
とウソをついた。
(あと1年しか生きられないなんて絶対に信じない。
私が必ず治してみせる。
スタートだ。
ここからだ)


服部春治は、1983年11月30日に入院し手術を受け、12月31日に退院し、年が明けると仕事に復帰。
そして半年後、大竹しのぶは妊娠した。
服部春治は、最初の結婚で2人、2度目の結婚で1人、合計3人の子供がいたため、さらに子供を持つことに戸惑い、出産に反対。
これまで励まし続けてくれた服部春治の担当医も
「父親が抗ガン剤を服用している場合、障害を持った子供が生まれる可能性が高いんです。
それに父親がいない子供を産むつもりですか」
と反対。
「どんなことがあっても絶対にこの子は産む。
たとえどういう状態で生まれてこようと立派に育ててみせる」
と決めていた大竹しのぶは、
「どうしても産みたいんです」
と訴え続け、最終的に服部春治は、
「天から授かった命をどうすべきかと一瞬でも迷った自分が恐ろしいよ。
葬るなんて許されるわけがない。
それに何よりしのぶが子供を望んでいる。
躊躇して悪かった」
と謝罪。
担当医も胎児の異常を専門にしている大学病院の医師に紹介状を書いた。

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