大竹しのぶ  vs 明石家さんま  結婚 ~ イマル誕生まで

大竹しのぶ vs 明石家さんま 結婚 ~ イマル誕生まで

大竹しのぶと明石家さんま。陽気、勝気、自分が好き、自分のペースで生きていけないのが絶対無理な2人の戦い&見事なかけ合い。


関西人が相手を
「お前」
と呼ぶのは親しみの証。
京都出身の島田紳助が
「最初は人の心にズケズケと土足に入ってこられるのがイヤだったが、だんだん気持ちよくなる」
という大阪独特の文化のひとつ。
しかし明石家さんまがそう呼ぶと、東京生まれ東京育ちの大竹しのぶは
「お前とかいわないで」
同居しているおばあちゃん(大竹しのぶの母親)にも、
「失礼ね」
と怒られた。
そして
「お母さん」
と呼ぶと
「私、あなたを産んだことはありません」
といわれた。

ある日、
「もう寝るね」
といって大竹しのぶが先に寝室へいくと、夜中、
「ヒィー、ヒィー」
という声が聞こえてきたのでリビングをみると自分が出ている番組をみる明石家さんまがいた。
謎の声は、息を吸いながら笑うことにより発生する引き笑い音。
自分が出ているシーン以外を早送りしながら、
「うまいな」
「ナイス」
と1人で自画自賛しながら笑う明石家さんまに
(どこまで自分が好きなんだろう)
とコワくなった。

基本的に明石家さんまの風呂は早く、15分くらい。
ある日、風呂上りにキンキンに冷えたプッチンプリンを食べようと冷蔵庫から冷凍庫へ。
楽しみにしながら風呂から出ると、テレビをみながら
「プッチンもせずに」
プリンを食べる大竹しのぶがいた。
「俺のプリンやないかい」
と怒ると
「買ってくればいいじゃん」
と返されたので
「プッチンくらいしろ」
といった。
ある日の午前3時、きな粉が大好きな明石家さんまがどうしても食べたくなって買いにいくために支度をしているところ、大竹しのぶが起きてきた。
「どこ行くの?」
「きな粉買いにいくねん」
「なんで?
明日にすればいいじゃない」
「明日やったらアカンねん。
今やねん」
いかにも明石家さんまらしい言葉だが、大竹しのぶは、
「おかしいんじゃないの?」
といい捨てて、寝室へ戻っていった。

大竹しのぶが魚を焼いていると煙が出て、火災報知機を鳴ったことがあった。
明石家さんまは、それをテレビで
「『ウーッ、ウーッ』ってサイレンが鳴って消防車はくるわ、『さんまさんのウチよ』って近所の人が集まってくるわ、大騒ぎになった」
「ホースを持った入ってきた隊員に「すいません、サンマ焼いてて煙が出て」と説明すると「じゃあここ(ホース)にサインしてもらえます」といわれた」
と話した。
大竹しのぶが
「魚を焼いていて煙が出て火災報知機が鳴ったまでは本当だけど消防自動車は来てないから!
そういうのやめてくれる!」
と抗議したが
「火災報知機が鳴っただけで終わられへんやろ」
といった。

間寛平が、 アテネからスパルタまで246kmを不眠不休で36時間以内で走るというスパルタスロンスに挑戦。
番組から
「なんとかさんまさんも・・・」
といわれた間寛平は
「テレビが来てくれんねんけど一緒にギリシャにいってくれへんか?」
明石家さんまは
「寛平兄やんの頼みならいったんで」
と応じた。
ギリシアに着くと100kmまでは取材禁止ということがわかり、暇で仕方ない明石家さんまは女性スタッフに
「走るわ」
といって42.195㎞のマラソンに挑戦。
練習も何もしていないので
「20㎞くらい走れたらええな」
と思いながらスタートし、途中、タバコも吸いつつ走ったが、あれもかれよと6時間半で完走。
帰国して女性スタッフと共に家に戻った明石家さんまは、大竹しのぶに
「どうだった?」
と聞かれ、
「おう、マラソン走ったで。
あんなもんな、かんたんに走れるわ」
と答えた。
すると大竹しのぶに別室に連れていかれ
「なんでぇ?
人の気持ちわかんないの?」
と怒られた。
実はその女性スタッフは、「マラソンを走れるまで」という1人の人間が42.195㎞を走れるようになるまでの感動ドキュメンタリー番組を撮っていて、それが代表作だった。
そんなことは知らない明石家さんまは、
「ハァッ?」
と聞き返し、わけのわからないうちに、また夫婦の絆に亀裂が入った。

結婚式もせず、新婚旅行も行かず、結婚指輪もつくっていなかったので、明石家さんまは、オーストラリアでダイナマイト9本を使ってつくった25mの深さの穴に自ら潜ってオパールを採掘。
オパールは、サンスクリット語で「宝石」を意味する 「upālā[s] 」が語源。
和名「蛋白石(たんぱくせき)」という人気の宝石。
それを大事に持って帰国し、家の玄関を開けたとき、台所からお手伝いさんに話す大竹しのぶの声が聞こえてきた。
「今日帰ってきちゃうのよね。
早いわよね
またご飯の支度しなくっちゃ」
明石家さんまは、めげずにオパールを研磨に出して指輪を制作。
その
「自分で命がけ掘り当てたヤツ」
を使って
「死ぬ思いでつくった指輪」
はオパールの周りにダイヤが敷き詰めた豪華なものだった。
それを
「喜ぶやろな」
と思いながら大竹しのぶに渡すと
「オパール、小っちゃ」
といわれた。
直径10㎝程度あったオパールは、研磨後、米粒のようになっていたが、明石家さんまの心もスリ減った。

1988年10月に結婚した大竹しのぶは、自主的に仕事を休んで家庭に入った。
2歳のときに実母を亡くし、
「ウチの子供はこの子だけや」
といって自分が産んだ子供をだけをかわいがる継母をみて、枕を濡らした経験を持つ明石家さんまも、それを望んだ。
しかし16歳でデビューし、出産前後以外は人が大勢いる現場で仕事をしてきた大竹しのぶは、主婦業は決して嫌いじゃなかったものの、いきなりそれだけになったことでエネルギーを発散させる場所がなくなり、さみしさを感じた。
また明石家さんまは仕事先から1日何度も電話をかけてきて、出かけるときは何時に帰るのか伝えなければならず
「窮屈だな」
と息苦しさを感じることもあった。


驚いたのは、明石家さんまの金銭感覚。
まったくお金に無頓着で、誰かが旅行に行くというと100万円をポンと渡す気前のよさが理解できなかった。
また芸人特有の風習や上下関係にも馴染めなかった。
明石家さんまの師匠が初めて家に来たとき、大竹しのぶは子供をあやしながら料理をつくり、キッチンとテーブルを往復。
1度も同席を求められることもなく、
「私はお手伝いさんなの?」
と思いながら、会食が終わった後、1人さみしくお茶漬けをすすった。

あるとき明石家さんまが後輩とテニスするのをみていると、さんまが打ったボールがラインをオーバーしてもアウトにならない。
最初は黙っていたが何回も不正が行われるのをみてガマンできなくなって
「今のアウトじゃない?」
しかし後輩たちは、
「入ってるようにみえましたけど」
「入ってました」
と口をそろえ、明石家さんまも
「あ、うん。
まあそれはエエがな」
といったため、
「なんでぇ~?」

後輩が入院してお見舞いにいった明石家さんまが
「こんなに忙しいのに、後輩のお見舞いにいく俺って・・・」
というをみたときも
「心からしてるんじゃないんだ
お見舞いしてもらった人がかわいそう」
と思った。
また明石家さんまは、よく仲間を家に呼んでマージャンやポーカーをした。
賭け事が嫌いな大竹しのぶは、外でやられる分はまだ我慢できたが、自分や子供の前でお金をやり取りをされるのは見過ごせず、
「お願い。
子供の前でギャンブルはやめてくれない?」
と頼んだ。

大竹しのぶは家事をこなしていたが、その中に明石家さんまを家から送り出すこともに自分の仕事として課していた。
しかし二千翔の幼稚園で初めて参観日があって、前日から母子共にとても楽しみにしていたのに、翌日、明石家さんまが朝寝坊。
送り出すのに時間がかかっった大竹しのぶは、20分遅刻して幼稚園に到着。
すると下駄箱でポツンと1人、二千翔が立っていた。
「ここでお母さんを待つんだっていうもんですから。
1人にさせちゃてすみませんでした」
出てきた先生は、申し訳なさそうにいった。
大急ぎで途中から参加して必死にみんなに追いつこうとする二千翔をみて、大竹しのぶは胸をしめつけられた。
「私が遅刻したばっかりに・・・
私がさんまさんに気を遣うあまりに二千翔にこんなさみしい思いをさせてしまっている」
一緒に暮らし始めて数ヵ月で、
「こういう人だったのかあ」
とギャップを感じていたが、この一件以降、明石家さんまといい争うようになった。
それまで
「価値観の違い」
と目をつむっていたこともつむらず、明石家さんまが「いい」というものを賛同するのがイヤだったので否定し、自分の方が正しいと主張。
そしてケンカをする度に
「仕事をしていないからネガティブ思考になっているのかな?」
と気持ちが落ち込んだ。
明石家さんまは、つき合っていたとき、
「私、握力が12㎏しかないの。
・・・・・・(少し間をおいてからかわいく)ホントだもん」
といっていた大竹しのぶに胸ぐらをつかまれて
「58㎏はある」
と思った。

明石家さんまといい争っては自己嫌悪に陥るという悪循環を繰り返しながら、大竹しのぶは妊娠。
前回、流産した経験から身体を大事にしたが、いい争いの日々は続き、再び大出血。
病院で医師に怒られたが、流産は免れ、その後はお腹の子供に、
「ごめんね
お母さん、頑張るからね」
「あなたのこと大好きだから。
待ってるからね」
としょちゅう話しかけて気持ちを立て直した。
そして1989年9月19日、女の子を出産。
明石家さんまは、興奮状態で病院にかけつけてデレデレ顔で赤ちゃんをのぞきこんだ。
そして「イマル」と命名。
これに

・1.イマル、2.二千翔、3.さんま、4.しのぶ
・生きているだけで丸儲け

というは2つの意味があった。
大竹しのぶは素直に感動したが、一緒に暮らしているおばあちゃん(大竹しのぶの母親)は、
「イマルなんて。
絶対にオマルとかいわれてイジめられますよ」
と反対。
明石家さんまは心の中で
[ そういうアンタの名前、エステルやないかい!]
大竹しのぶの母方の祖父は、吉川一水というキリスト教の大家で、娘(大竹しのぶの母親)を「江すてる(エステル)」と名づけていた。
大竹しのぶとイマルが退院した日、3人で病院の近くを歩いていると、ジャガーが横を通り過ぎて停車。
そしてバックしてきた。
明石家さんまは
「ウワッ、変なんにカラまれた」
と思ったが、横づけになったジャガーのパワーウィンドウが下がると、美輪明宏がいて
「イチャイチャしてんじゃない」
といわれた。

1989年9月にイマルが誕生した後、10月に「俺たちひょうきん族!!」が終了。
明石家さんまは、育児に専念するため、レギュラー番組を「笑っていいとも」「さんまのまんま」「あっぱれさんま大先生」の3本に仕事量をセーブ。
家に帰ってくるとイマルよりも先に二千翔に触れて、顔をくしゃくしゃにしながら遊んだ。
大竹しのぶは、それをみて
「実の子ではない息子に引け目を感じさせたくないという思いやりからそうしてくれている」
自分のことを「ボス」と呼ばそうとすることも
「もしかしたら実の父親でない自分をお父さんと呼ぶことを無理強いしたくないということかもしれない」
と思った。
二千翔は、喘息持ちで、かつアレルギー体質。
よく発作が起きるため、常に薬を持ち歩き、食事制限を強いられていた。
「こんな小さい時期から薬漬けで成長に必要な食べ物も摂ることができないなんて、本当に正しいのかな?」
大竹しのぶは疑問を抱きながらも気をつけて食事をつくり、薬を飲ませていた。

明石家さんまにしてみれば、それは
「心配しすぎ」
あるときに二千翔が発作を起こしたとき、
「ヨシッ、俺が治す。
エエか、絶対に薬飲ませたらアカンぞ」
と宣言。
当時、
「人間痛いときに手で押さえるっていうのは、気を送っているんだと。
手のひらに治す能力があるっていうのをずっとやってた」
と気や気功というものに凝っていた明石家さんまは、二千翔の枕元に座って
「気って信じてるもん同士しかアカンねん。
どうする?」
と聞いた。
「信じる」
と答える二千翔は、激しくせき込んだせいで目が涙ぐんでおり、大竹しのぶは、それを涙を流しながら見守っていた。


「大丈夫や。
俺の気で直したる」
明石家さんまはいったが、同居しているおばあちゃん(大竹しのぶの母親)は血相を変えて、
「こんなに苦しんでいるのになにいってるの?」
「お義母さん。
1日だけ時間をください」
明石家さんまも譲らず、おばあちゃんは最終的に
「もう離婚です」
というほど怒った。
電話で事情を知った大竹しのぶの姉も
「自分が病気したことがないから病人に気持ちがわからないのよ」
「気で病気が治るわけないわよ」
と明石家さんまのやり方を否定した。
それでも明石家さんまは
「大丈夫や。
がんばれ。
治したるから」
といって一晩中、一睡もせずに必死に二千翔を励まし続けながら、患部に手を当てて、文字通り「手当て」
不思議なことに朝になると二千翔の発作は治まり、さらに不思議なことに、それ以降、発作はピタリとなくなった。
薬を飲むことがなくなった二千翔は、風邪をひいて熱が出て、大竹しのぶに
「ボスに気を遣わなくていいんだよ。
薬飲みなさい」
といわれても
「自分で治す」
といって拒否するようになり、他力本願から自力本願へ変貌。
散々、反対していた大竹しのぶの姉は、明石家さんまに謝罪もせずに気功教室に通い出した。

大竹しのぶと明石家さんまは、絵本を読んでイマルと寝かせていた。
大竹しのぶが舞台のように表現豊かに読み聞かせていると、イマルは
「うるさーい」
と怒り出し、さんまも
「感情込め過ぎ」
とダメ出し。
続いてさんまが気合いを入れて面白おかしく話すとイマルは興奮して
「ダァーっ」
大竹しのぶは
「オーバ過ぎ。
寝ないでしょ」
とダメ出しした。
ある日、家に遊びに来ていたジミー大西が絵本を読むことになった。
ジミー大西を顔をみた途端、ベッドの中のイマルはケタケタと笑った。
「いくで」
といってジミー大西が絵本を読み始めると、たどたどしい読み方ながら、どこかユラユラゆれるゴンドラのような優しいリズムがあり、みるみるイマルの目はトロトロになり、気づけば寝息を立てていた。
「イマルちゃん、寝てもうた」
ジミー大西がベッドの向かい側をみると、さんまと大竹しのぶも伏せるように眠っていた。

ジミー大西は、休みになると明石家さんまの家に遊びにいっていた。
ある日、大竹しのぶが朝食をつくっているとジミー大西がやってきて
「コレ、つまらないものだんですけど」
と紙袋に入った大量のジャガイモを渡された。
「なになに、どうしたの。
何かボスに頼み事?」
「ちゃいます」
「ホントかなあ」
2階から寝起きの明石家さんまが下りてくると大竹しのぶは紙袋をみせた。
「久しぶりに来たと思ったら、なに企んどんねん」
そういう明石家さんまにジミー大西は頭をかいて仕事の悩みを打ち明けた。
「ようわからんのです。
なにをしたらエエか」
「アホか。
そんなん、お前、好きなんやったらエエがな」
「好きなことしていいんですか?」
「人間はな、好きなことせな進歩せえへんの」
ここで大竹しのぶが
「でもさ、嫌いなことでも好きになる努力すれば進歩じゃない?」
「それもありや。
でも好きなことしてるときは努力してるなんて意識ないやろ」
「そうだよね」
「そもそも俺は努力いう言葉、嫌いやねん。
辞書から消したいねん。
俺、エエこというたな。
よしっ、メシ食おう」
「はい、いただきましょう。
ほら、ジミーちゃんも」

別の日、ジミー大西は突然やってきて
「引退したいんです」
明石家さんまは、
(1週間もすれば気が変わるだろう)
と思い
「1週間しっかり考えろ」
といって帰した。
そして1週間後、家に来たジミー大西に明石家さんまが確認。
「それでどうすんねん」
「ストリッパーのヒモになります」
それを横からみていた大竹しのぶはいった。
「あなた本当にバカね」
ちなみにあるとき、大竹しのぶが村上ショージのことを思い出せず
「ドゥの人」
といったとき、明石家さんまは
「違う。
(勢いよく、ジェスチャーつきで)ドゥーンや」
と訂正した。

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